同郷の人と懐かしい人
短気は損気と聞いた事がある人は多いと思う。
短気を起こすと結局は自分の損となる、といった意味のことわざだが、実践するには忍耐力が必要になる。心根の優しい人でも、自分の事は我慢できても、家族や親しい友人の為に怒る場合があるだろう。その時、如何に事を穏便に済ませられるかが問われるのかもしれない。私には無理かな………
声がした方を振り向くと、やや小走りで此方に向かって来る女子が居た。
「ユリア様のお知り合いですか?」
「…いえ、知らないわね」
それを聞いたリンが、私を庇う様に前に移動する。
女子は目の前で止まると、リンをチラッと見た後私に向き直り、満面の笑みで話し始めた。
「ユリア・ルベール様ですよね?私、イリスと申します!」
「えっと……」
「いきなりやって来て、無礼ではありませんか?」
透かさずリンが割って入り、忠言する。
「あ、失礼致しました。ユリア様にお会いできて少し興奮していた様です」
(……あれで、少し?)
「それで、何のご用でしょうか」
「そうでした!ユリア様、是非ともお近付きになりたいのです!」
「…私と?」
「はい!代表の挨拶を聞いて、この人だと私の魂が訴えたのです!」
「……そ、そうですか」
「ユリア様の透明感ある声を聞いて、毎日一緒に居たいと思いました。と言うのも私、実は声フェチなのですが……」
(ん?……声フェチ?)
「あ、フェチと言うのはフェティシ……ああいや、此処ではそんな言葉じゃ通じないか…えと、異常に好きなものと言いますか、執着があると言いますか、兎に角ユリア様の声は私にとって一番良い声なんです!」
(…あ、この人転生者かな?)
フェチに関しては、この世界では未だ聞いた事無いので判断材料としては微妙だが、その説明をする際に此処では通じないといった言い方をした。
あと名乗る時に姓が無かったので、恐らく平民なのだろう。にも関わらず、貴族に対する態度では無い点を見るに、転生者の可能性は高い。
「イリスさん…でしたわよね?」
「はい!何ですか?」
「取り敢えず場所を移しましょうか」
「ユリア様、宜しいので?」
「此処では、他の人の迷惑になるかもしれないでしょう?私の部屋に行きましょう」
「畏まりました」
人目につく場所で話す内容では無いので、自室へ連れて行く事にした——
「リン、部屋に戻っていて。終わったら呼ぶから」
「……承知しました」
リンは心配そうな顔をしながらも、私の言葉に従って退室する。
「部屋に来て貰ったのは、イリスさんに聞きたい事がありまして……」
「わー、お嬢様の部屋だ!…内装は一緒の筈なのに、小物とかでこんなに印象が変わるんだー」
室内を見回し、何やらぶつぶつ言っているイリス。
私の声が好きと言っていたが、どうやら今のは聞こえていなかったらしい。
「私の部屋にもあの花欲し——」
「イリスさん?」
「——えっ!?あ!はい!!」
少し強めに呼んで、やっと気付いてくれた様だ。
「聞きたい事があって私の部屋に来ていただいたのですが、もうお帰りになりますか?」
「あ、いえ!何でも聞いてください!」
(この人大丈夫だろうか…)
「……貴族相手の対応は難しいですか?」
「?…対応、ですか?」
「ええ、私でしたから良かったものの、他の方相手に同じ様に接すると不快に思われますよ」
「ぅえ!?………そうなんですか?…気を付けます」
初対面の印象と違い、聞き分けは良い様だ。
「ふふっ、思ったより素直なのですね」
「それは勿論、ユリア様に嫌われたくないからです」
「……何故そこまで?」
「私、声フェチですから!!」
「先程も仰ってましたね」
「はい!!…意味は知らないと思いますが、さっきの——」
「いえ、知っていますよ」
「——せつめ……え?」
「存じております」
驚いているイリスに向かい、微笑みながら続ける。
「イリスさんは、以前はどちらにお住まいだったのですか?」
「………以前?」
「はい、お国はどちらですか?」
「…え?もしかして、ユリア様も?」
「ご想像の通りかと」
今の質問で察したという事は、イリスも日本人だったのだろう。
これまでの態度から、少なくとも私と敵対する事は無いと判断し、転生者である事を話す事にした。
すると意外にも優秀な人だった様で、イリスの前世は都会育ちのゼネコン勤務だったとの事。
主に設計に携わっていたので、その経験を活かして小遣い稼ぎをしていたらしい。
とは言え元手が無かったので、事業と呼べる程にはできなかったそうだ。
「私、商会主をしておりますの。イリスさんも働いてみませんか?」
「え?良いんですか!?」
「ふふっ、ご両親の許しが出れば、になりますが」
「きっと大丈夫です!是非やらせてください!!」
「では今ある研究部門に設計を加えて、そこで働いていただきたく思います」
「はい!明日からでも働かせていただきます!」
「いえ、ご両親から正式に許可を得てからですわ」
「うっ、家に帰るのは次の夏季休暇になるじゃないですか…」
悲しそうにしているが、親が居るのだから勝手に雇うのは気が引けてしまう。
心配させる訳にもいかないので、きちんと自分の意思で伝えてもらおう。
「それと、貴族に対する言葉使いも鍛えなくてはね」
「え?あー………そう、ですね」
「ふふっ、頑張ってね、イリス」
「あ…今呼び捨てで」
「嫌だったかしら?」
「いえ!是非そのままで!」
やや食い気味に来るイリス。
勢いの強さはリンの興奮状態に似てるなぁと思いながら、気になってた事をもう一つ聞いてみる事に。
「もう一つ聞いてみたいのだけれど」
「はい!どうぞ!」
「この世界に見覚えはあるかしら?」
「見覚え…ですか?」
「ええ、ゲームとかそういった物で」
「……………いえ、全く知らないですね。そもそもあんまりゲームとかしなかったので」
「そう、なら仕方無いわね」
「…すみません。お役に立てず」
「いえ、気にしないで、知っていれば助かったのも事実だけれど、ダメで元々だったのよ」
レイエルからのお願いがやり易くなるかも程度だったので、知らないならばそれで良い。
少なくとも、悪用する側の人では無いのだろう。
「その、何でゲームだと?」
「それはね、この世界がゲームを参考に創られたものだと聞いたの。でも私もゲームをする事が殆ど無かったものだから、全然知らないのよ」
「それは…所謂無理ゲーですね」
(何に対しての無理ゲーなんだろう?)
「…そうでも無いわ。前世の知識はあるのだから、それを有効活用して自分の欲しい物は作れば良いのよ」
「それ良いですね!私もお手伝いしますよ!」
「ふふっ、ありがとう」
ゼネコン勤務だったのなら、技術は兎も角知識は私より多いかもしれない。
後はこの世界で使えるように工夫すれば良いだけなので、やれる事の幅が広がりそうだ。
「それでは、今日はこの辺にしておきましょう」
「え?もうですか?」
「もう遅い時間よ。外が暗いでしょう」
「あ、本当だ」
「…口調」
「ほ、本当ですね?」
「ふふっ、気を付けてね」
「が、頑張ります…」
手元にあった魔具を使い、リンを呼んでイリスにクッキーを渡す。
貰ったクッキーにイリスは喜び、お礼を言って帰って行った——
「ユリア様、あの方は大丈夫なのですか?」
リンは心配そうに確認してくる。
「ふふっ、大丈夫よ。思っていたより素直で、スー達も警戒しなかったもの」
「そうでしたか、申し訳ありません。差し出口でした」
「そんな事無いわ。心配してくれてありがとう」
イリスと会話してる時、スー達は誰も警戒していなかったので、それを伝える。
リンには精霊の名前と特徴を教えてあるので、それだけでも理解した様だ。
それにしても、今日一日で出会った内の2人は随分と個性的な人達だった………
数日経過し、アクォラス公爵令嬢からは何の音沙汰も無かったが、フィーナやイリスとはほぼ毎日顔を合わせていた。
同じ教室のフィーナは当然として、イリスは昼食や夕食の時間を狙って会いに来ていた。
フィーナと初対面の時には一悶着あったが、今では仲良くなっている様だ……羨ましい。
そんな感じで日々を過ごしていたが、今日から選別授業が始まる。
これまでの通常授業と違い、学院側が選ぶこの授業では学年も関係無いらしい。
なので、1年次から4年次全てが集まる事もあるそうだ。
私は魔学——魔法・魔術・魔具に関する学問の総称——を受ける事になっている。
試験では魔学の問題は無かったので、一度学院に問い合わせたのだが、ある教師からの推薦としか返答を貰えなかった。
そういった理由もあり、1年次の生徒は私1人しか居ないとの事。
同じ年齢の人が居ないのは寂しいが、興味がある内容なので不満は無い。
教材は最初の授業で配られるそうなので、手ぶらで移動する。
場所は学院の別棟にあり、普通の教室と違って耐久性が高く造ってあるらしく、少々の事では壊れない様になっている。
研究室も同じ棟にあるそうだ。
教室に着くと、既に何人かの生徒が居た。
そしてその中に、遭遇しない様に気を付けていたスィール殿下とドゥクス殿下が両方居た。
特にスィール殿下は、婚約の打診を断った手前、顔を合わせ辛い。
とは言え、無視をする訳にもいかないので、目が合った地点で無難に礼をしておく。
見た感じ席は決まってなさそうなので、退散し易い出入口付近に座る事にする。
少しすると、残りの生徒が来た様だ。
生徒数は大体30人程度で、使用人も含めると70人程になる。
1年次の私が見慣れないのか、それとも桃色の髪が珍しいのかわからないが、色々な所から視線を感じる。
珍獣の様な扱いを受けるのは不快だが、物珍しいものはその内慣れるだろうと思い我慢する事に。
時間となって教師の方が現れたが、その顔に見覚えがある私は少しの間固まっていた。
「……皆さん揃っている様ですね。初めましての方も居るので、自己紹介をさせていただきますね」
生徒を見回して揃っている事を確認して話し始めたのは、私の家庭教師をしてくれていたエイミさんだった。
「私はエイミ・ヴィクシムと言います。2年程前に、魔学の教師としてこの学院に招かれました。この棟に研究室も貰っておりますので、興味のある方は是非一度来てみてくださいね」
懐かしい顔を見て驚いていたが、エイミさんの研究室があると言う発言で現実に戻る。
エイミさんがやっているのなら気になるので、時間のある時に行ってみようと思う。
「それと、ユリア・ルベールさん居ますよね?」
「あ、はい」
「ユリアさん、は……えっと、私が推薦してこの授業に来ていただきました」
此方を見て一瞬驚いていたが、すぐに次の言葉を続けた。
(そうか、髪色が変わったのは家庭教師が終わってからだったね)
「ユリアさんさえ良ければ、是非私の研究室にも来ていただきたいです」
「私で良ければ、是非お願いします」
「では続きは授業の後にでも……さて、私事ですみませんでした。本日は先ず、初めて参加される方の魔力の量と質を測定しましょう」
そう言って取り出したのは、以前私も使用した板状の魔具だった。
(懐かしいなぁ…あの時と色が違って透明に近い白になってるけど、改良されたのかな?)
「では名前を呼ぶので、順に前に来てくださいね」
それから1人ずつ出て行き、殆どの人がぼんやりとした光量で、薄かった。
色は赤や緑が多く、私の様な青紫は見られなかったので少し残念だ。
そして6人目でスィール殿下の番となった。
「この位置を持って、魔力を込めてくださいね」
「は、はい!」
やや緊張している様に見える。
測定の結果次第で今後が決まるので、期待と恐れがあるのかもしれない。
私の場合は、測る前から魔法を使っていたので、そういった事は全く考えていなかった。
スィール殿下が魔具を持ち、魔力を込める。
今までの人達と違い、この教室の全員が注目している様に思える。
魔具の色は変わらず、徐々に光が強くなっていく。
光量だけなら一番強いみたいで、少し眩しい。
「はい、結構ですよ」
「……あの、色が付かなかったんですが、これは?」
「少し珍しいですが、風に適性がある様ですね」
「…風?」
「はい、風です」
「………そう…ですか」
目に見えて落ち込むスィール殿下。
私は何故落ち込んでいるのかわからなかったが、スィール殿下が席に戻り、周りの励ましでその理由がわかった。
「殿下、目に見えない風に適性があったからと落ち込まないでください」
「そうです!適性があると言うだけで、他が使えないとは限りませんよ!」
「うん、そうだね」
(成る程、見えないから想像し難いって事かな…)
私からすれば、風を操れるのはとても便利だと言わざるを得ない。
レイエルに座標の事を聞いてから、楽に魔法が使える様になっていた私は、風も便利に使っている。
特に、異臭のする場所を通る時は重宝している。
「さて、全員終わりましたので、これを参考にして今後の授業を計画しますね」
「あの、エイミ先生」
「はい、何ですか?」
席の最前列に座っている男子生徒が声を上げ、エイミさんに疑問を投げかける。
「その、そこに居る女子生徒がまだ測定していないと思うのですが…」
訝しげに、此方を見ながら言う男子生徒。
「ああはい、その事でしたら大丈夫ですよ。ユリアさんが5歳の時に、私が家庭教師となりました。最初の授業で既に測定をしています。なので問題はありません」
「…しかしそれでは納得できません。1人だけ測定しないのは不公平だと思います」
「?…何故でしょうか?毎年最初の授業で魔力の量と質を測定するのは、その後の授業内容を決める為です。教師である私が知っていれば十分だと思います」
エイミさんの言っている事は変では無いと思うが、あの男子生徒は何が不満なのだろうか?
「そもそも、本当に魔学を受ける様な素質が有るのかも疑問です!まだ新入生じゃないですか!不正をしてるとしか思えない!!」
その言葉にはイラっと来た。
その理屈だと、エイミさんが不正に関わっていると言っている様なものだ。
「やめ——」
「エイミ先生、私は構いませんよ」
スィール殿下が何か言いかけていた様だが、今はそれどころでは無い。
「…ユリアさん?」
「測定して困る訳でもございませんし、ご自分の目で見ないと納得できないのでしょう。それに、私の事は何と言われようと気にしませんが、エイミ先生が悪く言われるのは我慢なりませんもの」
「なっ!?バカにしてるのかお前は!」
「私は貴方の事を存じませんので、今のやり取りでしか語れませんが、まるで癇癪を起こす子供の様でしたわ」
「はっ!!?なっ、こいつ!!」
親の仇でも見るかの様な、憤怒に染まった表情を見て、少し煽り過ぎたかなと思いながらも前に出て行く。
「…もう、ユリアさんはちょっと言い過ぎよ……でもありがとうね」
最後の言葉は、私にだけ聞こえる様に囁いた。
意識を私に向ける為に、態としたのだと気付いたのだろう。
そのまま魔具を受け取り、手に持った瞬間にエイミさんは目を庇う。
何も知らない生徒達は、それを見て不思議そうにしていた。
私は特に注意する事無く、魔具に魔力を流す。
その瞬間、教室内が光に包まれた———
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