気まずい空気
(……あ、ああああああ)
今日の彼は、常に自分と戦っていた。
朝起きたら気付いた、強烈な尿意。
昨日から一度もしていないのだ。
膀胱が限界だった。
自力でどうにかしようとしたが、彼女が昨日作ってくれた駕篭は彼の体の大きさをはるかに越えるもので、出ように出られない。
かといって、漏らすのは論外だった。
それは、一応成人まで生きていた記憶がある彼の人としてのプライドもあったが、それより何より、彼女が作ってくれたこの駕篭を、彼は汚したくなかったのだ。
だが、このままでは漏れる。
確実に漏れる。
彼は、もうたまらなくなり、とうとう鳴いてしまった。
カーテンから差し込む光の強さから考えても、まだ早朝だ。
そんな時間に彼女を起こすなんて、したくなかった。
でも、本当に限界だったのだ。
数回、力なく鳴いていると、彼女は起きてくれた。
起こされたからだろう。明らかに不機嫌そうな顔をしていたが、それでも彼女は彼を駕篭から出してくれた。
トイレの場所は、なんとなくわかっていた。
昨日、お風呂に行くときに、お風呂とリビングの間にあるドアにトイレと書かれているのを見ていたからだ。
だから、彼は駕篭から出ると全速力でトイレに向かった。
もっとも、トイレのドアまでたどり着いたところで、彼にトイレのドアを開けることなど出来なかったのだが。
結局トイレのドアは彼女に開けてもらい、そして、トイレの便座に座るのも、彼女に助けてもらったのだが……そこで、彼が苦悩することになる出来事が起こった。
おしっこをしたあとに、彼女に、彼のアレをちょんちょんと拭かれたのだ。
正直に言えば、その前に超絶美少女に、おしっこをしているところを見られるのも、とても恥ずかしいモノであったが、そこまでは彼も『今は動物だし、しょうがない』と諦めることが出来た。
尿意も限界であったし、あの状況で彼女が彼を置いてトイレから出るとも考えられなかったのだから。
もっとも、ちゃんと彼女にしているところははっきり見られないように背中を動かしたりはしていた。
だが、アレを、彼は今幼獸とはいえ、アレを、あんな美しく可愛らしい少女にちょんちょんとされるのは、もう、身が張り裂けるほどの羞恥心と罪悪感が襲ってくるものであった。
だから、彼はトイレを終えて、彼女に駕篭の中に入れられてからずっと苦悩していたのだ。
ジタバタと。
そして、そんなことをしていたら、また彼の中にある欲望が湧いてきた。
今度こそは、彼女の邪魔にならないように、彼はその欲望と戦っていたのだが……
(だ、ダメだ。これ以上、は……でも、でも、この匂いは……うああああああああ)
その欲望は際限がなかった。
時間が経てば経つほどに、大きく、強大になっていく。
それは、とてもではないが押さえられるモノではなくなった。
彼の、幼獸の精神力では。
だから、彼はとうとう出してしまう。
「……ぽふん!」
鳴き声を。
「……どうしたの?」
朝食を食べていた彼女が煩わしそうに彼に近づいてくる。
「……くぅぅぅ」
食事を邪魔してしまい、それを申し訳なく思いながらも、彼は鳴いてしまう。
でも、しょうがない。
彼女は、彼をそっと持ち上げる。
「……なに? 外に出たいの? ほら、私は食事中だから……」
彼が足をパタパタさせると、彼女は彼が歩きたいのだと思い、床に下ろしてくれた。
だから、彼はもう、本能的にそこまで駆け出す。
そこは、おそらく先ほどまで彼女が食事をしている最中だったと思われる、机。
「……なんでそこに行くのよ。ほら、邪魔だから離れて」
彼女はそう言いながら彼を避けて椅子に座る。
ふぅっと息をはき、彼女は焼きたてだと思われるホットケーキを口に運ぶ。
「……ぽひゃん!」
それを見て、また本能的に、彼は鳴き声をあげた。
「……何? 食事の邪魔はしてほしくないんだけど……」
「……ぽひゅぅぅぅん」
彼女が、今まで見たことがないくらいに不機嫌そうに彼をにらんでくるが、それを見て、彼は耳を下げてじっと見つめることしか出来ない。
伝わればいいな、と。
「……もしかして、お腹空いたの?」
伝わった!
彼は、元気よく「ぽふん!」と鳴く。
そう、彼はお腹が空いたのだ。
アレをちょんちょんとされて苦悩していた時に漂った、におい。
美味しそうな朝食の……特に甘いホットケーキの匂いに、彼の食欲が刺激されたのだ。
それはそうだろう。
彼は昨日から何も食べていないのだ。
ましてや、今の彼の体はどう見ても子犬のような幼獸。
食べるのが仕事といってもいい存在なのである。
空腹は、耐え難いことなのだ。
「……ぽふん!って返事をされても……アンタが食べられそうなモノなんてないんだけど……てか、アンタ何を食べるの? ファミモンが食事なんてするの?」
彼女が、なにやら言いながら首を傾げる。
彼として彼女が今食べているホットケーキを食べたいのだが、なんでも良い気もする。
とにかく、お腹が空いているのだ。
「うーん……人間のモノを食べさせるのもなぁ……ペットフード……アレはさすがに……」
彼女がなにやらつぶやきながら冷蔵庫の前まで歩く。
そして、冷蔵庫の扉を触り始める。
「やっぱり、ファミモン用の食事なんて、アレしかないわよね……じゃあ、犬っぽい見た目だし、この子犬用の……」
と、扉を何度かタッチしていた彼女は、そこまで言って首を振る。
「って、バカ。ドックフードなんて買ってどうするのよ。どうせ……」
ふぅと彼女は息を吐き、ちらりと彼の方を見る。
眉を寄せて、目に力を込めて。
「そう、どうせなら、このまま……」
そう言って、彼女は、そのまま椅子に座ろうとしはじめた。
「ぽひゃっ!? ぽひゃん!!(ちょ、ちょっと待って)」
だから、慌てて彼は吠える。
すると、彼女は立ち止まって困ったように眉を寄せる。
「何よ……うるさいわね。アンタ用の食事なんてないんだから、そのまま大人しく……」
「ぽひゅぅぅぅん」
彼女が目に力を込めて見てくるので、その目をじっと彼は見つめ返す。
すると、彼女はぐっと息を詰まらせたような顔になり、眉をよせた。
「……ああ、もう!わかったわよ。でも、人間用のご飯しかないからね! お腹を壊してもしらないからね!!」
そして、彼女はハムを数枚取り出すと、フライパンに乗せて炒め始める。
「……ああ、このままだとやけどする……はぁ、もう。めんどくさい……」
テキパキとハムを炒めた彼女は、皿にハムを乗せて、目を閉じる。
「……ふぅ」
そして、目を開けると、皿に乗ったハムを彼の前に置いた。
「ほら、魔法で冷ましたから、大丈夫なはずよ。」
少しだけ湯気が出ているハムから、良い匂いがする。
「……ぽふん!」
とお礼を言って、彼はそのハムにかじりついた。
正直、ホットケーキが良かったが、このハムもとても美味しそうである。
良い焼き色だ。
「はぁ、じゃあそれ食べて大人しくしていてね……せっかくのご飯が冷めちゃった」
彼女がため息をついて椅子にすわる。
そんな彼女を後目に、彼は何度もハムを噛む。
(うまい……なんか旨味っていうか、このハムめちゃくちゃうまい! こんなの今まで食べたことがない! 元々甘党だったけど、ハムも良い物だ)
ハムを噛んで、噛んで、彼はハムの味を楽しむ。
(ああ……何度でも噛んでいられる。このハム。うまいわぁ……特に、あんな可愛い女の子が作ってくれたかと思うと、何倍もうまいわぁ……本当、いつまでも噛んでいられるというか……)
噛んで、噛んで、噛んで……噛みつづけていくうちに、彼は気がついた。
「……ぽひゅぅぅん」
ぽとりと、噛んでいたハムを皿の上に落とす。
「……どうしたの? また情けない声を出して……」
食事を終えたのだろう。紅茶を飲みながら彼女がちらりと彼の方を見てきた。
「……何? あんだけ鳴いていたくせに、食べないの? まったく、人に作らせておきながら……」
彼女の言葉に、彼は首を振った。
「何、違うの? いったい何が……」
そこまで言って、彼女も気がついたのか、慌てたように立ち上がる。
「アンタ、まさか……」
そして、ひょいと彼を持ち上げると、彼の口を指で開けた。
「……歯が、ない? 嘘でしょ?」
そう、彼には歯がなかったのだ。
だから、ハムを何度噛んでも噛みきれずにいたのだ。
「犬みたいなファミモンなのに、歯もないなんて、アンタは、どこまで……」
これ以上ないくらいに、彼女は大きく息を吐いた。
「……いや、そうなのはわかっていたことじゃない。今更、歯がない程度で何も変わらない。変わらないけど……」
ぶつぶつつぶやきながら彼女は下を向いていた。
なぜここまで彼女が落ち込んでいるのかわからないが、自分のことで彼女を傷つけたことはわかる。
「……ぽふぅぅん(ごめんなさい)」
なので、彼は小さな声で謝った。
すると、彼女は顔を上げた。
「……ああ、お腹が空いているのよね。とりあえず、アンタが食べられるようにするか……」
そういって、彼女は彼を床に下ろす。
(え、いや、そうじゃなくて……)
なんて言っても、彼女に伝わる訳じゃない。
彼は、落ち込んだ彼女の背中を見つめながら、気まずそうにお座りするしかなかった。
○○○日後に○○主人公(男)
と、いうわけで、おしゃかしゃままです!
ここまで読んでくださってありがとうございます。
おもしろいなぁ(*^ω^*)
続きが読みたいよ(。・ω・。)
と少しでも思っていただけたらうれしいです!
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さらにうれしさUPですよ.゜+.(´∀`*).+゜.
え? すでにしている!?
やだ……ステキ(*´ω`*)