婚約破棄
とある前線基地の一室―――
「状況は?」
「上々……相手の動きが見えない以外はな」
「其処はもう諦めただろう」
「まあね。でも不満は残るさ」
「我慢しろ。もうすぐだ……もうすぐで積年の恨みを晴らせる」
「……………」
「?……どうした」
「いやね、どうにも嫌な予感が止まらないもんでね」
「そうか、諦めろ」
「諦めろって……」
「事態はもう動き出したのだ。今更後戻りなどできん」
「まぁ、そりゃあそうだが」
「其れで、あれは使い物になるのか?」
「………混ぜ物の事を言っているのなら、無理かもな。明らかに此処へ来てから、何かに怯えている」
「……何があった?」
「さてね……もうあれらは人とは呼べん存在だ。俺等とは違う何かを感じてんじゃないのかね」
「何かとは何だ」
「知らんよ。わかれば苦労は無いさ。と言うか、其れもあって嫌な予感がしているんだよ」
「だが、あれも戦力に数えられている。何とかしろ」
「はぁ…またそんな無茶振りを……。へいへい、わかったからそう睨みなさんなって」
「急げよ」
「はいよ」
密室での会話が終わり、部屋を出た男は独り言ちる。
「司令官様は気楽で良いね……」
期待こそしていなかったものの、想像通りの返答に辟易していた。
混ぜ物―――様々な薬を使用し、人と魔物と呼ばれる生物の間に産ませた生物―――は、南下するにつれて何かに怯えるようになっていた。
どう考えても戦争では使い物にならない。
そう思って一考して貰う為に忠言に来た筈だった。
しかし、結果は変わらず。
既に賽は投げられた。
其れを理解できているが為に、この先の展開を考え憂鬱になっていた。
だからだろうか、先程の会話を盗み聞いていた者の存在に、最後まで気付く事は無かった……………。
私は今、非常に困っている。
「うぅ、ぐすっ…ふぅうぅぅぅ」
目の前で泣いている令嬢は、先程婚約者に理不尽に捨てられた。所謂婚約破棄というものだ。
「わ、私が今迄どれだけ…あの人の為に、頑張ってきたと……お、思って、ゔぅ」
放課後、スィール殿下との約束の為に待ち合わせ場所へ向かっていると、中庭が騒がしい事に気が付いた。今思えば、無視していれば巻き込まれる事も無かったのだろうが、しかし其れでは目の前の令嬢に手を差し伸べる者が居たかもわからない。
騒ぎが気になった私は、野次馬根性丸出しで様子を伺うと、其処では1人の男子生徒と2人の女子生徒が居た。片方は目の前の令嬢で、残り2人は寄り添うようにしていた。
途中から見たので全容はわからなかったが、男子生徒が「お前とは婚約破棄する!今すぐ俺の前から消え失せろ!!」と喚いていたので、恐らく隣に居た令嬢と何かがあって行動を起こしたのだろうとは思っている。
ただ、目撃者が多数居る場所で騒ぎを起こさなくても良いんじゃないかとは思ってしまった。
婚約の話ならば、当人達だけですれば良い訳で、衆人環視の中でする必要は無い。
そして、男子生徒と寄り添っていた女子生徒の2人は立ち去り、目の前の令嬢は声を押し殺しながら泣き始めた。その時私は、思わず「消え失せろって言いながら自分が立ち去るってどうなの」と呟き、近くの生徒達に「嘘だろコイツ」みたいな目で見られてしまった。
………いや、まあ言いたい事はわかるけれども。
間を置かず、周囲に居た野次馬は居なくなった。………泣いている令嬢を置いて。
何となく放っておけず、私は令嬢に声を掛けて場所を移し現状に至る。
「に、苦手な…事だって、努力し…てできるように、が、頑張った…のに、ぐすっ…ゔぅ」
「そ、そうですよね。好きな人の為に頑張ったのに、一方的にフラれるだなんて赦せないですよね」
「すんっ。……え?い、いえ、あんな人、好きでも何でも無いです。元々、政略結婚を目的としていましたので、愛情だの恋愛だのといった事実はありませんでした」
私の言葉が的外れだった為か、すっかり涙が引っ込んだ令嬢。
今は不思議そうな表情で私を見つめている。
「えーと…なら、どうして泣いていたの?」
「あ、其れは私の今迄の努力を否定された気分になったからです」
令嬢曰く、ただでさえ好きでも無い相手との婚約なのに、相手の親からは「釣り合うようにもっと努力しなさい」や「貴女には秀でた部分が何も無いのだから、この婚約にもっと感謝しなさい」等と散々言われてきたらしい。
「私の家の財産目当てなクセして、どうしてあんな言われ方しなければならないのかと、いつも不満だったのです。でも、家同士の婚約だからと思い、両親に迷惑を掛けたくなくて今迄我慢してきました。それに、言われっぱなしも悔しかったから頑張ってきたんです!……なのに、それなのに浮気した上に身に覚えの無い事を次々と一方的に告げて、挙句の果てには婚約破棄だなんて―――」
言っているうちに、今度は憤り始めた令嬢。握り拳が僅かに震えており、力の入れようが目に見えるようだ。
余程嫌な事ばかりを思い出したのだろう。
「ま、まあまあ、落ち着いてください。私で良ければ話を聞きますから」
「あら、私ったら、つい……」
そう言うと、令嬢は姿勢を正して続ける。
「改めまして、私はオルコット、スウェーブン伯爵家の長女ですわ!」
「ユリアです。ルベール子爵家の長女です」
聞く所によると、彼女は2年次で私と同い年だった。
先程の令息は親が決めた婚約者で、昔の当人はもう少しマシだったらしい。と言っても、理不尽な事を言わなかっただけで、扱いそのものは良くなかったとの事。
令息の名はクリプト・リィークルム。
可笑しくなったのは最近で、特に先程一緒に居た令嬢と交流を持ってから段々と悪化していったようだ。
(話だけ聞くと、どう考えてもあの令嬢が原因としか思えないけれど……)
「他に思い当たる事はありませんか?」
「………思いつきません。ですが、会う機会が明らかに減っていたので、その分あの御令嬢と会っていたのでしょうね」
「其れは……寧ろ向こうに責が有るのではありませんか?」
「で、ですよね!貴女もそう思いますよね!?…なのに、然も当然とばかりに言ってくるので、私が可笑しいのかと自分を疑ってしまいましたわ!!」
「あ、あはは……」
余りの勢いに押されてしまう私。
ひょっとすると慰める必要も無かったのだろうかと一瞬思ってしまうが、其れでも涙を流していた事は事実なのでその考えを振り払う。
と、其処でもう一つ大事な用事を忘れていた事に気が付いた。
「あ、スィール殿下」
「へっ!?…ど、何処ですの?」
私の呟きに、周囲を見渡すスウェーブン伯爵令嬢。
「ああいえ、スィール殿下と約束をしていた事を思い出しまして……」
「はぇ?…え?えぇ!?」
余程驚いたのか、言葉にならずに口がパクパクしている。ちょっとだけ可愛らしいなと場違いな事を考えてしまった。
「ど、どうしてそう落ち着いているのですか!?私に構わず行ってください!殿下との約束を忘れてすっぽかすだなんて、不敬ですのよ!?」
そう言って、私にスィール殿下との約束を優先するよう促すスウェーブン伯爵令嬢。スィール殿下と会う事に気が進まないのが顔に出ていたのかもしれない。あと、関係無いが先程から言葉使いが乱れている。
スウェーブン伯爵令嬢は1人でも大丈夫と言うので、一応後日また会う約束をしてから私達は別れた。
「何かありましたか?」
遅れた私を責める事も無く、スィール殿下は何かあったのかと心配してくれていたようだ。
約束を忘れていたとも言えず、私は何でもありませんと笑って誤魔化した。理由を隠した事を気付かれたのか、其れとも理由無く遅れた事が気に入らなかったのか、スィール殿下の側近と思しき人や使用人の方達から睨まれてしまった。
私は先程の婚約破棄騒動について考えながら、スィール殿下の魔法の訓練に付き合うのであった……………。
「それって、騎士団長の息子ですよ」
翌日、いつものメンバーに相談すると、ルナリアさんからそんな事を言われた。
「ほら、例のゲームの攻略対象ですよ」
「え?本当に?…物凄くバカっぽく見えたんだけれど」
「あー……そうですね。確か頭は余り良くなかったかと。でも、聞いた感じだと性格がちょっと違う気がしますね」
「性格?」
「はい。クリプトさんは自身が頭が良くない事を自覚しているので、周囲の意見を良く聞く方だった筈ですね。ただ、其れがコンプレックスにも繋がっていまして、ヒロインと接するうちにある事件を起こすんです。で、その事件が切っ掛けで婚約が無かった事になって、その後ヒロインの選択次第で結ばれるんですけど、ハッピーエンドは両想いで終わるのですが、バッドエンドだと歪んだ想いを向けられて終わるんです。……ネタバレしますと監禁されますね」
「………うわぁー」
「悲惨……」
「関わりたくないですね」
イリスとフィーナはかなり引いている。
気持ちはわかる。監禁とか無い。しかも結ばれた上で監禁とか本気で無い。
「なら、やっぱり傍に居た令嬢が原因かな」
「ですね。何をどうしたのかはわかりませんが、その令嬢が元凶だと思います」
「元凶って……」
「いえ、話を聞く限り、元凶と言っても過言ではありません」
ふんす、と聞こえてきそうな程に力んでいるルナリアさん。ゲーム既プレイであるが故に、思うところが有るのかもしれない。
……と、其処で疑問が1つ。
「あれ?…騎士団長なら、お金に困らないよね。財産目的の婚約ってあり得るの?」
「んー…その辺はゲームでは詳しくは出てこなかったんですけど、確か騎士団長の奥様が浪費家だったっていうテキストを見た覚えがあります」
その辺はルナリアさんもはっきりとはわからないそうだ。
「……被害者の御令嬢とは、また会うんですよね?」
「そうね」
「……………」
「?……ルナリアさん、何か気になる事でもあった?」
「ああいえ、そうではなく……いえ、やっぱり何でも無いです」
「そ、そう?」
ルナリアさんの態度が少し気になったが、其れ以上は聞かなかった。
寮の自室に戻ると、手紙が2通届いていた。
1通目はクハウ伯爵からの物で、例の抗議文への返答だった。
簡潔に纏めると、息子の件は若気の至りであろうから目くじらを立てるな。関税に関しては偶然で、何かしらの思惑があっての事では無い。袖の下については、心無い者が使者となってしまったのだろう。寧ろ態々事前に知らせを出した事を感謝しろ。
といった目を疑う内容が盛り沢山であった。
結局の所謝罪する気も無く、不始末は部下や息子が勝手にやった事だから知らんと言いたい様だ。街の住人からの評判とは随分とかけ離れている。
部下の不始末は上が責任を負うのが普通じゃないのかと言いたいし、子供の教育が間違っているからこういった問題を起こしているのではないのかと言いたい。
この時点で私はクハウ伯爵を敵認定した。
2通目はマリウスからの報告書だった。
内容は前回の続きに加え、北の情勢についても書かれていた。
以前王妃様から聞いていた以上に不味い状況らしく、北では近々戦争が起こる可能性が非常に高いようだ。又、クハウ伯爵は戦争賛成派のようで、その支援として武器類を送っていたらしく、別ルートを通しているものの搬送先は全て同じ場所だった。
(まあ、戦争に関しては私にできる事は無いし、放置で良いけれど……)
しかし気になるのは、私に対するクハウ伯爵の態度である。
私の事を下に見るのはまだわかるにしても、抗議に対する返答が余りにも雑だ。其れだけ私の事を舐めているのか、若しくは本当に部下や息子の独断だったのか……。
(いや、独断で行動していたとしても形だけでも謝罪くらいはするよね?)
他にも可能性を考えたのだが、不可解なままだった。いずれにせよ、私から歩み寄る事は無くなった。
あの困った性格の令息―――名前は忘れた―――にも、態度を改める必要は無いだろう。
「………ユリア様?」
「ん?…あぁ、大丈夫よ」
手紙の途中で考え込んでいた為、リンが心配して声を掛けてくれたようだ。
考えるのは後回しにして、私は報告書の続きを読む。
すると、先程迄の内容が吹き飛ぶ程の内容が書かれていた。
「……王都の教会を、神殿に改装中………?」
指導者たる教皇が捕まった後、教会は民衆からの支持を急速に失っていった。
他の教会がどうかは知らないが、王都の教会関係者は大分肩身の狭い思いをしていた。
教皇に同調していた人達は、無責任な者が多く、大半が他の町へと逃げ去っていた。しかし、教義を大切にし、真摯に向き合っていた人達は今も残って頑張っている。
マリウス達はそんな人達を説得(?)し、神殿で新たに神官や巫女として神に仕えるように仕向けたようだ。
その事は別に構わないのだが、新たに定めた教義の1つに、私を崇めるようにしたのだと遠回し且つ長文で書かれていた。
………私にどうしろと?
(見なかった事にしよう……………)
ブクマと評価、ありがとうございます。