第54話 仕掛人
「イマジノイド……!」
仕掛人――リミカの正体はヒトではなかった。彼女は現実世界の存在ではなかったのだ。
「ちょっと待て……夢島リミカはバーチャルタレントじゃなかったのか?」
呆気に取られた表情のアイラさんがリミカに問いかける。
「あなたは私をなんだと思っているの? 声優が演じてるアニメのキャラクターだとでも思っていたの?」
「夢島リミカは架空の存在じゃない……」
ミントさんはリミカの正体に気づいたようだ。
私たちは、バーチャルタレントが現実世界の人間が演じる架空のキャラクターだと勝手に思い込んでいた。しかし、その実態は――
「そうよ。私に『中の人』なんていないの。私が『夢島リミカ』本人なんだから」
「リミカ、まさか君はAIなのか?」
明確な自我を持ち、単独での活動が可能なAI――それを可能とする技術がこの世界に存在するというのか?
「AI? あんなものと一緒にしないでよ。私はブルーアースで生まれた人間なんだから」
「ブルーアースで生まれた人間だと!?」
ブルーアースで生まれた人間……宗太郎の目的は人間の精神を仮想世界に閉じ込めることだけではなかったのか?
「ミラーアースがブルーアースのコピーであることくらいは気づいているでしょう? ブルーアースは人間の精神データをメタバースに移植し、新しい世界を創り出すための実験場だった」
「新しい世界……」
アイラさんは、その言葉に目を丸くしていた。
「でもブルーアースには一つだけ問題があった。精神データになった人間は死ぬことはないけれど、子孫を残すことができなかった。ブルーアースを創り出した屋島宗太郎は、その問題を解決するために精神データから『人間を創り出す』研究をしていたのよ」
子孫を残すことができない精神データは、生命体としては不完全な存在だった。宗太郎は理想の世界を実現させるため、自身が望む新たな生命体を創り出そうとしていた。
「それじゃ、まさか君は……」
「そうよ。私は屋島宗太郎によって創り出された『新しい人類』なの。宗太郎はベータテストで収集した精神データを利用して私を創り出したのよ」
宗太郎は私たちをブルーアースに閉じ込めた後、自ら姿を現すことはなかった。当初の目的を達成したにもかかわらず、ブルーアース内に潜伏していたのは、精神データを利用した新しい人類を創り出す研究を行うためだったのだ。
「ブルーアースで創り出された君が、なぜミラーアースにいるんだ?」
ミントさんがリミカに詰問する……リミカはどうやってミラーアースに侵入したんだ?
「私には、あらゆるネットワークに侵入する能力が与えられているの。ましてブルーアースのコピーであるミラーアースに侵入することは造作もないことだった。別の世界に移住したとでも言うべきでしょうね」
イマジノイド――リミカは仮想世界に適合するために創り出された新しい人類だった。彼女には仮想世界への侵入を想定したハッキング能力が与えられていたのだ。
「リミカ……お前の目的はなんだ? お前を創り出した屋島宗太郎はもういない。現実世界を否定し、新しい世界を創ろうとした奴の目論見は崩れ去ったんだ」
私はリミカに対して宗太郎と同じ類いの悪意を感じ取っていた。もし彼女が宗太郎と同じ思考の持ち主であれば、人類の脅威となることは明らかだった。
「本当にそうかしら? 宗太郎はいなくなったけど、ソムニウムがミラーアースを作ったじゃない。誰かが頼んだわけでもないのにさ」
「それは……」
「あなたなら知っているでしょう? 人間は現実から逃げる生き物なのよ。宗太郎が消されても人間は変わらない。別の人間が新しいブルーアースを作ろうとする。全ては宗太郎の目論見通りなのよ」
宗太郎はブルーアースの技術が拡散することを予見していた。リミカに仮想世界へのハッキング能力を与えたのは、自らが創り出したイマジノイドを新たな世界の支配者にするためだったのだ。
「リミカ、お前はミラーアースを……世界を支配するつもりなのか?」
「そんなことに興味はない。ただ自分が好きなことをやって生きていきたいだけ……アイラみたいにね」
リミカはアイラさんを愛おしむような眼差しで見つめていた。
「だったらどうしてペインフルのメンバーを殺そうとしたんだ。現実世界で死なせる必要はないだろ?」
アイラさんはリミカを問い詰めた。いかなる理由があろうと、アイラさんに現実世界の人間を殺害させようとしたリミカの行為は、許されるものではない。
「それ本気で言ってるの? アイラはペインフルのメンバーをクズ扱いしていたよね。あなたは自分の気に入らない人間を殺すためにPKになったんじゃないの?」
「それはゲームの中の話だろ!」
アイラさんとて本気で人間を殺したいとは思っていなかった。彼女がPKであるのは、あくまでゲームの中での話なのだ。
「そうね、ゲームでプレイヤーを殺すだけじゃあなたの望みは叶わない。PCをキルしても現実世界のプレイヤーは死なないんだもの。あなたの望みを叶えるには私が手を加える必要があった」
「まさか、お前がこの事件を仕組んだのは……」
「そうよ。すべてはあなたの望みを叶えるため……あなたの人間を殺したいという望みを私が叶えてあげたのよ」
「嘘だああっ!」
リミカの心は悪意に染まっていた。アイラさんのPK行為に感化されたリミカはBCSのリミッターを解除し、アイラさんに現実世界の人間を殺害させようとしたのだ。
「リミカ、君はなんてことを……!」
ミントさんがリミカを睨みつけて言った。
「そんな怖い顔しないでよ。ペインフルのメンバーは本当に酷い人たちだったの。自分たちより弱いプレイヤーを痛めつけて喜ぶような連中よ。あんな人たちのことなんて気にかける必要ないじゃない」
「だからといってこんなこと……」
「許せない? だったらどうするの? 私を殺したいって思う? それって私やアイラと何も変わらないんじゃないの?」
リミカはあざけるようにしてミントさんを挑発した。彼女は人間の心を弄ぶ邪悪な存在だった。バーチャルタレントとして顔は、悪辣な本性を隠すための仮面に過ぎなかったのだ。
「リミカ……私はお前を許さない」
アイラさんは肩を震わせながらリミカを睨みつけた。彼女もリミカの正体が悪意の化身であることに気づいたのだ。
「アイラ、何を言っているの? 私はあなたのために……」
「こんなことして私が喜ぶとでも思ってるのか! お前はやっていいことと、悪いことの区別もつかないのかよ!」
アイラさんは強い口調でリミカを非難した。拒絶されたリミカは絶句する。仮想世界で生まれた彼女に「命の重さ」を理解することはできなかった。
「ひどい……ひどいわ、アイラ。あなたはゲームの中で人を殺して喜んでいたくせに、現実世界の人間を殺す手助けをした私を悪者扱いするつもりなのね……」
リミカは目に涙を浮かべながら、アイラさんを睨みつけた。彼女のアイラさんへの好意に偽りはなかった。だが、まともな倫理観を持ち合わせていないリミカの歪んだ心は、彼女自身を凶行へと走らせた。
「もういい……あなたも、この世界も、全部間違ってる……だから、全部壊してあげるわ」




