2-16. 戦後の処理は”人たらし”?
「う、ん……」
大内軍の大将、陶晴賢が目を覚ますと、そこは陣幕の中だった。
「あ、れ? 戦……戦はどうなりましたですか!?」
すぐさま覚醒。
寝起きの良さが伺える。
慌てて周囲を見渡し、彼女の目に飛び込んできたのは、
「あ、もうすこし安静にしててね?」
「へぶぅぅぅううう!!??」
見目麗しい男子だった。
どうやら自分は彼に介抱されていたらしい。
何となく察した晴賢だったが、そこは15歳の女子。
現実なのか夢なのか。
いや、こんな事が現実で起こるはずはない。
そうか、夢か!
と、勝手に一人納得をする。
「はい、起きますです」
言葉とは裏腹に、彼女は大人しく横たわった。
宗麟はキョトンとした顔を晒す。
「おかしな人だなあ」
クスクスと笑う声が晴賢の耳を優しくくすぐる。
彼女はカッと目を見開いた。
「え!? 夢じゃないです!? ここは極楽ですか!?」
「いや、負傷者の手当をするために建てた陣幕の中だよ?」
宗麟は遂に肩を震わせて笑い出した。
晴賢は何が何だか分からないが、とりあえず恥ずかしい。
顔がだんだんと赤く染まっていく。
「おう、目が覚めたか」
「道雪、殿?」
「見りゃ分かんだろ、晴賢ちゃん」
陣へと入ってきた道雪がニヤニヤとしながら晴賢を見下ろす。
「”ちゃん”付けは止めるって聞いたのですが」
「真っ赤な顔して言っても説得力ねえぞぉ」
道雪は口角を吊り上げ、今度ははっきりと笑った。
晴賢は少々カチンときたが、確かに言わんとしている事も分かる。
「その、それで、『戦』の結果はどうなったんです……?」
「うん、僕たちの勝ち」
「そう、ですか」
晴賢は己の拳をギュッと握りしめる。
これでまた大内義隆に詰られる。
そう考えると、彼女は悔しさで涙が出そうだった。
「晴賢……さん」
宗麟は少し迷いながらも晴賢を呼ぶ。
彼にとっては今まで出会った中で最も年の近い異性だ。
距離感を掴みかねているのだろう。
「少し、話を聞いても良いかな?」
「え?」
晴賢が驚いて俯いていた顔を上げると、
「戦の宣誓をする時も思ったんだけどさ。何か悲壮感と言うか、15歳の女の子がして良い顔じゃなかったから」
微笑みながらも眉尻を下げ、心配そうな顔をしている宗麟がいた。
呼び方を迷っていたのが嘘のような口説き方である。
晴賢は間抜けに口を開けて彼を見返す事しか出来なかった。
彼女からすれば男性とは、義隆の周りに侍らされていた不憫な存在でしかない。
また、常日頃から忙しく家中を駆け回っている。
どうせ男性とは縁がないのだろうと諦めの気持ちが強いのだ。
しかし、同時に男に対する憧れみたいな乙女心も同居していた。
少し年上の青年から、そんな言葉をかけられるとは夢にも思っていなかっただろう。
「あ~らら、こりゃ鑑理たちを呼んできた方が良いかね」
そんな二人の様子を見て、道雪はため息を吐く。
「ウチの若は……。こりゃもう本気で宗教になりそうだ」
当たらずも遠からず。
呆然としながらも、どこか恍惚とした表情の晴賢を放って。
道雪はヤレヤレと肩を竦めながら陣幕を出ていった。
△▼△
「宗麟様? 今、何と仰いましたか……?」
鑑理は眉間を指で揉みながら問いかける。
眉間に深く刻まれた皺は消える事がなさそうだ。
「うん」
それに気が付いているのかいないのか。
宗麟は少し気まずそうにしながらも、
「晴賢さんを大友家に呼ぼうかな、って」
そんな事をのたまった。
これには鑑理に限らず、居並ぶ諸将もポカーンだ。
「え、っと……宗麟様? お姉さんたちにも分かるようにお願いできますか?」
困った顔の似合う長増が言う。
「……説明」
石宗は少し不機嫌そうだ。
「宗麟がしたいなら問題ないじゃろ!」
義鑑がニッコニコしながら口を開く。
「はいはい、義鑑様はこっちでお菓子でも食べてましょうねー」
鑑速が菓子を差し出す。
義鑑は喜んで食べ始めた。
これでしばらくは静かになるだろう。
「……で?」
鑑理が何度目か分からない、深い深いため息を吐いた。
「どういう事ですか?」
何事もなかったかのように話を促す鑑理。
それに対し、宗麟は真っ直ぐと鑑理を見つめる。
思わず視線を逸らしそうになってしまう鑑理だったが、気合と根性で何とか耐えた。
「話を聞いたんだ。大内殿の、その……行いを」
宗麟が頬を染める。
保健体育的な内容の行いを思い出してしまったのだろう。
寺では「神々しすぎる」という変な理由で不可侵の存在だった宗麟だ。
そういった教育は今まで皆無だった。
女性たちが罪悪感を感じると思っても無理はないのかもしれない。
そんな彼の恥じらう姿に皆は身悶える。
しかし、だ。
それ以上に、殺気立った。
「おいおいおい、ウチの若に変な知識を仕込まないでくれねぇかい、晴賢ちゃん?」
道雪がにこやかな顔で晴賢の頭をガシッと掴む。
勿論、目は笑っていない。
いつまでも純粋無垢でいて欲しい。
しかし、そんな純白を穢してみたい。
相反する感情を持ちながらも、微笑む彼を側で見続けるのだ。
大友家の人々は、宗麟を偶像として祀っていた。
俗的な事柄を彼の耳に入れたくないのだろう。
もう既に立派な宗教だ。
むしろ狂信者まであと一歩、といったところである。
「わ、私は何も言っていないです!? 冤罪です!」
ギョッとした顔で晴賢は、道雪の手から逃れようとバタつく。
しかし、それで逃がす道雪ではなかった。
道雪の笑みが深くなる。
晴賢は背筋に悪寒を感じ震えあがった。
――先ほどの戦で勝てたのはきっと奇跡だ。
道雪のプレッシャーに、晴賢は自らの直感を肯定してしまう。
これでも大内家中では、母である興房に次いでくらいに腕が立つ晴賢なのだが。
道雪の理不尽な強さが良く分かる。
「そ、それは! ……私、です」
諸将の視線が剣呑になっていく中。
思わずといった形で尻すぼみに声が上がった。
晴賢は救世主を見つけたかのようにパッと顔を明るくする。
しかし、声の主を見つけると、その笑顔は固まった。
「大内、輝弘殿、ですね?」
「はい……」
確認するように声をかけた鑑理に、輝弘は消え入りそうな声を返す。
なんだか彼を苛めているような気持ちになったのだろう。
鑑理は微妙な表情で宗麟へと向き直った。
話の続きをどうぞ、という意味だろう。
諸将も気まずいといった感情を表に出さないように顔を引き締める。
「輝弘くんと晴賢さん。この二人の話を聞いて、僕は大内殿……義隆殿をどうにかして止めたいと思った」
宗麟は緊張した面持ちだ。
自分が言っている事の重さを理解はしているのだろう。
「それで、晴賢ちゃんを味方に引き入れる。そういう理解でお姉さんたちは良いのかしら?」
「でも、それじゃあ大内殿は怒り狂いますよ? それに、国元にいる興房殿はどうするんです?」
鑑速の意見も尤もであった。
晴賢が寝返れば、確実に興房の立場は悪くなる。
母の事を慮る彼女にとって、それは悪手に他ならない。
「うん、そこで僕も色々と考えたんだけど――」
それでも、宗麟は前言を撤回しなかった。
諸将は宗麟の話がまだ終わっていない事を察し、場の空気も張り詰める。
そして、宗麟は真剣な顔で静かに語り出した。
△▼△
「なるほど……」
鑑理は目を細めて宗麟の案を吟味する。
内心で、彼女は相当驚いていた。
義鑑よりも利発であろうとは思っていたが、よもやここまでとは思っていなかったのだ。
頭脳明晰、容姿端麗、オマケに女性に優しいとなれば、逆に将来が心配になるほどの好青年である。
少々器量が悪い所は母親譲りだろうか。
しかし、心の機微に疎いのは、これからの生活でどうとでも出来る。
思わず思考が宗麟へと逸れてしまう鑑理だ。
若干顔がニヤけている。
宗麟は不思議そうな顔だ。
「鑑理ー。顔に出てんぞー」
「あら、いけない」
コホンと咳払いを一つ。
鑑理は表情を改める。
「お姉さんもそれで問題ないと思うわ」
「宗麟様は凄いですねえ」
長増と鑑速は感心したように頷くばかりだ。
「いつでもいつでも宗麟様のお側に!」
「あたいもー!」
フンスと鼻息荒く。
紹運と誾千代の年少コンビが息を巻く。
「……晴賢殿」
「はいです」
石宗に促され、晴賢は頷く。
そもそも、この策は彼女の協力が無ければ成しえない。
本来は敵であるはずの彼女が最後までこの場で聞けていたのは、ひとえに宗麟からの信頼によるものだった。
(今日、初めて会ったのに。私が本当の事を言っているとも限らないのに。何なんですかね、この方は)
急に可笑しくなったのか。
晴賢はクスっと笑みをこぼす。
(けれど、この御方ならお母さんを……いえ、もっと大きな”何か”を救える気がするです)
どうして自分がそこまで宗麟に期待しているのか。
それは根拠のない感情的な判断だ。
しかし、それでも。
晴賢は決意する。
宗麟の行き先へ、自分も付いていく事を。
今この場が、彼女にとっての清水の舞台だ。
「不肖、陶晴賢。その策に協力させて頂きますです!」
まるで憑き物が落ちたかのよう。
堂々と宣言する晴賢の顔は、戦の当初と違って溌溂とした生気に満ちていた。
そして、大友家と大内家の争いは次なるステージへと進む――。




