罪と罰
罪を憎んで人を憎まずという言葉がある。
“人が犯した罪は憎むべきであるが、その罪を犯した人を憎んではいけない”という意味だが、私はそうは思わない。
この場合の“罪”とは“意識”の事……“心”を指すらしく、やむを得ない事情があり正しく反省をする人には過剰に刑罰を与えるべきでは無いという意味らしい。
聖人君子であれば、こういった事を平然と宣うのだろう。
しかし、幾ら先人に敬意を払っている私でも、こう言いたい。
――馬鹿なんじゃないのか……と。
罪とは、人が行動を起こした結果生じる悪とも言える。当人にその気があったかどうか、其れはさして重要では無く、被害を受けた側の気持ちが優先されるのが実情だ。当然、其れを悪用するような者も悪と言える。
そして、そういった社会を作り出したのもまた人だ。何を以って悪とするのか、その基盤を築いている中で、この言葉は真っ向から否定しているのである。“そんな気は無かった”と反省した振りをする者も居る中で、先の言葉ほど都合の良いものは無いだろう。
私は罪に対し罰が無ければ、人は反省しないとも思っている。
“後悔して反省する”のではなく、“罰を与えた後に反省する”事が重要なのだ。勿論、罰があっても反省しない者も存在するだろうし、事実そういった者達を知っている。
そんな者達は百害あって一利なし。生かしておく必要など無いだろう、というのが私の持論だ。
何が言いたいのかと言うと、つまりは罪を犯した当人には、相応の報いを与えなければ納得ができないというだけの話だ。法の抑止力という意味でも、同じ罪に対し違う刑罰が与えられるというのは到底納得できない。
この場に誰が居るのかを忘れているのか、暫く言い争いを続けていた2人。絶えず罵倒の応酬が続き、その内容は聞くに堪えない。
しかし、その言葉の端々に重要そうな人物名等が出ていたので、王妃様の黙って眺めるという判断も間違ってはいなかった。ただ、他国も絡んでるっぽい情報や、派閥の話が出た時には『またか……』と私は思ってしまった。
やがて言い争っていた2人が息切れし始めた頃、此れ以上聞いていても欲しい情報は出ないだろうと判断したのか、王妃様が止める。
「そろそろ気は済んだかしら」
「「!!?」」
「今の貴方達のやり取りから、黒であると判断します。詳しい話は、改めて個別で聞く事に致しましょう」
「お、お待ちを!」
「既に決は下されました。……連れて行きなさい」
最後の言葉は騎士に向けて。騎士達は、王妃様の命令に従って彼等を連れて行く。
「放せ!横暴だ!!触るんじゃない!私を誰だと―――っ!?」
「べ、弁明の機会を!!王妃様!王妃様ぁぁぁ!!!」
尚も抵抗を続ける薬師と、言い訳を重ねようとする治癒師。
騎士はそんな2人の言葉を無視し、速やかな任務遂行の為に拘束して連れ去って行った。
断片的に得た情報を纏めると、世継ぎ問題を起こして自分の娘を……と考えた貴族の仕業だったと予想できた。割とありふれた動機ではあるのだが、取った手段が最低だ。
「ふぅ………」
彼らの叫び声が聞こえなくなった瞬間、王妃様は深い溜息を吐いた。
私はと言うと、一応先程の内容を記録したものを見直している。決して声を掛け辛い訳では無い。
「わたくしの注意が足りなかったのでしょうか?」
唐突に、王妃様が私に向けて呟く。その声は小さく、弱々しい。
「……いえ、普通は王城に勤める組織のトップが、一貴族の言いなりになっているとは考えないでしょうから、その点に関しては仕方のない事かと」
「その点…という事は他がダメだったと……?」
「私から見れば…ですが。特に、先程も申しました通り、陛下に黙っていたのが一番の問題だったと存じます。王妃様は当事者でしたので視野が狭まっていたのでしょうが、もしも陛下がお聞きになられていれば違和感を覚え、調査も行っていた筈です」
最早言葉使いも徐々に崩れながら言い切った私は、王妃様のジャスミン茶を飲む。
折角淹れられたお茶を残すのも勿体無いと思った私が、治癒師と薬師の2人が来る前に貰っていた。実際の所、子宮が収縮する効能がどの程度効くのかは未知数だ。前世の時と同じ物でも、味や効能に差がある物が多かった。しかし、念には念を入れて飲むのを止めていただいた。そして、余ったお茶を捨てるのも忍びないからと言い、既に淹れた分は私が飲む事になり、その他の余った分のジャスミンを貰う方向で話を誘導した。
「ユリアさん…と、名で呼んで良いかしら」
「はい?あっ…いえ、御随意に」
何の脈絡も無い問い掛けだった所為で、思いっきり素で反応してしまった。
「この恩は忘れません。ですが、事が事だけに公にはできませんので、表立って報いる事もできません」
「そうでしょうが、私は構いません」
まあ、世継ぎの問題なだけに扱いが難しいのも慎重になるのも解る。
ただ、私としてはあの連中のやり口が気に入らなかったから行動したに過ぎない。要は自己満足だ。
「其れではわたくしの立つ瀬がありません」
「そう言われましても、私は彼等が気に入らなかっただけですので」
「……では、今後公の場以外では口調を崩してください」
(ん…?何が“では”?全然繋がってないよね??)
「所々言葉使いが乱れていました。恐らく、普段は違う話し方なのでしょう?」
「其れは否定しません」
「わたくしも恩人に気を遣わせるのは本意ではありません。これでも、本当に感謝しているのですよ」
その言葉と共に微笑む王妃様。
この時初めて、心からの笑顔を見た気がする。
はいそうですか…と言える筈も無く、私は無難に返す事にした。
「急に…というのも心情的に難しいので、徐々にという事で……」
そんな頻繁に呼ばれる事も無いだろう。日を空ければ、その内忘れる筈。
「ふふふっ」
「……?」
「ああいえ、ユリアさんはそういった事も気にしないと思ってましたから」
「小心者ですので」
「あら、わたくしの知っている言葉とは意味が違うようですね」
ちょっとだけ遠慮が無くなったかな?
最初は接し方に壁を感じていのたが、今はそう感じない。警戒心が無くなったのかもしれない。
「そう言えば、社交はお嫌いだという噂も耳にしているのですが……。わたくし、真偽のほどが気になっておりますの」
「……噂通りですね。正確には、言葉が通じているようで通じない人との会話が苦痛ですね」
徒労感が半端ないのだ。
貴族の言い回しは独特で、同じ言葉を使っても違う解釈をする事がある。普通は使う相手や状況で変わるものなのだが、人によっては自分に都合の良いように解釈し続ける者も居る。
かと言って、直接的に言うと今度は慎みが足りないとかで非難される事もある。
そういった面倒なのは嫌いだ。
「皆が皆そういった方では無いとは言え、確かにそういった方々もいらっしゃいますものね。……でしたら、少人数のお茶会でしたら招待しても宜しいかしら?」
良い事を思い付いた…とばかりに、両手を合わせて微笑む王妃様。
「夜会のような規模では、ユリアさんのお嫌いな人がどうしても紛れ込んでしまいます。其れに比べ、ちょっとしたお茶会でしたら数人の仲の良いお友達をお呼びするだけですから、そんな心配も御座いませんよ?」
(お友達なんて居ません……とは、言っても意味が無いんだろうなぁ………)
王妃様主催のお茶会ともなると、普通平民は参加できない。一応、ルナリアさんが男爵令嬢なのだが、身分としては低いので誘うと大変な思いをさせそうだ。
其れに、この場合の“お友達”は王妃様にとってのという意味な気がする。
私からすると、完全なアウェイだ。
気を遣うという点では、夜会の様なパーティーと何ら変わらない。
「折角のお誘いですが、遠慮させてください」
「あら、残念ですわね」
思いの外あっさりとひいてくれた。
その事に少々驚いていると、王妃様が更に続ける。
「でしたら、個人的にお誘いするのは構いませんか?」
「え?あ…其れは、はい」
反射的に答えて、あれ?と思う。王妃様が普通に笑っている。
ひょっとすると、最初に無理目な条件を提示し、その後幾らか緩めな条件に変更して目的を達する商人と同じ事をされたのかもしれない。
……まあ、私の性格をある程度理解した上でのお誘いなら別に良いかと思ってしまう自分も居る。
その後は、改めて謝礼をしたいと話を戻され、最初はお気持ちだけでというやり取りを続けていた。だが、言葉を変えてかなり粘られた為に最終的には私が折れて、それならと1つお願いをしてみる事にした。
「もうすぐ、父の領地で飲食店を開くのですが、此れ迄と違う料理も出すんです」
「違うというのは……?」
「調理法の事ですね。最初は父の領地から徐々に広げていこうと思っていたのですが、もし王妃様が協力してくださるのでしたら、一部のレシピをお城の料理人にお教えしますので、中央からも広めて頂きたいのです」
「其れは…わたくしの利が大きいのではなくて?」
「利は大きいかもしれませんが、私だけでは人手の問題でどうしても時間が掛かってしまいますので」
私のお願いに、王妃様は躊躇いを見せる。
其れはそうだろう。
私からすれば見慣れた物の再現に過ぎないのだが、王妃様にとっては新たな料理を広めるという事になる。付加価値として、王妃様の発言力も増し立場をより強固な物とする一助になる。
お礼をしたい王妃様からすれば、純粋に喜べるものでは無いのかもしれない。しかし、私からすれば労力を減らせるというだけで物凄く楽になるから助かるのだ。
言葉を重ね、その辺りの事情について説明し、何とか王妃様を納得させる事に成功した。
「わかりました。…ですが、ユリアさんの好意として受け取っておきますので、また別の形でお礼をしましょう」
……成功していなかった。
「ですが―――」
「取り引きであれば、わたくしも納得致します。しかしながら、此れは謝礼です。謝礼でわたくしが得をするような事があってはなりません」
「――はい」
思いの外、王妃様は頑固だった。
まさか反論もさせて貰えないとは……。
まあ、王家からの謝礼を断り続けるのは、本来なら不敬なんですけれどもね。
何故か指摘されないのと、今は周りに使用人が控えているだけなので、咎める人物が居ないというのもある。
予定外の事態もあり、時間も遅くなってきたのでお茶会は終了となった。
謝礼はまた後日…と言う王妃様に、私はポーチから手紙を取り出して渡す。
「……此れは?」
「陛下宛の手紙です。内容が内容ですので、検閲が入らないようにお願いしたいのです。勿論、王妃様がご覧になる分には問題御座いません」
「重要なものなのですね?」
「はい。ですので、もし陛下に渡せないという事でしたら、この手紙は持ち帰ります。後日陛下にお会いする機会があれば、その時改めて申し上げます」
この手紙には、以前話す事ができなかった“不老”について記してある。
父とも相談したのだが、この事実を知る人は少ない方が良い。
少なくとも今は……。
なので、この情報を共有する人選も陛下に丸投げする事にしたのである。下手に知れ渡るよりも、国のトップから根回しして貰っておいた方が面倒事が少なくて済む筈。
今後、私の扱いがどうなるかによっても対応を考えなければならない。
王妃様は少し考える素振りを見せ、一つ頷いた。
「いえ、受け取りましょう。重要なのでしたら、早めに知る必要もあるでしょう。……今回の件で、身に沁みました」
(いえ、そんなに急ぐ内容でも無いのですが……)
いずれは知られると言っても、不老に関しては随分と先の事になる。
其れに、最初はそうだと言われても信じられないだろうとも思っている。ただ、不審に思われてから伝えるよりも、予め伝えておいていざ実感が湧いた時に“言ったじゃん”という態度で対応しようというだけの話である。
なので、王妃様の言う身に沁みた内容と比べると、時間的猶予がかなりある。
「お願いします」
とは言え、態々その誤解を解く必要も無いかと思い直し、素直にお願いする。
丁度そのタイミングで使用人の方が残りのジャスミンを持って来たので、お礼を言って有難く全部頂戴した。暫くは楽しめそうな量がある。
十分な収穫もあり、私としてはそこそこ満足な結果のお茶会だった。
「………そろそろお伺い致しましょう」
ユリアとのお茶会が終わり、自室で少し体を休めていた王妃は、ユリアから受け取った未開封の手紙を見遣りながら小さく呟く。
「中身は……陛下がお読みになってからの方が良いのでしょうね」
何となくだが、先に読まない方が良いと直感が告げている。
王妃は前王妃から、そういった直感は大事になさいと教わった。
今回の件では、その直感を信じなかったばかりに不甲斐無い事態に繋がったのだと反省していた。自分は専門家では無いのだから…と、直感よりもあの2人の言葉を信じた結果があの様だ。
王妃はユリアから預かった手紙を持ち、国王の許を訪ねる為に部屋を出る。
(それにしても、お義母様が仰った事は本当でしたね……)
嘘を見抜く魔具、単純な知識量、今回驚かされたのは主にこの2つだったが、雑談での会話の端々に、他にもまだ何かあると王妃の感が告げていた。
その全てを理解した訳では無い。しかし、前王妃の言う“凄さ”の一端を垣間見た気分だった。
しかしこの後、まだまだ己の認識が不十分であったなどと思う事になるとは、この時の王妃は欠片も想像できていなかった―――――
ブクマと評価、感想ありがとうございます。
4月19日 一部追記修正
※内容に変更はありません。