第3話 嘘の代償
私とサクヤさんは一緒に草原を回り、雑魚モンスターを倒しながら、ブルーアースのシステムを一通り確認していた。
「さっきビグラットからダメージを受けたけど、回復とかしなくても大丈夫なの?」
サクヤさんは、先ほどビグラットに体当たりされた部分を押さえながら言った。
「ダメージは時間経過で自然回復します。じっとしていれば、より早く回復できます」
「残りの体力を確認する方法はないの?」
「体力ゲージはありません。ダメージ受けると視界がどんどん暗くなります……真っ暗になったら死亡です。死亡したらリスポーンポイントに戻されます」
「リスポーンポイント……地図に書いてある星マークの場所のことね」
サクヤさんは基本的なシステムすら知らないようだ……あるいは知らないふりをしているか。
ボルトアクションライフルについては、ストックの使い方を覚えてから、かなりの頻度でモンスターに命中させていた。元々集中力は高いようだ。
「ライフルって引き金を引くだけで連射できる武器じゃないのね」
サクヤさんはボルトアクションライフルを再装填しながら呟いた。初期装備にはアサルトライフルもセミオートスナイパーライフルも用意されていない。そんな武器を実装したら、このゲームはFPSになってしまう。
「あれ? なんかライフルが安定して構えられないんだけど」
サクヤさんが構えるライフルの先端がふらついていた。
「スタミナが減ってきたようですね。アイテムを使って回復させる必要があります」
ゲーム内での移動や武器の使用には、スタミナが必要だ。スタミナが少なくなると移動速度の低下や、攻撃精度が下がるなどの悪影響が生じてしまう。体力ゲージと同じく、スタミナの残量は画面に表示されないため、体感で測るしかない。
「あー、私武器以外何も持ってきてない」
「……一度街に戻りましょう。私も何も持ってきていないので」
街に戻った私たちは銀行に来ていた。ブルーアースでは、モンスターを倒してもその場で金はもらえない。倒したモンスターの数や強さに応じて、銀行に報酬金が振り込まれる仕組みだ。
雑魚モンスターを何体か倒して得られた額は1,206es。スタミナ回復用のアイテムを買うだけであれば十分だろう。
スタミナを回復させたい場合、道具屋でスタミナ回復用の食料品を買うこともできるが、酒場で食事をとる方法もある。どんな料理が出てくるのか気になるところだ。
私たちは酒場に向かい、コモンサンドと呼ばれる料理を頼んだ。スライス肉と野菜を薄焼きパンで挟んだシンプルな料理だ。見た目だけであれば、それなりに美味しそうなのだが……
「この料理、味がしないんだけど……」
サクヤさんはコモンサンドを口にしながら、不満そうに呟いた。
「ブルーアースが採用している脳波コントロールシステムは、あくまでキャラクターを操作するためのシステムです。ゲーム内のキャラクターが食事を口にしても、現実の私たちが味を感じることはありません」
当然のことではあった。脳波コントロールシステムは一方向のシステムでしかないのだ。脳波でゲーム内のキャラクターを動かしていても、ゲーム側から脳に情報が送られてくることはない。
「それってなんか夢がないよね。目の前に美味しそうな食事が出てきても、味を感じることができないだなんて」
「絵に描いた餅と仰りたいのですか? お気持ちは察しますが……」
ゲームの中で食べた料理の味を感じる……それが実現する日はまだまだ先になるだろう。
食事を済ませた後、私たちはシティ中央の橋を訪れていた。奇しくも私がブルーアースにログインして最初に向かった場所だった。
時間帯は21時を過ぎていた。ベータテスト初日ということもあり、街はプレイヤーで溢れかえっている。
喧騒を避けるように、私とサクヤさんは橋の上から川を眺めていた。美少女が二人並んでいるだけでも様になるのだろう。通りかかったプレイヤーたちは、皆足を止めてこちらを見ているようだった。
不思議な気分だった。現実では、こんな形で女性を連れ回すことはあり得ないのだから。
「カスミさん、今日はありがとう……私、何も分かってないから迷惑だったでしょう?」
「そんなことはありませんよ。一人では気づかないことも沢山ありますので」
サクヤさんは、本当にゲームのことを知らないプレイヤーなのかもしれない。なぜベータテストに参加しているのか疑問は残るが。
「私ね、最初このゲームにログインしたとき、周りの人が男性ばかりで正直怖かったのよ」
「へぇ……」
「でも、カスミさんみたいな親切な『女性』のプレイヤーに会えてよかった……」
――今なんて言った?
親切な「女性」のプレイヤー? そんなプレイヤーはどこにもいない。私の本質は彼女が怖いと感じた「男性」のものではなかったか。
ここに来て私は初めて気づいた。嘘をついていたのはサクヤさんではない、私の方だ。
私はブルーアースにログインして新しい自分を得た気になっていた。しかし、現実はそうではない。HMDを外してしまえば、残るのは何の価値もない現実の自分だけだ。私はそんな当たり前のことすら理解できていなかったのだ。
……私はここに来るべきではなかった。現実と向き合うことから逃げてはいけなかったのだ。
「……サクヤさん、あなたは勘違いをしています」
「えっ?」
「現実の私は男なんです」
「……!」
サクヤさんは両手で口を押さえて絶句した……本当に気づいていなかったようだ。
「ごめんなさい、あなたを騙すつもりはありませんでした……ですが、私はもうここにいることはできない、いるべきではない」
「そんな……」
「短い時間でしたが、あなたと一緒に過ごすことができて楽しかったです……さようなら」
私はサクヤさんに背を向け、橋を降りていく。
「待って……!」
その時だった。
「――――!」
頭の中に強烈な痛みが生じた。文字通り死ぬほどの痛みだった。
……だめだ、痛みを感じているのに声が出せない。目の前には頭を抱え、苦しんでいるサクヤさんが映っていた。だが、彼女の声を聞くことすらできない。
「僕」はこのまま死んでしまうのだろうか……




