第20話 管理者
「あなたが……レーベンさんですか?」
レーベンは一言で言えば怪しい男だった。黒色のローブに、口元を隠すためのスカーフまで着用している。
腰には複数本の小型ナイフが装備されていた。その出で立ちは、情報屋というよりも暗殺者と呼ぶのが相応しい。
「……この張り紙を出したのは君たちで間違いないか?」
レーベンは、私が作った張り紙を手にしていた。
「その通りです。レグナントについて、あなたにお聞きしたいことがあるのです」
私はレーベンに向かって申し出た。私たちの前に姿を現した以上、協力の意志があると見るべきだろう。
しかし、レーベンはその場で私の張り紙を破り捨ててしまった。
「レグナントに関わるのは危険だ! 今すぐ調査をやめたまえ!」
レーベンは私を叱りつけてきた。彼は協力のためではなく、私たちに警告を送るために現れたようだ。
「……レグナントについて調べることが、なぜ危険なのですか?」
今回の事件がレグナントによって引き起こされた可能性がある以上、調査に危険が伴うことは承知の上だ。
だが、私は分かっていないふりをして、レーベンがどういう反応を返すのか試してみた。
「この世界は『管理者』によって監視されている。管理者の気に触れるようなことをすれば、君たち自身が除外されるかもしれないんだぞ」
面白い答えが返ってきた……レーベンは明らかに何かを知っている。
「あなたの仰る除外とはどういう意味です?」
続けて質問を投げる。
「ゲームから解放されて現実に帰してもらえる? 存在そのものを抹消される?」
「……前者の意味であれば、警告などしていない」
「でしょうね。不躾な質問をして申し訳ありません」
レーベンがどういう人間か分かった気がする……少なくとも悪意を持った人物ではないようだ。
「帰還方法を知りたいという気持ちは分かる。だが、レグナントには深入りするな」
「そうはいきません。私はレグナントで亡くなった兄さんについて調べているんです」
サクヤさんが強い口調で目的を伝えた瞬間、レーベンの目の色が変わった。
「まさか……君は屋島宗太郎の妹か!?」
「兄さんのことを知っているんですか?」
「……ここで話すことはできない。付いてきたまえ」
私たちは教会を離れ、キャピタルシティの一角にある隠れ家へと案内された。入口は巧妙に隠されており、普通のプレイヤーであれば気づかない場所だ。
「宗太郎から妹がいることは聞いていた。まさか君がブルーアースにログインしていたとは、思いもしなかったよ」
屋島宗太郎――それがサクヤさんの兄の名前だった。
「レーベンさん、あなたは兄さんとは知り合いだったんですか?」
「私はレグナントの元社員だ。宗太郎とは同僚だったんだよ」
レグナントの元社員……レーベンがプレイヤーたちに有益な情報を提供できたのは、彼自身がブルーアースの開発に関与していたからに他ならない。
「もしかして兄さんは、レーベンさんと一緒にブルーアースを開発していたんですか?」
サクヤさんが疑問を投げかける。ベータテストの1か月前に亡くなった宗太郎とブルーアースには、何らかの関わりがあるに違いなかった。
「その通りだ。ブルーアースに採用されている脳波コントロールシステムは、宗太郎が開発したものなんだよ」
脳波コントロールシステム――ブルーアースのHMDに搭載されているシステムだ。そのシステムの開発者だとすれば、宗太郎は事件に関与している可能性がある。
「彼のアイデアは画期的なものだった……だが、レグナントの中には、彼の存在を快く思わない者もいたようだ。才能を持つ者の宿命だよ」
レーベンは、どこか遠くを見るような目をしていた。彼も宗太郎の死について思うところがあるようだ。
「それでは、レーベンさんは兄さんが亡くなった経緯も知っているんですか?」
サクヤさんは真剣な表情でレーベンに問いかけた。宗太郎の死の真相を知ることは、彼女にとって最大の目的だった。
「知っている……いや、覚えているというべきか。ベータテスト開催の1か月前、宗太郎が突然開発室に火を放ったんだ」
「……」
サクヤさんが重い表情を浮かべる。自分の兄が会社に放火する姿など、想像したくもなかっただろう。
「宗太郎は他の社員たちに『出ていけ!』と何度も繰り返していた。私は彼が開発室を破壊するために火を放ったと思ったんだ。まさか、そのまま焼死してしまうとは……」
「では、兄さんが自殺したのは事実なのですか?」
「いや、宗太郎の死亡が確認されたのは、私が開発室から避難した後のことだ。焼死したのは確かだが、自殺するつもりだったのかは分からない」
「そうでしたか……」
サクヤさんは肩を落とした。宗太郎が自ら開発室に火を放ち、その末に焼死した。それが事実だとすれば、他殺の可能性は低いと見るべきだろう。
「私には宗太郎が自殺したとは信じられない。自分の手掛けたブルーアースの完成を前にして、自ら命を絶つとは思えないんだ」
レーベンは宗太郎が自殺したことに疑問を抱いているようだ。確かに自殺するだけであれば、他にも方法はあったはずだ。開発室への放火には、別の意図があったのだろうか。
「そういえば、兄さんが亡くなった後、ブルーアースのHMDが自宅に届いたんです。何か心当たりはありませんか?」
元はと言えば、サクヤさんがブルーアースにログインしたのは、宗太郎宛てのHMDが自宅に届いたことがきっかけだった。
「それは本当か? ……もしかすると宗太郎は、最初から君をブルーアースのベータテストに参加させるつもりだったのかもしれない」
「兄さんが、私を?」
「ああ、宗太郎はベータテストの開催を心待ちにしていた。『ブルーアースが完成したら、妹にも見せてやりたい』と言っていたよ」
「兄さん……」
レーベンの話を聞いて、サクヤさんは目に涙を浮かべていた。
「一つ聞いていいか?」
黙って話を聞いていたレイカさんが口を開いた。
「レーベン、お前はレグナントの元社員なんだろう? 屋島宗太郎が死亡したのは、ベータテスト開催の1か月前のことだ。どうしてお前は宗太郎が死亡した後にレグナントを辞めたんだ?」
レイカさんは明らかにレーベンを訝しんでいた。
「私は宗太郎が死亡した際の状況について調べようとしたが、レグナントからは彼の死について箝口令が敷かれたんだ……私はレグナントに不信感を抱き、そのまま退職したんだ」
レグナントが宗太郎の死について箝口令を敷いていた……レグナントには隠しておきたい秘密があるのか?
「ベータテストにはどうやって参加したんだ? 応募締切はベータテスト開催の3か月前だぞ。お前がレグナントを退職した後からでは、間に合わないはずだ」
レイカさんが詰問を続ける。
「……ベータテストの参加権は、インターネットを使って有志から譲り受けたんだよ」
「事前申込必須のベータテストの参加権を譲り受けた? ブラックマーケットで取り引きして手に入れたの間違いだろう?」
「そう受け取ってくれても構わないよ。だが、私がここに来たのは宗太郎の死とベータテストに関連がないかを調べるためだ。そのことだけは信じてほしい」
現実世界に帰還することができない以上、レーベンの話が事実かどうかを確かめる方法はない。問題はレーベンが信用できる人物かどうかということだ。
「レーベンさん、先ほどあなたは『管理者』について言及されましたね。管理者とは一体何者なんです?」
私は気になっていたことを質問した。
「現在のブルーアースは一種の箱庭だ。箱庭には必ず管理者が存在する……残念だが、その正体までは分からない」
「管理者とは、レグナントそのものではないのですか?」
順当に考えれば、ブルーアースを開発したレグナントが管理者に最も近い存在のはずだ。
「私もレグナントを疑ってはいるが、確証は得られていない。君たちを警告したのは、万が一を考えてのことだ」
「しかし、管理者が存在するという確信はお持ちなのですね」
「そうだ」
レーベンは答えると同時に1枚のクッキーを取り出した。クッキーはスタミナ回復用のアイテムだ。道具屋に行けば安価で入手できる。
「このクッキーを食べてみてくれ」
私は手渡されたクッキーをそのまま口にする。
「どうだ?」
「……クッキーの味がします。少しパサついてますけど」
このクッキーは何度も食べたことがある。スタミナ回復のために口にしているが、正直言って不味かった。
「そうだな。だが、あり得ないんだ」
「何を仰りたいんです?」
「このゲームのクッキーには『味』なんて設定されていなかったんだよ」
それはつまり――
「何者かがクッキーの味を設定したんだ」
「それこそが管理者の仕業という訳ですか」
「その通りだ……現在のブルーアースは本来の仕様を逸脱し、管理者の制御下に置かれている。迂闊な行動は命取りになるだろう」
私は改めてブルーアースが異常な世界であることを思い知らされた。単なるゲームでしかなかったはずのブルーアースが、いつの間にか管理者の箱庭と化していたのだ。
「今回の事象が管理者による仕業だとして、対抗する手段はあるのですか?」
「管理者の正体が分からない以上、明確な対抗策として提案できるものはない……だが、もし管理者と相対することがあれば、正攻法で挑むのは無謀だ。相手の予想もつかない方法で裏をかくしかないだろう」
「裏をかく……ですか。心得ておきましょう」
管理者が何者かは想像もつかない。だが、プレイヤー全員をログアウト不能にした上で、現実世界との通信も許さないような相手だ。仮にそいつが人間なのであれば、悪意に満ちた独善者としか言いようがない。
「……む、何者かがここへ近づいて来るようだ」
レーベンが何者かの気配を察知したようだ。見張り窓に近づき、外の様子をうかがっている。
「君たち、今すぐここから出ていくんだ!」
「レーベンさん? 一体誰が来たというんです?」
レーベンは焦った様子で、私たちを隠れ家から追い出そうとする。
「大陸平定団……」
「えっ……」
「厄介な連中に嗅ぎつけられたようだ」




