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閑話~最愛の……~

 季節的に珍しい大雨の日。

 普段ならば、激しく打ち付ける雨音に集中力を乱されている筈の状況下。

 にも拘らず、外の状況など一切気にならない……否、気にする余裕の無い状況下へ俺は置かれていた。


 身動(みじろ)ぎをする事も許されない程の圧迫感。

 室内は、天気の影響を考えても不自然な程に気温が低下している。にも拘らず、止まらない汗。

 喉の渇きを覚えるものの、潤す為の茶がカップからは既に無くなっている。

 注ぐために控えていた使用人は、この異常事態にその場から動けなくなっている。よく見るとその顔は青ざめ、体は小刻みに震えている。

 その原因である愛娘―――ユリア―――は、とても可愛らしい笑顔で俺の対面に座っている。

 なのに、何故か途轍もない威圧感を放っている。

 端的に言うと、激怒しているのだろう。


 ――ひょっとすると、この天気の荒れ具合はユリアの心を表しているのかもしれない。


 そんな馬鹿な考えが浮かんでくる程に。

 そう…俺は今、過去で最も命の危機を感じている。

 その所為かどうかは定かでは無いが、この状況下で俺は、ミーリアに出会った日から此れ迄の事を思い出していた……………。





 父から一部の商談を任されるようになってすぐの事。

 ティンダーという町に居を構える有力商人との何度目かになる商談を行う日、今の俺の最愛の妻―――ミーリア―――と出会った。

 当時は未だ当主では無かったものの、既に次期当主として内定していた俺は、何時ものように“あわよくば娘を”という事なのだと思っていた。

 理由があって婚約者の居なかった俺は、その時のミーリアの初々しさにも『そんなものか』くらいの感想しか持っていなかった。しかし、今思えば相当に貴重で可愛い瞬間だった。戻れるのならば、当時の俺を「もっと噛み締めろ」と叱りつけてやりたい程に。

 その後会う度、ミーリアも商談に混じる様になっていった。しっかりと自分の意見を述べ、時には退く事なく条件を提示してくるその姿に、真剣な姿勢であると理解する。最初に抱いた印象を恥じ、俺は考えを改めた。


 何度か商談を重ねるうちに、こういった女性であれば、苦楽を共にできそうだと思うようになっていった。それ程に、俺とミーリアの商売に対する思想が似通っていたからだ。

 その思いに愛しさが加わるのも、そう時間は掛からなかった。

 我が家では恋愛による婚姻が多いと聞いた事もあった為、俺は自分で相手を選ぶつもりであった。

 思えば、この時点で先に父親へ報告していれば、その後の惨劇も防げたのかもしれない……。



「ん゛ん゛っ………俺を、支えてくれないか?」


 ミーリアを屋敷に招き、どもりながらも想いを伝えた。

 最初は反応が薄く、涙を流した時には焦ってしまったが、其れが嬉しさからくるものだと知った時には、思わず叫んでしまいそうになっていた。……自重したが。

 仕事に精を出し、自由時間を作って頻繁に会いに行くようにもなって暫く、婚前であり少々早い気もしたが、その場の流れで関係を持ってしまった。

 こうなれば婚姻を早めようと、更に仕事に精を出すようになった。


 ――が、此れがいけなかった。


「喜べ、お前にピッタリの相手が見つかったぞ!」


 父親が干渉する事を嫌い、内緒にしていた。しかしその所為で、何時の間にかほぼ固まった縁談を持って来られた。

 仕事に精を出す俺を見て、自分で相手を見つける気が無いと判断されてしまったらしい。

 当然抵抗した。

 相手なら居る。

 既に関係も持っていると、どれ程ミーリアを愛しているのかを語り、説得した。

 だが、聞き入られなかった。

 次期当主である事を理由に、家格が合わなければ許さんと言われたが、実際には既に契約を結んだ後だったからだろう。

 相手は伯爵家の娘だった。

 家格は相手の方が上。一方的に此方から破棄すれば、貴族界隈だけでなく、その他でも悪影響が出てしまうのは目に見えていた。

 この時、初めて父親を恨んだ。

 父親は、商売に関しては俺では到底敵わない存在だ。しかし、社交も含めて貴族的な根回しが苦手な人物でもあった。雑とも言う。

 結局、俺はミーリアと別れる選択をするしかなかった……。



「ふぅん、まあまあね。でも、調度品が気に入らないから、(わたくし)の方で手配するから、支払いは宜しく」


 嫁いできた女は、最低な者だった。

 婚姻前に少しでも情報をと思った俺は、部下に命じて調査させていた。

 すると、出てくる出てくる、次から次へと正気を疑う内容が、これでもかと言うほどに出てきた。

 関係を持った相手は数知れず。其れも、学院に通っている頃からだと言う。

 避妊もせず、妊娠と堕胎を繰り返し、既に子が産めるかも怪しい状態だそうだ。

 その上、性格も傲慢で我儘。散財もする問題児だった。

 そんな相手が何故?

 疑問を持ち、更に詳しく調べさせると、元々はその妹が俺の相手だったらしい。妹は比較的真面な性格で、少し散財気味な事以外には問題が無かったようだ。その散財も、我が家の資金力であれば何ら問題にならない程度だった。

 ただ、その資金力を聞きつけた姉が欲をかいて成り代わっていた。

 俺の父親はその事実に気付かず、書類を提出。調査も間に合わず、その事実が判明した時には既に届け出は受理されてしまった後だった。

 行動はある程度制限したが、あの女は聞く耳を持たなかった。

 嫁いでからの問題行動は、家の内部に留まらず、2つの商会から契約を切られるほどに影響が出てしまっていた。

 俺は問題への対処に奔走し、必然的に屋敷を空ける事が多くなった。

 だからこそ、気付くのが遅れた。



 ある日、久方ぶりに屋敷へ戻ると、幼子が居た。


「……何があった」


 すぐにセバスサンを呼び、事情を聞く。

 正気を疑った―――いや、自分を呪った。

 幼子は、俺の子供だった。

 あの女は、自分が子を産めない事を知っていた。自分の子飼いを使い、俺と唯一関係を持ったミーリアを探し出していた。何1つ情報を与えていなかったのにも拘らず。

 後で知った事だが、父親がその存在を教えていたと聞いた瞬間、殺してしまおうかとも思ってしまった。

 そして、最低な事にあの女は、直接出向いて俺の子供―――ユリア―――を攫って来ていたのだ。

 殺意が湧いた。

 だが、同時に自分が情けなくなっていた。

 あの女が居るからと、近付かないようにしていた事が仇になっていたのだから。

 関係を持っていたのだ。子供が出来ていても不思議ではない。その事に気付かなかったのも情けないが、部下を使ってそれとなく様子を探る事もできていた筈だ。陰ながら支援するのも、自己満足ではあるが多少は償いになっていた筈だ。

 感情を押し殺し、あの女を呼んで釈明してみろと言ったところ―――


「良かったじゃない、正真正銘貴方の子よ。何か文句でもあるの?」


 ――言葉が通じなかった。

 その上、開き直っているどころか、何も悪びれてすらいない。

 言葉ではダメだと悟った……。



 あの女は、ユリアにも辛く当たっていた。

 家の金を自由に使えないようにすると、最初はヒステリックになり使用人に当たろうとしていたが、我が家の使用人は下手な兵士よりも強い。その為、すぐさま取り押さえてしまう。そして無駄だと理解したあの女は、よりにもよって標的をユリアに変え、誰も居ない時を狙って暴力を振るい始めた。

 勿論、気付いてからは最低でも誰か1人を常に就けるよう注意し厳命した。

 だが遅かった。

 ユリアは感情を表に出さなくなっていた。

 もしかすると、心が壊れているかもしれない。考えたくは無かったが、そう思わせる程に酷い状態だった。

 このままではマズい。

 体裁を気にしていたが故に、取り返しの付かないところまで行ってしまう。

 そう思った俺は、あの女を対外的には療養と称し、今は使っていない別荘へと強制的に送り出した。

 其れと同時に、父親に暇を作らせ、今迄の調査結果の報告書を揃えて叩きつけた。


「父上、貴方の考え無しの結果が此れです。既に多くの損失が出ています。現状を見て、未だ以前と同じ事が言えますか?」

「ぬ、ぬぅぅ……し、しかしだな、儂はお前の幸せを考えて―――」

「――余計なお世話だと言っているんだ!!もう俺は父上の方針には従わない!…少なくとも、商売に関する事以外では、父上は向いていない。潔く家督を譲って隠居していただきたい」


 八つ当たりを多分に含んでいる事は自覚している。

 俺も、果たすべき義務も責任も行っていない。知らなかったは言い訳だ。

 原因は確かに父親だが、最終的に従ったのは自分の判断だ。その上、ミーリアへの仕打ちを考えれば、謝って済む事では断じて無い。

 しかし、其れでも、此れ以上間違い続ける気は無い。

 あの女はどうにかして追い出さないといけない。其れに、この父親がこのまま当主の座に居座られると色々と困る。

 途中、母親も乱入してくるというトラブルもあったが、あの女がやらかした内容を知ると黙って引き下がった。

 数時間にも及ぶ説得(・・)の末、父親は当主の座を降りる事になった。


 ――後日、別荘へと送り出した馬車が事故に遭った事を知る。



 事後処理、離れていった商会との関係回復にも努め、忙しい日々が続いた。

 親は屋敷から追い出し、使っていなかった別荘に隠居させた。

 使用人も減った為、数人補充し訓練させた。

 仕事がある程度落ち着いた時、俺はある決意をした。


「ミーリア、俺は、謝罪と………迎えに、来たんだ」


 今後、何があろうと、もう2度とミーリアを手放さないと。

 当然ながら、ミーリアの御両親には批難され、反対された。此れ迄の行い、ミーリアに対する仕打ち、全てを俺は謝り続けた。

 久しぶりに見たミーリアの顔は、とてもやつれてしまっていた。もっと早く来るべきだったと更に後悔した。胸が痛む、しかし悲しんでいる暇は無い。

 俺の想いをぶつける。……伝わっているだろうか。心配はあるが、信じるしかなかった。

 泣き、喚き、叩かれたが、最後にはミーリアは許してくれた。別れてからも、俺の事を想ってくれていたそうだ。その事実だけでも、俺は決意して良かったと安堵した。

 しかし、俺の贖罪は未だ終わっていない。

 ミーリアが許してくれても、御両親からは許しを得ていない。だが、ミーリアが強く望んでくれた事もあって、取り敢えず屋敷に迎える事は叶った。

 その後も、ミーリアの御両親から許しを得る迄に、約1年もの月日を費やした……。



 その日は、唐突に訪れた。

 長期間の仕事から屋敷に帰ると、仲睦まじいミーリアとユリアの姿があった。

 ――衝撃を受けた。

 勿論、良い意味でだ。

 殆ど諦めかけていた奇跡が起きていた。そう、ユリアに感情が戻っていたのだ。其れからというもの、恥じらいつつもミーリアと一緒に居る姿が度々目撃されるようになった。……良い事だ。

 などと思っている場合では無くなる迄、そう時間は掛からなかった。

 ユリアの報告を聞く度、最初こそ『やんちゃだが元気になって良かった』と楽観的に思っていたのだが、段々と頭を抱える内容になっていった。書庫に頻繁に立ち入るようになったと聞いた時には「…ん?」と疑問に思い、未だ教師を付けてもいないのに、読み書きができるようになっていると聞いた時には「どうやって覚えた?」と答えの出ない疑問を抱え、何やら庭で頻繁に遊びとは別の“何か”をしていると聞いた時にはもう何も言えなかった。

 心当たりは有る。しかし、確証は無かった。俺にはその才能が無いだけに、絶対とは言えない。

 なので、家庭教師を雇う際、ユリアに希望を聞く事にした。

 既に読み書きの勉強は必要無い。空いた時間で、他の事に当てれば良い。

 案の定と言うべきか、ユリアは魔法について学びたいと言った。……確定と思って良いだろう。

 ユリアには魔法を扱う才能が有る。其れも、並の才能では無いのだろう。

 俺はその事実を知らない体で話を進めた。

 教師を探す過程で、思わぬ拾い物もした。今後ユリアがどういった道を選ぶのかは知らないが、繋がりは重要だ。良い結果が出れば、縁を繋げる為の細工くらいはしておこう。


 教育は順調のようだ。……いや、順調過ぎた。

 全ての教師から前倒しになっているといった報告が届く。

 唯一淑女教育だけが誤差と言える範囲だが、其れでも前倒しには変わりない。

 ………少々マズい。

 こういった評価は広まり易い。教師の大半が貴族か貴族の出身だからだ。繋がりは広く、情報が回るのも早い。情報を得るのが善良な人間だけだと考えるのは楽観が過ぎる。


(可能な限り手を回しておくか………)



 ユリアが町に行きたいと言い出した。

 まあ、歳に似合わずしっかりとしているし、誰か付き添えば大丈夫だろう。そう思って許可を出したのだが……。

 孤児を拾って戻って来た。

 ………えっ?

 いやいや、ちょっと待とうか、冷静に、そう…冷静になろう。

 ふむ。

 ………いや、何故連れ帰ったのかを聞いたのは俺だが、どうして事業計画を聞いているのだろうか。

 孤児を集めるって……や、大丈夫と言われても。

 ふむふむ。

 くぅ……わかった。


「ユリア」

「……はい」

「やってみなさい」


 最早止める気は無い。しかし、不安があるのも事実。ならば、暫くは様子見という事で。

 長い目で見るかと心を納得させていた私の許へ、今度は嬉しい知らせが訪れる。

 ミーリアが懐妊した。……ありがとう。本当に良かった。

 屋敷に迎えた直後は、体調の面も考慮してそういった事を避けていたが、ユリアが感情を表すようになってからは、ミーリアも随分と回復し、その魅力に勢い余って無理をさせてしまった事もある。

 後は、無事に産まれる事を願うばかりだ……。


 母子共に無事だった。

 名はミリア。ミーリアは少し渋ったが、俺が押し切った。ユリアの名付けに立ち会えなかった事もあってか、我ながら気持ち悪いテンションだったと思う。因みに、“ユリア”という名は以前2人で出し合った子供の名前候補の1つで、ミーリアは其処から選んでくれていたそうだ。其れを聞いた時には感極まって思わず抱きしめ、使用人総がかりで止められた。


 ユリアが拾って来た2人は、想定よりも早く結果を出した。

 幼いながらも、十分下っ端の兵士とやり合えるレベルにまで成長し、約束通りユリア付きの使用人とした。

 丁度良いと思い、セシリアをユリア付きからミリア付きに変更した。

 セシリアは、ミーリアが何処からか連れて来て紹介されたのだが、家の使用人の中でも戦闘能力が随一だった。何やら隠し事もある様子だが、ミーリアが連れて来た事もあって家に不利益が無い限りは放置している。

 有能な事には変わりないので、助かっているのも間違っていないしな。


 ――ユリアが聖女になった。

 何で?何で次々と問題が起きるの?

 ………取り乱した。

 しかし、なってしまったものは仕方が無い。どうこう言った所で詮無き事だ。ならば、必要な事を先にしなければならない。

 当然、教会には牽制しておくとして……。

 まさか、王妃様に気に入られるとは。

 我が家に突然訪問してきた時には頭の痛い思いをしたが、ユリアが立派に相手をしていた。設立したばかりの商会だと言うのに、何時の間にか商品が異常に増えていた。……本当に、何時の間に開発していたのか。

 遂に婚約の打診が来た。

 陛下から直々に頼まれたが、結局断った。ユリアも未だ考える気は無いと言う。

 うむ。そんな話は未だ早い。

 学院へ行ってからでも遅くは無いだろう。いや、ユリアの望む相手ができてからでも……。


 ユリアを初めて他国へ連れて行った。

 商談のついでにユリアにもその空気を肌で感じ取って貰おうと考えての事だったのだが、少し目を離した隙に俺も契約していない相手と商談を成立させてしまうとは……。


 ――ユリア?そんな話は俺も初めて聞いたよ?そういった情報は親子で共有しても良いと思うんだ。


 後から出てくる新情報。しかも、その情報を利用して取り引きするとは……。

 うん。もう好きに商売すると良い、お父さん止めないから。

 若干気落ちもしたが、娘が成長しているのだと思えば悪くは無い。

 そうやって俺は自分を納得させていたのだが……。

 まさか同じ思いを後2回もするとはな。


 息子―――ミール―――も産まれ、ユリアが学院へ行った。

 苦労したのは、ミリアへの対応だった。

 ミリアはユリアに懐いている。……まあ、仲が良いのは良い事だ。

 ユリア以外には少し余所余所しい。……ま、まあ、一番相手していたのはユリアだったものな。

 俺には特に余所余所しい。……お父さん哀しいよ。

 だが、そうは言っていられない。仕事の合間で少しでも時間を作って会わねば!

 と、決意していたのに……。

 ユリア、頻繁に戻ってくるって聞いてないよ?

 いや、戻る手段があるのは聞いていたが、そんなに頻繁に使用して大丈夫なのか。

 ううむ、ミリアの機嫌が良くなったのは嬉しいが、お父さんは少々複雑だよ?

 とは言え、此れも1つの家庭円満というやつかなと無理矢理自分を納得させていた。

 そんな日々を過ごし、ユリアが学友を伴い夏季休暇で長期間の帰省をした時の事。道端で男が負傷した状態で倒れていたと、ユリアが連れ帰って来た。

 人助けそのものは善行なので止めなかったが、身元も不明だった為に隔離用の客間を使わせた。

 ――まさか其れが裏目に出るとは思わなかった。

 その客間は、ミーリアが裏庭へ出る時に使う通路に出入口があった。そしてタイミングの悪い事に、寝付けなかったミーリアが夜中に散歩へ出掛け―――ようとした所で、物音に気が付いた。その時点で誰かを呼べば良かったのだが、ミーリアはその物音がした部屋に入ってしまった。そして―――


 ユリアが居なかったら、どうなっていた事か……。

 そも、連れてこなければ起きなかった。という考えもあるが、ユリアにはそのまま人の命を大切にする子に育って欲しい。だからこの先は俺の仕事だ。

 ――と、意気込んだにも拘らず、得られた情報が少なすぎた。その上、ミーリアを害した理由は納得できないが理解はできる。……聞いた内容が真実ならば、という前提だが。

 反省しているその姿を見ていると、本当に錯乱していただけのようにも思える。

 散々迷った末に、この男の処遇はユリアに任せてみる事にした。

 前科が有る人間の扱いを覚える良い機会だと思う事にしよう。


 トラブルもあったが、概ね平和な日々を過ごせている。

 ユリアも夏季休暇を利用し、やりたい事ができているようでなによりだ。

 その内容が、休暇と言うより仕事ではないかという事は気にしない。

 ……さて、逃避していた現実にも向き合おうか。

 鉱山の件、養蜂による安定した蜂蜜供給の件。

 鉱山は当面、発見した報告だけに止めているので問題無い。追加人員も不要と断じた。

 だが、蜂蜜は危険だ。

 ユリアが作り始めた砂糖が出る前から存在する甘味の1つで、富裕層が(こぞ)って求めているものだ。そして此れ迄は、自然界に存在するものを採取してくるしか無かった。その上、採取には危険が伴う事からかなりの高級品である。

 つまり、蜂蜜の安定供給というのは成功した場合、巨万の富を生み出すと同時に、その技術を狙う外敵をも生み出してしまう事に繋がる。

 私見では、ユリアは成功する未来像(ビジョン)が見えていると思っている。確信していると言っても良い。

 最近は根回しも覚えてきたユリアだが、少々心配だ。


(一応、此方でも準備は整えておこうか………)



 陛下から、養子縁組の打診が来た。正確には王妃様の提案らしいが……。

 そう来たか。

 最初に思ったのは其れだった。是が非でも繋がりが欲しいのかと。

 先ず断った。詳しい話も聞かず、婚姻以外で手放す気は無いと伝えた。

 だが、ユリアが実際に養蜂を成功させ、蜂蜜が出回ったタイミングでもう1度養子縁組の打診が来た。召喚状と共に。

 無視する事もできない。

 仕方なく、予定を変更し王都へ向かう。

 通達が行き届いていたようで、到着するなり中へ通される。謁見室では無く、陛下の執務室へ。


「御足労すまんな」


 挨拶もそこそこに、早速本題へ移る。


「妃の強い要望もあるが、この先、お主だけでユリアを守り切れるのか?」


 当然だと、言いたかった。しかし、既に多数の貴族が動き出しているらしい。中には侯爵家もいるのだとか。

 正直な話、武力的な面では誰と相対しても負ける気はしない。だが、搦手で来られた場合、複数を同時に相手取るのは難しい。

 俺の部下は武闘派ばかりで、工作に秀でた者は少ない。


「ユリア自身に目に見えた功績は必要だが、其れ迄は養子縁組の話を仄めかすだけでもある程度は抑えられるだろう。事実、現状でも王家が欲しがると納得させられるだけの事はしているのだ」


 富裕層には、砂糖と其れを使った菓子。今後は蜂蜜も加わるだろう。

 野菜や根菜類も品種改良とかいうものをしており、既に結果の出ているものもある。品質に対して非常に安価で、幅広い層で需要がある。

 他国の商品も、他所の商会では取り扱っていない物が多く、様々な層で求められている。特に紙や紙から作られた製品類は、需要が高く入荷待ちの物もあると聞く。

 魔具も種類が豊富な為、買い求めに来た客がついでで他の商品も購入していく事があるらしい。

 その他、一部の薬は安価で効果も高く、平民を始めとして富裕層以外にも需要が出ている。


 現状でも手を広げ過ぎている為に悪目立ちしている。

 実際に表でも裏でも手を出してきた者も少なくはないが、今のところは全て返り討ちにしている。しかし、ギリギリなのが正直なところだ。

 商会長がユリアである事は広めていないので、知っている者は少ない。だが、調べればそのうち判ってしまうだろう。

 今後更に、利益欲しさに手を出す者が多くなるのも理解できる。所詮俺は子爵でユリアはその娘。爵位でしか物事を測れない馬鹿は間違いなく増え、寄って来る。


(ユリア自身がどの程度対策をしているのかは未知数……)


 以前、商会設立直後に聞いた事がある。「良からぬ輩が現れた場合、どう対処するか」と。

 その返答は、「物理的、心理的、魔法的の3つの防犯システムを構築する」だった。……半分以上意味が解らなかった。だが、何もしていない訳では無い事だけは理解した。

 ただ、その防犯システムとやらがどのくらい効果的かが俺には判断できない。

 不明なものは低く見積もる。

 取り返しのつかない失敗を避ける為に考え出した俺の答えだ。

 であれば、俺の答えは―――――





 あの時の決断は間違っていなかったと、今でも思える。

 だが、致命的に何かを間違えていたのだろう。でなければ、今この状況に説明がつかない。


「其れで、言い訳は御座いますか?」


 遺言を聞かれている気分になった。

 いや、落ち着こう。

 慌てず深呼吸を……うん?深呼吸ってどんな呼吸だっけ?

 ………うむ。

 深呼吸など必要無いな。呼吸は…うむ、呼吸は正常だとも。

 いや、取り敢えず返事を……返事………。

 いやいや、何を弱気に……そう、俺はユリアの安全の為を思って決断したのだ。気負う事は無い……筈。そうだ、事実をありのまま言うだけだ。


「お…俺は、ユリアの為を思って―――」

「――何の相談も無く、ですか?」


 ぬっ…どもった挙句、即座に返されるとは……。

 し、しかし―――


「――ユリアの幸せを考えるとだな……」

「へぇ………」


 怖かった。

 何故か焦燥感に駆られた俺は、陛下とのやり取りを含めた全てを話した。

 何故養子縁組を受ける方向で話を纏めたのか。

 ユリアの商会が、如何に他の権力者達の目には魅力的に映っているのか。

 今後、此れ迄以上に守る手段が俺には無い事。

 牽制する為には、王家の威光はとても効果的な事。

 やや早口になってしまったが、何とか言い切った。


「……………」


 ユリアの笑みが深まった。

 怖い。

 本当ならば可愛らしい筈の笑みが非常に怖いぃぃぃぃぃ!!

 今の話では納得できなかったのか、若しくは怒っている原因が違うのか……。

 取り敢えず、ユリアの求めている内容では無かったらしい。

 ……いや、言葉か?

 ……………あっ!


「その……すまなかった」

「………ふぅ」


 溜息と共に、ユリアから感じていた威圧感が無くなった。

 どうやら、首の皮一枚繋がったらしい。


「養子の話は無くなりました」


 ……え?


「妙な動きがある貴族も、抑えてくださるそうです」


 ………えぇ?


「そも、私の用意した防犯を抜けられる人間()存在しません」


 何と!!?……ん?人間()


「なので、御心配無く」


 えぇぇ……。


「ただ……」


 ん?


「心配してくださった事については、ありがとうございます」


 ……あぁ、良かった。いつもの可愛い愛娘だ。

 安堵から、俺がユリアの柔らかい微笑みに見惚れていると―――


「ですが……」

「ん?」

「私を蔑ろにした事に関しては、許しませんよお父様」


 ――再び、先程よりも幾分かはマシだが、威圧感を放ち始めるユリア。

 結局、夜が深まり心配したミーリアが来る迄の間、俺はユリアから説教され、家族の大切さを再認識するのだった……………。


厳格な父なんていなかった……

引け目もあるからユリアに対して甘いという感じですね。

勿論溺愛とまでは言いませんが、家族愛は強いのでそれも理由だったりします。


ブクマと評価、ありがとうございます。


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