1−4 決着、Aクラス模擬戦演習
突如として起きた大規模な爆発と轟音。それは第六演習場に居るもの全員を唖然とさせるのに十分な威力を持っていた。
だが、それを起こした張本人のハイトはあれだけの大きな爆発をさせたにも関わらず、全くそれを誇る様子も見せずに、つまらなさそうな表情をして土煙が立ち上がっている爆心地の方を見つめていた。
「なんだ、今の……」
皆一同に声を失っている中、コルテスはやっと口を動かすことが出来た。出てきた言葉は勿論、ハイトが起こした爆発を目の当たりにした第一感想だ。
正直、学年三位で自らも高等魔術を扱うコルテスですらハイトの爆発の正体が掴みきれていなかった。
彼が何やら風系統の下位魔式を使って、その後に下位魔式、遍火でシェイナードの周りに九つの火の玉を発生させ攻撃したところまでは分かった。しかし、一体そこからどのようにして、あのオレンジ色の閃光を放つ強烈な爆発に繋がるのか理解出来なかった。
(あの時の遍火を囮にして、別に強力な火系統の上位魔式でも使ってのか?)
そう簡単に推測してみたが、直ぐにありえない事だと結論付けて首を横に降る。
上位魔式の術を発動させるなら最低限、詠唱による言霊契約は必要だ。
コルテス独自に編み出した氷結世界も分類するなら上位魔式に入り、それには大量のマナが必要となる。だからコルテスも多くのマナと効率よく契約出来る言霊契約を使っていたのだが、ハイトが使っていたのは言霊契約より遥かに効率が悪い陣契約による契約だ。それに彼がさっき描いたあの陣を見る限りでは精々、下位魔式三回分程度のマナとしか契約出来ない。
「……彼が使ったあれは、ただの下位魔式」
「なっ、冷血女、いつの間に……、っていうかあれが下位魔式だと?」
そうやってコルテスがハイトの起こした爆発について思考を探らしていると、いつ移動したのか、気付けばコルテスの隣に居たアルスが短い銀髪を揺らしながらハイトを指差してそう言った。
剣士でもあるコルテスに気配すら感じさせなかったアルスには彼女の実力をすれば驚くことはなかったが、普段から語りの少ない彼女が自分からこちらに話しかけてきたことにコルテスは少なからず驚いた。そして彼女が口にした言葉にも──
「おいおい、いくらなんでも下位魔式っていうのはねーだろ。あの規模の爆発なら、どう少なく見積もっても中位魔式だぜ?」
下位魔式とは杖士がマナを用いて使う魔術の中でも初歩的な魔術だ。もしその初歩的な魔術であの威力なら、天使種相手にわざわざ銃や剣で挑む者など居なくなっていただろう。勿論、下位魔式で実際にはあんな爆発は起きるはずがない。
コルテスはその事を踏まえてアルスに言葉を返したのだが、何故か彼女は、どうして理解できないの? と出来の悪い生徒を見るような眼をコルテスに向けていた。いや、別にいつもと変わらない無表情のように見もえるのだが、小さくため息を吐いている辺り、なんとなく人を小馬鹿にしたような感じもする。
「さっき彼が使った術は三つ。最初は空気の性質を変化させる風変、次に空気を停滞させる風停、最後に術の効果範囲が広い火系統の遍火」
アルスは指を三本差し出し、ハイトが使った術を順に挙げながら一つ説明を終える度に指を畳んで、コルテスに分かり易くハイトが使った術を説明する。最後に、これらの術の関連性で何か気付かない? と問われた。
しかしコルテスはアルスの説明を受けた後もイマイチ、ピンと来ない様子である。そんなコルテスにアルスは再び小さいため息を吐いた。しかも今度は若干眉をひそめている。
「あなたはもう少し学力の方を伸ばしたほうがいい。私と彼女のように『総合成績』じゃなくて『実技成績』三位のままではいつまでも経っても私たちには勝てない」
淡々と無感情で口から流れるそれは、コルテスの口元をヒクヒクと釣り動かした。本人も学力に関しては少し気にしているが、ここまでストレートに言われると流石に我慢ならない。
思わず剣帯に差した両刃剣の柄に手を掛けようとしているコルテスに気にせずにアルスは言葉を嗣ぐ。
「風変は下位魔式だけど、その効力は術者の実力によって猛毒ガスへの変換からちょっとした温度の変化まで様々。彼はその風変で彼女の周りの空気を可燃性ガスに変換した。そしてすかさず変換した空気を風停で固定、変換した空気の外へ彼女が逃げる前に、彼は高範囲で当てやすい火系統の遍火を使って変換した空気に引火させてさっきの巨大な爆発を引き起こした」
アルスは簡単にそう説明したが、ハイトがやった事は簡単ではない。
まず、この爆発の鍵となる風変で可燃性ガスに変換する時点で難易度が高い。コルテスの氷結世界も風変を起点とした気温変化だが、温度を上げたり下げたりするのと空気の性質を変換するのでは分野が少し異なる。──その為、同じ風変でも気温変化を得意とするコルテスではハイトの真似は出来ない。
そして次に風停で空気を留める。この魔術自体は簡単だが、変換した空気の息苦しさでシェイナードに感づかれる可能性がある。事実、彼女はその息苦しさと展開された遍火の火の玉を見てハイトの目論見に気付き、直ぐにその場から逃げ出そうとした。だが、ハイトはシェイナードが逃げ出す前に空気を引火させ爆発を引き起こした。
そして何より、この爆発を引き起こした一番の決め手は、学年二位に銃を向けられていたあの状況で咄嗟にメイスを破棄、投擲し、シェイナードに隙を作らせてこれら一連の動作をミスなく的確に行ったハイトの状況判断力と行動力だ。
「ははっ、あのヤロー何が"劣等生"だ。謙虚過ぎるのにも程があるだろ」
アルスの言葉の意味を理解して今更になってコルテスはハイトの実力に舌を巻いた。そして思った。
──自分がハイトと対峙した時、奴はどのような奇抜な戦術を駆使して向かってくるのだろうか?
しかし、コルテスの感想とは別にアルスが下したハイトに対する評価は少し違った。
「……確かに、彼の術を使ったタイミングは絶妙、複数の下位魔式を使って上位クラスの威力を引き出す考え方も画期的。でも、──」
アルスはそこで言葉を一旦切って少し煙が晴れてきた爆心地の方を指差す。コルテスは首を傾げてそっちの方を見て目を剥いた。
「──今回は相手が悪い。彼の、負け」
徐々に晴れて見えてくる爆心地、立ち込める風を掻き分けるように薄金の髪を揺らしながら彼女はそこに居た。信じられない事にあの爆発の爆心地に居たにも関わらず、彼女の体には傷らしい傷が一切付いていない。せいぜい着ていた赤い制服が土煙に汚れている程度だ。
「………………」
言葉はない、だがその瞳に確かに宿す色は怒り。シェイナードの緑色の瞳はハイトを捉えながら決して揺るがない。まるで親の敵でも見るかの眼だ、と対峙するハイトはそう感じ取り同時に疑問を持った。
──なんでそんなに怒ってるの?
見ていたコルテスを始めとするクラスの男子やごく一部の女子もハイトと同じ事を思った。
自らを劣等生と名乗るハイトに一矢報いられた事に対して、貴族としての高いプライドに傷が付いたのだろうか? コルテスは彼女の目に見える怒りのオーラにそう思った。
──だが違う。あれはそんな類いの怒りの眼ではない。何が何でも、全身全霊を持って、例え命を賭してでも倒さなければならない"敵"に向ける眼だ。
「………彼は、私たちを敵に回す発言をした。その罪は重い、従って彼は裁かれる。許すまじハイト=アーケクト」
ぼそりと聞こえた淡々とした声調の言葉。しかしながらそこには普段の無感情と違い明らかに強い感情が込められていた。
コルテスはぎょっとしながら隣を見る。すると、そこにはシェイナードと同じような眼でハイトを睨んでいるアルスが居た。
──いや、アルスだけではない。周囲を眺めるとアルス以外にもハイトに怒りの視線を向けているある一部のを除いた女子生徒たちがいた。
恐い。コルテスはハイトを睨む彼女たちに純粋な恐怖を感じた。しかし何故、彼女たちはこれほどまでに憤怒しているのだろう。
そう考えた時、コルテスの脳裏にハイトがシェイナードにメイスを投擲する際に発言した言葉と、怒ってる女子たちの共通点に閃いた。
ハイトはシェイナードに何と言った?
『胸に恵まれなかった哀れな貧乳(以下略』
そして怒り狂う女子たちの共通点は?
「………ナルホドな。それゃ、胸のないぺちゃぱい共からすればハイトの発言はまず──ぶべらっ!!?」
哀れなりコルテス。要らない事に思考が働き、自ら墓穴を掘ったコルテスは最後まで言葉を言うことなく、アルス他、"共通点"を持った女子たちに制裁を下された。そしてもう一方の、彼女たちにとって根元となる"悪"にも制裁が下されようとしていた。
「私はこれでも慈悲深いことを自負しているわ。だから一応、聞いておいてあげる」
どこが慈悲深いんだこの冷徹貧乳女、というツッコミを入れたかったが、流石のハイトも今は自重。二丁の銃を突き付けられた状況でそれを口にすれば、本当に体の穴が大量に増えかねない。
そんな事をハイトが思っているとは知らずシェイナードは笑う。思えばこの時、初めて彼女の笑みを見たような気がした。
──尤も笑みは笑みでも冷笑だが。
「最後に何か言い残す言葉はある?」
たった今、死刑判決は下された。もはや反撃する手のないハイトは後退りながら口元が引き釣っている。
ちらりと観戦する生徒たちの方に目をやる。そこには自分が迎えるであろう結末を身を持って表現してくれたコルテスの無残な姿がある。次は自分の番だ、そう考えただけで体がガクガクと震える。
当初、予定していた時間切れは望めない。体感時間ではまだそれほど時間は経っていない。
普通は明らかに勝負が決まったこの時点で審判である担任からの止めが入る筈だが、どうやら担任はハイトを過大評価してしまったらしく、『あの爆発の魔術を使ったアーケクトならこの劣勢の状況でもひっくり返すだろう』的な目で試合を見守っている。
ハイトからすれば迷惑なことこの上ない話だ。既にこれは模擬戦などという可愛らしいものではなく、単なる公開私刑だ。
ハイトに残された道はシェイナードが言う通り最後に言葉を残すのみ。
──なら、あの女の言う通り最後に一言残してやろうではないか。
頬を伝う冷や汗を服の袖で拭い、眼前で銃を向けるシェイナードにハイトは不敵に、ニヒルに、屈する事なく口元を歪め、挑発するようにちょんちょん、と自分の胸を指で差した。
「残念だったな、その貧相な胸の方も裕福なら完璧な貴族サマなのにさ」
ブチリ、とシェイナードの額からそのような音が聞こえたような気がした。そして同時にその時、彼女の手に持つ二丁の『フェンリル』が薄く輝いている事にハイトは気付き、降伏ではなく挑発を選んだ数瞬前の自分を恨んだ。しかし、後悔するには既に遅過ぎる。
一閃。
薄く輝いていた『フェンリル』から放たれた極太の青い光の一筋がハイトを飲み込み、彼の体と意識を吹き飛ばしていた。
†
目が覚めて真っ先に感じたのは体を覆いよな筋肉痛のような痛みだった。
「体が、ダルい……」
なんでこんなに気怠いのか、ハイトは一瞬思ったが直ぐにその原因を思い出した。
「……ったく、格下相手に手加減も出来ないのかよ、あの女」
そうぼやきながら横になっていた体を起こし、ハイトは周りを見渡した。
壁沿いにある綺麗に瓶が並べられた薬品棚や使っていない隣のベッド、清潔感のある白い壁、消毒液の独特の匂いに今更ながらここが学園の保健室で自分がそこのベッドで寝かされている事に気付いた。 特殊兵の育成機関であるイブリース学園では訓練などで怪我人は毎日当たり前のように出る。その為、無駄に広い学園の敷地内には医療施設が何軒も設けられ、中には校舎とは別に重傷者も受け入れられるような設備が整った学生医療棟もあるのだが、今回ハイトが世話になったのはそんな大袈裟な場所ではなく、軽傷者などを扱う校舎内の保健室だ。
ハイトは最初、隣のベッドが空いているのに疑問を持った。何せ、この季節は力の加減を知らない一年達が入ったばかりで怪我人が多い。なので大抵ベッドは埋まる筈なのだが、──と、そこでハイトは壁に掛かっていた時計で現在の時間を知って納得した。
「もうこんなに時間か、流石にみんな寮に戻ってるかな」
時計が示していた時間は既に寮の門限時刻を大幅に過ぎていた。全寮制である学園はその門限にとにかくうるさい。門限時刻以内に寮に入らなかった場合は色々とペナルティが下される為、門限時刻を過ぎると生徒たちが大抵寮に帰り、学園内は静まり返る。
(うわぁ、面倒臭いなぁ。一応、保健室で気ぃ失ってたって報告すればペナルティはないだろうけど、報告するのに紙に色々と書かないといけないし)
これも全てあの貧乳女の所為だ、とため息を吐きながらハイトは半分起き上がっていた体を再び寝かした。
…………………、
「………弱いな、俺」
白い天井を見つめ、今日の模擬戦を振り返り、今の自分の有り様を思って言葉が自然と零れる。
今日の模擬戦。魔術を用いて自らシェイナードに攻撃を仕掛けた時点でハイトは自分の敗北を確信していた。彼にとっての勝利条件はあくまでも最初に企てた時間切れを狙った引き分けだ。どれだけ策を錬っても引き分け以外の結末で彼に勝利はなかったからだ。
(最初は銃が相手だから楽だと思ったんだが……まさか、その銃が『フェンリル』とはね。相性が悪いにもほどがある)
本来、銃士と杖士で戦えば杖士の方が有利だ。
互いに中、遠距離が攻撃範囲となる銃と魔術だが、威力、範囲、速度が常に一定である銃と違い、魔術はそのどれもが術によって異なり、攻撃が見切りにくいというアドバンテージがある。だが、『フェンリル』にその魔術のアドバンテージは通用しない。
『フェンリル』はマガジンに搭載された収聖石によって周囲のマナを集め、弾丸として打ち出す。その際、集められたマナは銃の所持者と半契約状態になり、マナの弾丸に魔術ほどではないが、弾の速度に緩急をつけたり、威力を強化したりなどの効果を与える事が出来る。最後にシェイナードが放ったあの青い光の一閃は、一発の弾に限界までマナを圧縮して放つ『溜め』(チャージ)によるものだ。
(それにしたって、無傷っていうはちょっとショックだな。やっぱ、下位魔式の組み合せ程度で起こした爆発じゃ、収聖石に全部吸収されるか)
ハイトが起こした下位魔式の組合せによる爆発。威力で言えば上位魔式には劣るものの、対人戦で使えば間違いなくお釣りが返ってくる。いくら演習場に威力軽減の結界が張ってあるとは言えど、普通ならあれの爆心地に居て無傷でいられる筈がない。
しかし、シェイナードは全くの無傷だった。それは彼女の持つ両手の『フェンリル』がマナを含んだ爆発の衝撃を殆ど吸収したからだ。お陰でその吸収したマナ全部を込めた規格外の溜め(チャージ)がハイトに返ってきた。
もしも上位魔式であれば収聖石の吸収容量を越えれたかもしれないが、下位魔式程度なら十分に吸収しきれる。それにハイトには上位魔式を扱う技術がない。
(まぁいいか。偶然とは言え、下位魔式の組合せは成功した。これで少しは実技のアピールは出来ただろう)
偶然、と言ったがそれは事実だ。実際ハイトには爆発を起こす為に必要な風停と遍火は出来ても、鍵となる空気を可燃性ガスに変換させる風変は出来ない。そもそもハイトが使える魔術は下位魔式の火系統と風系統のみだ。
ならば何故ハイトは高難易度の風変による可燃性ガスの変換が出来たのか。それは彼が戦う前に行われたアルスとコルテスの模擬戦のお陰だ。
マナは一度契約して人の意識下に置かれれば、マナと契約した術者がいなくても契約した量のマナは仮契約状態となって空気中にしばらくの間、停滞し続ける。この仮契約状態とは、マナが自然界にありながら不安定に人とリンクした状態の事だ。そして仮契約状態のマナが近くに存在する時に、その場で新たにマナと契約を結ぶと、仮契約状態のマナがそれに反応し、本来の契約するマナの量にその仮契約分が加算される。
今回の場合、コルテスが使った強力な広範囲結界のお陰で演習場には大量の仮契約マナが空気中に存在していた。
ハイトはそれら大量の仮契約マナを陣契約した際に意識下に置き、一時的に得た高出力のマナを風変に注ぎ込んで無理やり可燃性ガスを発生させたのだ。
(でも、あの距離でやったのは愚策かな。爆発自体の巻き添えにはならなかったけど、あの時は衝撃で身動きが取れなかった)
「……だから俺はいつまでも経っても──なんだ」
今日の模擬戦の事を振り返えるのはもう止め。最後に唇を僅かに動かして何かを呟いた後、ハイトは再びベッドの薄い毛布に体をくるんだ。
(なんか疲れたな……いっそのこと、今日はここで寝るか?)
今更、寮に戻ったところで時間が時間だ。今から校舎から少し歩いた男子寮に戻って、わざわざ報告書を書いて提出する気にはなれない。
どうやら保健室の担当医は今はいないようだし、制服の洗濯やシャワーを浴びる事はできないが、一日くらいなら特に問題ない。食事の方も起きたばかりでそんなに空腹感はない。
そうと決まれば腹が減る前にさっさと二度寝してしまおう、ハイトは再び薄い毛布を被ろうとして──
「寝すぎ」
「……へっ?」
その言葉と共に被ろうてしていた薄い毛布を何者かにいきなり剥ぎ取られ、ハイトは思わず情けない声を上げた。
驚きながらハイトは毛布を剥ぎ取られた方向を見ると、そこにはハイトの予想外の人物が若干不機嫌そうに眉を眉間に寄せながら立っていた。
「えっと、確かアルス=アンスター、だっけ?」
「……………」
実技訓練の時にコルテスの話しから聞いた目の前の少女の名前を頭から引き出して尋ねる。すると少女は言葉で答えず、首を縦に振り銀色の短髪を揺らして肯定を示した。
毛布を取られるまで気配が一切感じなかった少女の淡褐色の瞳は見ているだけでこちらが呑み込まれそうになり、
(不思議な娘だな)
と、そんな風な感想を抱いてしまう。
しかし何故学年トップのアルスが寮の門限時刻を過ぎたこんな時間に保健室に居るのだろうか?
昼間に悪意のないタブーを口にしてアルスにデストロイされかけたハイトは、この小柄で無機質なイメージを放つ少女に若干の警戒心を抱きながら彼女に真意を探るように視線を向けた。
アルスはそんなハイトの思考を知ってか知らずか、彼の疑念に答えようなタイミングで彼女はその一文字に閉じた口を開いた。
「あなたが模擬戦で倒れた後、私があなたを此処に運んだ」
「君が? どうして」
「私、保健委員」
「あっ、そうなんだ」
「そう」
なんだか拍子抜けなアルスの言葉にとりあえずハイトは、ありがとな、と彼女に運んでくれた事に対しての礼をした。一気に毒が抜けようでハイトはアルスに対しの警戒心を解いた。
「あと、ついでだからあなたが気絶してからの他の模擬戦の事も報告しておく」
そう言って、アルスはハイトに模擬戦の結果の他にも、各科目の授業の内容やクラスの連絡事項まで、こと細かく報告してくれた。
何もそこまでする必要はないのではないかと思ったハイトなのだが、彼女が言うにはこれも保健員の仕事の一つらしい。納得しながらハイトはアルスの報告を相槌を打ちながら一つ一つ聞いていった。
会話の中で相槌を打つハイトの口調は模擬戦の時のシェイナードに向けたような棘のあるものではない。基本的に明らかに自分を敵視する人物に対しては容赦なく挑発や逆撫でるような言葉を好んで使うが、そうでない人物に対しては彼は普通に礼儀正しく接する。
今回は特別口調が優しくなっているが、それは彼自身が子供の相手をするのが好きな所為だろう。なんせ相手は見た目が自分より三つほど年下に見えるアルスだ。
「……でもさ、なんでこんな時間なのにまだ居るの?」
一通りの報告が終えた後、何気なく感じていた疑問をハイトが尋ねると、アルスは何故か黙り込んで、僅かばかり間を置いた。
「…………、ベッドにあなたを寝かした後、なんだか私も眠くなったからそこの隣のベッドで仮眠を取ることにした。だけど、少し寝過ぎた。起きたのはついさっき」
「寝過ぎたって、……俺が言えた立場じゃないけど随分と長い仮眠なんだな」
「………………、」 ハイトが言葉を返すと目を逸らされてしまった。無表情に見えるが少しだけ恥ずかしがっているように見えるのはただの思い込みなのだろうか。
(それにしても、流石は学年トップだな。眠たくなったから授業サボって仮眠とは……)
そう思った時に、ハイトは、ふと自分も保健室で寝ていて今日の授業を受けていない事に気付き、頭を抱えた。
新学年になってからの最初の授業はかなり重要だ。スタートダッシュの時点で躓いてしまっては、ますます自分の進級の危機感が増してくる。ただでさえハイトはAクラスの授業に付いていけるかどうか心配でならないのだ。
「コルテスの奴に勉強教えて貰おうかな……」
だから、そんな事を無意識に呟いていた。すると、隣でそれを耳にしたアルスが小さく首を横に振って、止めたほうがいい、とハイトの呟きに答えを返してきた。
「彼は実技は優れているけど、学力はあまりよくない」
「そうなの?」
「彼は実技だけでAクラスに居る特例。その分、学力は学年でもかなり下」
学年トップの基準で言う下、とはどの程度を差すか分からないが、どうやら頼みの綱であったコルテスに勉強を教えて貰うというのは無理らしい。
そうなると困ったものである。ハイトは去年のクラスでも友人は居るが、彼らにAクラスが行う授業内容を教えて貰うことは出来ないだろう。だから教えて貰うならAクラスのメンバーがいいのだが、まともに会話を交わした相手はコルテスしかいない。一応、ペアであるあの貧乳女も居るがあれは論外だ。
しかし頭を悩ませるハイトにその時、思わぬ救いの手が現れた。
「勉強、分からないのなら私が教えてあげようか?」
「へっ?」
突然出された予想外の助け舟に驚きな声を上げるハイト。
なんせ、あの学年トップから直々に勉強を教えて貰うという思いも寄らないチャンスが目の前に舞い降りたのだ。
「でも、なんで? 俺と君は話したのも今日が初めてだよな。それに、なんか模擬戦の時はあの女と同じような目つきで俺のこと睨んでたし……、」
「あの時はあなたが悪い。それに、誰もただで教えるとは言ってない」
模擬戦の時の視線はどうやら自分の発言に問題があったようだ、とハイトは自分に非がある事に全く気付く様子もない。そんな彼に少しため息をしたアルスはそのまま言葉を続ける。
「条件がある」
条件? と不思議がるハイトに構う様子もなくアルスは指を二本立てた。
「条件は二つ。一つはあなたに頼みたい事。もう一つはあなたが私のする質問に答えること」
まずは一つ目のあなたに頼みたい事から──
アルスはそう言って、ハイトが使っているベッドとは別に、隣の空いてあるベッドにその小さな腰を降ろす。ハイトを見つめる瞳は真剣そのもので、ただならぬ雰囲気を感じ取ったハイトは思わず固唾を飲む。
「……あなたに彼女の、シェイナのお友達になってほしい」
……………………はい?
「お友達になってほしい」
「いや、二度も言わなくてもいいけどさ、………シェイナってあの貧にゅ…、ツェルペルドルフの事だよな?」
ついうっかり、いつもの調子で貧乳女と言いかけ、その瞬間アルスに物凄い剣幕で睨まれ直ぐに訂正するハイト。流石についうっかりで学年トップに粛清されたくはない。そんなハイトを横目に、アルスは頷いて会話を進める。
「シェイナは、学園に入って初めて出来た私の唯一のお友達。それは彼女も同じ。私はそれでいい。けど、彼女は違う」
何だかイマイチ話しが見えてこない。ハイトは首を傾げながらアルスの言葉をただ黙って聞く。
「シェイナも、私しか友達がいない。彼女はそれでいいって言ってたけど、ホントは違う。彼女も、クラスのみんなと馴染みたいと思っている。けど、彼女の性格上それは難しい」
まぁ確かにあれは気軽に話しかけられない雰囲気を纏ってたみたいだしな、とハイトは昨日のシェイナードを思い出しながら納得して頷く。
しかし、あのプライド高いツェルペルドルフがクラスに馴染みたいと思っているとは意外だ。彼女も貴族とは言え、本質的には自分たちと何も変わらない、ただの学生ということなのだろうか。
「だからあなたにシェイナとお友達になってほしい。クラスの他の人では彼女の事を敬遠してしまう。もし、あなたがお友達になってくれたら、彼女もそこからクラスに馴染んで行けるかもしれない」
だからお願い。最後にそう言い、こちらの出方を伺うよにアルスは口を一文字に閉じてただ見つめてくる。だが、ハイトの方は簡単に二つ返事で言葉を返す事が出来なかった。
正直言って自分はあの女が嫌いだ。
それは別に容姿的な事や性格面で嫌っている訳ではない。むしろ容姿は胸を除けば完璧だし、最初は貧乳には全く反応しない自分も少し見とれてしまった。性格の方もプライドが高すぎる所為か高飛車だが、逆に言えばそれはどんな相手にでも決して屈しない強い精神を持っているということだ。そういった人間をハイトには嫌う理由がない。
なら何故、彼女が嫌いなのか? 答えは単純だ。
(貴族サマと"お友達"、ね……)
ハイトがシェイナードを嫌う理由はただその一点のみだ。だが彼にとってはその一点のみで、その人間を嫌いになる理由としては十分な条件だ。
貴族、とは主に魔国の王家に代々仕える由緒正しい騎士家系の事だ。
騎士道と主への絶対服従を誓う彼らは国の為に戦う国軍とは違い、王の為に戦う。つまりは王族のみに直属の特殊な軍人だ。
ハイトはそんな彼らの掲げる国ではなく王個人に戦う、という考えが気に食わない、──いや、それ以前に魔国ハサヴィスの在り方そのものが彼は気に食わないのだ。
「…………やっぱり、あなたでもダメ?」
どうしたものか、と頭を悩ませて黙り込むハイトに、アルスはほんの少し悲しそうな眼(ハイト視点)で見つめてきた。
(うっ……)
その眼にハイトの良心がチクリと痛んだ。
基本的に女性の好みのタイプは母性溢れる優しそうなお姉さんなのだが、アルスのような年下の(実際には同い年だが)女の子のこういった眼は、子供の世話好きなハイトからすれば保護欲が駆り立てられてどうしても何とかしたいと思ってしまう。
やがて沈黙時間の経過と共に徐々に曇っていくアルスの瞳にとうとう折れたのか、渋々といった様子でハイトは大きなため息を一つ吐き出した。
「……まずはお友達第一号である君からツェルペルドルフと交友関係になれる秘伝をご教示願いたいね。なんせ向こうは随分と俺を敵視してるみたいだからさ」
それを聞いてアルスは目を見開いた。その顔は無表情ではなく、僅かに感情が募った喜色を露わにしている。ハイトはそれを微笑ましく思いながら、ほんの少し頬を緩めた。
(ホント、甘い奴だね、俺は……。それにしてもコルテスの野郎、これの何処が冷血だ。普通に友達思いのいい子じゃないか)
アルスの反応に満足しながらハイトはあの色男が下したこの少女の評価に心内、異議を唱える。ついでにこの少女にもう一つ注文を加えておいた。
「俺からも君に頼みたい事あるけどいいかな?」
「…………?」
内心、俺のキャラじゃないな、と思いながら首を傾げるアルスにハイトは包帯の巻かれた右手をスッと差し出した。
「俺とも"お友達"になってくれないか? そっちの方がツェルペルドルフとも関わり易いだろうしさ」
するとアルスは差し出された右手をジッと見つめながら、しばらくの間硬直した。どうやら彼女にとってこのハイトの提案は予想外だったようだ。
硬直の後、二、三回まぶたをぱちくりさせてアルスはやっと口を開いた。
「……いいの?」
「嫌なのか?」
「違う。あなたは本当に私なんかと──」
「君がいいんだよ。それに、"お友達"は多いに越したことはないだろ?」
苦笑を浮かべながらそう話すハイト。
アルスはそれを聞いて少しだけ恥ずかしそうに俯きながら小さな声で『ありがとう』と呟き、差し出された手を優しく取った。
ちなみにこの後、保健室で今夜を過ごそうとしていたハイトに、寮に戻ろうにも戻れない時間であった事を思い出したアルスが、『私も一緒にここで寝る』と言い出し、それを違う意味で捉えてしまったハイトは顔を赤らめてあたふたしていた。やはり好みのタイプでなくても反応してしまうのが男の性。
ハイトも所詮はただの健全な男の子だったようだ。