小さな世界
時は2807年。俺たちが暮らす世界は、国というジャンルより大きな区分、星として分かれていた。だが、それを知る人間は一部しかいない。
-始まりの日-
七月一日
ピーンポーンッ。チャイムの音が鳴り響く。毎朝七時五〇分の恒例行事だ。
「朔真おはよう!」
「……。ああーっ。まじであちぃ。」
そんな挨拶を軽く無視し、七月の暑さにバテているどこにでもいる平凡な高校生。それがこの俺、豊田朔真だ。
「あのさー。あんたがそういう気だるげな感じでいられると、こっちもやる気なくすんだけど…」
そんな俺に対して冷ややかな視線を送っているアイドルのような見た目の超絶美少女こそ、俺の幼馴染の七瀬礼音だ。
「礼音ちゃんさ〜、なーんでそんな塩対応なの?悲しくなっちゃうじゃん」
「はぁー。こんなダル絡みしてくるの朔真だけよ…」
「そんなダル絡みに付き合ってくれるのはどこの誰だよ」
俺は微笑みながら礼音の肩を軽く叩いて、学校への道を歩き始める。はいはい。と言いながら礼音も俺についてくる。
「朔真くんと礼音ちゃんは仲良しでいいわね。」と、小さい頃から近所の人からよく言われていた。小学生から高校生になった今でもずっと、俺と礼音は一緒に学校に通っている。
全校生徒九〇〇人の私立奏宮学園。校舎は無駄にでかく、各学年ごとに分かれている。
一年生用の昇降口で、俺はとても大事なことを思い出す。そして、学年順位トップクラスの礼音に先程までとは全く違う態度を取りながら腰を低くする。
「あ、礼音さん、数学の課題もし終わっていたら見せていただきたいんですが…」
「仕方ないなぁ。今日は見せるけど、明日以降は自分でやること。わからないなら私が教えてあげてもいいけど…」
頬を赤らめながら礼音は、俺に数学のノートを渡してくれた。頭も良いし、字も綺麗で見やすい、それに他の誰かより一番信頼できる礼音に頼むのが好きだった。
「ありがとう!礼音がいなきゃダメだな、俺。」
「はっ⁈えっ、そ、その…っ。」
さっきよりも赤くなった顔を見て、俺は内心かわいいと思いながらも平然を装い、二階にある教室への階段を上っていく。俺と礼音は一年F組で同じクラスだ。
教室に入るとようやく見慣れてきたクラスメイトたちが、それぞれのいつメングループで集まり、話をしていた。
高校生になってから新しい友達が一切できていない俺は、誰とも挨拶を交わさずに自分の席へ、そそくさと歩き腰を下ろす。礼音から借りた数学のノートを見て課題を終わらせた。そんな友達のいない可哀想な俺の後ろの席に礼音が着席する。俺とは違い、友達の多い彼女は、席に着くまでにそれなりの時間が過ぎていた。
「おまえ…友達多すぎ…」
「朔真が異常にいないんだよ。」
正論すぎるその発言に何も言えない俺は、自分のコミュ力のなさに泣きたくなっていた。
ガラッ。その時、教室の扉が開いた。
「おはようございます。
はい、皆さん自分の席に着いて。」
俺の担任、麻倉翔太だ。彼は基本的に無感情で、俺たち生徒に対して無関心だ。朝のHRも他のクラスは楽しい話に盛り上がっている中、このクラスだけは静まり返っている。
入学当初、とても騒がしかったこのクラスに麻倉がブチ切れたことがあった。その日以来、感情的になっているところを見たことはないが、全員びびって静寂に包まれたクラスへ生まれ変わった。
「緊急でありますが今日は、午後の授業が外部の方の講演会になりますので、各自始業のチャイムが鳴る前に体育館へ集合するように。他は特にないです。それではHRを終わります。」
麻倉が教室から出た瞬間、さっきまでの静寂が嘘だったかのように、四方八方から話し声が聞こえてくる。一気に話し出すと想像以上のボリュームで、俺はそんな教室から抜け出す。
「ちょっと!どこいくのよ!
授業すぐはじまるよ!」
「ああ。でも俺、あのクラスいんの嫌いなんだよね。チャイム鳴るまではいたくないかも…」
「はぁ。じゃあ私も一緒にいるわ。」
溜め息混ざりではあるが、俺のちょっとしたわがままにも礼音は常に付き合ってくれる。側から見たらとてもお節介で世話焼きな人間なんだろうと思いながらも、そんな彼女の性格がとても好きで居心地が良いものだと感じていた。
キーンコーンカーンコーン。その音を聞いてすぐに教室へ入った。
「おい、昨日のあのニュース見た?」
「昨日なんかでかいニュースあったか?」
「火事だよ火事!隣町の!」
「あー。でもそんなニュースいちいち覚えてねぇよ。」
「俺も普段ならすぐ忘れるけどさ。今回の、放火らしくて、しかもその犯人がネットだと…」
隣の席の男子たちの会話が嫌でも耳に入ってきた。ソイツが何かを言おうとしていた時、スキップをしながら、見た目も心も完全に十代の女教師、数学科の武本来夢が現れた。
「みんなー!おっはよー!
ちゃんと課題はやってきたかな?」
とんでもなくハイテンションな武本に対して、課題を忘れていた者たちは絶望の表情を浮かべている。俺も礼音に借りていなければこうなっていたかと思うと、本当に礼音様々《さまさま》だなと実感していた。
「先生すみません!忘れました!今回は見逃してください!」
「いや、その言い方されると私めっちゃ怖い人みたいじゃん…」
武本の今にも泣きそうな顔に男子生徒たちはコソコソと、興奮する、まじかわいい、など言っていて心底キモいなと思った。
「先生。課題終わらせてきたのでチェックお願いします。」
大人の前での礼音はすごくかしこまっていて礼儀正しく、完璧少女だった。
「さっすが七瀬礼音さんですね〜!先生感動ですよ!」
「課題をするのは当たり前のことです。先生、大袈裟ですよ。」
軽く微笑みながら答える礼音に対して、武本も微笑み返す。俺のクラスでは、これが至福のひと時なんて言われたりもするが、特にすごいことなんて起きていない。けれど、平和だし、見ていて悪い気はしないから俺もその光景は嫌いじゃなかった。
そんな、特に当たり障りのない時間が続き、午前の授業は全て終わった。
午後からの講演会とやらに遅れたら面倒くさそうなので急いで昼食を取ることにした。一人で食べようと思い、弁当箱を開けると中身は玉子焼きと唐揚げ、アスパラベーコン、ハッシュドポテトだった。
「朔ちゃんのお弁当は小さい子が好きそうなメニューだね」
めちゃくちゃニヤニヤしながら礼音が近づいてきた。
「ずっと前から俺の弁当の中だいたい知ってんだろ!ていうか…朔ちゃんって呼ぶな…」
「えーっ。でもたまには朔ちゃんって呼ぶのも良くない?さ・く・ちゃ・ん!」
「はぁ…まあなんでもいいけど。」
「あ!私の作ったハンバーグ食べる?今日のお弁当私が作ったんだよ!」
「まじで。食べたい。」
「あーん。」
何の抵抗もなく普通に礼音に食べさせてもらったが、周りからチラホラ視線を感じた。よく考えたら、これは間接キスだということに気付きめちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。
だが、そんな俺よりも礼音の方が顔が真っ赤になっていて、なんだか急に笑えてきた。
「いや、礼音があーんってやってきたのに何赤くなってんだよ。」
軽くバカにしたように笑いながら言う俺に対して、礼音はご立腹の様子だった。
「べ、別に赤くなってないし!あ、あー!もう体育館行かなきゃ!」
めちゃくちゃ誤魔化すじゃん。と思いながらも、確かにそろそろ行かなければならない時間になっていたので、俺も弁当を片付けた。
午後の講演会。これが俺と礼音にとって、この先訪れる最悪の出来事のはじまりになるとは、考えもしていなかった。
「やあやあ。みなさんこんにちはっ。」
甲高い声に少し変わったイントネーション。青い目に白い肌。明らかに日本人ではないその風貌は男の俺からしたら特に何も感じないが、女子たちが「かっこいい、外人で年上と付き合えたら勝ちじゃない?」など盛り上がっていて世の中の見た目の偉大さを感じながらも、どうでもいい。と俺はあくびをした。
「あー。そのー。君たちって高校生ですよねっ?ニュースとか見るかなっ?まあ見ないとしても、一つ知っておいてほしいことと、協力してもらいたいことがあってーねっ。」
そう言った瞬間。男の目つきが鋭くなった。
「昨日火事があったーんですねっ。それで、その火事の放火犯がこの学校の生徒っていうことなーんですけどっ。心当たりがある人はいるかなっ?」
「おい。昨日の火事って隣町のことだよな?」
「そうそう。本当か知らねーけどさ、犯人って俺らのクラスの豊田らしいぞ。」
「あ、それ俺も知ってる。ネットで書き込みあったんだろ?」
男子生徒たちの会話は信憑性のない噂話程度のものだった。そして、男と男子生徒たちの間にはかなりの距離があった。にも関わらず、男はまるでその発言を待っていたかのようにニヤッと微笑を浮かべた。
「その話、詳しく聞かせてもらえまーすかっ?できれば本人の口から聞きたいのでーすがっ。豊田朔真くんっ。」