第28話 魔女と黒騎士
私は物流センターで、アタゴにお菓子の材料の輸送を依頼した。
物流センターではアイテムの配送情報が管理されている。黒騎士は物流センターを利用して、お菓子の材料が輸送される情報を入手していたに違いない。材料の輸送を妨害すべく、必ずアタゴを狙ってくるはずだ。
私とレイカさんは、南の街道にある石橋の近くで身を潜めていた。100mを超える石橋が、東西に流れる川をまたいでいる。南方面からサンライトタウンにアイテムを輸送する場合、必ずこの石橋を渡らなければならない。黒騎士による襲撃の報告が最も多い場所だった。
「カスミ……黒騎士がカリンのお菓子作りを妨害する理由は分かるか?」
レイカさんが私に尋ねてきた。正直言うと私も見当がつかない。
「何かしらの悪意……でしょうか」
「もし黒騎士がカリンを憎んでいるのであれば、直接カリンを襲うはずだ。わざわざお菓子の材料を狙う理由が分からない」
「お菓子を作れなくすることで、カリンさんを苦しめようとしているのでは?」
「……黒騎士がそんな外道であれば、生かしておく理由はないな」
目的がなんであれ、カリンさんにお菓子を作ってもらうためには、黒騎士との戦いは避けられないだろう。アタゴの話によると、黒騎士は、討伐に向かった上位クラスのプレイヤー三人を容易く返り討ちにしたらしい。レイカさんがついてくれているとはいえ、油断はできない相手だ。
夜も更けた頃、街道の南方面から背負子を背負ったアタゴが現れた。手筈通りならば、南の町でお菓子の材料を入手しているはずだ(農家に足を運ぶと時間がかかるので、別の町に配送されている材料を買ってくるように頼んである)。
アタゴが石橋に差し掛かった時、対岸側から橋を渡る一人の影が近づいてきた。
全身を覆う黒い甲冑、右手に握られたロングソード……間違いない、奴が黒騎士だ。PCの名前は確認できない。あの甲冑には、プレイヤーの素性を隠蔽する効果があるようだ。
黒騎士はアタゴを視認するや否や、一直線に突撃してきた。
「ひっ、ひいい! 早く助けてくれ!」
アタゴが悲鳴を上げた。石橋付近の茂みに姿を隠していた私とレイカさんは、黒騎士の前に躍り出た。
「黒騎士……あなたにカリンさんのお菓子作りを邪魔させるわけにはいきません」
「随分と暴れまわっているそうじゃないか……この場で死んでもらおうか」
私とレイカさんの姿を前に、黒騎士が一瞬たじろいだ。その隙を突いてアタゴは橋を渡り、対岸へと一気に駆け抜けていった。
「あばよ、黒騎士!」
黒騎士はアタゴを追撃するが、追いつけるはずもない。アタゴは、お菓子の材料を運ぶための最低限の装備しか身に着けていない。それに対して黒騎士は重量のある甲冑を装備しているのだ。みるみるうちに距離を離され、黒騎士は遂に追撃を断念した。
「ここまでのようだな」
「あなたには悪行の代償を払ってもらいますよ」
私とレイカさんは、石橋の上で黒騎士と相対した。黒騎士は何も語らないが、怒りに打ち震えていることだけは、はっきりと分かった。ロングソードを両手で構え、私たちに敵意を向けてくる。
「カスミ、奴をここで仕留めるぞ!」
「ええ、黒騎士を私たちの手で倒しましょう!」
私は打刀の鯉口を切り、黒騎士へと向かっていく。しかし――
「やめてください!」
そこへ現れたのはカリンさんだった。彼女は黒騎士と私たちの間に割って入り、戦いを中断させた。
(どうしてカリンさんがここに?)
彼女はなぜか黒騎士を庇っている。私たちには理解できない行動だった。
「カリン、黒騎士はお前のお菓子作りを妨害していた張本人なんだぞ。なぜそいつを庇うんだ?」
レイカさんがカリンさんを問いただした。カリンさんは思い詰めた表情で口を開く。
「気づいていたんです。私がお菓子を作ることを望んでいない人がいることに……そして、その人物が誰なのかも」
「まさか……」
私は一つの可能性にたどり着いた。カリンさんが庇おうとしている人物。それは……
「ユリカ……あなたなんでしょう?」
「……」
カリンさんの呼びかけに黒騎士は兜を外した。兜の下から現れたのはカリンさんの妹――ユリカだった。
「ユリカ、どうして、どうしてなの? どうして私がお菓子を作ることを許してくれないの?」
カリンさんは嘆くように、ユリカに問いかける。ユリカは苦々しい顔で声を発した。
「私はね、お姉ちゃんに普通の人間でいてほしかったんだよ……でもお姉ちゃんは変わった、変わってしまった。ブルーアースの中でお菓子を作る『魔女』になってしまった。誰かがお姉ちゃんを止める必要があったんだよ」
「私が……魔女?」
「魔女」という言葉を耳にして、カリンさんは呆気に取られていた。
「おかしいとは思わないの? ゲームの中で作ったお菓子に味がするなんてあり得ないんだよ! お姉ちゃんはみんなに夢を見させているだけなんだ……こんなの危ない薬を配っているのと一緒だよ!」
「そんな……」
ユリカはカリンさんのお菓子の特異性に気づいてしまった。同時に、それを作るカリンさんそのものを異常な存在だと認識してしまったのだ。
「そもそもお姉ちゃんは、一人でお菓子を作れるような人間じゃなかった。私の知っているお姉ちゃんは、一人じゃ何もできない弱い人間だった。妹の私をベータテストに参加させたのも、一人でオンラインゲームをするのが不安だったからなんでしょ?」
「……」
ユリカの指摘に、カリンさんは何も言えなくなってしまった。
「いい加減目を覚ましなよ! お姉ちゃんは心を操られて魔女にされたんだ! お姉ちゃんだけじゃない。他のプレイヤーも、みんなブルーアースのHMDで洗脳されてるの! まともなのは私だけなんだよ!」
ユリカは発狂した。現実世界から隔絶され、異常な環境に置かれ続けた結果、彼女はまともな精神状態を維持することができなくなったのである。
「私がお姉ちゃんを元に戻してあげる……何もできなくて、私にすがることしかできない本当のお姉ちゃんに!」
錯乱したユリカはロングソードを手に、カリンさんに襲いかかった。
「カリンさん、危ない!」
私は抜刀術を発動させてユリカの攻撃を防御した。ユリカの狂気そのものが、剣を通じて伝わってくるのを感じた。
「邪魔をするんじゃない! 私はお姉ちゃんを取り戻すんだ!」
ロングソードを防がれたユリカは、私に向けてタックルを繰り出してきた。
「ぐあぁっ!」
重厚な甲冑を用いて繰り出されるタックルは、砲弾の如き威力だ。直撃を受けた私は後方に吹き飛ばされてしまった。
「カスミ、しっかりしろ!」
すぐさま、レイカさんがユリカの前に立ち塞がった。レイカさんは槍を前に突き出して牽制するが、ユリカは動じることなく、カリンさんにめがけて攻撃を繰り出してくる。ロングソードと銀の槍が幾度となくぶつかり合った。
「どいつもこいつも……どうして私の邪魔をするんだ!」
「ユリカ、お前の心は悪意に支配されている……悪いが一度死んでもらうぞ」
もはやユリカの心を救うことは叶わない――それを悟ったレイカさんは、ユリカを仕留めるべく槍を投擲しようとした。
「レイカさん、やめてください!」
しかし、カリンさんが声を上げて引き止めた。
「カリン……ユリカのことは諦めろ。彼女は本気でお前を殺すつもりなんだぞ」
「分かっています。だから、私自身がユリカを止めなければいけないんです」
カリンさんはレイカさんの前に立ち、ユリカと正面から向き合う……彼女は妹と直接戦うつもりなのだ。




