復讐成らず
ルースリャーヤ王国、北の辺境ノルド。
その城の一室で、開戦を支持していた者達が一堂に会していた。
「おい!此れはどういう事だ!!」
―――ダンッ!!
怒鳴り声を上げた男は、手に持っていた報告書を机に叩きつけた。その男の表情は憤怒に染まっており、耳まで真赤になっている。
傍には他に4人の男達がおり、皆同じく怒りの形相をして目の前の男を見ている。
机を挟んだ反対側、怒鳴られた男は閉じていた目をゆっくりと開け、怒鳴っていた男を見遣る。
「どういう事……とは?」
「しらばっくれる気か!?何故陛下が作戦の事だけでなく、以前の事迄正確に把握しているのだ!…まさか貴様、協力すると言っておきながら裏切ったのか!!?」
「裏切ったとは人聞きの悪い。……私はこの国の北部を、陛下より任されているのだ。その事に誇りを持っている。貴殿達の様に、放っておけば国の害となる膿は排除する必要があるのだよ。陛下には全て報告済みだ。大人しく沙汰を待つと良い」
怒鳴られていた男―――プロティク辺境伯―――は、怒鳴っていた男を気迫の籠った目で見つめる。1対5で相対しているにも拘らず、その貫禄は流石国の要所を守る辺境伯だと言えるだろう。
怒鳴っていた男は、その視線に一瞬たじろいだものの再び噛み付いた。
「ふざけるな!国の為にも戦争をするしかないと、貴様も納得していただろうが!!」
「私が何時戦争が国の為になると言ったのかね?」
「……何だと?」
「私は“戦争は経済を動かす切っ掛けとなる”と言っただけで、貴殿の意見に同意した訳でも、協力すると明言した訳でも無い」
「こっ、この……お前達!構わん、殺ってしまえ!!」
怒鳴っていた男の合図で、傍に居た4人の男が剣を抜く。
その瞬間、プロティク辺境伯は呆れた表情となり、やれやれと首を軽く振る。
「此処迄愚かだったとは……。流石は私怨と私欲で戦争を起こそうと企んだだけはあるな」
「余裕ぶるんじゃない!貴様1人でこの人数に敵うと思うなよ!」
激昂した男達が、プロティク辺境伯を斬ろうと一歩踏み出したその瞬間―――
「其処迄だ」
「んなっ!?…お、王太子殿下!!?」
――扉が開き、この国の王太子が騎士団を引き連れて姿を現した。
何故このような状況になったのか、話はユリアが軍事国家ティスラーへ侵入した所まで遡る―――――
交渉材料を整えた私は、元帥が休んでいると思われる部屋の前に来ていた。
(聞いていた特徴通りの扉……)
この要塞で働いていた使用人さん達と、ちょこーっとだけO・HA・NA・SHIして聞き出した元帥の部屋の情報。扉は一面に金が貼ってあり、両脇には沈丁花が飾ってある。沈丁花の花言葉は“栄光”と“勝利”だった筈。その意味から、自ずと元帥の人柄がわかる気がする。
今は仮眠と称してサボっているらしく、此れはほぼ毎日の事のようだ。政は苦手らしく、政務は全て部下に丸投げしているとの事。
躊躇う理由も無くなったので、私は勢い良く扉を開け放った。
―――バァァァンッ!!!
頭に響く程大きな音が鳴り、ちょっとだけ勢いが強すぎたと軽く反省した。
「な、何事だ!??」
けれどもその甲斐あって、仮眠を取っていた元帥と思われる人は跳び起きた。
起きた拍子にベッドから落ち、開いた扉の方に目を向ける。しかし、私は透明化したままなので姿が見えず、すぐにきょろきょろと部屋の中を見回す……が、当然ながら他には誰も居ない。
「チッ…質の悪い悪戯か。しかし誰がやった……?」
機嫌が悪そうな顔になり、此方へ歩いて来る。……扉を閉めようとしているのかな?
近付いて来た所で私は移動した。すると、元帥と思われる人は扉を閉め、悪態を吐きながらベッドへ戻っていく。私に気付く様子は無い。
私はそのまま部屋の四隅に亜空間から取り出したある物を置き、もう1つ別の物を口元に当てて声を出す。
「初めまして元帥閣下。ちょっとした交渉をしに参りました」
「な!?……ど、何処に居る。姿を見せろ!!」
はてさて、すんなりときょうは……交渉が終われば良いんだけれど……………。
「――姿を見せろ!!」
気持ち良く睡眠を取っていたというのに、其れを妨げるかのように大きな音を立ておって。
柄にも無く驚いてしまったが、開いた扉の先にも室内にも人の姿は無い。…既に逃げおったか。そう判断し悪戯かと思えば、今度は女の―――其れも若い女の声が室内に聞こえてきた。
しかも―――
「何処だ!何処に居る!!」
――声で居場所が特定できないだと?
……何故だ、何故どの方角からも声が聞こえるのだ?
この部屋に隠れられる場所は少ない。ワシは苛立ちを覚えながらも確認したのだが、死角となる場所にも何処にも姿が見えない。
――何だ?何が起きている?
「気は済みましたか?」
――まただ、また若い女の声が聞こえてくる。
「どうした!?臆したか!?隠れていないで出て来い!!」
「お断り致します。今回私は交渉に参りましたので、用件が済みましたらお暇致します」
「……交渉だと?何の交渉だ」
「現在侵攻中の軍を退かせてください。そして、2度と戦争など起こしませんように」
「何………?」
軍を退かせろ?
何を言っているんだこいつは……バカなのか?
今侵攻しているのは、怨敵ルースリャーヤ王国だけだ。つまり、こいつは其処から来たのか?
いやしかし、何者かが今ある前線基地に勘付いたという報告は無い。ならばどうやって……いや、今のように姿を隠しておったのか?
だとしてもだ…今回の作戦の為に、どれ程の金や時間を掛けてきたと思っている。
失敗とは其れ即ち、この国の終わりを意味しているのだぞ?
あの国を攻め落とし、其れで得られる土地や資源で此れ迄の損失を補填するのだ。
既に後戻りはできんのだ!!
「――はっ、貴様が何と言おうと、もうじき侵攻は開始されるのだ!…いや、報告通りならば既に進軍しておるやもしれんな!」
「いえ、御心配には及びません。前線に居られた方や補給に向かった方々は、既に全員捕らえておりますので」
「………は?」
今、こいつは何と言った?
「何を……バカな事を………」
「信じなくとも構いませんが、此処でも同じ事をさせていただきました。御自身の目で確認されては如何ですか?」
「なっ!?この……誰か!誰か居らんのか!?」
急ぎベッド脇に置いてあるベルを鳴らす。
何時もならば、誰かしら待機している使用人が来る筈だが……。
暫く待っても誰も来ない。
戯言では無いのか……?
いや、この近くの者共に何かしただけであろう。先程から、聞こえてくる声は1つのみ。たった1人で何ができると言うのか。何人の者達が此処へ勤めていると思っている。どうこうできる訳が無いのだ。
「チッ―――」
ワシは部屋を飛び出し、他の者を探しに向かう。
何処へ隠れているかは知らんが、数で押せば良いだけの事。その為ならば、多少部屋が傷付くくらいどうと言う事も無し。家具や調度品も入れ替えれば済む事だ。
そう考えながら探し続ける事、数時間。
――誰も居ない。
ワシの部下だけでなく、雇いの文官も使用人も料理人も……全ての者が文字通り居なくなっておる。
部屋に戻ったワシは、脱力し自然と膝を着く。「御納得頂けましたか?」と声を掛けられるが答える気力が今のワシには無い。
動悸が激しい。
走り回り、大声も上げた。しかし、この異常な動悸はそれだけの所為では無い。
可笑しい。
ありえない。
理解したくない。
……普通では無い。思えば最初から可笑しかったではないか。
誰にも気付かれずに侵入している事も。
姿が見えないにも拘らず聞こえる声も。
その声の出所がわからない事も。
そうだ。何もかもが可笑しいではないか。
「はっ、ははっ、はーっはっはっはっはっはっは………ふひっ、ひひ、ふひひひひひひ」
終わってしまった。
何もかもが……………。
突然笑い始めた元帥を前に、私はどうしようかと悩んでいた。
この部屋へ戻って来た時には、連れ戻す必要が無くなって安堵していたのだが、どうやら別の問題が出てきたようだ。
明らかに壊れてしまっている。
(仮にも元帥なのだから、もっと精神力も強いと思ってたんだけどなぁ……)
此れは誤算だった。
心を折るだけのつもりだったのに、今の状態では会話が成立するのかすら怪しい。
(面倒だけれど仕方がない……)
この状態から戻せるのか試した事は無い。けれど、話が進まないのも困る。
私は一呼吸置いて、感情を調整する。
改めて手に持つマイクを口元に当て、四隅に置いたスピーカーを通して声を掛ける。
「正気に戻りなさい」
気持ちの悪い笑いを続けていた元帥が、一瞬ビクッとする。
その後部屋の中をきょろきょろと見回し始めるが、その顔は青白くなっている。
「では、交渉の続きといきましょう」
「……………何が望みだ」
「先程も申し上げました通り、軍を退かせてください。その後、今後一切侵攻してはならぬと厳命し文書として残して頂きたいのです。勿論、誓約書も書いて頂きます」
「はっ……できる訳が無い。この時の為に、全てを掛けて来たのだ。人も、金も、時間も…全てを費やしてきたのだ。周りが納得する筈があるまいて」
「そうですか?皆さんの身に起きた出来事を考えれば、納得するしかないと判断されると思いますよ?」
「身に…起きた出来事だと?……其れは、何だ」
「今、此処には元帥閣下しか居られない事は理解できたかと思われますが……」
「………ああ、未だに信じられぬが、この目で確認したからな」
「では、他の方達は何処に行かれたと思いますか?」
「……………何?」
私が何を言いたいのか理解できないといった顔をしている。
まあ、質問の仕方が意地悪だったかな?
「前線基地に居た人達、輸送を担当していた人達、此処で働いていた人達、その全ての人達は今同じ場所に捕らえています。……まあ、本人達に自覚はありませんが」
「意味が…解らんのだが……」
「理解されなくとも構いません。兎に角、捕らえた人達を開放してあげますので、説得は任せます。と言っても、先に現在の日時を伝えれば、案外楽に済むと思いますよ?」
「日時?…其れに何の意味があるのだ」
「意味は本人がわかれば十分でしょう。……さて、外に纏めて解放しますので、先程の件を了承して頂きたいのですが」
「………………………わかった。軍を退く命令と、今後不可侵とする誓約書を書こう」
随分悩んでいたようだが、承諾させたから良しとしよう。
そのまま誓約書を2枚書かせ、1枚は貰った。
目の前で急に消えた誓約書に、元帥は驚くのではなく遠い目をしていた。
「さて、捕虜の開放といく前に1つ確認ですが……」
「な、何だ」
「食糧があれば、取り敢えずは大丈夫ですよね」
「あ、ああ…だが、この国の生産量ではとても足りぬ。今回の事で、此れ迄蓄えてきた物全てを放出したからな」
他国との取引も食糧関係は無いらしい。
理由は、取引の流れから戦争の準備がバレるからなのだとか。
最早何と言えば良いのかわからなくなってきた。
「では、食糧については此方で何とかしましょう。ですので、どうあってもきちんと抑えてくださいね」
「……あ、ああ、わかった」
軍部関係者は自業自得なので勝手にしろと言いたいが、其処に住むだけの民を巻き込むのは少々心苦しい。
こういった場合、真っ先に犠牲となるのは大体地位の低い者からだ。
直接戦争に関わった訳でも無いのに、飢えて死ぬのは一般人からとか笑えない。
だから仕方なく……そう、仕方なく食糧を提供するのだ。
………誰が提供するかは未だ明確に言ってないし?
元帥に外へ出るよう促し、私は置いていたスピーカーを回収してから追いかけた。
何の為にあるのかわからない広い空間。一応、壁の内側なのだから何かしらの役割があるのだろうが、其れを私が知る必要は無い。
私は、例の子達が出ないようにだけ注意しながら、此れ迄放り込んできた人達を全て放出した。
「――ぐふぇっ!?」
「いだっ」
「あ゛ぁ!!」
「――うだ。……???」
「うおぅふ!??」
「……………」
一度に出したからか、密集して出た人や、重なってしまった人、投げ出されたようになっている人と、なかなかに混沌な状況になってしまった。
彼らにしてみれば、気が付けば違う場所に居る。其れも、居なかった人と一緒に。理解に苦しむ状況だろう。
「では、後は宜しくお願いしますね。ああそれと…もしも今後、近隣諸国がうちの国へ侵攻して来た場合、貴国が関与したと判断して報復措置を取らせて頂きますので、しっかり管理してくださいね」
「は?何を―――」
目の前の光景に棒立ちしていた元帥に丸投げし、返事を待たずに私はこの場から立ち去った。
テュール達と合流して、結果を報告しに国へ戻ろう。
私が立ち去る時、全てを諦めた表情をしている元帥が視界に入ったが、きっと気の所為だろう。
学院の寮に戻った私は、リンに終わった事を伝え、王城へ再び面会依頼を出した。
返事は早く、即日登城するようにとの事だったので、遅い時間にも拘らず着替えてから王城へ向かった。
連絡が行き届いていたのか、到着後すぐに通され陛下との面会が始まる。
「あー、その…何だ。遅い時間にすまない。そして、早かったな……」
「はい。誓約書も書いて頂きました。…此方です」
「………うむ、確かに。実はだな、北の辺境伯からの協力もあって、向こうの実情が判明したのだ。証拠もある。十分処分に足る理由ができた」
「実情…ですか?」
「ああ。まあ、機密にも抵触する為詳細は省くが、ユリアのお陰でテュール様の案を実行できる。……其れから、この件は王太子に任せる事とした」
「左様ですか」
陛下は何故か言い淀んだり、視線を彷徨わせたりしている。
「其れでだな、あー…その、ユリアにも協力して欲しいのだ」
(協力……移動手段か)
成程。私に協力を要請したいけれど、テュールが絡むから言い難いのだと理解した。
陛下達には、テュールに乗って移動する事は伝えてあった。
兵は拙速を貴ぶ。ではないけれど、今回の件は時間との勝負だと思ったので移動手段に関しては先に伝えていたのだ。無論、帰りは転移で帰ったが、その事は伝えていない。なので、陛下はテュールの移動速度が尋常でなく速いと思っている筈である。
私は少し考えるフリをし、了承した。
「すまん。頼んだ―――――」
私の目の前で、次々に連行されていく貴族とその関係者達。中には、見覚えのある商人も居た。その商人は、私の存在に気が付くと、一瞬驚いた後私を睨みつけて来た。過去に商談を持ちかけてきた事があるのだが、私の事を小娘だと思い侮っているのが丸わかりだった。その態度も含め、商談内容に魅力を感じなかったので蹴ったのだが、未だに根に持っているのだろうか。あの商談の後、大分危ない橋を渡っていると風の噂で聞いていたけれど、まさかこの件に関わっていたとは思わなかった。
全員を連行し終わり、王太子殿下が私の方へ歩いて来る。
「今回は助かった。ユリア嬢のお陰で、辺境伯が危険な目に遭う前に何とか間に合った」
「いえ、私は陛下からの依頼を受けただけですので、お気になさらず」
「……………」
「……あの、何か?」
「君は…貴族らしくないな」
唐突な発言に、一瞬呆けてしまう。
「……自覚は御座います」
「ああ、別に責めている訳では無い。礼儀も知っているし、大事な場面では気を付けているようだしな」
「はあ………?」
「いや、今言う事では無かったな。改めて、今回は助かった。後日また正式にお礼をしよう。では」
「え、いえ―――」
私の返事を待たずに行ってしまった。
王太子殿下は、他の騎士団と一緒に護送しながら王都へ帰還するそうだ。
私は、誰も居なくなった後に王太子殿下達を乗せて来た大きい籠を仕舞い、テュールと共に転移で帰った。
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