第16話 狂気の商談
「ヒカリさん、無事でしたか!」
「あなたたちは……」
ヒカリさんが、ゆっくりとこちらに顔を向けた。エンドラが言った通り、身体的な拘束は行われていないようだ。
「ヒカリショップの皆さんから話を聞いて、あなたを助けに来たんです」
「そんな……!」
ヒカリさんは悲壮な表情を浮かべた。
……助けに来たとは言ったものの、今や救援を必要としているのは私たちの方なのだ。ヒカリさんは、私たちが窮地に陥っていることに気づいてしまったようだ。
「エンドラさん、この方たちは私の店とは無関係です! 今すぐ解放してあげてください!」
「言われなくともそのつもりですよ……あなたが商会の傘下に入ってくださるのであればね」
「それは……」
エンドラは、どうやらヒカリショップそのものの買収を目論んでいるらしい。目障りな店を潰すのではなく、自分たちの利益のために利用しようというのだ。
(ヒカリさんを誘拐したのも、そのためか)
私は自分の浅はかさを後悔していた。エンドラは私たちの身柄を利用し、ヒカリさんに脅しをかけるつもりなのだ。
「ヒカリさん……この度の非礼についてはお詫びします。しかし、私は悪意があってあなたをお呼びしたわけではありません。ただ我々の商会に加わってほしいだけなのです」
「……その話は何度もお断りしているはずです」
ヒカリさんはエンドラの提案を拒絶する。しかし、私たちに突きつけられた武器からは目を離していない。視線の動きからは明らかな動揺が感じ取れた。
「なぜ我々を拒むのです。あなたは小規模とはいえルミナスタウンにアイテムショップを開き、プレイヤーたちからも支持を得ている……私はあなたの才能を商会でも活かしていただきたいのです」
「……商会は盗品の取引を行っているという話を聞きました。あなたたちは表沙汰にできない悪事に手を染めているのではありませんか?」
ヒカリさんはエンドラに疑念を投げかけた。
商会が盗品の取引を行っていることは公然の秘密だ。それでもプレイヤーたちが商会を非難しないのは、商会がアイテムの取引に必要な流通網を握っているからに他ならない。
「それは誤解だ……私たちはプレイヤーのために善意を持って活動しています。プレイヤーたちが安定した相場でアイテムを入手できるよう、日々努めているのです。悪事に手を染めることなどあり得ません」
エンドラはプレイヤーたちを盾に無実を訴えた。何も知らない人間であれば、エンドラが立派で実直な商人に見えたかもしれない。
だが、私は知っている。この男の言葉が全て虚言であることを知っている。
「本当にそう思っているのですか?」
私はエンドラとヒカリさんの間に割って入った。
「私は、商会に雇われて盗品を運んでいた運び屋のことも、商会に盗品を流していた盗賊団のことも知っています。この目で全てを見てきたのです」
「ほぅ……では、あなたは我々が『悪』だと?」
私の言葉を聞いた途端、エンドラの態度が一変した。奴の表情からは純粋な「悪意」が滲み出していた。
「違うというのですか?」
「当然ですよ。我々はお金を稼いでいるだけです。何もやましいことなどしていない。お金を稼ぐことは全ての人間に与えられた権利なのです」
エンドラが本性を露わにした。奴は断じてプレイヤーたちのために働いていたわけではない。全ては金を稼ぐための方便でしかないのだ。
「なぜ、そこまで金を稼ぐことに執着するんです? 仮想世界で金を稼ぐことにどれほどの意味があるというのですか」
「私はお金を稼ぐために生きているんです。仮想世界に閉じ込められたとしても、私の生きる理由は変わらない」
この男は普通じゃない……エンドラは金を手に入れるためではなく、「金稼ぎ」という行為そのもののために生きている。目的と手段が逆転していることに何の疑問も抱いていないのだ。
「金を稼ぐために生きる……そんな人生に何の意味があるんですか」
「では聞きますが、あなたは現実世界に帰還したら、何をして生きていくつもりですか?」
「何って、それは……」
アルバイトに縛られていた男の記憶が蘇る。現実世界の私は――
「そう、お金を稼ぐんです。誰が決めたルールなのか知りませんが、私たちはお金を稼ぐために生きているんです。現実も仮想世界も、結局何も変わらない。私たちは一生お金に縛られて生きていくんです」
金に縛られて生きる――エンドラは間違いなく狂人だが、一方で「金」という概念の真価を理解していた。プレイヤー全員がログアウトできなくなるという異常事態に置かれても、短期間で商会を作り上げることができたのは、エンドラが金の使い道を理解していたからに他ならない。
「あなたたちもこれからのことを考えなさい。この世界ではお金さえあれば大抵の物は手に入ります。商会に協力していただけるのであれば、謝礼は弾みますよ」
エンドラは懐から札束を取り出し、私たちに見せつけた。金さえあれば、どんな人間でも意のままにできる――奴の表情からは、そんな自信が見て取れた。
「ふざけないで……」
だが、サクヤさんはエンドラの懐柔を跳ね除けた。彼女は金よりも大切なものを知っているのだ。
「あなたはお金でなんでもできると思ってるみたいだけど、現実は違うわ。お金で人の心は買えない。ヒカリさんがあなたを拒む理由が分からないの?」
サクヤさんの指摘にエンドラは顔をしかめた。金で人の心は動かせない――それはエンドラにとって受け入れがたい事実だった。
「あなたは本当に世間知らずだな。人間は金のために生き、金のために死ぬ……それこそが真理なのですよ!」
エンドラがライフルを構えていた用心棒に合図を送った……サクヤさんを始末するつもりか!?
「ちょうどいい見せしめだ……あなたには商談を飾る生贄になってもらいますよ」
「――!」
用心棒がサクヤさんの後頭部にライフルを突きつけた、その時――
「ぐあああっ!」
悲鳴を上げたのは用心棒の方だった。銀色に輝く刃が、用心棒の背中を切り裂いたのだ。
「何事だ!?」
エンドラは驚愕した。私たちの作戦を見破り、勝利を確信していた奴にとって、イレギュラーはあり得なかった。
だけど私たちは知っていた。悪しき心が人々を脅かす時、正しき心を持った戦士が現れることを知っていたのだ。
「銀の殺し屋……!」
銀髪の戦士を前に、エンドラは戦慄した。




