第29話 せめて夢の終わりまで
「カリンさん、あなたはまさか……」
カリンさんは背負っていたドラム状の箱から剣の柄のような物を引き抜いた。同時に箱の中に格納されていた刃が、柄に引かれる形で次々と展開されていく。
「なんだあの武器は……鞭か? 剣か?」
レイカさんが驚きの表情を見せた。カリンさんが手にしているのは、通常のカテゴリーに属しない特殊武器だった。
「あれは……円環の連刃です!」
円環の連刃――それは小型の刃を幾つも連結させて作り出された剣だ。連続で繋ぎ合わされた刃が、鞭のような形態をとっている。現実世界では到底再現できるものではない。仮想世界であるブルーアースには、常軌を逸した武器が存在するのだ。
「円環の連刃……分割された刀身をリールのようにして収納していたのか」
カリンさんが円環の連刃を抜刀すると同時に、背負っていた箱が切り離された。デッドウェイトにならないように、自動で排除される仕組みのようだ。
「ユリカとは私が戦います。お二人は下がっていてください」
カリンさんは悲壮な表情を浮かべつつも、ユリカに円環の連刃を向けた。
「カリンさん……」
「本気で戦うつもりなのか」
円環の連刃を手にしたカリンさんの姿に、レイカさんも動揺を隠せないようだった。大蛇の如き剣を持つカリンさんの姿は、「お菓子売り」と呼ばれる彼女のイメージとは余りにも乖離したものだった。
「お姉ちゃん……そんな危ない武器を使っちゃダメだよ。お姉ちゃんは何もせず私に『保護』されていればよかったんだよ!」
邪悪なエゴをむき出しにしたユリカが、カリンさんに向けて突撃してくる。
「ユリカ……私はあなたに護られるだけの存在じゃないのよ!」
カリンさんが円環の連刃を奮った。連続する刃が鞭のようにしなり、右側面からユリカに襲いかかる。
「そんなもので!」
ユリカは攻撃の軌道を見切り、ロングソードで連刃を弾き返した。だがカリンさんはその反動を利用して身体を回転させ、今度は左側からユリカを攻撃する。
「ちっ!」
ユリカは身体を屈めて連刃を回避した。その後もカリンさんはユリカを休ませることなく、連刃による攻撃を加える続ける。カリンさんが連刃を奮う度、石橋の欄干が細枝のように切断されていった。
「なんて攻撃なんだ……」
熾烈な攻撃を浴びせるカリンさんの戦いぶりに、レイカさんも度肝を抜かれていた。
連刃による攻撃は槍以上のリーチを持ち、広範囲を攻撃することができる。カリンさんが私たちを下がらせたのは、ユリカに一人で戦いを挑むためだけではない。私たちを攻撃に巻き込まないようにするための措置が必要だったのだ。
カリンさんの攻撃を捌き続けていたユリカだが、遂に限界が見えてきた。甲冑は防御力に優れるものの、その重量ゆえにスタミナの消耗を増加させるデメリットがあるのだ。
カリンさんは一瞬の隙を突き、ユリカのロングソードに連刃を巻き付ける。そのまま連刃を振り上げ、ロングソードをユリカの手から奪い取ることに成功した。
「やった、カリンさんの勝ちだ!」
「いや……まだだ!」
私は思わず声を上げる。しかし、レイカさんは勝敗が決していないことに気づいていた。
武器を奪われたユリカは、カリンさんに向けて突進していた。残りのスタミナを全て使ってタックルを浴びせるつもりだ。
「カリンさん、避けて!」
「くっ……!」
カリンさんはユリカのタックルを回避しようとしたが、突進してきたユリカに組み付かれてしまった。バランスを崩した二人は、運悪く欄干が切断されていた橋の上から転落してしまった。
「カリンさん!」
私は、連刃が巻き付いたままのロングソードが、二人が落ちた場所に向かって引きずられていることに気づいた。カリンさんは連刃の柄を掴んだまま橋から転落したのだ。
私は咄嗟にロングソードの柄を掴んだ。残っていた橋の欄干に連刃を引っかけて、二人が川に落ちるのを防ごうとする。
だが、ユリカは重量のある甲冑を装備している。カリンさんだけなら引き上げられるかもしれないが、二人を同時に引き上げるのは困難だ。連刃の柄を握るカリンさんのスタミナが持つとは思えない。
「ぐううっ……!」
橋の下からカリンさんの声が聞こえた。何とか持ちこたえているようだが、川に落下するのも時間の問題だ。
「カリン、私の槍に掴まれ!」
レイカさんは橋の上から槍の石突を伸ばした。だが、カリンさんの左手はユリカの右手を握っている。ユリカは片手だけで宙づりの状態になっているのだ。このままでは自身の甲冑の重さに耐えきれず、川に落ちてしまうだろう。
「カリン……ユリカはもう助からない。左手を放すんだ」
レイカさんの言う通りだった。甲冑を身に着けているユリカを引き上げる手段は残されていない。
「嫌……嫌です!」
「お姉ちゃん……」
ユリカは、自分の手を握ったまま放そうとしないカリンさんを虚ろな表情で見つめていた。
「ユリカ、大丈夫だよ。お姉ちゃんが助けてあげるからね……」
カリンさんは身体を引き裂かれるような痛みに耐えながらも、ユリカに笑顔を向けた。
「お姉ちゃん……変わったね」
ユリカは左手で、自身の右手のガントレットを掴んだ。
「ユリカ、だめよ!」
ユリカの意図を悟ったカリンさんが声を上げる。
「もうお姉ちゃんに私は必要ないんだよ……もっと早く気づくべきだったんだ」
「違う……違うのよ!」
「さようなら……私のお姉ちゃん」
ユリカは右手のガントレットを腕から外してしまった。
「だめえぇぇっ!」
カリンさんの叫びもむなしく、ユリカは川に落下してしまった。甲冑を身に着けたままの彼女が、川底から浮かび上がってくることはなかった。
その後、私たちはユリカの捜索を行ったが、彼女の姿を発見することはできなかった。
最悪、溺死したとしても、リスポーンポイントに戻っているはずだが、ユリカがカリンさんの元へ帰ってくることはなかった。
「ユリカの言う通りなんです。本当の私はお菓子を作れるような人間じゃないんです」
ユリカのいなくなったお菓子屋で、カリンさんは静かに語り始めた。
「私も、私の作ったお菓子も、この世界も、全部偽物なんです。全てが夢なんですよ」
「カリンさん……」
「でも、今はお菓子を作りたいんです……せめて夢の終わりまで」
カリンさんは気づいている……この世界が幻であることに。
「カリンさん、あなたの言う通りブルーアースは全てが偽りの世界なのかもしれません。でも、私はあなたが偽りの存在だとは思いません。あなたが作ったお菓子だって……」
「ありがとう、カスミさん……私は自分が信じた道を進みます。ユリカと再会できるのが、いつになるかは分かりません。だけど、自分の信じる道を進んだ先にユリカが待っているんじゃないかって……そんな気がするんです」
「きっと会えますよ。ユリカさんの心も、あなたとの再会を望んでいるはずです」
ユリカは狂気に支配されてしまったが、姉であるカリンさんを想う心は失っていなかった……都合のいい考え方なのかもしれないが、私はそう信じたい。
「カスミ、感傷に浸るのもいいが、私たちの目的を忘れていないか?」
私の後ろにいたレイカさんが口を開いた。
「え?」
「サクヤにお菓子をプレゼントするんだろう? 材料は、アタゴが物流センターに届けているはずだ」
「……そうでした! カリンさん、不躾なお願いですが、私たちにお菓子を作っていただけないでしょうか?」
「もちろんです! だって私はお菓子売りなんですから」
カリンさんは笑顔で応えてくれた。お菓子売りに戻った彼女の表情は、希望で満ち溢れていた。
「サクヤさん、お菓子を買ってきたんです。一緒に食べませんか?」
私は宿の一人部屋の前で、サクヤさんが出てくるのを待っていた。
「すごく美味しいケーキを作ってもらったんです。長持ちしないので今から食べませんか?」
部屋からは物音一つしない。
「……ごめんなさい、女の子の方が好きなんじゃないかなんて聞いてしまって。あなたを疑っていたわけじゃないんです。私はただ……」
「もういいわよ」
部屋からサクヤさんが出てきた。彼女は死んだ魚のような目をしている。私の言葉がここまで彼女を追い込んでしまったのか……
「サクヤさん、あの……」
「……」
サクヤさんは何も言わずに宿の待合室へと向かっていった。
「サクヤ、お前の好きなチーズケーキだぞ」
待合室では、レイカさんがチーズケーキを切り分けていた……レイカさんがサクヤさんの好物を知ってくれていて本当によかった。
「前にチーズケーキが好きだと話していただろ? この町のお菓子屋で作ってもらったんだ」
「お菓子屋……このゲームってそんなものまであるのね」
サクヤさんは虚ろな顔でテーブルに座った。そして、おもむろにフォークを使ってケーキを食べ始める。
「サクヤさん、どうです? 美味しいですか?」
サクヤさんは何も答えない。
だが、しばらくすると彼女の目から涙が溢れ出した。
「サクヤさん!?」
「ごめんなさい……ううっ……」
彼女は口元を押さえながら、嗚咽を漏らした。
「もしかして口に合わなかったんですか?」
「違うの……このケーキ、すごく懐かしい味がするのよ。食べてると、まるで現実に戻ってきたみたいで……うううっ……」
サクヤさんは大粒の涙を零しながら、無造作にケーキを頬張っていた。
カリンさんが作っていたのは、プレイヤーたちに「夢」を見させるためのお菓子ではなかった。彼女のお菓子は、プレイヤーたちに「現実」を思い起こさせるために作られたものだった――私たちが帰るべき世界を忘れないために。
ユリカはプレイヤーたちが洗脳されていると言っていたが、私はそうは思わない。お菓子を作り出したカリンさんの心は間違いなく本物だった。管理者が支配する世界に置かれても、彼女は本当の自分を見失ってはいなかったのだ。
管理者であろうと私たちの心を支配することはできない。その心こそ、私たちが人間である証なのだ。




