第43話 とある探偵の報告書
2036年4月25日
「ブルーアース事件」の発生から既に9か月が経過した。未だにプレイヤーたちの意識は戻っていない。意識を失った彼らは、まるで「抜け殻」のような状態だ。
医師たちによると、現在の医療技術では、プレイヤーたちの意識を取り戻すことは不可能との見解だった。絶望した被害者家族の中には、プレイヤーたちの延命措置を中止するべきなのではないかとの意見も挙がってきている。
……私にはどうすることもできない。ただ、事件の真相を明らかにすることが私の役目だ。
誰かに依頼されたわけでもないのに、私はブルーアース事件についての調査を続けていた。この事件と向き合うことをやめてしまったら、私は探偵を続けられなくなる……そんな不安が心を支配しているのだ。
ブルーアースを運営していたレグナント社は、プレイヤーたちが意識を失った原因について、ブルーアースに採用されていた脳波コントロールシステムの致命的な欠陥が原因だったと発表した。
そんな言い訳で被害者の家族たちが納得するわけがない。世間からのバッシングと被害者への補償対応に追われた挙げ句、レグナント社は夜逃げ同然の形で倒産した。
問題は事件の原因である脳波コントロールシステムが、実質ブラックボックスであるということだ。レグナント社の関係者ですら、中身は把握していないらしい(この証言については疑わしい部分がある)。
ブルーアースのHMDについては、脳科学の権威である高村博士が解析を進めているが、未だ有益な情報は得られていない。
脳波コントロールシステムの開発者である屋島宗太郎は、ベータテスト開催の1か月前に焼身自殺している。警察による捜査も実施されたが、現場の状況から事件性は低いとの結論だった。
インターネット上では、様々な憶測が飛び交った。
宗太郎はレグナント社から非合法な研究を強要されており、人間の意識を奪いかねない危険な装置を開発した。そして罪の意識に耐えかねた宗太郎は開発室に火を放ち、自ら命を絶った……何の根拠もない与太話である。
しかし、脳波コントロールシステムの開発者である宗太郎の存在を無視するわけにはいかない。私は宗太郎の身辺調査を行った。
屋島宗太郎……享年28歳。都内の有名大学を卒業後、大手IT企業のレグナント社に入社。入社1年目から新型ウェアラブル端末の開発を一任されるなど、非常に優秀な社員だったようだ。社内でもかなりの厚待遇を受けており、自殺する動機は見受けられない。
宗太郎は7年前に発生した通り魔事件で両親を亡くしていた。レグナントの元社員に聞いた話では、宗太郎は理不尽な事件が発生する度、「誰かがみんなを救わなければいけない」と嘆いていたという……そんな男が罪のない人々を意識不明にするような装置を作るだろうか?
両親を亡くした宗太郎の唯一の家族は、妹の屋島亜弥子である。宗太郎を知る人間たちは「彼は妹を残して自殺するような人間ではない」と口を揃えていた。
亜弥子は、両親が殺害された際のショックが原因で家から出られなくなっていた。実は彼女もブルーアースのベータテストに参加しており、現在も意識不明の状態である。
私は、亜弥子の世話をしている屋島家の家政婦から話を聞くことができた。
ベータテストが開催される直前、屋島家に既に死亡していた宗太郎宛のHMDが届いたのだという。家政婦は不審に思ったが、亜弥子は家政婦の制止を無視してHMDを装着し、ブルーアースにログインしてしまった。
恐らくだが、亜弥子はブルーアースにログインすることで、宗太郎の死について何かが分かると考えていたのだろう。しかし、結果として亜弥子はブルーアース事件に巻き込まれてしまい、意識を失ってしまうこととなった。
家政婦の話によると、亜弥子はゲームの中で「カスミ」というプレイヤーと仲良くなっていたらしい。カスミが何者かは不明だが、6年間も家から出ていなかった亜弥子にとっては、久しぶりに出来た友人だったのだろう。もっとも、そのカスミも脳波コントロールシステムが原因で意識不明になってしまったと思われる。
屋島家に宗太郎宛のHMDが届いた件について調べた所、宗太郎自身がベータテストに応募していたことが明らかになった。宗太郎は自分でベータテストに参加するつもりだったのだろうか?
開発者がゲームのデバッグを行うこと自体は珍しくないが、わざわざ自宅にベータテスト用のHMDを届けてもらう必要はないはずだ。宗太郎には別の目論見があったのかもしれない。第一、自殺を考えている人間が、自分が死んだ後に開催されるベータテストに応募すること自体が不自然だ。
私は宗太郎がベータテストに応募していた経緯について調査を続けたが、これ以上の詳しい情報は入手できなかった。いや、そもそも宗太郎に関しては不自然なくらいに情報が残されていないのだ。もしかすると、何者かが意図的に情報を消去したのかもしれない。
……宗太郎の情報を消した人間がいる。だとすれば、その人物こそ今回の事件の真犯人なのではないか。憶測の域を出ないが、私は事件の背後に何者かの「悪意」を感じ取っていた。その正体を暴かない内は、落ち着いて眠れそうにもない。
こんな時、頼りがいのある助手がいてくれればいいんだけどな……
2036年7月18日
迷宮入りしていた事件が大きく動いた。
レグナント社が使用していたデータセンターから、ブルーアースのプレイヤーを名乗る人物のメッセージが世界中に送信されたのだ。
そのプレイヤーの名前はカスミ……亜弥子がゲームの中で知り合ったとされるプレイヤーの名前だった。
メッセージには、プレイヤーたちが精神データとしてブルーアースのサーバーに閉じ込められ、1年もの間、外部との通信が行えない状況だったことが記されていた。
最初は誰もメッセージが本物だとは信じなかった。しかし、「ハングドマン」を名乗る謎の人物が、メッセージの発信元を特定したことによって事態は急転する(データセンターにアクセスした手口から見て、ハングドマンはハッカーである可能性が高い)。ブルーアース事件を調査していたメタバース管理局がデータセンターを調べた所、そこにプレイヤーたちの精神データが保存されていたのだ。
管理局による調査が進むに連れて、次々に事件の真相が明らかになった。
新作VRゲームの開発に行き詰まっていたレグナント社の上層部は、宗太郎が開発した脳波コントロールシステムに飛びついた。このシステムによって画期的なVRゲームが完成するはずだった。
しかし、これは宗太郎が仕組んだ罠だった。脳波コントロールシステムの正体――それはプレイヤーの精神をデータとして抽出するために作り出された「メンタルディバイドシステム」だったのだ。
メタバース事業で覇権を狙っていたレグナント社には、ベータテストを予定通りに開催したいという欲があった(専用HMDの量産に莫大なコストがかかっており、後に引けない状況だった)。宗太郎が自殺した際、社内ではベータテストを延期すべきとの意見が挙がっていたにもかかわらず、上層部は箝口令を敷いてまで、ベータテストの開催を強行してしまったのだ。
今回の事件は、全て屋島宗太郎によって仕組まれたものだった。宗太郎は自分が死亡する直前に、メンタルディバイドシステムによって精神データをブルーアースのサーバーに保存していた。宗太郎は人間の精神をメタバースに移植し、自分だけが管理できる世界を創り出そうとしていたのだ。
だが、私が驚いたのは宗太郎が真犯人だったことではない。事件の真実にたどり着いたのが、「三麗騎士」と呼ばれる三人のプレイヤーだということだ。
殺し屋として悪意と戦い続けたレイカ。
ブルーアースの謎を解き明かし、事件の解決に貢献したサクヤ。
そして、管理者と化した宗太郎を打倒したカスミ……
三人の中でも、私は特にカスミに注目していた。
どうやって管理者の支配を打ち破ったのか?
どうして圧倒的に不利な状況で戦いを挑もうとしたのか?
……いや、そんなことはどうでもいい。彼女? 彼? とにかくカスミがどんな人物なのかを知りたい。これは単なる知的好奇心ではない。カスミこそ、私が探し求めていた人間かもしれないのだ。
現在、メタバース管理局によってカスミの正体は秘匿されている。何よりカスミの精神はブルーアースのサーバーに保存されたままなので、直接会うことは叶わない。プレイヤーたちの精神を現実世界の身体に戻す方法は、未だ見つかっていないのだ。
しかし、私には一つの確信があった。
カスミは必ず現実世界に帰ってくる。そして私の前に姿を現す日が来ると――
次回は12月4日更新予定です。




