第一章 編入、成績優良者特別学級
春。新芽たちが野に出て新たな命が咲き、太陽が照らす陽光が程良い気温を保ち、心地良い風が吹くこの季節。ここイブリース学園にもその春のような新鮮な雰囲気が漂っていた。
武国、魔国、賢国の三つの国の技術が併合して建設されたイブリース学園は、人々を襲う天使種に対抗する戦力として『対天士』を育成する対天使種用特殊戦闘兵育成機関である。
ここに入学した生徒たちは三年間で対天使種を想定した戦闘訓練はもちろんのこと、学生としての基礎的な教養も行い、その精神を成熟させて、卒業時には一人前の『対天士』として世の送り出される。
──と、そんな風に堅苦しく言っても、彼等も所詮は学生である。
新たな季節を迎え、これから始まる学生生活に不安と期待を募らせる新入生や、クラス編成でこれから二年間を共に過ごす新しいクラスメートに馴染もうとする二年生、学生最後の年を迎える事となる三年生は何処となく淋しさを感じる表情を浮かべる者もいる。
いくら彼等が天使種と戦える才能を持つ者でも、基本的には他の学校の学生たちと何ら変わりはしない。
そして、そのイブリース学園の生徒の一人。学園の敷地内の中央に位置する広場の掲示板に張り出されている紙を前に口を顎が外れそうなくらい大きく開いて呆然と立ち尽くしている人物がいた。
「なぜだ……、」
前髪が目に掛かるか掛からないかくらいの長さに切られた浅葱色の髪に、黒っぽい紫の瞳。
青を基準にしたイブリース学園の制服を若干だらしなく着て、腰には二年生を示す紺色の剣帯がある。帯には剣の変わりに片手で振り回せる程の小振りのメノスを差し、反対側には銃を入れるホルダーが付いてある。──が、そこにはあるべき筈の銃が入っていないようだ。
「なぜだ……、」
その学生、ハイト=アーケクトは目の前の現実を確かめるようにもう一度呟いた。
ハイトの前に立つ掲示板には新二年生のクラス編成の結果が示された紙がある。彼はその紙の『成績優良者特別学級』のメンバー欄の最後に載ってある名前に体を硬直させていた。
「こんなのありえない、ありえないよ、センセェ! なんでギリギリの成績で進級した俺がAクラスなんすか!?」
ハイトは掲示板の近くで混雑している生徒たちを先導していた一年の時に散々世話になった元担任の教師を見つけて肩を揺さぶりながら問いただした。
「それはこっちが訊きたいよ。アーケクト君の去年の成績を見る限り、今年も私のクラスかと思っていたからね。まぁ、ウチのクラス編成は全部校長が決めることだからね、何か考えがあっての事だろう」
元担任は淡々とそう述べながら肩に乗っかっていたハイトの手をどけて一つため息を零す。
「私としては残念だよ、今年も君の為にたっぷりと課題を用意してたからね……、ともあれ、『あの』Aクラスに入れたんだから君も素直にこれを受け入れるべきだよ。喜びたまえ、君の将来はこれで安泰したも同然だ」
では、せいぜい頑張りたまえ、と言って手をぶらぶらさして元担任は群がる生徒たちの中へと消えていった。
そこで残されたハイトはやはり呆然としたまま固まってしまっている。どうやら元担任の言葉で自分がAクラスに入ったという幻想にリアリティが加わってしまったようだ。
「マジかよ……」
硬直状態から抜けて開口一番にその言葉がハイトの口から力無く出た。
†
成績優良者特別学級。それがAクラスの正式名称である。
イブリース学園では各学年にAからGまでの七つのクラスがあり、その内のBからGは生徒たちの各戦闘方法によって分けられる。
例えばB、Cクラスは対天使種戦に置いて最前線で戦う剣士を養成するクラス。そしてD、Eクラスは防衛戦や中距離攻撃を得意とする杖士。隠密能力と遠距離からの狙撃でサポートをする銃士のF、Gクラス──となるのだが、Aクラスだけは違う。
Aクラスの生徒は基本的に二つのカテゴリで分けられる。一つは銃剣杖全てを扱う事が出来る万能型。もう一つは卓越した才能で一つのものに長けた特化型である。
万能型は文字通りオールマイティーで、どんな状況下においてもその実力を遺憾なく発揮できる為、世で多大な活躍をする対天士たちは皆、このような多才な人間が多い。
一方、特化型はどんな状況下でも己が最も得意とする武器一つで生き抜くことの出来る超越者の事だ。
これだけだと一見、万能型の方が優秀に見えるが一概にそうとは言えない。
イブリース学園を建設した三国の一つである武国ワコクでは、数千もの天使種を相手にたった一人で、しかも剣一本で傷一つ負うことなく勝利を収めた英雄もいる。それだけ特化した能力の者もいるのだ。
だが、そんな化け物エリートの集うAクラスの教室前で未だに扉に手を掛けることも出来ずに頭を抱えているハイト=アーケクトの去年の成績を見る限り、万能型とも、ましてや特化型とも思えない程の実力だ。
なぜ、俺がこんな超エリートクラスに? という掲示板でAクラスに編入の事を知ってから頭に浮かんだままの疑問は消えることなく、益々膨張の一途を辿っている。
するとその時、突然後ろから声を掛けられた。
「ねぇ、そこの不格好なアナタ、さっきから邪魔なんだけど」
その声に思考を一旦中断させて、そちらの方に首を向ける。
そこにはイブリース学園が指定している赤い女制服をきちんと着こなした、薄い金色の髪を腰の辺りまで伸ばしたスレンダーな体付きをした少女の緑眼が不機嫌そうに睨んでいた。
「はぁ?」
初対面の少女にいきなり不格好などと言われてハイトは戸惑いと驚きが混じったような返事をした。
「聞こえなかったかしら? 邪魔だって言ったの。いいからそこを退きなさい」
「あ、あぁ、そうっすね……」
少女の余りに傲慢な態度に激怒どころか、呆れを覚えたハイトは思わず敬語地味た言葉使いで扉の前から体を退いた。
「全くここを何処だと思ってるの? アナタのような生徒が来る場所じゃないわ。早く自分の教室に戻りなさい」
淡々と、流れるように出てくる相手を威圧する言葉をハイトに残して少女はAクラスの教室に入って行った。
そんなハイトは少しの間、ぼーっと去っていく少女の背中を眺め、彼女の腰にある剣帯に吊された二丁の拳銃が入れたれど二つのホルダーが歩く度に揺れる様を見ながら一言。
「胸、あんましなかったな……」
†
少女が去った後もやはり、教室に入ることに抵抗感があったが、予鈴のチャイムが鳴り、そこで教師が来る前に入らないとマズイと考えたハイトはようやく決心して教室の扉に手を掛けた。
失礼しまーす、と心の中で一言入れながら化け物共が巣くう魔堀へと恐る恐る足を踏み入れる。
その瞬間、教室にいた化け物たちの眼が一斉にハイトに向けられた。
(ひぃっ!?)
その鷹のような(ハイト視点)視線に心臓が口から飛び出そうになったハイトは思わず声が出そうになった。咄嗟に口を手で抑えて何とか声は出なかったが、足が無意識に後ろへ後退していた。
(お、恐るべき、魔堀の化け物共……、こいつらの睨みつけだけで天使種も殺せるんじゃねぇか?)
ハイトに向けられていた視線は一瞬の事で、既にみんな友達との談笑を再開している。
Aクラスの生徒たちはただ単に新しく入ってきたクラスメイトの顔を見ようしただけなのだが、ハイトにはそれが獲物を狩る鷹の瞳以外に思えなかった。
「はぁ、なんか疲れるなぁホント……」
若干、勘違いをしながらもハイトはため息を零して、黒板に書かれていた座席を目指す。
座席の位置は窓側の列の一番後ろ。なかなかいい席だな、と感想を述べながらこれから一年間お世話になる机に鞄を置いて椅子に腰を下ろす。
(まったく、今日は始業式だけで終わる、楽な日の筈なのになんでこんなに疲れるんだ……)
今日の愚痴を胸の内で零しながらハイトは鞄を枕にして、いつもの居眠りスタイルをする。
ついさっき、予鈴が鳴っていたのでもうすぐ教師が来るだろうが、特に話す相手もいないので仮眠を取ることにしたのだ。
(まっ、時間が経てばこのクラスも馴れるよな……)
そう思って瞼を閉じようとした瞬間。
「ちょっと、なんでアナタがこのクラスに居るのよ!」
なんだか聞き覚えのある声が聞こえたような気がした。しかもついさっき。
しかし、ハイトは顔は枕替わりの鞄に埋もれているのでその人物を確認する事が出来ない。無論、確認するつもりもない。
「聞いているの!?」
随分と大きな声で怒鳴るものだ。こんな大声で朝から怒鳴られるとは、なんとも可哀想な……、とハイトは夢の世界へ渡ろうとしながら、怒鳴られている人物に同情する。
「おーい、同情も何も多分あんたのことだぜ、あれ」
いかん、どうやら口に出していたようだ。 そう思いつつ、聞き覚えのない声でトントンと肩を軽く叩かれたことに若干不機嫌になった。
夢へと境界線を渡った直後に起こされたのだ。ハイトは自分を起こしたその人物を睨んだ。
そいつは見覚えのない男子生徒だった。どうやら自分の前の席の人物のようだった。
椅子の背もたれに跨って座るその男子生徒は何故か苦笑いを浮かべてある方向を指差ししている。 ハイトは怪訝に思いながらその先を視線で追うとそこには先程の傲慢少女が腰に手を当てながらこちらを睨んでいた。
「………えっと、なんすか?」
寝ぼけてる所為か、また敬語地味た言葉で少女に問いかけた。
「アンタ、なんでAクラスにいるわけ?」
いかにも眠そうな顔をするハイトに少女の口元が引きつっていた。しかも呼び方もアナタからアンタへとシフトダウンしている。
「なんでって、こっちが訊きたい。なんで俺、Aクラスなわけ?」
「知らないわよ!」
ハイトは少女を鬱陶しく思いつつそう答えると、また怒鳴られた。
「……よく怒鳴る女だな、そんなに怒鳴って喉痛くならないの?」
「うるさい。それに私の名前は『女』じゃない、シェイナード=フォン=ツェルペルドルフよ!」
少女が大きな声でそう名乗った瞬間、教室いた全員が会話を止めて少女の方を見た。(なるほど、貴族様か、それならこの傲慢な態度も貴族様が故に、か……)
基本的に貴族の家名はミドルネームが付いている。名前からしてシェイナードの家は賢国か魔国の貴族なのだろうとハイトは予測した。
「っで、貴族育ちのシェイナサマは俺の何が不満なわけ?」
「全部よ、ここは私たちエリートが集うクラスなの。アンタみたいな実力がない奴が入ってきていい場所じゃないのよ、あと気安く呼ばないで」
自分で名乗って気安く呼ぶなって矛盾してね? と思ったりしたが面倒臭そうだったので口には出さなかった。
そんな事よりもハイトはシェイナードの言葉に一つ疑問に思った。
(なんで俺が実力がないって知ってるんだ?)
だが、直ぐにその答えは思い浮かんだ。
まず、Aクラスに新たに生徒が増えること自体がおかしいのだ。基本的にAクラスの生徒は入学テストの実技でそのメンバーが決められ、後は減ることはあっても増えることは決してないまま卒業を迎える。
Aクラスにとって他のクラスの生徒は劣等生みたいなもので、クラス編入でAクラスの人数が増えるという事は、その劣等生がAクラスに入るという事だ。
(まっ、俺が劣等生なのは事実だけどな)
まだ何か言っているシェイナードの言葉に嫌気がさし軽く受け流しているとクラスの担任と思わしき人物が入ってきて生徒たちはそれぞれ席に戻っていく。
シェイナードも同じく最後にハイトに対して
「私はアンタがAクラスだなんて認めないから」
と言葉を残して席へと戻って行った。
ハイトはそんな彼女に本日何度目かなるため息を吐いて、窓から見える景色を眺める。新しい担任が何やら自己紹介や始業式の説明をしているが律儀に聞くつもりもない。
そんな彼はチラリと窓の景色から視線を外して、シェイナードが居る教卓の前の座席を見る。
「……やっぱ、胸ねぇな」
窓の隙間から入ってくる春の暖かい風に流されてハイトの言葉は誰にも聞かれぬまま消えていった。