ユニコーンの扱い
選択授業の武芸学、その中の馬術で久々に遠乗りをする。
生徒は各々、最初の授業で遠乗り用の馬が決まっており、余程の事情が無い限りはそのまま学院を卒業する最後迄同じ馬に乗り続ける。余程の事情とは、老衰であったり、貴族に引き取られたり、処分する事になったり等と色々あるが、そのどれもが滅多に無い理由だ。
老衰に関しては、最初に選定する時点で若馬が全て合わなかった場合にしか老馬が選ばれる事は無い。更に、在学中に必ずその老馬が老衰によって乗れなくなるとも限らない。
貴族に引き取られるのも、基本的に貴族は個人で馬を所有しているので先ず無い。有ったとしても、爵位が上がったり遠征で急に数が必要になったり等、すぐに使える馬を揃えなければならない時だけである。その上、そもそも身の丈に合わない遠征を行う事は無いし、必要であれば援軍を求めれば良いだけの話だ。
処分に関しても、暴れ馬であったり人に危害を加えたりと、生かしておくと危険な馬に対して行われるのだが、気性がどうかは仔馬の時点で判明する為、授業に使われる事は間違いなく無い。
その他にも過去に例がある事柄はあるのだが、何故今この話をしているのかと言うと―――
「お嬢さん、こいつを引き取ってくれませんかね?」
――騎士の方から、毎回私がお借りしているユニコーンの引き取りをお願いされたからだった。
とある理由―――遠乗り先での教皇の事件―――から、武芸学の中の馬術から遠乗りが暫くの間外されていた。
その間、馬術の授業の際には、学院外とは言え近くにある広場での訓練だった為、真面に馬を走らせる事は無かった。
乗馬そのものを楽しめる者は兎も角、馬を走らせる事で得られる疾走感や爽快感を欲していた一部の生徒達は、次第に欲求不満を溜めていった。最初の方こそ顔にも態度にも出ていなかったのだが、段々と、そして徐々にではあるが確実に隠し切れない程の苛立ちが募っていった。
生徒達の不満に気付いた教師達は、遠乗りを外した理由が既に解決済みだとは知っていたので、元の授業内容に戻す事を提案した。しかし、保守的な教師陣が似たような事件が起きる事を恐れて強硬に反対していた。安全性が確保できる対策を行わなければ認められないと……。
だが、確実と言える安全を確保する為には、人件費を始めとする大幅な費用が必要となる。しかし、予算として組み込まれていないものに当てる費用がある筈も無く、全く足りなかった事もあって問題は先延ばしにされていた。
これらの事が噂になるのは早かった。
後ろめたさを覚えている教師陣が隠していても、以前と同じ段取りで遠乗りをしても問題無いと考えている教師陣が生徒に意図的に洩らしたからだった。
そうなると、事態が動くのも早かった。
短気且つそれなりに地位の高い貴族子女の生徒達が教師へ詰め寄り、不満を直接訴えるようになった。
当然、其れは問題視される事になり、議論の結果、学院長の鶴の一声で遠乗りの再開が決定された。
久しぶりの遠乗りに、生徒の大半は機嫌が良かった。
不満を溜めていた反動で、漸く訪れた機会が嬉しいのだろう。
そんな中、遠乗り先に移動後すぐの休憩で、同行していた騎士の方の1人が私に少し話があると言ってきた。その事を不思議に思いつつも、内密にという事だったので他人に聞こえ難い場所で会話する事にした。
一応、男女が2人きりになるのは問題になる。私は未婚だし、相手は結婚しているのか知らないが騎士とは言え年若い。念の為、他の人達からも見える範囲で、ある程度離れた声の届かない位置へ移動した。
騎士の方は付近に人が居ない事を確認してから話し始める。
「急で申し訳ない。お嬢さんは確か…子爵家の御令嬢だったよね?」
「……ええ、そうです」
「物は相談なんだけどね、お嬢さん、こいつを引き取ってくれませんかね?」
私の隣に付いて来ていたユニコーンに目を向けながらそう言われる。
(引き取る?私が?)
「………理由をお聞きしても?」
「勿論だ。お嬢さんは知ってるかもしれないが、乗り手の無い馬は処分される決まりになっているんだ。大抵はそんな事にはならないんだけど、こいつの場合、今はお嬢さんしか乗せないし、その前は誰も乗せる事が無かったんだ」
当然ながら、馬の維持費も馬鹿には出来ない費用が掛かる。
1頭だけで見ればそうでもないかもしれないが、世話の事を考えると数は少ない方が手間も減って楽になるし、何より誰も乗れないのであれば残しておく必要が無い。
ただ、唯一とは言え現在は私1人とは言え乗る事ができる。だから、辛うじて処分の対象にはなっていない。しかし、このままでは私が学院を卒業すれば残す理由も無くなってしまう訳で、いずれは処分する事になってしまう。その事を可哀想に思う声が一部の人達から挙がり、ならばいっその事、私に引き取ってもらえば解決するんじゃないかという事になった。
と、つまりはそういう事らしい。
「其れに、貴族家であれば馬があっても困る事は無いだろう?」
「仰る事は理解できますが、何故今なのですか?」
「其れはまあ…うちの事情と言うか、「学院の生徒1人しか乗らないのに残す必要があるのか?」と、処分を推し進めようとする奴らからの声もあってね。何であんなに頑ななのかは解んないんだが……。まあ、将来的にお嬢さんが引き取るっていう体裁が有れば、当面は問題無いから先にお嬢さんの意思を確認しておこうってなったんだよ」
(成程……)
「ただまあ…引き取ってもらう事になると、処分する予定だったとはいえ幾らか出してもらう事になる。あくまでも“譲る”のではなく“購入する”という形を取らないといけないんだ」
(何じゃそりゃ……)
詳しく聞くと、組織的な問題で、廃棄予定の物でも他者へ譲る事は許されていないらしい。そして其れは、騎士団の予算から購入した所有物に適用される為、馬も例外ではないのだとか。
その話を聞いた時、前世で言う所の“固定資産”という単語が頭に浮かんだ。厳密には意味が違うのだが、会社の廃棄物を個人で勝手に売って問題になった話を思い出したからだった。
この国には固定資産という言葉は無い。ただ、他の国はどうか知らないが、少なくともこの国では組織としての所有物を譲渡する事は禁じられている。しかし適正価格での売買は禁止されていない。なので、金銭のやり取りを発生させなければならないらしい。
………国の予算から出ているからとか?
個人でのやり取りし放題じゃないのかと疑問に思ったが、全て記録に残し、後程不正や不適切な取引が確認された場合には厳罰に処されるそうだ。
「其れでどうだい。勿論強制でも無いし、学院を卒業する迄はうちの厩舎で預かって世話をするという事になるんだが……」
私が隣で大人しくしているユニコーンを見ると、目が合った。
気の所為か、その瞳は期待しているように感じられる。
そう言えば、最初に会った時にも人の会話を理解している節があった。今の会話を何処迄理解しているのかはわからないが、私が引き取っても良いと思ってくれているのなら嬉しい。騎士の方達は馬だと誤解しているが、実際にはユニコーンな訳で、個人的には凄く欲しかったりもする。単に騎士団所有だったから諦めていただけだ。
他で見掛けた事も無いし、今後また機会があるかもわからない。
「私で良ければ、引き取りたいと思います」
騎士の方へ向き直り、是非にと申し出る。
「おお、そりゃあ良かった。…じゃあ、手続きとかもあるから、早めに親御さんに連絡をしておいて欲しい」
「あら、私だけではダメなのですか?」
「え?…ああいや、ダメと言う訳では無いが、安くなると言っても結構な額の支払いもあるし、預かっている期間のも合わせると親御さんも居た方が良いんじゃないか?」
所有権が変わる為、預かっている期間も世話をする為の食費や人件費等が掛かるとの事。
言っている意味はわかるのだが、騎士団の都合を半ば押し付けられる訳だから、私の卒業に併せて購入という形にしてくれても良いんじゃないかと思ってしまう。
そう思い、聞いてみると。
「あはは……其れを言われると正直辛いね。此れもうちの事情で申し訳ないんだけど、さっき言った処分を主張する連中の所為なんだよ」
私が授業で乗る馬には代わりがいる。しかし、現状このユニコーンは私以外を乗せない。なら、騎士団所有である限り、「一令嬢に合わせて残す必要は無い」と強硬な姿勢らしい。
そういった事も踏まえ、在学中でも私に所有権を移さないといけないそうだ。
「理由はわかりましたが、支払いに問題が無いのでしたら私1人でも構いませんよね?」
「……えっと、ま、まあ…そうだな。後は、お嬢さんから親御さんに、連れ帰る事の許可を取っておいてくれるなら問題は無い。しかし良いのか?残り2年ちょいだと、預かり賃は結構な額だぞ」
(ん?ああ……)
「いえ、私は飛び級が認められたので、今年度限りですよ」
「は?……あ、いや失礼。お嬢さん優秀だったんだな。其れならまあ…そんなに高くはならないか。試算は帰ってからになるが、明日には見積りを含め契約書を用意できると思う。話は通しておくから、お嬢さんの都合が良い日に屯所へ来てくれ」
「わかりました」
話が終わって戻ると、既に休憩時間も終わっていた。
久しぶりな事もあってか、他に何かをするでも無く帰路に着いた。
翌日、私は早速とばかりにリンと一緒に屯所を訪れた。
授業でも何度か顔を合わせた人が居た為、すぐに奥へ通される。
「ん?…ああ、お待ちしてました。此方へどうぞ」
案内された先は応接室みたいな部屋だった。
屯所に何故?と思う私。
そんな疑問が顔に出ていたのか、騎士の方が教えてくれる。
「こんな部屋があるのは不思議でしょうね。学院の目の前にあるので、そこそこの頻度で要人の方が訪ねてこられるんです。なので、相応の部屋を設ける必要があったのですよ」
(要人が?……何で?)
具体的な話は避けられていたが、学院の周辺をうろつく不審者を捕らえる機会が多い事から、調査という名目等で要人が来る頻度が多いという意味だった。勿論ユリアはそんな事情を知らないので、この事実に思い至る事は無かった。
「その話は置いておきまして……此方が契約書と見積りになります。内容を確認して問題が無ければ、此処に署名をお願いします」
渡された書類を確認する。
先ずは金額。
見積書には金貨2枚と小金貨5枚と書かれている。馬―――ユニコーン―――が金貨2枚と小金貨1枚、預かり賃が小金貨4枚となっていた。銀貨以下は二重線で消されている。
馬の相場は金貨3枚からで、軍用馬ともなればその倍以上になっても可笑しくはない。
「……随分と安くしてくださったんですね」
「其れは勿論、処分予定だったところを購入して頂きますので、その辺も加味されております。処分にもお金が掛かってしまいますので……」
「成程………」
金額に納得した私は、契約書にも目を通す。
特に変な内容も無かったので、そのまま署名しリン伝手で金額を支払う。
さて帰ろうか…と思った時、お茶を出されたので少しだけ雑談に興じる事に。
主に何故馬―――ユニコーン―――に懐かれたのかを聞かれたのだが、心当たりも無い私に答える事はできなかった。だからと言う訳でも無いが、その時の状況を話す事になった。
話を聞き、頭を悩ませている騎士の方。その様子を眺めながら、個体差があるのだから考えても無駄ではないかと思ってしまう私。なんでも、今回のような事態は初めてだったんだそうで、今後を考えると原因を知っておきたかったと言われた。
………成程、一理ある。
しかし実際には馬じゃない。外見が似ているだけで、その正体はユニコーンだ。生態系の全てが一緒だとは思えない。
――話すべきだろうか?
一瞬そう思うが、何故見分けが付くのかも併せて説明しなくてはならない。
だけれど、私には良い言い訳が思い付かない。
(言わない方が良いよね……)
幸い、外見上は他の馬より美しい純白の毛並みをしているだけで、他に差は無い。角も折れているし、額を触らなければ判る事も無いだろう。
見分ける方法が無いのならば、知らなかったとして余計な事は言わないに限る。
「――おっと、長らく引き留めてしまい申し訳ありません。大変参考になりました。本日は御足労ありがとうございました」
(何一つ参考になる話はできてないけれど……)
「いえ、私の方こそありがとうございました。では、失礼致します」
お礼を言い、私達は屯所を後にした。
後日、名付けをした事によって起きる騒動の事を、今の私は未だ知らなかった……………。
ブクマと評価、ありがとうございます。