第39話 最後の扉
アルマは紛うことなき最強のプレイヤーだ。だが彼は最強であっても、無敵ではない。同じプレイヤーである以上、私たちにも勝ち目はあるはずだ。
私は手始めに、アルマの足元へ向けて煙玉を投げ込んだ。
「……なんだこれは?」
煙玉から吹き出す黒煙を目にしてもアルマは動じない。煙玉はモンスターから逃亡するためのアイテムだ。最強のプレイヤーであるアルマにとっては縁のない代物だった。
「目眩ましか……この状況では最適解とは言い難いな」
視界を奪われてもアルマは冷静だった。
煙幕で視界を奪われるのは、私たちとて同じことだ。サクヤさんからの援護射撃を受けることができなくなる上、下手をすれば同士討ちになる可能性もある。単独で戦闘を行うアルマにとっては、むしろ好都合な状況だった。
だが、アルマは肝心なことを見落としていた。私たちは視界を奪われたのではなく、自ら視界を閉じたのだ。たとえ暗闇の中であろうと、私たちは見えない絆で繋がっている――アルマはその事実に気づいていなかったのだ。
私とレイカさんは既に煙幕の中に飛び込んでいた。探索用のコンパスを確認しながら、時計回りの動きで索敵を行う……アルマは移動していない。煙幕の中心でこちらを迎え撃つつもりのようだ。
先に動いたのはレイカさんだった。2時の方向からアルマに攻撃を仕掛ける――煙幕の中心から槍と剣がぶつかる音が聞こえた。アルマは死角からの攻撃を防いだようだ。私は続けざまに9時方向からアルマに攻撃を加える。
「この程度で!」
アルマは私の動きに気づき、精霊剣で打刀を受け止めてきた。私は反撃を受ける前に後退し、再び時計回りの軌道に戻る。レイカさんは既に6時方向からアルマに攻撃を繰り出していた。
「なぜだ……なぜ視界を奪われたまま戦うことができる!?」
単純なフォーメーションだが、効果は絶大だった。私は奇数時、レイカさんは偶数時の方向からアルマに攻撃を浴びせ続ける。煙幕の中であろうと私たちは互いの位置を把握し、アルマに攻撃を加えることができるのだ。
「ぬううっ!」
銀の槍がアルマの肩を掠める。
煙幕で視界を遮られたアルマは狼狽していた。これまで不可視の攻撃でプレイヤーたちを圧倒してきたアルマだったが、逆に自らが不可視の攻撃にさらされる羽目になったのだ。
「くそっ!」
すんでのところで攻撃を防ぎ続けるアルマだったが、スタミナは限界に近づいている。アルマは攻撃から逃れるため、煙幕の外に向かって離脱を始めた。
私とレイカさんは攻撃を中止し、アルマをそのまま煙幕の外側へと走らせた。煙幕の中に身を潜め、音を立てないように足を止めている。
「追撃がない? ……まさか!」
アルマは私たちの意図を理解したが、既に手遅れだった。煙幕の外側では、狙撃体勢のサクヤさんが待ち構えていたのだ。アルマは煙幕の中から脱出することを優先するあまり、自分だけが大きな足音を立てていることに気づいていなかった。
サクヤさんは音だけを頼りに索敵を行い、煙幕の中から飛び出してくるアルマを狙撃した。
「ぐああぁっ!」
M7000から発射された弾丸が、アルマの膝を撃ち抜いた。
「ぐうぅっ……!」
さしものアルマも膝をついた。もはや不可視の斬撃を放つこともできないだろう。
銃声を耳にした私とレイカさんは、煙幕の中から抜け出し、武器を構えながらアルマに迫った。
「……君たちの勝ちだ」
アルマはそれ以上抵抗しなかった。勝ち目がないことを悟った彼は、懐から取り出したフィルムのケースを地面に置いた。
「アルマ……なぜこんなことを?」
彼とて終わりのない戦いを続ければ、いずれ敗北が訪れることは分かっていたはずだ。
「自分が間違っていることには気づいていた……だが、戦わずにはいられなかった。現実世界に帰還しても、私に待っているのは不自由な生活だけだ。その事実を認めたくなかったんだ……」
アルマは悪意を持ってプレイヤーたちと戦っていたわけではなかった。プレイヤー全員を敵に回してでも、自らの運命に抗おうとしたのだ。
「……仮想世界の中とはいえ、お前の剣術は見事だった。私一人では勝てなかっただろう。お前と戦ったプレイヤーたちも、お前の存在を決して忘れないはずだ」
レイカさんがアルマに称賛を贈った。彼女が他人を褒めることは滅多にない。アルマの戦いぶりには、それだけの価値があったのだ。
「ありがとう……私にはその言葉だけで十分だ」
戦い終えたアルマは、どこか満足げな表情だった。たとえブルーアースが抹消されても、プレイヤーたちの記憶から彼が消えることはない。アルマの戦いは決して無意味ではなかったのだ。
私はケース内のフィルムを確認した。傷や破損は見受けられない。アルマは本気でプレイヤーたちの帰還を不可能にしようとしていたわけではなかった。
「後は幻灯機を見つけるだけか……」
レイカさんがため息をついた。フィルムを奪還しても、全てが解決したわけではないのだ。
「その話なんだけど……」
サクヤさんが、いつになく真剣な表情で切り出した。
「どうしたんですか、サクヤさん?」
「カスミ、あなたの使っている有明月は鉱石を削って作ったのよね?」
鉱山の一件で有明月を作成したことは、サクヤさんにも伝えていた。
「その通りですが」
「素材からアイテムを作り出せるとすれば、幻灯機も私たち自身で作り出せるんじゃないかしら」
「……!」
サクヤさんが核心をついた。幻灯機が存在しないのであれば、作り出せばいい。私たちは、プレイヤーがアイテムを作成できるシステムの存在を失念していたのだ。
「幻灯機を作り出す……それがもう一つのイースターエッグか!」
サクヤさんの指摘に、レイカさんも驚嘆していた。
「幻灯機自体を作らなくても、その仕組みを再現できればフィルムの投影は可能よ」
「サクヤ……フィルムを見つけた時から気になっていたんだが、どうして幻灯機なんて物を知っているんだ?」
レイカさんが疑問を口にした。私もサクヤさんから説明してもらうまでは、幻灯機の存在すら知らなかった。
「……父さんに骨董品を集める趣味があったの。コレクションの中に幻灯機があって、子供の頃に見せてもらったことがあるのよ」
「なるほどな……」
父親について話すサクヤさんの表情には影があった。もしかすると、あまりいい思い出ではないのかもしれない。
その後、サクヤさんが簡易幻灯機の仕組みを説明してくれた。
まずライフルの銃身とフィルムケースを組み合わせて、回転するフィルムリールを作る。フィルムを投影する光源にはランタンを使用する。薄暗い地下訓練場は、フィルムの投影に最適な場所だった。
そしてフィルムを拡大するためのレンズには、M7000の可変倍率スコープを使用する。ルミナスタウンでヒカリさんにもらったライフルが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
私たちは地下訓練場の壁を利用し、フィルムを投影する準備を進めた。
レイカさんがランタンを使って光源を確保する。サクヤさんはフィルムリールを回す役だ。私はライフルから取り外したスコープをフィルムに向け、焦点距離を調整する……私たち三人が協力しなければ、投影は不可能だった。
「準備はいい? 投影を始めるわよ」
サクヤさんがフィルムリールを回し始める。リールに巻きつけられたフィルムを下側に引っ張ることで、フィルムに写っている線と模様を投影するのだ。
その時、不可思議な現象が起きた。
「……投影された線と模様が壁に刻み込まれているぞ!」
レイカさんが驚愕した。フィルムのコマに写っていた線と模様が、彫刻のように壁に刻み込まれたのだ。
長い縦線と短い横線が二本ずつ……その間に幾何学模様が刻み込まれていく。これはまさか……
「扉だ……このフィルムは扉の設計図だったんだ!」
フィルムを最後まで投影すると、荘厳な扉が完成した。先ほどまで何もなかったはずの壁に、新たな扉が作り出されたのだ。
「最後の扉を見つけたようだな」
立ち上がったアルマがこちらを見ていた。足のダメージは既に回復したようだ。
「アルマ……」
その気になれば、私たちを背後から攻撃することもできたはずだ。しかし、今のアルマから殺意を感じることはなかった。彼は自分の敗北を素直に受け入れていたのだ。
「その扉を開くのは君たちの役目だ。他のプレイヤーたちには、君たちが最後の扉を見つけたと伝えよう」
「分かりました……どんな結末を迎えようとも、あなたのことは決して忘れません」
「それは私の台詞だよ……さらばだ、三麗騎士の諸君」
アルマは私たちに別れを告げ、訓練場を出ていった。外で待っているプレイヤーたちには、レーベンが事情を説明してくれているはずだ。プレイヤーたちもアルマの心情は理解してくれるだろう。
「この扉を開ければ、現実世界に帰還できるの?」
サクヤさんは期待と不安が入り混じった表情で扉を見つめている。
「分かりません。ですが、この扉は最後の希望です。この扉を通っても帰還できないとなれば……」
「考えても始まらないだろう。真実を知るにはこの扉を開けるしかないんだ」
レイカさんの言う通りだ。ここまで来たからには覚悟を決めなければならない。
「真実……それがこの扉の向こうにあるのね」
「行きましょう、この世界の真実を知るために」
私たちは真実への扉を開いた――




