第9話 牙を剥く悪意
作戦の準備を済ませた私たちは、夜更けを待って砦へと向かった。
私は、ロンドから提示された西側の潜入ルートを進んでいた。サクヤさんたちとは別行動だ。
砦の西側は森林地帯になっている。生い茂る木々を利用すれば、身を隠すのは容易だった。
(見えたぞ)
森林地帯を抜けると、眼前に砦が現れた。各所に配された松明の明かりが、砦の巨大なシルエットを浮かび上がらせている。
砦の周囲は防壁で囲まれており、簡単に潜入することはできない。しかし、砦の西側には唯一の物資搬入口が用意されていた。モンスターとの戦闘に必要な物資を荷車で搬入するために用意された出入口だ。物資の搬入をスムーズに行えるように、扉は外側からでも簡単に開く構造になっている。
潜入には絶好のポイントだった。だが、盗賊団も搬入口の存在は把握しているはずだ。見張りを配置し、警戒している可能性は否定できない。
私は姿勢を低くしながら搬入口に近づく……見張りの姿は見えない。
(無警戒だな)
ロンドの情報が正しければ、盗賊たちは東側の正門の防御に注力しているはずだった。このまま潜入することは、さほど難しくないだろう。
私は作戦のために用意したアイテムバッグを手に、搬入口の扉に迫った。しかし――
「このタクマ様の砦に忍び込もうとは……いい度胸してるじゃねえか!」
防壁の上から一人の男が飛び降りてきた。同時に、周囲の暗闇から次々に盗賊たちが現れる。
――伏兵か!?
盗賊団は私の作戦を看破し、罠を仕掛けていたのだ。
「あいにくだが、ただで帰すつもりはないぜ……お前ら、あの女を捕まえろ!」
タクマと名乗る男性PCが、盗賊たちに指示を出した。おそらくは盗賊団の頭領だ。
タクマの指示を受けた盗賊たちが私に襲いかかる――
「近づくな! 下郎ども!」
私は抜刀術を発動させ、掴みかかってきた盗賊の一人を斬り伏せた。
「ぎああぁっ!」
「この女! よくも!」
逆上した盗賊たちは剣を抜き、私を殺そうと切りかかってくる。私は抜刀術によるカウンターで攻撃を凌ぐが、このままではスタミナが先に尽きてしまう。
「仕方がないか……!」
私はアイテムバッグから煙玉を取り出した。煙幕を発生させて、モンスターから逃亡するためのアイテムだ。私が煙玉を地面に叩きつけると、周囲の視界を奪うほどの黒煙が吹き出した。
「うわっ! 前が見えねぇ!」
「落ち着け、ただの目眩ましだ!」
タクマは、混乱する部下たちを鎮めようとする。その隙に私は煙幕を抜け、西側の森林地帯に逃亡した。
「タクマさん、女が西へ逃げていきます!」
しかし、砦の高台から周囲を警戒していた盗賊に発見されてしまった。
「西か……お前ら、俺に続け! 女を追い詰めるぞ!」
タクマは部下を率いて、私を追撃してくる。森の中であっても、盗賊たちが私を見失うことはない。その動きは、さながら獲物を追い詰める猟犬のようだ。今は逃げることしかできない――
「残念だったな、その先は行き止まりだ」
森林地帯の奥へと逃げ込んだ私だったが、そこには切り立った崖が待ち構えていた。道具もなしに、ほぼ垂直な崖を登ることなどできるはずもない。これ以上の逃走は不可能だ。
「この森は俺たちの狩場なのさ……もう逃げ場はないぜ」
部下を引き連れたタクマが、勝ち誇るかのように言った。盗賊団は伏兵を配置し、私の潜入工作を逆手に取ったつもりなのだろう。
しかし、彼らは気づいていなかった。私が立てた作戦の本質に――
「逃げ場はない……そう、その通りです」
突然、ライフルの銃声が響いた。同時に地面に埋められていた爆薬が爆発し、盗賊たちの半数を吹き飛ばした。
「な、なんだ!?」
タクマは驚きの声を上げた。崖の上で待機していたサクヤさんが、地面に仕掛けられていた爆薬をライフルで狙撃したのだ。
「ライフル持ちがいるぞ!」
「敵は一人じゃなかったのかよ!」
盗賊たちはサクヤさんの位置を把握できずにいた。サクヤさんの装備しているボルトアクションライフルは連射こそできないが、待ち伏せにおいては非常に有効な武器だ。ライフルが発砲される度、盗賊たちが一人ずつ倒れていく。レイカさんの訓練を受けたサクヤさんは、PCの急所を正確に撃ち抜いていた。
「ちっ、この場で戦うのは不利だ……砦まで撤退しろ!」
「残念だが、そうはいかない」
砦に撤退しようとする盗賊たちの目の前に、銀の槍を携えた戦士が現れた。
「銀の殺し屋……」
その姿を目にして盗賊たちは震え上がった。
「砦から出た時点でお前たちの負けだ……この場で死んでもらおう」
「うわあぁぁ!」
盗賊たちは散り散りになり、次々にレイカさんに討ち取られていく。
「ちくしょう! こうなったらお前だけでも倒して逃げ切ってやる」
タクマは鎖鎌を構え、私に向かってきた。
「無謀なことを!」
「伊達でカシラやってるわけじゃねぇんだよ!」
タクマは鎖鎌の分銅を振り回しながら突進してくる。
鎖鎌は分銅を敵に巻きつけ、身動きを封じることができる武器だ。タクマは、この武器を使って何人ものプレイヤーから装備を奪っていたに違いない。
私は抜刀術で対抗しようとするが、タクマは打刀の間合いには入らず、遠距離から分銅での攻撃を仕掛けてくる。遠心力によって強化された分銅の一撃は脅威だ。頭に喰らえば、一撃で気絶してしまうだろう。
「どうだ、手も足も出ないだろ!」
「くっ……!」
私は回避に徹した。下手に打刀を抜いて攻撃しようとすれば、刀身に分銅を巻きつけられてしまう。そうなれば身動きを封じられ、鎌による近接攻撃で仕留められてしまうのだ。
だが、遂に分銅を打刀の鞘に巻きつけられてしまった。左手に持っていた鞘に鎖が絡みつき、私は移動を封じられてしまった。
「へっ、捉えたぜ!」
「――こちらがな」
分銅が巻きついたのは、鞘の部分だけだ。抜刀が不可能になったわけではない。私は右手で打刀を抜刀し、左手で分銅が巻きついたままの鞘をタクマに向けて投げつけた。
「うおぉぉ!?」
タクマは咄嗟に鞘を躱すが、分銅に引っ張られる形で大きくバランスを崩した――チャンスだ!
私は両手で打刀を握り、タクマの懐へ飛び込む。そして渾身の峰打ちを奴の腹に見舞った。
「うがぁぁっ!」
振り抜いた刀身がタクマの腹にめり込んだ。峰打ちによる攻撃はPCを死亡させることはない。しかし、戦闘不能に追い込むには十分な威力を持っていた。
「い、痛ぇっ……」
峰打ちを受けたタクマは腹を押さえてうずくまった。
そこへ、銀の槍を手にしたレイカさんが現れる。
「お前の部下は全員始末した……残っているのはお前だけだ」
銀の殺し屋がタクマに槍を突きつける。もはやタクマに助かる術は残っていなかった。
「殺せよ……どうせリスポーンポイントに戻されるだけだ」
「その前に一つ聞きたいことがあります。どうして私が砦の西側から潜入すると知っていたのですか?」
「さあな……答える義理はないぜ」
シラを切るタクマだが、盗賊たちは明らかに私が立てた作戦を知っていた。もっとも、作戦が漏れていることを前提にサクヤさんたちが仕掛けていた罠には気づけなかったようだが。
「あなたたちが伏兵を警戒せずに私を追撃したのは、私が単独で行動しているという情報を事前に与えられていたからだ……違いますか?」
「……」
私の指摘にタクマは黙り込んだ。おそらく私の作戦を漏らした人物から口を封じられているのだろう。
「あなたは実のところ盗賊団の頭領ではない。何者かの指示によって動くだけの駒に過ぎない」
「だったらなんだっていうんだ……ブルーアースには生き方を見失った人間が大勢いるんだよ。お前らみたいに綺麗な顔ができる人間ばかりだと思うな!」
タクマは悪態をついた。だが、彼は生粋の悪人ではない――私はそう直感していた。
「あなたの本質は悪人ではないはずだ。あなたに人の心が残っているのなら、一つ私の頼みを聞いてもらえませんか?」
「頼みだと? 俺に何をさせようっていうんだ?」
「本当のあなたが、成すべきことです」
私はタクマに手を差し伸べていた。




