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遺伝師  作者: あおの ぴだん
1/1

時代を超えて

曽祖父の共じぃは、弟の海斗と俺をよく海へ連れて行ってくれた。海の無い県に育った俺は、海に行っては帰るのを嫌がり、月が綺麗に見える時間までタダをこねていた。夜の海も好きだった。そして、下弦の月も。

 〘 プロローグ 〙


  ー「……姉やん?」

  姉のじっとりした背中の熱気が、少しひんやりしてきた夕暮れ時に僕の身体をふんわり包み込んで心地が良かった。目が覚めてもまだこのままこうしていたかった。

継生(けいせい)、起きたんか?」

「ううん、起きてない。寝てる。」

「喋ってるから、起きてるやろー。」

  笑ってそう言いながらも、僕を下ろさずおぶったまま姉は畑仕事の続きを始めた。

  姉と言ってもまだ幼く、歳の頃は5~6歳といったところだろう。

  僕……、僕?僕は継生と呼ばれている。誰? 


  現実と夢との境目。少し夢へと落ちてみると、そこには畑と山、少し遠くに海が見えた。潮風の匂いと、姉やんの汗の匂い。姉やんの他にも畑仕事をしている着物を着た子供たち。

  このまま夢に戻りきろうか、起きようかと思いながら、浮遊しているとそのうち"継生"と言う名に見覚えがある事を思い出し、現実へ帰ることにした。

  ベッドから降り、机に置いてあった大きな木の箱を開けた。

  少しくたびれた書物や巻物がどっさり入ったその箱の中から、家系図が書いてある巻物を開き確認をした。

  "継生"

  俺の曽祖父の共じぃこと共解(きょうかい)のさらに曽祖父にあたる人だった。5人の姉がいたが、早くに亡くなってしまった人が2人。夢の中で姉やんと呼んでいた、継生おじいちゃんをおぶっていた人は、すぐ上の姉、"いと"だろう。

  寝る前にこの家系図を見てたから、感化されてあんな夢を見たのか……。にしては、リアルだったな…。





 〘 1章 〙


  名古屋発祥の喫茶店は、ここS県でも近所の老夫婦が通うほどの馴染みとなっている。

  彼女と彼も同様、何故か落ち着けるその喫茶店を初顔合わせの場所に選んでいた。


  彼が喫茶店に入るとすぐウエイターに、右手奥のかつては喫煙席だった区切られたスペースに通された。まだほんのりタバコの匂いが残っていて、壁紙取り替えしたのかな?なんて思いながら、ウエイターの後に続いた。

  案内された窓際のカウンターには、足を宙ぶらりんにさせながら、熱心に本を読んでいる女性が見えた。

  彼女だな。そう確信し、声をかけた。

「あの……、滝川クリステルの……ちやさんですか?」

  その言葉に、競馬新聞を見ていた中年男性や黙々と朝食を頬張っていた老夫婦、パソコンに釘付けだったサラリーマンも、一斉に彼女に注視した。彼女の斜め後ろに座っていた同じ年頃の男性だけは、何故か彼を見た。

  本に集中していた彼女は、驚きながらも

「えっ?!あ、あのっ、その言い方はちょっと……やめて下さい。」

 滝川クリステルに似ても似つかない彼女は、困惑して彼にそう言ったと同時に、注目していた周りの人たちも、それぞれに目を戻した。斜め後ろの男性は、相変わらず彼を見たままだった。

「そうですよね、すみません。」

  滝川クリステルを想像していた訳では無かったが、物腰が柔らかく、慌てていてもゆったりした口調。お団子を頭頂にのせた髪型に茶色縁の眼鏡、リネンのワンピースが良く似合う女性を目の前に、少し期待を裏切られた気はした。この場合の期待とは、女性として。では無かったのだが。

  彼女は彼女で、最初にもらった彼からのメール、

  (「小説読みました。貴方の睡眠状態・体質・気質あらゆる事に興味をもちました。是非とも会ってお話がしたいです。」……。)の変な趣味でもあるのかと思わせるメッセージからはかけ離れた端正な顔立ちに、戸惑ってしまった。その綺麗な清々しい姿に、影のような何とも言えない渋さを兼ね備えていて、今まで会ったことの無いタイプの男性だった。歳は検討もつかなかった。

「あの、俺は潮崎紡(しおざき つむぐ)といいます。千夜(ちや)さんは、千夜さんとお呼びすればいいですか?」

「あ、そうですね、ペンネームの千夜で呼んで頂ければいいと思います。それで、あなたはどうして……。」

 と、話しの途中でウエイターが水を運び、注文を聞いてきた。

「あとで、注文します。」

  紡がそう言い、ウエイターが去ると千夜は話の続きを始めた。

「あなたは、どうしてあのようなメールを私に送られたのですか。睡眠や、気質…って、ファンの方では無いですよね。」

「そうですよね……、変なメールでしたよね。ちょっと、興奮しちゃったまま送ってしまって。あ、いや、興奮って、変な意味じゃなくて。」

 焦りながら水を飲み干した。

 ますます怪しさを感じ出したところに、彼は続けた。

「あなたの小説に惹かれまして。あの、詳しく話をしたいのですが、人がいる所では出来ないので場所を変えませんか。2人っきりでお話がしたいです。」

 いやいや、無理でしょう。イケメンだけど、怪しすぎるしと警戒しながら、

「あの、自信過剰では無いのですが、2人っきりというのはちょっと、初めてお会いした方ですし……。」

 と丁寧に断わった。

 斜め後ろの男の紡を見る目が段々、怒りに満ちてきている顔が、千夜の視界に入ってきた。

「ここで、お話出来ない事なら、お電話でもいいですよ。」

 と付け足した。

 ちょっと焦りながら、紡は引き下がる気配もなく、「突然変なメールと、会っていきなり2人っきりで話がしたいなんて、警戒されるのもわかります。俺……、あ、いや僕が怪し者でないという証明は…、どうすればできますかね。」

 逆に質問されても。

「ねぇ……。」

 困り顔でそう返事するしかなかった。

 しばらく沈黙が続いた。

 店内は、カフェ独特の小さなガヤガヤ音が強弱をつけながら耳に心地良かったが、今の2人はお互いに違う意味で聴覚より思考が優先され、全く無音状態だった。この事が、紡を余計に焦らせていた。

「う、うちは、代々……いや、先祖から3代ずつ引き続いでいる家業があって。3代ずつというのは、分かりやすく言うと曽祖父の曽祖父から引き継ぐ曽祖父、そして曽祖父から引き継ぐ俺。と、分かりやすくと言った割に分かりにくいが……。」

 焦っているので、説明もよく分からなくなっている俺……バカ?

 気を取り直して、

「2代は引き継がず、すっ飛ばして引き継ぐという類のもので。曽祖父は、名前を共解(きょうかい)といって、共じぃと呼んでたんだ。めちゃくちゃ元気だったのに、突然倒れてから数日後に息を引き取った。俺が10歳の時だった。」

  訳の分からない話しを始めた紡の隣りで、千夜は黙って頷きながら聞いていた。小説家は、どんな話しでも一応の興味を示すものらしい。特に代々受け継ぐ家業に、2代飛ばしなんてあるのか。そういう類のものって、それこそ類まれなものではないのか。そんな事を思いながら、続きを聞いた。

「家業の事は、共じぃが倒れて意識を取り戻した時に初めて聞かされた。正直、その時の内容はあんまり覚えてないんだ。元気だった共じぃの見る影もなく、声も細々とか弱くなっていた共じぃの事がショックで……。とにかく、秘伝書を元に家業を行うこと。特に5つの教えを軸に励むこと。それを繰り返して言っていたように思う。親父にも祖父にも継げないという事実は、共じぃが亡くなった後に知っんだ。」

  熱のこもった言葉や話し方に、変な人だけど信用は出来るかも。と思い始めた。

  紡は、休む間もなく話し続けた。

「それから、しばらくは仕事が出来る年齢でも無かった事もあって、家業のことは徐々に頭の片隅へと追いやられ、そのうち忘れてしまっていた。進路を決める時も、共じぃの言った言葉が脳裏をかすめたけど、具体的に何をするのかも分からなかったし、それより興味のある分野に進んでしまっていたんだ。」


「俺が25歳になった今年の春。祖父が曽祖父の亡くなった年齢になったというような事を親父と話しているのを小耳に挟んだ。」

『あっちゅう間に親父が死んだ歳になったなぁ。あの頃は、親父がそんな突然逝っちまうなんて思ってもなかった。本人もそうだっただろうと思うよ。もうちょっと長く生きてたら、(つむぐ)に仕事の事をちゃんと伝えられただろうし、あんなに悔しがりながら死ぬことも無かったのになぁ。』と、顔を顰めて泣きながらそう話してた。」

 千夜も話にのめり込んで、少し感情を揺さぶられ始めていた。

「 悔しがりながら……。そんなに無念な事だったんですね……。」

  同情してそう言うと、

「そう、俺もそう思ったんだ。10歳だったあの頃、亡くなる前の共じぃの姿、言葉を思い辿りながら、家業の事を考えた。そんなに悔しい思いをするほど継がせたい家業って何だ?って。気になる。気になってきた。ってなって、ようやく継ぐ気持ちにスイッチが入って、家業の事を調べ始めた。」

「調べ始めた?お父様やお爺様は、継げなくてもお仕事の内容は分かってらっしゃるんですよね。」

「親父に家業の事を聞いても、よく分からないと言うし、祖父は共じぃの話をするとすぐに涙ぐんでしまうから聞き辛くて。」

  お父様は知らないなんて、そんなことあるのかな。心の声は、言葉にはしなかったが顔に現れていたかも知れない。千夜は、すぐに顔に出るタイプだった。

「そこが、今俺たちが立ち止まってるポイントで、この家業の詳しいやり方は極秘なんだ。だから、ここでは詳しく話せなくて……。で、2人っきりで話したい、という訳なんですが……、どうでしょうか。」

「ちょっと待って。極秘なら何故私には話せるんですか。」

「それも、ここでは言えなくて。」

 一連のやり取りを、斜め後ろで全部聞いていた男性が、とうとう立ち上がって紡に声を掛けようとした瞬間。

「やっぱりこうなってるよね。」

 笑顔で入ってきた若い男性。

「海斗!なんでここがわかったんだ。」

「兄貴の行きそうな所なんて、決まってるからな。しかもテンション爆アゲで出て行ったから、一悶着あるだろうと思ってきてみたら、やっぱりな。」

「弟さん?」

 白シャツに黒のパンツ、スラッとしてて顔は紡に似ていたが、人あたりの良さそうな印象だ。

「紡の弟の海斗です。兄がご迷惑をおかけしてるのでは無いかと思いまして、馳せ参じました。」

 笑顔が眩しすぎるくらい、白い歯をニカッと見せ海斗は、紡の隣に座った。

「で、何にお困りで。」

「どうしても2人っきりで話しがしたいって言ってるんだけど、やっぱり難しいみたいで……。」

 その言い方だと、私が駄々っ子みたい。

「難しいというか、初対面の方と2人というのは、常識的に考えても無理と申しますか、ねぇ。」

 苦笑いで誤魔化した。というか、何故私が取り繕わなきゃいけないのか。

「兄は、ぶっ飛んでますが悪い人では決してないので。」

 そう言うと、紡に向かって、

「2人っきりなんて言うから警戒されちゃうんだよ。うちにくればいいだけなのに。俺のカフェに。悲しいかな、まだお客さんもほとんど来ないし。」

「お客さんの来ないカフェって、それでやっていけるんですか。」

 おっとりしているのに、直球を放り込んでくるタイプか。と分析しながら、

「率直に聞きすぎ。」

 そう言って、海斗はまた笑った。

「いや、まだ開業したばかりで。」

 場が和んで、やっと緊張が溶けてきた千夜。弟さんのカフェでならいいかと了承した。紡の話にも興味があったし、何より私に何の用があるのかが気になった。

 お会計を済まし、喫茶店を後にした。


  海斗のカフェは、川沿いの少し小高くなっている所に建っている。古い洋館をリノベーションしたような感じで、壁は所々剥がれていたが、それがかえってお洒落だとあえてそのままにしているようだ。

  中に入ると、今風とアンティークの調和がとれた、落ち着いた雰囲気で、テーブル席が4つ、カウンターが10席ほど。奥の仕切りの向こうにはまだスペースがあるようだった。

  カウンター席にすすめられ、席につくと目の前にキリンの置物があった。片手を上げて斜め上を見ている。木の風合いを生かした色合いで手のひらサイズのキリン。一瞬で、心惹かれた。

「なんとも可愛いですね、このキリン。」

「それは、おじいちゃんが彫ったんだ。おじいちゃんは、芸術家。良かったらそのキリン、記念にプレゼントするよ。」

  海斗はキリンを手に取り、千夜に差し出した。

「とっても素敵だけど…。お客さん一人一人にプレゼントしてたら、何個あっても足りなくなりますよ。」

 と、遠慮がちに言うと、

「あなたは、兄の特別な人だから。初めまして、これからよろしく記念ってことで、貰って。」

 そう言って屈託なく笑った。

  良く笑う人だな。そんな関係の無いことを思いながら別の思考では、特別な人なんかでは全然ないのに、何か海斗さんは勘違いしているのだろう。説明するにも、まだ何も知らないし…。と、言葉より頭の中でグルグル考える。千夜の悪い癖だ。

  困っている千夜をよそに、海斗はキリンを千夜の手を取って渡して、カウンターの裏へ行ってしまった。

 受け取ったキリンを見て、本当に貰っていいのかな。確かに、めちゃくちゃ気に入ってしまったけれど。

「あの…、紡さん、これ本当に頂いてしまっていいんですか。」

「いいよ。本当に、これからお世話になる予定だし。あ、君さえよければ。だけど。だから、まずは説明するね、さっきの続きを。」

 そう言って、向き直って話し始めたところに、

 カラン、カラン。

 お客が入ってきた。



 〖 2章 〗

  白のシャツに、ライトグリーンの短パンを履いた華奢な女性が、息を切らしながら海斗のカフェ、『CoDoU(こどう)』のドアを開けた。

「いらっしゃいま……」

  海斗がそう言うや否や、

「はぁ、はぁ、ここで、あってますか。はぁ、はぁ、あの、助けて頂けますか。」

  肩で息をし、言葉を詰まらせながら続けた。

「探してて、ずっと探してて、やっと見つけたんです。」

 紡も千夜もその女性を見て、すぐにその切羽詰まった状態を見とっていた。

「大丈夫だから、もう大丈夫だから落ち着いて、こちらへどうぞ。」

 海斗は、その女性を手前のテーブル席へ案内し、水を勧めた。

 女性は、水を一気に飲むとまた話しだした。

「ここ、どんな困難な事でも助けてくださるお助け屋の方がいらっしゃるんですよね。私……、私、助けて欲しくて。もう、限界なんです。」

 海斗は、その女性の斜め前に座り優しく話しかけた。

「大丈夫ですよ。ゆっくり話を聞かせて頂けますか。」

「助けて下さる方は、あなたなんですか。」

「あ、いえ。私は、このカフェのマスターです。そこにいる私の兄が、あなたの言うお助け屋です。」

  紡は、ややピリッと緊張しながら、自己紹介をした。

「私が、"遺伝師"の潮崎 紡です。」

  そう言いながら名刺を渡した。『遺伝師 潮崎 紡』と、住所、電話番号だけ書いてある白のシンプルな名刺だ。

  "遺伝師"ーー

  そういえば、千夜は紡の家業内容をまだ聞いておらず、まさに今初めて知ることとなった。

  名刺を横目で見ながら、"遺伝師"……?遺伝師なんて職業は聞いたこともない。どうやって人を助けるのか。何を助けるのか。謎は謎をよんだ。

  また、紡は自身の事を遺伝師だと初めての紹介する場面に、何か引き締まる思いがした。と同時にまだこの仕事を確立出来ていない事は、彼女を見てると言い辛かった。

  とにかく、やるしかない。まずは、彼女の話しを聞こう。

「なるべく、詳しくお話し頂けますか。」

  紡は、彼女の前に座り直しそう言った。

「あの……、そちらの女性は従業員の方ですか。」

 千夜の方を見て、彼女が紡に訊ねた。

「そうです、一緒に聞かせて頂いてもよろしいでしょうか。」

  千夜は、ビックリして

「いや、私はその……、全く……。」

  焦っている千夜を見て、海斗が口を挟んだ。

「彼女は、今日からなのでまだ慣れてなくて。また後ほど、合流させて頂きますね、な、兄貴。」

「あ、ああ、そうしよう。まずは、俺一人で聞かせて頂きます。よろしいでしょうか。」

  こうして、初めての依頼を受けることとなった。

 

  彼女と紡は、カフェの奥にある階段から二階へ上がって行った。

  千夜は、居なくなった紡の代わりに海斗に話を聞くことにした。

「海斗さん、私まだ話しが飲み込めてなくて、順を追って話して頂いてもよろしいでしょうか。」

「そうだよね。ごめんね、突然バタバタしてしまって。しかも、兄貴にとって今回初めてのお客さんなんだよね。」

「えぇー!大丈夫なんですか?!」

「どうだろうねー。ま、仕事がまだ軌道に乗ってないけど、いつ軌道に乗せられるかも見えない状況で、いつまでも無職って訳にはいかないしな。俺のカフェもこんなだし。」

 そう言って、豪快に笑った。

「いや、そこ笑うとこじゃないと思いますが。」

 と言いながらも、海斗の笑顔に釣られて千夜も笑顔になった。

 そんな千夜を見て、この子なら大丈夫。兄貴のいいパートナーになりそうだ。と確信した海斗。

「千夜さん、兄から千夜さんの事は聞いています。そして、兄の仕事も兄が分かってる範囲で、俺も内容は把握しています。わかること、全部お話ししますね。」

「はい。」

「まずは、美味しい珈琲をいれますね。」

  そのうち、スっと落ち着く珈琲の香りが千夜の中を通っていった。


  二階では、紡が相談内容を確認していた。

  彼女は、水野(みずの) 麻弥(まや)、奈良県に住む22歳。看護師の仕事を始めたばかりの新人ナースだ。

  ナースは仕事がハードなのか、まだ慣れてなくて大変なのか、とても痩せていて、顔にも覇気がない。

  それに加え今回の相談事と言うのが、閉所暗所恐怖症との事だった。小さい頃から、狭く暗い所は苦手だったらしいが、仕事を始めた頃からその症状が酷くなってきたと言う。

「最初は、トイレが少し苦手とか、アスレチックのトンネルには入れない。とか、その程度でした。仕事するまでは、それなりに普通に生活が出来ていたんです。」

  彼女は、少し震えながら訴えを続けた。

  部屋は、ブラインドを開け、窓も開けて明るく解放的な空間にし、ドアも全部開けた。それは、この部屋に入る前からの彼女の注文だった。90cm幅の階段を上る事でさえ、震え上がり脂汗で顔面蒼白になっていた。

  窓から入る風が、彼女の肩にかかった髪を揺らす度に露な鎖骨が、紡の感情を揺さぶった。

  こんなに切羽詰まった案件、解決出来なかったら…。そんな気持ちに蓋をするように、彼女の訴えに集中した。

「仕事が始まると、やっぱり慣れてない事も沢山あってストレスも溜まっていきました。でも、誰もが通る道だと思って、頑張ろうと思ってたんです。でも、その頃から明らかに異常なほどに、狭い所……、や、」

  思い出すだけでも怖いのだろう。

「一気に話さなくても大丈夫ですよ。ゆっくり聞きますから。少し休憩して、弟に珈琲入れてもらいますね。お待ち下さい。」

  そう言って、一旦部屋から出た。

  下では、海斗が千夜に"遺伝師"の説明を続けていた。


「兄がどこまで話したか分からないけど、簡単に言うと、人助けを主とした仕事で、その手法は極秘。先祖や曽祖父が残した資料を元に、探ってるみたいなんだけど、兄貴まだ解明出来てなくて、試行錯誤の段階ないんだ。」

  千夜は、黙って頷きながら聞いていた。

「で、なんで君が……って、とこだよね。」

  千夜は、大きく頷いた。そんな秘密を私に話すなんて、どんな関係があるのか。1番気になっている所だった。

「共じぃ、あ、共じぃって曽祖父のことね。」

「あ、聞いています。」

「そっか。その共じぃが、やたらと5つの事を強調してたらしく、その中に相棒探しってのが入ってたみたい。」

「相棒……ですか。」

「そ。相棒。その相棒がどうやら千夜ちゃんらしいんだよね。」

 急に千夜ちゃんと言われて、この人歳下なんじゃ……、と関係の無いことを考えながら、一方では何故私が相棒なのだろう。と考えを巡らせていた。

「相棒を探すコツみたいなのがあって、書かれていた通りにやってみたら君に辿り着いたって訳。その辺のくわい方法は、気になるなら後で兄貴に聞いてみて。」

「うん、後でそこについても話すよ。」

 と、奥から紡が付け足した。

「海斗、珈琲をいれてくれないか。」


  珈琲を麻弥の前に置いた。

  ガタガタ……。麻弥の肩が震えだした。

「あ、あの、大丈夫ですか。」

  紡の言葉も全く聞こえない様子。

  麻弥は、さらに大きく震えだし、苦痛に歪んだ顔には多量の汗。か細い腕で机を支えに立ち上がり、倒れ込むように窓へと向かった。

「ハァ、ハァ、ハァ。」

  激しい息使いで窓に手をかけたままへたりこんで、そのまま床へと倒れ、気を失ってしまった。

「水野さん!水野さん!」

  肩を揺すったが、目覚めない。

  紡の大声が聞こえ、海斗と千夜が駆け寄ると、麻弥を抱き抱えた紡がいた。

「どうしたんだ。何があった?」

  海斗が紡に訪ねたが、紡は首を横に振り、分からない。と言った。そのまま、パーテーションで仕切られたベッドへと運んだ。紡が簡易的に使っている仮眠用のベッドだ。

  「話しはまだほとんど聞けてなくて、珈琲を差し出して、続きを聞こうと思ったら震え出して、倒れてしまったんだ。」

「彼女、凄く痩せてるし体調も良くなかったのかな…。救急車呼んだ方がいいかな。」

  千夜が、麻弥の顔を見ながらそう言って、顔にかかった髪を直してあげた。髪はパサついていて、身体の隅々まで疲弊していたことを物語っていた。


  麻弥を救急車で病院へ送り届け、三人は海斗のカフェへ戻ってきた。

「もう、最後の砦だったんだな、ここが。」

  紡が、頭を抱えて無念そうにそう言った。

「また、体調が整ったら話を聞いてあげたらいいと思います。あの、水野さんが倒れてしまった時の状況を詳しく聞かせて頂けますか。」

 紡は、二人にその時のやり取りや、麻弥の様子を詳細に伝えた。

 千夜がそれを聞きながら麻弥を想像してみた。

「たぶん、原因は珈琲なのでは無いでしょうか。水野さんは、暗くて狭い所が苦手なんですよね。珈琲を見て狭くて暗い所を連想させたのでは無いでしょうか。」

  小説家だけあって、想像力は人並み外れたものがあるようだ。

 紡と海斗は、納得したと同時に自分の不甲斐なさに落胆した。

「俺、この先こんなんで"遺伝師"やっていけんのかな。」

 千夜は、改めて"遺伝師"という言葉を聞き、話が全く進んでおらず、うずうずしている自分が抑えきれずにいた。

「色々ありましたが……。そして、自信を無くしかけていらっしゃるようで言い辛いのですが、ちゃんとお話の続きをお伺い出来ますか。」

「あ、そうだよね……。半ば無理やり連れてきておいて、途中で放ったらかしになっててごめんなさい。俺の気落ちは、後でどっぷりとするよ……。」


 ちょうど12時になった事もあり、海斗が昼食を作って振舞ってくれた。

 ちょっと見間違ったらイタリア人みたいな顔立ちをしているのに、純和風な昼食だった。


 カフェの一階で、三人で昼食を摂りながら、紡は話し始めた。


「兄貴、共じぃの言ってた5つの事の、相棒がどうやら千夜ちゃんだって所まで話したよ。」

「お、お前、千夜ちゃんって、いつの間にそんなに親しくなったんだよ。馴れ馴れしい。いつものナンパじゃないんだからな!」

 いつも、ナンパ……。やっぱり、着いてきてはダメだったのでは……。

 千夜の不安そうな顔を海斗が察知し、

「兄貴、いつもナンパなんてやってないだろ。千夜ちゃん、俺たちはそんなんさじゃない、と言うか、そんな暇は微塵もなかったから。俺は、カフェの開業、兄貴は遺伝師の開業で忙しくて。恥ずかしながら、金もないし。」

 また、屈託なくそういって笑った。

「本当にそう、先祖や共じぃが残してくれた資料の解明にどれほど時間を費やしたか。お陰で、就職して退職するまでの3年貯めていた金も底をつきかけてるよ。」

「はぁ……。」

 千夜は、初めて書いた小説がいきなり書籍化され、あれよあれよと小説家になった事もあり、お金には疎かった。

「あ、まあ、お金の話しは置いておいて。」

 やっと、本題に入る。

「相棒探しは、気の向くままに行うこと。と書いてあった。ほら、よく本屋なんかに行くと自然と足が向くコーナーがあると思うんだけど。興味の意識が無くても自然と。そんな感じで、相棒も探せって。共じぃの字は壊滅的に下手でね。読み解くのに、めちゃめちゃ時間がかかったよ。ま、それはさておき。」

 紡は、最後の一口を頬張ると、レモン水を流し込み、また説明を始めた。

「足の赴くまま、って言ったって、じゃあドアを出て右か?左か?なんて、やってやれないし。もう、面倒くさくなって、」

「ちょっと待ってください、大事な相棒探しを面倒くさくなっちゃったんですか?!」

「あ、いや、それは言葉の綾というか、とにかく早く見つけたかったから、とりあえず共じぃが書いていた、例え話の本屋にいって、自分が思うコーナーへと向かったんだ。まずは、生物工学。これは、俺が専攻してたこともあって。で、そこではいつも通りの読んでる本で、何も相棒に繋がるものがなかった。次に趣味のコーナー。そこでも何もなくて。やっぱり、こんな探し方って、違うよな。って、本屋を出ようとした時に、チラッと『この世から滝川クリステルがいなくなった』が目に入ってきたって訳。」

『この世から滝川クリステルがいなくなった』は、千夜の作品だった。

「滝川クリステルが好きって訳じゃないんだけど、気になっちゃって。普段なら、ペラペラと見てから買うんだけど、その時は即購入して、家で読んだんだ。どんどん、惹き込まれちゃって。」

 本の内容の話しでは無いことは分かっていたが、紡の本に対する感想は千夜にとって嬉しいものだった。

「でも、あれって妙にリアリティがあって、絶対この作者は実体験を混じえてるって思った。で、あのメールって訳。」

「なるほど、分かりました。それで、私に興味を持たれたんですね。」

「そう!そうなんです!もう、薄々は分かってるんです。貴方は、千夜さんは、"人の夢を操る事が出来る! "ですよね。」

  紡は、興奮して前のめりになりながら、さらに千夜に説明した。

  共じぃの言っていた"5つの教え"

  資料によると、

  1.相棒探し

  2.生業とすること

  3.研鑽を積むこと

  4.夢を追求すること

  5.二個一

 と、資料の全部はまだ解明出来ていないが、要約するとこんな感じであること。

 1は、さっき話した通りで、2と3は、本気で取り組めって意味だろう。そして、肝心の4。

「それで、項目4の夢に関する事が、私に繋がったんですね。その夢って、睡眠時に見る夢の事であってるんですか。」

  話しの流れからして、"本人が未来に抱く夢"の方の夢のような気がした。

「資料には、依頼者の夢をヒントに仕事を進めていく、って、書いてあったんだ。俺も、それがどっちの夢だろう。って、思ってたんだけど、千夜さんの本を読んでピンときた。絶対、睡眠の方の夢なんだって。その能力が必要なんだ。って。」


  海斗も半ば、信じられないような顔をしていた。人の夢を操るなんて事は聞いたことがない。寝る前に、見たい夢を想像して寝るとその夢を見やすい。とか、そんな類の話ならわかるが。

  千夜は、紡の説明に納得し、やっとこの場に居ることに落ち着ける気がした。それまでは半ば、場違い・人違いだろうとソワソワしていたからだ。

  さっきの依頼者は、とても切羽詰まっていた。命だって危ういほどに。そんな人たちを、これから紡は助けていく仕事をするのだ。そして、私を相棒にしようとしている。仕事を手伝う事になるのか、相棒になるのか、それはまだ気持ちの整理も覚悟もついて無かったが、まっすぐに向き合う必要はあると思った。

  千夜は、自分の事を話す事にした。

 

「私の本名は、眞砂(まなご) (いと)といいます。改めまして、初めまして。」

「弦さん。」「弦ちゃん。」「初めまして。」

 二人も改めて挨拶をした。

 少し、空気が和んだところで、弦は話し始めた。

「紡さんの言っていた通り、人の夢を私の思った通りにある程度なら進められるんです。人って言っても弟だけですが。」

「弟さん。」

「はい、そうです。私には双子の弟が居るんです。あの小説の中に出てくる主人公は、弟をモチーフにしたものなんです。」

  小説は、主人公が夢の中で出会った老人に導かれ、自分のあるべき道へと進んでいく物語だ。滝川クリステルは出てこない。主人公が、夢か現実か分からなくなっていた時に、例え話に使われていただけだった。

「小さい頃から、弟と夢を共有していました。起きたら夢の話しをしたりして。親は、双子だからそんな事もあるのかも。くらいに思っていた様です。私たちにとっては、それが日常でした。昼間遊んだ続きを夢で、なんて事が。」

「それくらいなら、双子ならあり得そうな気がするよ。でも、夢を操るなんてできるの?!」

 海斗は、小説を読んでない事もあって千夜…、いや、弦や紡の話しに置いていかれている状態だった。

「ですよね。信じられないと思います。両親や友達には、まだ小学生だった頃に話した事が何度もあるんですが。両親は、信じてくれませんでした。友達は、小さな頃は信じてくれていましたが、中学生くらいになると私も空気読んで、人と違ってる事は話さなくなりました。もちろん、弟は理解していますし、それと母方の祖母は分かってくれています。」

 二人は、黙って耳を傾けた。

「弟と一緒の部屋を共有していた頃は、そうやって同じ夢を見ていたんですが、そのうち別々の部屋になり、私が家を出てからは同じ夢を全く見なくなりました。それは、弟とも話してて。一緒に寝てないとどうやら同じ夢は見ない。って、結論になりました。そこで、小説のネタの為に、同じ夢を見てみよう。という事になって、私の部屋で一緒に寝てみたんですが。」

 弦は、そう言ってから一口水を飲んだ。

 紡と海斗も、水を飲んで一息ついた。

「あ、珈琲いれようか。ちょっと待ってて。」

  そう言って、海斗は席を離れた。

 

「珈琲……。ほんと、気が付かなくて悪い事したよ……。俺、家業継いでいいのかな。」

 紡は、再び気落ちした。

「まだ、何もお仕事始まってもいないんですよね。最初は、失敗だってあるだろうし、水野さんも悪気が無いこと分かっておられると思いますよ。体調が戻られたら、もう1回トライしてみてはどうですか。」

「ありがとう、慰めてくれて。でも、俺1人じゃ無理な事がハッキリ分かった。君が居てくれないと出来ない気がする。いや、出来ない。夢もそうだけど、俺はその人の立場に立って考える事が疎いんだと思い知った。そんなんで、人助けなんて出来るわけがない。」

 紡の意志は固いようだった。弦の意思は、確認しないのか。と弦は心の中で思ったのだが、どうやら顔に出ていたらしい。

「あ、ごめん。勝手に決めちゃって。弦さん、お仕事は忙しいですよね。」

「水野さんの様な方を見てしまっては、お手伝いしたい気持ちが無いわけではないんですが。連載もありますし、常時お手伝い出来る状況になくて…。今日も、2時からも打ち合わせがあるので、そろそろお暇しないといけないんです。」

「そうでしたか……。」

 一度落胆した紡だったが、すぐに気を取り直した。

「手伝う気持ちだけでも嬉しいです。でも気持ちだけという訳にはいかないので、何とかお時間の合間に来て頂けませんか。」

 たぶん、弦は断らないだろう。と、確信のようなものがあったのか、紡は強気に出た。

「待っています。」


 弦は、返事はしないまま、海斗のいれた珈琲を頂くと、カフェCoDoUをあとにした。

  閉まったドアの窓から薄ら見えた弦の姿が、しばらく振り返っているように見えた。



  水野摩耶は、数日で退院した。体調が落ち着いたお陰で、精神的にも少し安定していたが、不安が消えた訳ではなかった。この闇から逃れられる事が出来るのか。"遺伝師"に頼ることが、最後の望となっていた。

  奈良に戻る前にもう一度、紡に会いにいった。

  この前のドアを吹き飛ばす勢いではなく、カランカランと心地よいドアベルが鳴った。

  カフェCoDoUのドアを開けると、海斗が出迎えた。

「いらっしゃいませ。あ、この間の!顔色、良くなりましたね。」

  海斗の会心の笑顔を見て、ここに来た事がやっぱり正解なのだと摩耶は思った。

「兄貴呼んできます。」


  二階では、寝る時間を惜しんで"遺伝師"の勉強をしている紡がいた。

「兄貴、水野さん来たよ。」

「本当か!良かった。」

 ホッとしたと同時に身が引き締まる思いがした。

  今度は、摩耶を傷付けるような事は絶対にしないと胸の内で誓った。


「水野 摩耶さん、こんにちは。退院されたんですか。」

「はい、お陰様で。この間は、ご迷惑をおかけしました。」

「迷惑だなんて……。こちらの不手際で申し訳ありませんでした。」

 紡は、深々と頭を下げた。

「もう一度チャンスを頂けるのなら、お話をお聞かせ願いませんか。今回は、こちらの不手際もあり、無料でご相談に乗らさせて頂きます。」

「あ、いえそんな……。悪いです。」

「とにかく、お話しをお聞きします。」


 二階に上がり、摩耶は紡に話し始めた。



 




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