prologue
感想、訂正などあればよろしくお願いします。
全身に嫌な汗が滝のように流れるのを感じながら、シェイナードは幼いながらもこれから訪れるであろう自身の死を確信していた。
「なんでこんな所に……」
彼女の近くには、先程まで彼女たちの家族が乗っていた馬車が横転して無惨な姿をさらけ出していた。周りで放り出されて気を失っている馬車の運転手や一緒に乗っていた両親たちが、今のシェイナードにとっては羨ましく思えた。
もし、自分も彼らと同じように気を失っていればどんなに気が楽であっただろうか。
今、この瞬間も『あれの群』を目の前にしているだけでシェイナードにしてみれば生きている心地が全くしないと言うのに。
少しでも生き延びようと体の中の本能が足掻いて意識を手放す事を許してくれない。
「くKl.T-Md-:/@ja!!」
「っ!!?」
思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い金属音に似た『鳴き声』にシェイナードは気を失っている両親たちに向けていた意識を強制的に『あれの群』へと持って行かれた。
その強烈な音の衝撃波は痛みに変わってシェイナードを苦しめた。シェイナードは必死になって両手で耳を塞ぎながら、その音の元凶たる『あれの群』に恐怖で染まった瞳を向けた。
シェイナードのその瞳の先に居るモノ、それは人のような姿をした奇妙な白い生物だった。
大きさで言うと大体、成人男性の五割増し程の体長で、その体には鎧のように全身を覆う工芸品のような美しい白い鱗は光沢が隙間なく散りばめられている。もはや金属にしか見えないその鱗は見た目からしてかなりの硬度がある事が分かる。
特にその白い鱗が何重にもコーティングされた頭部は騎手が被る甲冑そのもので、その甲冑の奥には朱い三つの瞳が水平に並び、不気味に光っている。
まだ、これだけならば一見、鎧甲を着た大男とも取れるが、その白い生物には人間には決してあるはずのないモノが背中にある。
それは機械のような無機質な雰囲気を醸す白銀の巨大な双翼。
その姿はまるで神話に登場する神の使いの如く神聖で、それ故に壮大。
──その種の名は、
「天使……、」
天使種、それは人から最も畏怖され、嫌悪される災悪の象徴。
何十年前に突如としてこの大陸に出現し、圧倒的な能力と知能を持って人を狩る朱眼の悪夢。
しかもシェイナードの瞳に映る悪夢は一つだけではない。その光景は白銀の悪夢が群を成して闇夜の黒いキャンパスを無理矢理、濁った白の絵の具で塗り潰したかのような絶望の白夜。
それは文字通り"有り得ない"光景だった。
天使種の生態には未だ不明な部分が多いが、少なくとも群を作って行動するような生物ではない筈だ。二、三体程度ならまだ納得が出来る。だが、目の前に居るのは十や二十どころか百や千単位の数だ。
これだけのふざけた数の天使種が居れば、例え大都市であったとしてもその場所に居る人間全てを殺し尽くすのに半日も掛からないだろう。
今年で十才になったばかりのシェイナードでも本能が早くアレから逃げろ、と叫んでいるのが頭で理解出来た。
しかし、それとは別に理性は家族を置いて逃げたくないと主張する。
気を失っている両親を起こそうとしたが、恐怖の余り体中の筋肉が縮こまって思うように動かない。声で呼び掛けようにも、口を開けば歯がガチガチと鳴るだけでまともに言葉を出すことも出来ない。
仮にこの状況でシェイナードが動けたとしても、天使を相手にして人間の子供が逃げ切れる筈がない。無論、大人の場合でも結果は変わらないだろうが。
「m6K:C-B@AJ!!」
シェイナードがなんとかここから逃げ出そうと子供の拙い思考を巡らせている間に再び一体の天使が人間ではとても理解の出来ない『鳴き声』を発した。
動物の雄叫びに近いそれは彼らが獲物を狩る際にあげる合図のようなものだ。それが端を発して一体、また一体と次々に群全体へと伝染していき、あっという間に狂気に満ちた合唱が出来上がっていた。
「くっぅ…………」
一体だけでも人からすれば不愉快になる奇声をこんな合唱状態で聴けば鼓膜なんて直ぐに破けて、その奥の三半規管までイカれてしまう。
頭が割れるような痛みに子供とは思えないような悲惨な悲鳴を上げるが、そんなものは狂気の合唱を前にすればただのちっぽけな雑音となり果てる。
(死ぬ……、の? 私は、こいつらに、)
狂気の合唱が終えると天使種達の白い鱗に薄い藍色の唐草模様の線が浮かび上がっていく。天使種のみが持つ固有にして絶対の力、聖天術を使うつもりだろう。
聖天術──それは人間の杖士が扱うよう魔術とは比べるのも烏滸がましい程の、神聖で至高なる神が振るう力の片鱗だ。
天使種は基本的に一度ターゲットにした獲物を決して逃がさない。それに手段を選ばない。
これだけの数の天使種が一斉に聖天術を放てばどうなるか。おそらく獲物のシェイナード達はこの地域一帯ごと消し炭になることだろう。
「いや……、」
やっと声が出た。だが、シェイナードはもう既に気を失っている両親たちを起こして逃げようなどという考えは消え去っていた。寧ろ、彼らの事を思うならこのまま何も知らずに天使種に消された方が幸福なのかもしれない。
「いや、……いや、」
徐々に天使種たちの体は淡く、蒼く、そして静かにその発行を強めていく。それはまるで死へのカウントダウンにも感じられた。
「いや……、イヤ、いやっ!」
死にたくない。ただそんな単純な思いだけがシェイナードの頭の中を埋め尽くしていく。
そして……
「いやぁぁぁぁあああああ!!!」
目の前の白夜が全てを飲み込まんと、今までよりも一層、強く激しく蒼く発光した。
その瞬間、紫電の一筋が白夜の悪夢を一閃した。
「……えっ?」
シェイナードがそう言った途端、再び紫電の流星が放たれ白夜の悪夢を貫いた。
天使種の一体が紫電が放たれた方向にその不気味な三つの朱眼を向けようとした。だが、その僅かな動作の刹那の合間に紫電の光が瞬き、光の線がその天使種の頭部を消し飛ばした。
「な、なに……が?」
戸惑うシェイナードをよそに、紫電が一体、また一体と天使種の白い鎧を貫く。
ある時は最初に羽を貫ぬき、地に落ちたところで紫電の餌食に、またある時は数十体の天使種を相手に今までの紫電が束になったような極太の一撃を放ち、それらを瞬時に消し炭へと変えた。
「あれは……」
いま、目の前で一体何が起こっているのか、全く理解できない。だが、シェイナードの視線はほぼ無意識に紫電が放たれた方角へと移されていた。
それはこの位置から随分と離れた山岳の頂。視力が良かったシェイナードはそこに居る人影を捉える事が出来た。この暗闇では人影の人物の性別すら判らなかったが、人影の背丈からして自分とそう変わらない程度の年齢だと思った。
そして何となく、その人影が手にして構えている物の正体が分かった。
「銃……?」
シェイナードの疑問に答えるかのように人影が持っていた『銃らしきもの』から紫電の光が迸る。
白夜に染めていた天使種たちが徐々に減らされていき、景色は元の夜の黒へと染め直されていく。
まるでその様は天使種たちに反撃などは一切許さない、一方的な虐殺。しかしながらその光景は美しく、言葉で表すなら裁き。
天使たちの羽を無理矢理もぎ取り、地に墜ちて尚も足掻く哀れな愚者には裁きの光が下される。
神々しく、芸術的で幻想的。シェイナードはさっきまで命の危機に晒されていたのにも関わらず、目の前で起きている幻想に心を奪われていた。
「m6K0p/:C@:_.@AJェェ!!」
天使種の数はあっという間に残り一体にまで減り、そしてその最後の一体も今、金属音のような甲高い断末魔を上げ絶命した。
シェイナードはその断末魔を聞いて初めて、あの紫電の流れ星が止んでいる事に気がついた。
圧倒的だった。
幼いシェイナードでも感じた素直な感想だ。
シェイナードや気絶しているその両親たちの周りには僅かな欠片しか残ってない天使種の屍が山を作り上げていた。
まるで天使種に襲われそうになったのが夢のようだった。それ程までに凄まじかった。
「! あの人は……」
せめてお礼だけでもとシェイナードが山岳の方を再び向くと、そこには既に人影が姿を消した後だった。