第41話 ブルーアースのカスミ
私は唯一の武器である打刀を手に、管理者――屋島宗太郎に相対した。
だが、状況は絶望的だった。
宗太郎は何度倒されても復活する上、仕様外の強力な武器を自在に召喚できる。現実世界のプレイヤーたちは精神を失った抜け殻と化し、ベータテストは中止されたことになっているので、誰も助けに来てくれない。残された道は宗太郎に屈服し、管理という名の支配を受け入れることしかなかった。
「カスミ君、僕は君に感謝しているんだ。現実の君は何の価値もない男だった……だが、この世界で生まれ変わった。愛する仲間のために戦う正義のヒロインへと生まれ変わったんだ」
「私が、ヒロイン?」
私はブルーアースに初めてログインした日のことを思い出した。「カスミ」とは、まさしく私が望んだ理想のヒロインではなかったか。
「そうとも! 君はブルーアースが持つ無限の可能性を証明してみせた。君こそ、僕が思い描いていたブルーアースの体現者なんだ!」
宗太郎は私に賛辞を贈った。ブルーアースの正体は、現実世界を否定し、人間を理想の形へと進化させるためのシステムだった。カスミとしてブルーアースにログインした私は、図らずも宗太郎の計画に加担させられていたのだ。
「違う……」
「え?」
「全部間違ってる。私はヒロインなんかじゃない。私も、この世界も全て偽物だ。何の価値もない……」
私は自分の存在を認めるわけにはいかなかった。本当は「カスミ」なんてどこにもいない。私の存在そのものが「嘘」なのだ。
「なぜそんなことを言うんだ? 君は望んで今の姿になった。そして自らの望みを叶えたはずだ」
「違う! 私は現実に帰りたかった……どんなに辛くて苦しい人生でも、本当の自分の人生を歩みたかった」
「……残念だが、その望みが叶うことはない。分かっているはずだ」
プレイヤーが現実世界に帰還する方法など、最初から用意されていなかった。ブルーアースにログインした時点で、私たちの運命は決まっていたのだ。
「ええ、分かっています。全てが手遅れだということも」
「ならば、この世界を受け入れてはくれないか。君なら、この世界で新しい人生を歩むこともできるはずだ」
「新しい人生? こんな嘘で塗り固めた醜い姿で生きろと言うんですか……そんな人生、私には耐えられません」
私は宗太郎の前に跪いた。
「お願いです、宗太郎さん、私を消してください」
祈るように懇願した。
「あなたはこの世界を創り出した神にも等しい存在だ……用意しているんでしょう? 私たちを消す方法を」
「しかし、それは……」
「私は自分で自分を終わらせることができない。あなたの力を借りるしかないんです。お願いです、どうか私を消してください」
「……」
宗太郎は思案の末、何もない空間から一本の剣を取り出した。黒く禍々しい気を放つ剣だ。通常のPCが使用する武器とは一線を画すものであることは明らかだった。
「この剣の名前はレーヴァテイン。この武器で破壊されたデータは二度と復元することができない……文字通り死を迎えるというわけだ」
宗太郎は両手でレーヴァテインを握り、その剣先を私に向けた。
「だめよ! カスミ、私を置いていかないで……」
サクヤさんが私に手を伸ばしてくる。でも、その手を掴むことは許されない。
「ごめんなさい、サクヤさん。私にはこうするしかないんです」
私はサクヤさんに笑顔でそう言った。
「――カスミ君、最後に聞かせてくれ。なぜ君はブルーアースにやってきたんだ?」
「自分を消したかったから……」
私は小さく呟いた。
「そうか、それが君の望みだったのか……不本意だが、仕方がない」
宗太郎がレーヴァテインを振り上げる。
「君に『完全なる死』を与えよう」
――――最後の博打だった。宗太郎が邪魔なPCを消すための手段を用意していることは、容易に想像できた。問題は、その手段を奪えるかどうか、その一点だけだった。
私は左手に忍ばせていた打刀で抜刀術を発動させた。右手で振り抜いた有明月の刀身が、レーヴァテインを握る宗太郎の両手首を切り裂いた。
「なっ……」
切断された宗太郎の両手首とレーヴァテインが宙を舞った。宗太郎は自分の身に起きたことを何一つ理解できていなかった。
私は打刀を投げ捨て、宙に浮いていたレーヴァテインを掴み取る。そして両手に力を込めて、レーヴァテインで宗太郎の身体を貫いた。
「消えるのは貴様の方だ、屋島宗太郎!」
私の心がそう叫ばせた。レイカさんを傷つけ、サクヤさんを裏切ったこの男を許すわけにはいかなかった。
「そんな……僕はみんなを……あ、あ、あぁぁぁッ!!」
レーヴァテインによって貫かれた宗太郎のPCは粉々に砕け散り、完全に消滅した。
「カスミ!」
サクヤさんが駆け寄ってくる。私は武器を捨て、彼女を抱きしめた。
「ごめんなさい、サクヤさん。私はあなたの兄を……」
相手が悪人であろうと、私がサクヤさんの兄を消してしまった事実は変えられない。
「……仕方がなかったのよ。あの兄さんには人の心が残っていなかった。あれは兄さんの姿をした幻像だったのよ」
宗太郎はサクヤさんを救うためにブルーアースを創り出したと言っていた。だが、私は宗太郎のやり方を否定した。これからは私がサクヤさんを守らなければならない。
「おい、二人だけで盛り上がるなよ……」
レイカさんが恨めしそうな顔で言った。レーザーのダメージが残る身体をなんとか動かしていた。
「レイカさん、身体は大丈夫なんですか?」
私とサクヤさんは、レイカさんのもとへ急いだ。
「大したことはない。PCのダメージは時間経過で回復する……ブルーアースの基本ルールだろうが」
少しずつではあるが、レイカさんの身体は回復していた。皮肉にもブルーアースのシステムが彼女を救っていたのだ。
「だが、問題はこれからだ。宗太郎を倒しても、この世界から出られる訳じゃない」
「現実世界の私たちは抜け殻になったまま……もう助からないのかしら……」
「……まだ希望はあります」
私は顔を上げて言った。
「宗太郎は現実世界の情報を知っていました。この部屋のどこかに外部との通信が可能な情報端末があるはずです」
「そうか、それを使えば……」
「現実世界と連絡が取れる……」
二人の表情に希望の灯がともった。
私たちは、宗太郎の部屋で通信に利用できそうな端末を探し回った。
「見つけた……ノートパソコンだ」
書斎用のデスクの引き出しにノートパソコンが収められていた。宗太郎がブルーアースの中から現実世界の情報を入手するために利用していたツールなのだろう。ノートパソコンを開くと自動的に起動画面が表示された。
「だめだ……起動用のパスワードが設定されている」
パスワードを知っているであろう宗太郎は既に消滅してしまった。
「くそっ、あと一歩というところで!」
レイカさんは声を上げて悔しがった。他に使えそうな端末は見つからない。ここまでなのか……
「……パスワードには心当たりがあるわ」
サクヤさんが思い詰めた表情で口を開いた。
「本当ですか!? サクヤさん」
「……2、0、2、9、1、0、2、8」
サクヤさんは噛み締めるようにその数字を口にした。2029年10月28日……?
「この数字はまさか……」
「ええ、私と兄さんの……両親の命日よ」
入力したパスワードは間違っていなかった。ノートパソコンは無事に起動した。
「兄さんは両親が亡くなった日のことを忘れないようにしていたのね。でも、その気持ちが兄さんを間違った道へと進めてしまった。私が早く気づいていれば、こんなことには……」
「サクヤさん……」
7年前の通り魔事件が宗太郎を――全てを狂わせてしまった。あの事件さえなければ……
「……カスミ、ノートパソコンはオンラインだ。今なら現実世界にメッセージが送れる」
目の前のノートパソコンは現実世界に繋がっている……今、私が成すべきことは――
「分かりました……今から私たちのことを現実世界に伝えましょう」
現実世界のみなさんへ
私はカスミ。ブルーアースからメッセージを送っています。
私たちは、この1年間、外部との通信を遮断され、連絡が取れない状態でした。
現在、ベータテストに参加したプレイヤーたちは、ブルーアースのサーバーに精神データとして保存されている状態です。
お願いです、誰か私たちを助けてください。
ブルーアースのプレイヤーを名乗って、意味不明なメッセージを送ってる奴がいる。悪ふざけにも程があるだろ――NO NAME
精神データってなんだよ? プレイヤーたちは二度と意識が戻らないって言われてるのに、不謹慎すぎる――NO NAME
レグナントは倒産したからブルーアースのサーバーは存在しない。明らかなデマだ――NO NAME
ブルーアースのプレイヤーを騙り、デマを拡散している人がいます。気をつけてください――NO NAME
こういうデマ流すのって犯罪だろ? 通報されても文句は言えないよな――NO NAME
待て……カスミという人物のメッセージの発信元を調べてみた。レグナントが使っていたデータセンターから発信されているぞ――ハングドマン
レグナントが使っていたデータセンターが生きているのか? ――スミス
レグナントがなくなってもデータセンターの施設は残っているんだ。何者かがデータセンターにブルーアースのデータを保存していたようだ……恐らくカスミたちはそこにいる――ハングドマン
なんてことだ……誰かデータセンターを直接確認できる者はいないか? ――スミス
政府で事件について調べている知り合いがいるんだ。今コンタクトをとっている。カスミ、もうしばらく待っていてくれ――高村
僕の友達がブルーアースをプレイしていたんです。政府の人も気づいてますよね? 早く助けてあげてください――国木田
レグナントは、システムのバグが原因でプレイヤーたちが意識を失ったと発表していたが、あれは全て嘘だったのか? ――氷室
ブルーアースのHMDには解析できないシステムが搭載されていたんだ。最初から人間の精神を奪うために作られていたのかもしれない――高村
仮に精神データが保存されていたとして、それをプレイヤーたちの身体に戻すことは可能なのか? ――スミス
分からん。だが不可能と決まったわけではない。希望を捨てるな――ハングドマン
カスミさん、メタバース管理局の沖田です。必ずあなたたちを助け出します。待っていてください――沖田
宗太郎が口にしたように、現実世界は理不尽なことばかりなのかもしれない。
だけど、現実世界には私たちの存在を信じてくれる人たちがいた。私たちのことを見捨てず、手を差し伸べてくれる人たちがいた。絶望に沈んでいた私たちに希望を与えてくれたのは、現実世界の人々だったのだ。
現実世界は決して悪意に満ちてはいない。人は正しき心を持つことができる。だから、私たちは明日を生きることができるんだ。




