見ぃつけた
――隠れん坊は、いる。
さとはそれを確信している。
国吉の親分からこの話を聞いた時には、とんだ荒唐無稽と思ったものだ。けれど今、彼女はそれが在ることを疑っていない。
『隠れん坊ってのはあやかしでよ。人の弱りにつけ込んで腹ん中へ潜り込み、心を繰って悪事を為すのさ』
親分は遠いどこかを眺めながら、ぽつりそう語ったものだった。
*
呼ばわれからも知れる通り、国吉の親分は元十手持ちのお侍様だ。
かつては韋駄天脅しと称された俊足で八百八町に名を轟かせ、様々な捕物に加わっては賊徒を捕えて回ったという。
けれど現在の親分は、名字も刀も放り捨て、さとの住む長屋の大家なぞを務めていた。その人脈や見識を頼って国吉の下を訪れる与力や同心、目明しらの類は今も少なからず、長屋連中は彼を親分と慕い続けている。さとから見る国吉の親分は、途方もなくお偉いお人なのだ。
だから彼女は不思議に思った。その親分が、どうしてこんなふうに隠遁を決め込んでしまっているのだろう、と。
それでさとは真っ正面から疑問をぶつけ、その答えが隠れん坊だった。
あれはまだ、七つか八つの頃だったろう。もう少し歳を重ねていたら、あれこれを慮って出せなかったた問いだと含羞しつつ、さとは親分の言葉を回想する。
『俺の上に居らした御仁はな、大層立派な方だった。分け隔てなく誰へも優しく、誠意があって正義があった。一度俺がしくじりを踏んで斬られかけた時なんぞ、身を呈して庇ってくださったものさ。お蔭で腕が利かなくなっちまったってのに、「私の片腕なら、お前が務めているだろう」なんて言ってくださってよ。終生この人についていこうと思ったもんさ』
かくれんぼうは遊びだろうと混ぜ返すさとへ、煙管を加えた国吉は、それこそ煙に巻くように続けた。
『だがいつか、あの人は変わっちまった。いつの間にか悪さに手を染めててなあ。俺が、そいつを暴いちまった。ひどく睨まれたもんさ。「お前なぞ救うのではなかった」ってな。とんだ恩知らずだ、俺ァよ。……あの人をそう変えちまったのが、隠れん坊だと、俺はそう信じてる。一度あいつに憑かれたが最後、自分だけしか見ない、自分のことしか考えない、我利我利の亡者に成り果てちまうんだ』
灰吹きに灰を落とすと、国吉の親分は吹っ切ったふうに微笑んで、
『侍が腹を切るのは、ひょっとすると退治のためかもしれねェな。手前の腹ん中のモノを、手前で掻っ捌いてのける。それで、武士の一分ってのを立てるのさ。……とまれまあ、あの人ばかりじゃあなく、他にそういうのを幾人か見ちまってなあ。俺はもう、世間と向き合うのが嫌になっちまったんだよ。子供の遊びなら、隠れてるのを見つけて終いだ。だがよ、人の中の隠れん坊はそれで終わらねェ。終わってくれねェ。いっそ見出さない方がいいことすらありやがる。当人にすらどうしようもない腹の虫ってのが、世の中にゃアあるのだろうさ』
親分はさとの頭をひとつ撫でると、『今日はもう帰りな』と小遣いをくれた。
その肩がひどく小さく見えて、だからさとは以降も、ちょくちょく親分のところへ顔を出すよう決めたのだった。
子供の気遣いのみならず、親分を訪ねる人々から伝え聞く痛快な捕物話や恐ろしい刃傷の沙汰は、とても刺激的なものであった。
さとの干支がひと回りした今も、親分との縁は変わらず続き――だから。
だから、さとの家族が皆殺しにされたその日も、彼女を引き受けてくれたのも国吉の親分だった。
凶報を知って呆然と立ち竦むさとを親分は抱き上げ、連れ帰って温かい汁ものを振る舞ってくれた。さとが気を失うように眠るまで、ずっと傍についていてくれた。
通り一遍の同情ではないその振る舞いが、さとの心を辛うじて現世に繋ぎ止めてくれたと言える。
斯様にさとを労わる一方で、親分は鬼気迫ってこの一件を追いもした。そうしてたちまちのうちに下手人を突き止めた。一家を屠ったのは、顔も知らぬ渡り中間であった。
中間とは武家に仕え、諸雑務を請け負った人間を言う。世襲で仕官する侍とは異なって、多くは手が入り用なその時限りで雇われる者たちである。今日は此方、明日は彼方と武家屋敷を流れ歩いた。渡りの通称はここに由来する。
彼らの中には無頼と通ずる者がままあり、時に仕える家の下屋敷で賭場を開くことまでもあった。下屋敷とはいえ、それは江戸における諸大名のいわば居城だ。町方がおいそれと踏み込める場ではなく、ゆえに悪事の温床となりやすかったのである。
この中間も、そうした悪党のひとりだった。さとの家に大金があると信じての犯行であったという。
さとの父は研ぎ師だった。
格式ある刀研ぎの類ではない。鋳物屋を兼ねた庖丁研ぎである。方々の長屋を巡りその場その場で御用を聞いて、金物一切の修繕を庭先で行う。そんな生業である。気さくな人柄と堅実な仕事ぶりが認められ、一家五人で食べていくには困らない稼ぎはあったが、当然大枚を隠し持てるはずもない。
けれどこの中間はどこからか、さとの父が富突きに当たったと聞き及んでいた。
富突きとは今日で言う宝くじだ。箱の中をに棒を突き入れ当たり札を決めるため、このように称された。
本来は寺社仏閣が普請のため、寺社奉行に出願して行うものであるが、この種の賭け事は人の心を煽りやすい。いつしか、隠富と呼ばれる幕府非公認の富突きが流行しており。さとの父が当てたとされたのもこれである。
勿論そのような事実はなく、完全な殺し損、殺され損だった。
踏んだり蹴ったりなことに、と言うべきか、この中間は捕縛に当たって著しく抵抗し、その場で斬られた。いずれ死罪であったろうが、この不手際を国吉の親分はさとに詫びている。
罪を明らかとして裁くことで、さとの心の平衡を取り戻す機を失ったと悔いたためだ。
その折は少し惜しくも思ったが、今のさとは、中間を仇とは見做していない。
本当に憎むべき相手は別にいて、それは多分、お久姉さんなのだった。