第52話 死の痛み
「ミラーアースのシステムを悪用って……そもそもゲームを利用して現実世界の人間に危害を加えることなんて可能なのか?」
アイラさんが疑問を口にする。ミラーアースは単なるゲームに過ぎないのだ。現実世界の人間を殺害することなどできるはずがない。
「可能だよ。ゲーム中で『死の痛み』を再現することによって、現実のプレイヤーの肉体にもダメージを与えることができる」
「死の痛みだと!?」
ミントさんの口から出た言葉に、私は思わず声を上げてしまった。かつてのブルーアースでは、PCは死亡しても復活することができたが、その度に耐え難き苦痛――死の痛みを味わうことになった。ミラーアースにも死の痛みが存在するというのか……
「ミラーアースのBCSには、ゲーム中の事象を現実の体験だと錯覚させる効果がある。ゲーム中でキルされたプレイヤーに死の痛みを与えることで、現実の自分が死亡したと錯覚させ、極度のストレスによって身体機能に障害を発生させることができるんだ」
「それが急性心不全の原因……」
BCSは明らかにブルーアースを再現するために作られたシステムだった。まさか死の痛みまで再現されていたとは……
「今回は救急搬送が間に合ったようだけど、もし被害者たちが一人暮らしだったり、同居人が異常に気づいていなかったら……」
「待ってくれ、私はミラーアースにログインしてから3,852人のPCをキルしたけど、現実世界で意識不明になったのはペインフルの連中だけだ。どうしてあいつらだけが心不全を発症したんだ?」
アイラさんは動揺を隠せない様子だった。彼女がゲームの中で他のプレイヤーをキルすることは、日常茶飯事であった。それが現実世界のプレイヤーを意識不明にさせるなど、あってはならないことなのだ
「BCSにはリミッターが設けられている。通常であればゲーム内でキルされたとしても、死に至るような痛みを感じることはない」
ミントさんは「社外秘」と記されたBCSの設計資料を手にしていた。ソムニウムとてプレイヤーが死の痛みを味わうことがないように対策は取っていた。BCSでブルーアースを再現しようとしたのは、あくまでそれをゲームとして利用することが目的だったはずだ。
「しかし、ペインフルのメンバーが心不全を起こしたということは……」
「そうだよ。あの三人が使用していたHMDはBCSのリミッターが解除されていたんだ。ペインフルのメンバーはリミッターが解除されていたことも知らずにゲームをプレイし、アイラにキルされたんだよ」
「私が、殺した……」
アイラさんは青ざめた顔で震えていた。犯人はアイラさんとBCSを利用し、ペインフルのメンバーの殺害を目論んでいたのだ。
「待ってください、アイラさんはBCSのリミッターが解除されていたことを知らなかったんですよ」
「そうだね、アイラにとっては単なるゲームだったのかもしれない。だがアイラがペインフルのメンバーをキルしたことによって、現実世界の彼らが意識不明になったことも事実だ」
卑劣な犯行だった。犯人は自ら手を下すことなく、アイラさんに現実世界の人間を殺害させようとしたのだ。
「……誰の仕業なんだ。リミッターを解除したのは」
アイラさんは肩を震わせながら声を発した。その声には、犯人への強い怒りと憎しみがこもっていた。
「『仕掛人』の正体は不明だ。恐らくソムニウムも正体は掴めていない。センチネルが君に探りを入れてきたのは、仕掛人と君に繋がりがないかを調べるためだろう」
「仕掛人……」
仕掛人――ミントさんは真犯人をそう表現した。自らは姿を現すことなく、人々を翻弄する事件の立役者。さながら屋島宗太郎の再来である。
「ソムニウムのセキュリティで守られているHMDのリミッターを解除できるとすれば、魔術師級のハッカーかあるいは……」
「面白いじゃないか」
「アイラさん?」
「どこのどいつか知らないが、仕掛人は私を利用して現実世界の人間を殺させようとしたんだろ? ツケを払ってもらわなきゃ気が済まないね!」
アイラさんは怒りの形相を浮かべていた。それは、ミラーアースで私をキルしようとした時と同じ表情だった……彼女をこのままにしておくのは危険だ。
「敵はミラーアースのシステムを自在にコントロールできるような相手だぞ。君一人で何ができる?」
「仕掛人はどこかで私を見張っているはずだ。私が死神扱いされるのを見て、ほくそ笑んでるに違いない……そいつを見つけ出して償いをしてもらう!」
「アイラ、君の気持ちは分かるが、犯人が特定できない内は迂闊な行動は避けるべきだ」
レーベンもアイラさんを制止しようとするが、今の彼女に自分の感情を抑えることができるはずもない。
「だが、何もしなきゃ状況は変わらないだろ」
「しかし……」
「もういい、私は自分の力だけで仕掛人を探し出してやる!」
アイラさんはそう言って事務所を飛び出してしまった。
「待ってください、アイラさん!」
私はアイラさんを追いかけようとする。しかし、ミントさんが行く手を塞いできた。
「ミントさん、何のつもりです? 彼女を一人にするのは危険です」
「カスミ、心配しなくてもアイラは誰も殺さないよ。自分が仕掛人に見張られているという自覚はあるみたいだからね」
「ですが、このままにはしておけません」
仕掛人が次にどのような行動を起こすかは見当もつかない。最悪、犯行に利用されたアイラさん自身が消される可能性すらある。
「そうだね、私たちには仕掛人への対抗策が必要だ。そこで提案なんだが、よかったら現実世界で私と会ってくれないか?」
「えぇっ、現実世界で会うのはちょっと……」
探偵であるミントさんに正体を明かすことは憚られた。事件の詳細を調べてきた手際から見て、彼女は仮想世界にかなり通じているようだ。私の正体を言いふらされたりでもしたら、とんでもないことになってしまう。
「大丈夫だよ。私は君の本質を知っている」
本質……ミントさんの言う私の本質とは何だ? 彼女は私の正体を知っているのか?
「頼むよ、どうしても現実世界で君に会いたいんだ」
ミントさんが両手で私の肩を掴んできた……彼女には何か考えがあるようだ。個人的な理由で無下にすることはできない。
「分かりました……でも現実世界の私のことを他の人に言いふらしたりしないでくださいね」
「そんなことはしないよ……大事なのは君の本質なんだからね」




