第6話 運び屋
今更だが、この世界――ブルーアースの技術体系は歪だ。
武器としてボルトアクションライフルが登場するが、自動車や鉄道は存在しない。基本的な移動手段は徒歩だ。ファストトラベルも用意されていない。舞台が広大な大陸であることも手伝って、不便極まりない設定だ。
設定として魔法の概念は存在するようだが、プレイヤーが使用可能な魔法は見つかっていない。初期装備に魔法の杖や魔導書の類は用意されていなかったため、ゲームシステム上、魔法は使用できない可能性が高い。
MMORPGである以上、簡単なシナリオくらいは用意されていてもおかしくはないのだが、ゲームとしてのストーリーは公式サイトでも明かされていなかった。正式サービスが開始されれば、舞台背景が明らかになったのかもしれないが、もはやその日が来ることはないだろう。
「こういうゲームって、最終的なクリア目標が設定されているものじゃないの?」
イーストシティで装備を整えている最中、サクヤさんが私に問いかけてきた。現状では初心者向けの武器と防具しか調達できないが、初期装備よりも幾分マシな性能にはなっていた。
「ブルーアースにクリア目標は設定されていません。ゲームの流れは、モンスターを倒して装備を強化する……その繰り返しです」
「一番強いモンスターを倒せるようになれば、クリア扱いになるんじゃないの?」
「一般的なオフラインRPGであれば、その認識で間違っていません。ですが、ブルーアースはMMORPGです。一番強いモンスターを倒してもゲームは終わりません。随時アップデートが行われ、新しいモンスターや装備が追加されていきます」
ブルーアースは売り切りのコンシューマゲームではない。アップデートを繰り返すことを前提に設計されたオンラインゲームなのだ。
「それって、いくらゲームをプレイしても終わりがないってことよね……」
「その通りです。ただ、現実世界と隔絶されたこの状況で、ゲームのアップデートが行われることはないでしょう」
そもそも今回のブルーアースはベータテストだ。実装予定のコンテンツが全てプレイできるわけではないだろう。
「ゲームが上手い人たちは、強いモンスターが出てくる地域まで進んでいるはずよね。現実世界に戻るためのヒントとかは見つかっていないのかしら?」
「そういった話は聞きませんね。ゲームを攻略するだけで帰還できるのであれば、苦労はしませんが」
もし今回の事象が、何者かによって意図的に引き起こされたものなのであれば、簡単な方法で帰還できるとは思えない。たとえゲームを攻略できたとしても、現実世界に帰還できる保証はないのだ。
「もしかして最前線のプレイヤーたちは、もう現実世界に帰還していて、他のプレイヤーたちは置いてきぼりにされているんじゃ……」
「最前線のプレイヤーたちの中には、帰還方法を見つけて英雄になろうとする者もいると聞きます。情報があればイーストシティにも届いているはずです。もっとも、彼らが自分たちが助かることしか考えていないのであれば、どうしようもありませんが」
イーストシティはプレイヤーが最初に訪れる拠点だ。ベータテストが開始されてから2か月経った現在、ここにいるのはゲームに不慣れなプレイヤーか、現実世界からの救助を待っているプレイヤーがほとんどだ。
最初の1か月は比較的治安もよかったのだが、最近ではアイテムの強奪を目的とした初心者狩りが横行している。今となっては、夜道や人気のない路地裏を歩くことは、自殺行為にも等しい。ハラスメント対策を行うべき運営は、存在すら怪しくなっている。
……レグナントの情報を入手することも大事だが、その前に私たちは自分の身を守らなければならない。イーストシティに留まることは危険だったため、私たちはイーストシティの西側にある拠点、ルミナスタウンへ移動する準備を進めていた。
「そこのアンタたち、ちょっといいか?」
私たちが表通りを歩いていると、行商人のような格好をした男性PCが話しかけてきた。
「俺の名前はアタゴ。この辺りで運び屋をやっている。アンタたちに折り入って頼みたいことがあるんだ」
「運び屋? このゲームって職業を選べるの?」
サクヤさんが疑問を口にする。実際のところ、ブルーアースに職業システムは存在しない。
「運び屋というのは『商会』の依頼でアイテムを運ぶプレイヤーのことです」
「商会って、確かプレイヤー間のアイテムの取引を仲介しているギルドのことよね?」
「そうです。私たちは商会を通じてアイテムを購入できますが、そのアイテムを運ぶのが運び屋の仕事なんです」
ブルーアースでは、アイテムを別の拠点に移動させるには直接運ぶしか方法がない。アイテムの取引を仲介する商会にとって、運び屋は必要不可欠な存在だった。
「アタゴさん、私たちへの頼みとはなんです?」
私はアタゴに目的を尋ねた。私たちのような女性……女性PCに何をさせようというのか。
「商会から頼まれた荷物をルミナスタウンまで運ぶ間、護衛を頼みたいんだ」
「護衛……ですか」
「最近、アイテムの強奪を狙うプレイヤーが増えてるだろ? 俺たちPCは殺されても復活できるが、奪われたアイテムは戻ってこない。そこで、道中の護衛を頼みたいんだよ」
「……報酬はいくらです?」
もともとルミナスタウンに向かう予定だった私たちにとって、アタゴの依頼は好都合ではあった。
とはいえ、何の見返りもなしに引き受けるのは割りに合わない。護衛を引き受ければ、アイテムの強奪を目論むプレイヤーと戦闘になる可能性もあった。
「ははっ、かわいい顔して抜かりないな。前金で3万、ルミナスタウンまで無事にたどり着いたら7万出すよ」
合計で10万es……私たちの所持金からすれば、かなりの額だ。今後の装備の強化や消費アイテムの購入、宿の宿泊費を考慮すれば、少しでも金を貯めておく必要があった。
「分かりました、ルミナスタウンまで護衛すればいいのですね?」
「そうだ……俺も武器は持っているが、荷物を運びながらじゃ戦えないからな。アンタたちみたいなプレイヤーがいてくれて助かるよ」
アタゴは小型のクロスボウを装備していた。携帯性は高いが、武器としての性能は心もとない。雑魚モンスターを追い払うのが限界だろう。
「それじゃあ俺は荷物をまとめてくる。アンタたちも準備ができたら、イーストシティの西出口まで来てくれ」
ルミナスタウンへの移動の準備には、さほど時間はかからなかった。ただ、サクヤさんは護衛の依頼を引き受けたことに不安を抱えているようだった。
「やっぱり他のプレイヤーが襲ってくるのかしら……」
「ルミナスタウンに向かうプレイヤーは、私たちだけではありません。盗みを働くプレイヤーは顔を見られることを嫌うはずです。街道を通る私たちを堂々と襲ってくる可能性は低いと思います」
「それならいいんだけど……」
サクヤさんは不安げな表情を変えなかった。
……本来であれば、彼女の身に危険が及ぶようなことは避けるべきなのだろう。だが、今後も私たちが自分の身を守るためには金が必要になる。リスクを避けてばかりはいられない実情があった。
「待たせたな……」
アタゴが荷車を引いてやってきた。荷車には、かなりの量のアイテムを載せている。ブルーアースには大量のアイテムを格納できるポーチなど存在しない。多くのアイテムを運ぶには、荷車に載せて運ぶしかないのだ。
「重そうね……手伝った方がいいかしら?」
サクヤさんがアタゴに声をかける。積荷は布で覆われていて中身は見えないが、かなり重量のある品物のようだ。荷車が動く度に金属音が聞こえてくる。
「いや、荷物を運ぶのは俺の仕事だ。アンタたちは周囲を警戒してくれ」
アタゴが私たちに護衛を依頼したのは、他のプレイヤーへの牽制が目的だろう。武器を装備したPCが近くにいるだけでも、敵は手を出しにくくなるはずだ。
「私が街道を先行して、他のプレイヤーが待ち構えていないか偵察してきましょう」
街道を通るとはいえ、待ち伏せにあう可能性は否定できなかった。できれば敵の位置を事前に把握しておきたい。
「いや、街道は通らない。街道を避けて荷物を運びたいんだ」
アタゴは街道を避けるルートを提示した。荷車を引いて進むには厳しい道のりだ。
「街道を避ける? 回り道になりますが……」
「商会からの指示なんだ。理由は俺にも分からない」
街道を避けるのは、待ち伏せにあうリスクを減らすためだろうか。他のプレイヤーに遭遇する可能性は低くなるが、ルミナスタウンへの到着には2倍の時間が必要になると予想された。
結局、私たちはアタゴの要望通り、街道を避けてルミナスタウンを目指した。道はまともに整備されていない上、徘徊するモンスターを避けて進まなければならず、移動は困難を極めた。
……アタゴは、なぜこんな苦労をしてまで商会の言いなりになるのだろうか。私には、この男の真意が理解できなかった。




