命
――初めて見た時、綺麗な人だと思った……。
――笑った顔を見て、可愛らしい人だと思った……。
――話をして、優しくて甘えん坊な人だと思った……。
――触れ合う度に、大切にしたい気持ちが増していった……。
血塗れで倒れていた男性を連れ帰った後、父に事情説明とイリスの今後の予定も含めた紹介を行った。
始めは驚いていた父だが、一応は納得してくれたので問題は無いだろう…「まぁ、今更だろう…」と小さく呟いていたのはきっと気のせいに違いない。
どうやら丁度お客様が遠方からいらしていたようで、失礼をしてしまったと思い謝罪すると、にこやかに微笑みながら許してもらえた。寛容な方で助かった。
夕食と湯浴みを終え、ミリアとミールに御土産を渡して今日は相手できない事を伝え、今は私の部屋でイリスと今後の方針について話していたのだが、話題は連れ帰った男性に移り、腑に落ちない点があった私はその話に乗る事にした。
「何であんな場所に倒れてたんでしょう?」
「それはわからないけれど、今思えば変な点があったのよね…」
「?…変な点ですか」
「そう、あれだけ血を流していたにも関わらず、周りに血の跡が全く無かったの」
何時何処でやられたのかはわからないが、あの場には本人から流れていた血以外には発見できなかった。それは血痕だけでなく、足跡の様なものも引き摺った跡も見られなかった。
周囲に血痕が無かったという事は、あの場で襲われたと考えるのが普通だが、足跡も含めて何も無かった。考えられるとすれば、足跡が消された可能性があるという事になるが、それだけ慎重ならばあの場に放置されていた事が説明できない。道から逸れているとはいえ、視界に入るからだ。
そういった疑問をイリスに話し考え込んでいたが、結論も出ないままに夜も更けてきたので寝る事にした……
ベッドで横になって暫く経ち、ウトウトしてもう少しで寝入ろうとした時だった。
「―――――っ!!」
(っ…何!?)
悲鳴が聞こえた気がし、ハッとして目が覚めた。…それに、今の声は聞き間違いでなければ―――
(…お母様?)
――母の声に非常に似ていた。
それに気付いた途端、嫌な予感が巡って起き上がり、自分の服装も気にせず急いで部屋を出た。
部屋を出ると、他にも気付いた使用人が居たようで、悲鳴の発生源はすぐにわかった。意識不明の男性を寝かせてある客室だ。
「っ…お嬢様!?」
「ごめんなさい、退いて!!」
入口に居た使用人を押し退け、中を確認する―――
「っっっ!!?」
――目に映ったのは、血を流して倒れている母と、例の男性を取り押さえているセシリアだった。
その男性の手には、血の付着した破片が握られていた。
「お母様!!!」
私は急いで母の傍に行き、傷の確認をしようと触れたのだが……
(脈と呼吸が……無い!!?)
傷は胸元のみだが、心臓に達していた…完全に致命傷だ……
それでも私は一縷の望みにかけ、先ず傷を癒してから記憶にある心臓マッサージを行った。
「っお母様!お願い!!戻ってきて!!!」
「お、お嬢様!?何を……」
泣きそうになりながらも、私は手を緩めず繰り返すが、使用人は私が何をしているのかわからないようだった。
どれくらいの時間そうしていたか……変わらない現実に、私はいつの間にか泣いていた。傷を癒し浄化を行った事で、服が裂けている事以外は綺麗な状態で、動くことのない母が冷たくなり目の前に居る。顔色も悪く血色が無い。
ふと気が付くと、父が横に居て私を抱きしめていた。取り押さえられた男性は拘束されて連れ出されたようだ……
「………おと…さま」
「……ユリア、もう良い…それ以上はもう………」
「でも…私が……私の…所為で、私があの男性を……連れて帰らなければ…」
「…いや、ユリアは善意でやった事だ……だから後悔しないでくれ…」
自分も辛い筈なのに、父は震える声で私を慰めてくれた。
「あの男の処分は俺がする。ユリアはもうお休み…」
「でも…お母様が……」
「……ミーリアも、きっとユリアを責めたりはしないだろう。ユリアの事を想って、見守ってくれる筈だ…」
「見守って……?」
「そうだ…昔から、死者は天から生者を見守り、見えないところで助けてくれると言われている……」
(……それって守護霊?………霊体…)
「ミーリアも、ユリア達を愛している。……きっと見守ってくれる」
(もしかしたら……)
「ユリア…?」
父は突然考えて動かなくなった私を見て心配そうにしているが、私は今それどころではない。
――転生する前から疑問に思っていた事があった。
幽霊と呼ばれる存在は、実のところ何なのかと。非科学的ながらも、心霊現象と呼ばれるものもあり、見えたり霊感がある人が居た事もまた事実だった。しかし、人を構成するものの中にそれがあるのかは不明で、調べる事もできていなかったと思う。
例えば人を構成する物質そのままで人を造ったとしても、それが自然に動く事は無い。しかし、人に限った事ではないが、母胎で育つ胎児は当然ながら成長過程でも動く。その違いは何か…仮に霊体と呼ばれるものが人体と密接な関係にあるとした場合、人が意思を持って動く為には重要なものの筈だ。恐らく胎児は親から分け与えられているのだと思う。
これらは私が思うだけで成功する保証は無いが、もしも治癒した肉体に霊体を戻す事ができれば母を生き返らせる事が可能かもしれない。
(問題は……)
後はどうやってその霊体を視認するか、と言う事になる。
正直、見える人と見えない人の差が私には理解できていない。視覚情報の処理に違いがあるのかもしれないとは思うが、実際に何を捉えているのかがわからない。
(…いや、目で見る必要は無いのかも)
この異世界に於いて、以前は無かった魔法という手段がある。
存在さえ感知できれば、どうにかなるかもしれない……
(お願い…まだ此処に居て……)
私は、感覚を少しでも鋭くする為に目を閉じて集中する。
補足対象は、この周辺に存在するもの。その中でも、実体を持たないものに限定する。
すると、薄っすらとではあるが、部屋の中に漂っているものがゆっくりと移動しているのが確認できた。其れに向けて私はさらに集中し、母と同じ存在感であると確信して魔力を網状にし、慎重に覆って母の体に手繰り寄せた。
「……ユリ…ア?」
父が声を掛けて来るが、集中している私は其れを無視して続けた。
恐らく霊体と思われる存在を母の体に重ねられたので、次は定着する様に魔力で体全体を覆う。
「お母様…お願い……頑張って…」
呟くように母に声を掛け、反応が出るよう強く祈る。
祈りが届いたのか、母の顔色が正常に戻って来たように見えた。
「っ!…お母様!!」
私は急いで母に触れ、脈を測る……
やや弱いが、確実に心臓が鼓動していた。再度他に異常が無い事を確認した私は、今度は安堵から涙を流していた。
「ユリア?」
「っ…お父様、もう大丈夫です」
「何?……それは、どういう…」
「お母様を…寝かせてあげてください」
父に母を預けると、母が息をしている事がわかった父が驚いていた。その様子にクスっとしていると、父もまた泣きながら「良かった…本当に……」と呟いていた………
あの後、騒ぎを聞きつけたのか、いつの間にかイリスも来ていた。心配無い事を伝えて部屋に戻したが、泣きそうだったあの表情は納得しているようには見えなかった。
私は、父から寝るように言われたので部屋に戻って来ていた。
最初は私も、犯人である男性への尋問に加わろうとしていたのだが、「ユリアには見せられそうにない」と真剣な顔をした父に止められ、それ以上は食い下がれなかった。
ベッドに入った私は、慣れない事をした影響もあってか、すぐに睡魔がやってきて意識を手放した――
(―――ん?)
気が付くと、最近忘れかけていた白い空間に来ていた。
もしやと思い振り向くと、案の定レイエルが椅子に座ってカップ片手に此方を見ていた。
その表情は少し不満そうだ……
立ち止まっていても仕方が無いので、レイエルの所へ歩み寄っていった。
「…いらっしゃい、随分とご無沙汰だったわね」
「……拗ねてるの?」
「そうね…全然会いに来てくれないから、忘れられているのかと思ったわ」
どうやら私が来なかった事に対して不満がある様だ。
だとしても問題が一つ――
「……そもそもどうやって此処に来るのか知らないんだけど?」
「私を模した像に祈れば来られるわ」
「教会には近付きたくないんだけど…」
「?…態々行かなくても、像を造れば良いじゃない」
「………普通はそんな発想には至らないから」
何をそんな当たり前の事を?みたいな表情で此方を見ないで欲しい。
「それに、今こうして此処に居るのは何故?…呼べるのなら呼べば良いじゃない」
「何時でも呼べるわけでは無いの。……今回は特別で、本来なら罰する為のものなの」
「……罰する?」
「そうね。…母親を蘇生したでしょう?」
「……………」
あれを蘇生と言うのなら、そうなのだろう。事実、一度生命活動を停止していたのを無理矢理戻したのだ。結果だけ見れば間違ってはいない。
「一応あれは禁忌とされているの。……でも、貴女を罰する気は無いから安心しなさいな。今回は、呼ぶ為に丁度良かったから利用しただけに過ぎないから」
「何か用事が?」
「いえ?会いたかっただけよ」
「……………」
「んっ……久しぶりね」
(何で睨むと喜ぶの…と言うか頬を染めるな頬を…)
時間が経って治っているかと思えば、寧ろ悪化している気がする……
それは其れとして、特に用が無いのなら聞きたかった事を聞いてみよう。
「聞きたい事があるのだけど?」
「?何かしら」
「以前言っていた、知識を悪用している人が誰かわからない?」
「……さあ?」
「……………」
「ぁんっ……ん」
(話が進まない…)
「はぁ……何で知らないの?悪用しようとしてるって言ったのはレイエルだけど?」
動向を掴んでいないのなら、何故しようとしている事がわかったのかの説明がつかない。
「気付いたのは偶々だもの。それに、私が個人を覗く時は貴女だけだもの」
「…何それ気持ち悪い」
「………んっ」
どうやら期待した私が馬鹿だったようだ。
もう一つ聞きたい事があるが、そちらもあやしいかもしれない。
「…他の転生者にも会ったわ。その人からゲームの内容に違う所があるって聞いたんだけど、何でかわからない?」
「違う所?」
「そう…例えば――」
私はルナリアから聞いた内容をそのまま伝えると、レイエルは不思議そうな表情をした。
「違って当然じゃない」
「?……」
「私が参考にしたゲームは1つじゃないもの」
「………は?」
まさかの返答に私は固まる。
「参考にとは言ったけれど、どれが良いかなんてわからないもの。種類も色々あったから適当に混ぜたのよ」
「……えっと…じゃあ前に、ステータスが無いって言ってたのは?」
「数値の調整が面倒だったからに決まってるじゃない」
(いや、そんな当たり前のように言わないで欲しいんだけど………)
「……そうね、なら向こうに戻ったら私の像を建てて会いに来なさい。そうすれば褒美を用意しておくわ」
「?…褒美って?」
「楽しみにすると良いわ」
そう言ってレイエルは嬉しそうに微笑んでいる。
内容不明なのは不安でしょうがないのだが、教えてくれる気は無さそうだ……
「…残念だけどそろそろ時間ね、次はなるべく早く来て欲しいわ」
「……善処するよ」
「そう…楽しみにしてるわ」
本当に楽しみにしているのか、レイエルは自然な笑みのまま此方を真直ぐ見てくる。
(そんな表情されたら、後回しにし辛いじゃない……)
薄れゆく景色の中、聞き流そうとしていた事に軽く罪悪感を覚えながら、仕方なく――本当に仕方なくではあるが、レイエルの像を何処に設置するかを思考し始めたのだった………
ユリアが姿を消した後、他に誰も居なくなった空間で―――
「………もう少しだもの、あとほんの少しだけ」
――名残惜しそうな表情で、一人呟いていた……………