第2話 幻惑の姫君
ブルーアースは、いわゆるMMORPGだ。プレイヤーは武器を手に、広大な大陸を冒険することになる。
この手のゲームにしては珍しくプレイヤーのレベルの概念が存在しない。プレイヤーのステータスは、武器や防具の強さによって決まるシステムだ。武器や防具を強化していくことで、プレイヤーは強くなることができる。
プレイヤーはキャラクター作成時に一つだけ武器を貰うことができる。私が選択した武器は打刀だ。刀だけでも幾つもの種類がある。太刀や薙刀、長巻までもが用意されていた。中でも打刀は攻撃と防御のバランスに優れており、抜刀術を用いたカウンタースキルを使用することも可能だ。
街の門を出ると、そこには草原が広がっていた。通例から考えて、序盤に遭遇する弱いモンスターが生息しているはずだ。
私は周囲を見回してモンスターを探す。見つけた――ビグラットだ。
ビグラットは、バスケットボールほどのサイズに肥大化したネズミのモンスターだ。ステータスは大して高くない。試し斬りの相手にはおあつらえ向きだった。
しかし、私は歩みを止めた。別のプレイヤーがビグラットを狙っていたからだ。
ビグラットを狙っていたのは、長髪の少女だった。草むらに隠れてライフルを構えている。ブルーアースにはライフルのような射撃武器も用意されていた。
ただし、近接武器とのバランスを考慮し、意図的に使いにくく調整されている(システムによるアシストが用意されていない)。モンスターから距離を置いて攻撃できる射撃武器を強くしてしまうと、近接武器の有用性が失われてしまうからだ。
ここで横入りしてビグラットを斬りつけてしまうと、先に狙っていた少女から顰蹙を買う可能性がある。
諦めて別の場所へ移動しようとした矢先、少女がライフルを発砲した。
だが、ライフルの弾丸はビグラットには命中しなかった。射撃時の反動が予想以上に強かったのか、少女は大きくのけぞっていた、
攻撃されたことに気づいたビグラットは、少女に向けて突撃を始めた。少女は慌ててライフルのトリガーを引くが、二発目の弾丸は発射されなかった。
「ちょっと、なんで弾が出ないのよ!」
当然のことだった。彼女が装備しているライフルはボルトアクション方式だ。再装填の操作を行わなければ、二発目は撃てない。
その間にもビグラットは距離を詰め、少女に体当たりを見舞った。
「あうっ!」
直撃を受けた少女は後方へと大きく吹き飛ばされた。雑魚モンスターの攻撃といえど、初期装備のレザーアーマーでは一発耐えるのが限界だろう。
「見ていられませんね……」
私はわざと足音を立てながらビグラットへと近づいた。ネズミは人間よりも優れた聴覚を持っており、少しの物音だけで敵の接近を察知することができる。私の足音を感知したビグラットは、ヘイトをこちらに向け、一直線に距離を詰めてきた。
私は左手で打刀の鯉口を切り、抜刀術の構えを取る。脳波コントロールシステムが、脳内でイメージしたモーションを再現していた。
接近したビグラットが体当たりを仕掛けてくる。先に少女を攻撃した時と同じ動作だ。私はタイミングを見計らい、抜刀術のスキルを発動させる。右手に握った打刀が、ビグラットを真一文字に切り裂いた。
現実で刀を握ったことはない。脳波コントロールシステムがイメージの動作を最適化し、このような動きを可能にしているのだ。
試し斬りの結果は申し分のないものだった。自分が本物の剣士になったかのような錯覚すら覚える。
(ハマってしまいそうだな)
ビグラットは最下層の雑魚モンスターだ。せっかくなので、もっと強いモンスターとも戦ってみたい。
私が別のモンスターを探すべく、その場を離れようとした時、後ろから足音が聞こえた。
「待ってちょうだい」
長髪の少女がこちらを見ていた。HMDにPCの情報が表示される。サクヤ――それが彼女の名前だった。
栗色の長髪に緑色の瞳。身長は私よりも少し高め……胸も私より大きい。RPGによくいるお姫様キャラのイメージだ。
「さっきはありがとう、その……助けてもらって」
サクヤさんは、たどたどしく礼を述べた。
「気にする必要はありませんよ」
私は初心者を助けて喜ぶタイプのプレイヤーではない。だが、彼女について少しだけ気になることがあった。
「ボルトアクションライフルは一発撃つごとに再装填が必要ですよ。ご存知なかったのですか?」
武器の特性を理解していれば、あのようなミスは犯さないはずだ。
「ごめんなさい。私、このゲームのことよく分かってなくて……」
――分かってない?
その言葉に違和感を感じた。ベータテストに参加するには事前申込が必要だ。ゲームについて何も知らないプレイヤーが応募しているとは考えにくい。
加えて、ベータテストが開催される以前から、ゲームの情報は公式サイトで確認できるようになっていた。参加者であれば、ある程度の前情報は仕入れているはずだ。
「この武器、ボルトアクションライフルって言うのね。私、こういうゲームをプレイするのは初めてなのよ」
……サクヤさんは嘘をついている可能性がある。雑魚モンスターにやられそうになっていたのも、演技だったのではないか。
(なぜそんなことをする必要がある?)
わざと落し物をしたり、ミスを晒して、他人の気を引こうとする人間がいることは知っている。そういった人間に関わると、ろくな目にあわないことも知っている。
「カスミさん……でいいのよね。よかったら、このゲームのことを教えてくれない?」
「ええ、構いませんよ。といっても、私もこのゲームを始めたばかりですが」
この時、私は間違いを犯した。そして彼女に「今すぐゲームをやめろ」と言わなかったことを後悔することになる。




