第5話 嘆きの箱庭
プレイヤーたちがログアウト不能になってから、既に2か月が経過していた。
依然、外部との通信は不可能。現実世界からの呼びかけや運営からの通知などは一切ない。今回の事象がバグによるものなのか、人為的なものなのかすら私たちは掴めずにいた。
プレイヤーたちの反応は様々だった。
ゲームを攻略することが、脱出への近道だと主張する者。
現実世界からの救助を待つべきだと主張する者。
現在のブルーアースは異世界であり、脱出する方法はないと主張する者まで現れた。
隔絶された状況に絶望して自殺を試みる者もいたが、プレイヤーは死んでもリスポーンポイントで復活してしまうので無駄な足掻きに終わった……結果として、それでよかったのかもしれないが。
私とサクヤさんはレグナントに関する情報を集めていた。レグナントの関係者に接触し、ブルーアースを脱出するための情報と、サクヤさんの兄についての情報を入手する……というのが当面の私たちの目的だ。
しかし、2か月の間、イーストシティを中心に聞き込みを行ったが、有用な情報は何一つ入手できなかった。
そもそもレグナントの関係者がプレイヤーの中に混じっていたとしても、素性を明かして情報を提供してくれる見込みはほとんど無かった。
今回の事象がレグナントによって引き起こされたものなのか、レグナントですら想定外の事象なのかは不明だが、関係者が一般のプレイヤーに安々と情報を開示するとは思えない。
サクヤさんの兄の死についても同様だ。サクヤさんは、レグナントから具体的な情報は何一つ提供されなかったと言っていた。仮にレグナントの関係者を見つけたとしても、真実を語ってくれる保証はない。
それでも私たちはレグナントについて調べ回るしかなかった。他に何をすべきか分からなかったからだ。現実世界と隔絶された状況で、目的を見失ってしまえば、私たちの精神はまともではいられなくなる――そんな不安があった。
「あの人たち、あんなところで何をしているのかしら?」
イーストシティで聞き込みをしている途中、サクヤさんが、路地裏に座り込んでいるプレイヤーたちを指して言った。彼らは皆、武器も防具も身に着けず、虚ろな目をしながら上を向いている。生きてはいるが、心は死んでいる。そんな様相を呈していた。
「……彼らは盗賊の被害者ですよ」
「盗賊? そんなモンスターが出てくるの?」
「いえ、盗賊はモンスターではありません。私たちと同じPC、つまりプレイヤーです」
「プレイヤーって……!」
サクヤさんは言葉を失ってしまったが、私はそういった類のプレイヤーが存在することに、さほど疑問を抱いていなかった。
……ブルーアースではプレイヤー同士の攻撃、プレイヤーキルが可能になっている。そのシステムを利用し、他のプレイヤーからアイテムを強奪するプレイヤーが現れたとしても、不思議なことではなかった。
やり方は簡単だ。まず、PCを攻撃して痛めつける。弱らせたところで身ぐるみを剝いで、トドメを刺す。殺されたPCは装備を失った状態でリスポーンポイントに戻される。ブルーアースは装備の強さによってステータスが決まるシステムなので、装備を失ったプレイヤーは全てを失ったも同然なのだ。
「うぅっ……」
サクヤさんは気分を悪くしたらしく、その場にうずくまってしまった。このままでは嘔吐してしまいそうだ。
「宿に行きましょう……あそこは他のプレイヤーから攻撃されませんから」
「うん……ごめん」
私は彼女の手を引いて宿に向かう。
……彼女はこのゲームに向いていない。だからといって現実世界に戻ることもできない。アイテムを奪われて路地裏にたむろしていたプレイヤーたちも同じだ。ゲームをやめたくても、やめることができない。そういったプレイヤーたちにとって、今のブルーアースは地獄なのかもしれない。
私はサクヤさんを連れてイーストシティの宿に入った。
宿は非常に重要な施設だ。宿に泊まっている間はスタミナが減少しない。何よりも他のプレイヤーから攻撃を受ける心配がない。この世界で唯一の安全地帯だ。
当然だが、宿に泊まるには金が必要だ。宿のカウンターには、無表情で宿泊費を受け取るNPCが配置されている(この世界のNPCは、定型文すら話さない置物扱いである)。現実世界のホテルのように、部屋の大きさと宿泊日数を選んで宿泊費を払う仕組みになっている。
私は普段と同じように一人用の部屋代を払おうとしていた。しかし、なぜかサクヤさんが二人用の部屋代を払ってしまった。
「何をされているんですか、サクヤさん」
「……二人で泊まるなら、こっちの方が安いわよ」
確かにそちらの方が幾分安くは済む。だが、それ以上に大きな問題があるのではないだろうか。
「サクヤさん、私の正体をお忘れになったのですか?」
「忘れてないわよ」
「だったら、なぜ……」
「私と同じ部屋だと問題があるの?」
彼女が何を考えているのか分からない。
「……いいえ、同じ部屋で問題はありません」
こうして私は再び間違いを犯す……自分が眠れなくなるだけだと分かっているはずなのに。
私たちが泊まった部屋はお世辞にも広くはなく、無造作にベッドが二つ置いてあるだけだった。
サクヤさんは部屋に入るなり、ベッドの上でシーツを被ってしまった。
……この部屋は窓がないので嫌いだ。閉塞感で窒息しそうになってしまう。
「カスミ」
シーツを被ったまま、サクヤさんが私の名前を呼んだ。いつから私を呼び捨てするようになったんだろう。
「ごめんなさい、わがままを言ってしまって」
「気にしてはいません。宿泊費を節約するのは大事なことですので」
宿泊費なんて本当はどうでもよかった。私とサクヤさんが同じ部屋にいること自体が問題だ。
「私、ひどいことしてるよね。レグナントのこと調べるって言い出したのに、何も掴めていないし、カスミに面倒ばかりかけて……」
「……」
「本当はここに来るべきじゃなかったんだと思う……死んだ兄さんのことなんて忘れて、何も知らない顔をして生きていればよかったのよ」
シーツの下からサクヤさんの嗚咽が漏れていた。
……こんな世界に閉じ込められて、不安を抱えずに生きていくことなどできるわけがない。
「カスミは大丈夫なの? 身体が女になってしまうだなんて、辛くないの?」
「それほど違和感はありません。今の私たちはゲーム内のPCです。男性も女性も見た目が違うだけで機能的な違いはありません。なので、見た目が女性になったとしても、精神に影響を及ぼすことはありません」
現在の私たちはゲームの中に入ってしまったというよりも、ゲーム内のPCになってしまったという方が正しい。
PCは見た目こそ精巧に作られているものの、本物の人間ではない。ゲーム的な都合もあるが、全ての生理現象が再現されているわけではないようだ(食事や睡眠は、スタミナを回復するための行動としてゲームシステムに組み込まれている)。
ブルーアースのHMDを通じて、今の現象が起こっているのだとすれば、本当の私たちの身体は現実世界に存在しているはずだ。この世界から脱出することができれば、元の身体に戻れる……今はそう信じるしかなかった。
「カスミは強いよね。こんな時でも自分を見失わないなんて」
「そんなことはありません。私の心が折れずに済んでいるのは、サクヤさんのおかげですよ」
「えっ……」
「異常な状況下に置かれた人間は、一人だとすぐに音を上げてしまいます。でも二人でいれば意外と粘れるものなんです」
違う……私が言いたいのは、そんなことじゃない。私の「心」はサクヤさんと一緒にいることを望んでいるんだ。
「そう……だよね。私もカスミがいなかったら何もできずに塞ぎ込んでいたと思う」
「明日からはイーストシティを離れる準備をしましょう。別の拠点に行けば、新しい情報が手には入るかもしれません」
「……」
サクヤさんは眠ってしまったようだ。私がすぐそばにいることも憚らず……
自分だけが眠れずにいるのが悔しい。何よりもサクヤさんを意識してしまっていることを突きつけられるのが悔しかった。私は「カスミ」になっても、女性への執着を捨てきれていなかったのだ。




