上下水道の視察
あの後、へろへろになりながらも無事(?)風呂を済ませ、夕食ではイリスのリクエストに応えて海鮮鍋を囲った。具材の1つとしてエビが初お披露目となった訳だが、その際にエビフライも食べたいと言われた。
特に断る理由も無いので、他にも素材を一通り揃えてから揚げ物をしようと約束した。
ただ、マヨネーズは作ったがタルタルソースは未だ作ってないので、折を見て作らねば……。
育成院でのいざこざも無事解決した。
日を空けてこっそり―――透明化して―――様子を見に行くと、男の子も冷静になったのかちょっとした罪悪感を覚えていたようなので、イリスにそういう意図は無かったという事を教師経由で伝えてもらった。その後、改めて全員で育成院に赴いてイリスと会わせた。
顔を合わせてから少々時間は掛かったものの、男の子の方も自分から謝った。
その謝罪にイリスはホッと安心していた。
終わってから、此処までする必要があったのかなと疑問に思った私だったが、帰路ですっきりした表情のイリスを見てまあ良いかと思い直した。
イリスの憂いも晴れて更に数日。
父が王都から帰って来た事で、漸く上下水道の視察に行く日が調整できた。
視察と言っても、実際に見るのは要所となる設備や這わせた埋設配管の数ヵ所だけ。全てを見て廻ろうとすれば、其れこそ夏季休暇を半分くらい消費してしまう。
そんな規模の工事がこれ程早く終わったのも、父が人脈を駆使して雇った業者に優秀な職人が多かったからだろう。聞く所によると、魔法を使える者も抱えている業者だったようで、想定よりも効率良く工事を進められたのだそうだ。
工期が短くなった事で、報酬も減ったんじゃないかという私の心配は杞憂だった。
素より決まった金額での契約だったみたいで、早く終われば寧ろ得する内容だったとか。
「工期を短くしろと命令するのは簡単だが、自分で抱える職人で無ければ余所にも伝わる。貴族にはどんな事でも邪推する輩が居るものだが、こういった場合では職人への無体や支払いをケチったなどと噂される。だが、職人達が自らやる気になって仕事を早く片付けるのならば何も問題は無い」
報酬を多くした所で、悪意を持つ者の行動は変わらない。だから、工期を可能な限り短縮したい場合に用いられる事が多い契約方法なのだと父が言っていた。
成程と思う反面、やっぱり貴族社会は面倒臭いと再認識した。
ところ変わって沈殿池。
文字通り、水の汚泥を沈殿させる槽である。水より重い物質は此処で取り除かれる。
川から引いてきた水なので、パッと見では普通に綺麗な水に見える。
「聞いた時にはピンときませんでしたが、実際にこうして見ると随分と異物があったんですねぇ……」
「そうだな」
工事責任者と父が会話している。責任者の男は、父に対してやけに腰が低い。
各設備の役割は計画段階で説明され、周知されていたので今更語る事は無く、想定通りの結果が出ているかの確認の面が強い。
今回私達は、あくまでも父の視察に同行している形なので、積極的に何かを発言する事は無い。
「切り替えも何度か試しましたが、特に問題はございません」
「……そうか。では、次だ」
「はい」
私達にとっては見慣れた、或いは聞き慣れた設備。
違うのは、簡略化できる所は魔具を利用してより単純な造りになっている点だろうか。
次々と案内され、問題や異常が無い事を確認していく。
フィーナとルナリアさんは興味深そうに、イリスは真剣に話を聞きながらしきりに頷いている。前者の興味は使われている魔具に向けて、後者は自身の想定と現実の差異を確認しているのだろう。
「町民への説明も済んでいますので、後は実際に配管を繋ぐ工事の範囲と日程の調整ですね」
「その為の視察でもある。日程は応相談となるのだろうが、範囲と区分けは今日中に決めておこう」
「助かります。工事範囲が決まらないと、具体的な工期と必要資材の算出もできませんので」
「うむ。図面の作成も忘れないように」
責任者の話によると、町の手前迄配管の埋設工事は終わっているのだそうだ。併せて、路面の舗装も行ってある。
残りは各建物へと配管を繋ぐ工事だけ。
……工事が完了したから視察に行くと聞いた気がするのだが、町迄の工事で一区切りという意味だったのだろうか?
「……最初に決めておくものじゃ無いの?」
私と似たような疑問を持ったのか、フィーナが小声で聞いてくる。
「初めての試みという事もあって、やり直しの効くところ迄で一旦区切る事にしてたんですよ」
「あーね…一旦ね、一旦」
イリス曰く、民家迄の工事が終わった後に問題が発覚すると、手直しや其れに掛かる時間を考えるとリスクが高いと判断したらしい。住民の生活改善が根底にあるのにも拘らず、逆に迷惑を掛けてはならないという理由だった。
町の手前で通水テストを行い、問題が無い事を確認したのでこうして視察に……という事らしい。
「では、下水処理の方へ案内致します」
「宜しく頼む」
続いて下水処理施設。
とは言え、元々あった処理設備の一部改造を行い、各民家から埋設管で繋いだだけである。なので、上水道に比べるとあまり手を加えていない。
汚水処理は変わらず浄化の魔具が行い、副次的に汚物も減っている。
エイミさんと協力して魔具を作った頃が懐かしい。
「うっ…あれ?臭くない……」
施設に入ってすぐ、反射的に顔を顰めたフィーナ。しかしすぐ後、想像していた悪臭が無かった事に驚いていた。
「浄化の魔具が臭いも消してるみたい」
「へぇ…成程ね」
私の言葉に納得したフィーナは、興味深そうに辺りを見回す。どれがその浄化の魔具かを探しているのかもしれない。
此処には浄化の魔具の他にも、気温を調節する魔具もある。快適に作業をしてもらう為でもあり、ほぼ無いとは言え暑くなると臭いが強くなるのでその対策でもある。
父は責任者と話し合いながら1つ1つ確認していき、私達は各自自由行動している。
「此処で使ってる魔具って、誰が魔力供給してるの?」
「ああ、自動供給だから誰もしてないの」
「え?此処の魔具全部??」
「そうね」
「……随分お金が掛かってるわね」
「………?」
「いやいや、不思議そうな顔しない。普通の魔具だって高いのに、魔力供給が必要無いやつはもっと高いでしょうに」
「ああ、その事ね……」
フィーナは魔具に掛けたお金の話をしていたらしい。
確かに販売されている魔具はそこそこ高く、用途によって様々ではあるのだが平民の家族が一月生活できるくらいの金額が掛かる。魔力供給を必要としない自動供給型の魔具は尚更高く、同じ効果で一桁上の物もある。
だが、其れは購入する場合の話だ。
私の場合、欲しい魔具は基本的に自作する。素材は例の鉱山から採れるので、手間が掛かる程度。販売している魔具は、使った素材の価値を基準に計算されており、其処から更に用途や製作難度、希少性によって価格が決められている。
私からすると此処は浄化の魔具の実験場であり、試験運用をお願いした場所という認識でしかない。要するに場を提供してもらう側なのだ。なので、浄化の魔具はお金を貰ってないし、場の提供のお礼という形で温度調節の魔具を渡した。
其れに、エイミさんと協力して開発した魔具とは言え、此処の分は私が材料から揃えて自分で製作したので元手はゼロなのだ。
「――という事で、此処の魔具は一部の温度調節のやつしかお金を掛けて無い筈。其れも父が直接購入した物だから、定価よりもちょっとだけ値引いてるのよ」
「家族価格って感じで?」
「そうそう」
そんな感じで私達が会話をしている間に、父が責任者を伴って戻って来た。
今日1日で視察が終わる訳では無いが、私達が同伴するのが今日だけなので急ぎ足になった。
と言っても、イリスが自分の目で確認したいと言っていた箇所は全て廻り終えた。
父はこれから関係者各位との綿密な打ち合わせを行うという話だったので、此処で解散した。
「いやー…凄かったですね」
「語彙力よ」
「いやいや、他に言葉出ませんってば。前世でさえ縁がありませんでしたし、専門外だから知識もありませんし」
帰路に着いた馬車の中、ルナリアさんの率直な感想に対してフィーナがツッコみ、その返しに皆で成程と思う。確かに、上下水道の処理施設に縁のある人は少ないだろう。埋設管の工事とかならば兎も角、好き好んで見に行く人だって聞いた事が無い。
その上で、完全に同じ造りという訳でも無いのだから、何を言って良いのかが解らなくても仕方が無いだろう。
「それにしても、間に合ってよかったですね」
「そうね」
ルナリアさんの意見に同意する私。
父が延期を言い出した時には、イリス達の滞在期間に間に合うのかという心配が最初にあった。
転移で帰すので、夏季休暇の日数的な余裕はあった。けれど、学院には帰省予定を出しているので、その期間内に学院寮へ戻らなくてはならない。
実際、あと数日遅ければ間に合わなかった。
まあ、父もその辺は理解しているので大丈夫だろうとは思っていた。思ってはいたのだが……父もうっかりする事が間々あるので若干心配だったのも事実だ。
「明日はお昼頃に向こうへ戻る予定でしたよね?」
「そうですね。……またあの学院へ戻るのかと思うと、ちょっと憂鬱ですけどね」
「?……何かあったって事?」
やや遠い目をするイリスに尋ねると、少し考える様な仕草をした後に口を開く。
「ええと、まあ…そうですね。あった…と言いますか、現在進行形と言いますか……」
「聞いて良い内容?」
「ああいえ、楽しい話じゃ無いってだけで、話す事は何も問題ありません」
「あっ、もしかしてあの困った君の話?」
「ですです」
「……困った君?」
心当たりがあったのか、ルナリアさんも会話に加わる。
「あれですね、騎士団長の息子さん。ユリアさんが居る時に、婚約破棄騒動を起こしてた男子生徒ですよ」
「ああ、あの……あれ?あれって確か、父親である団長さんが対処してた気がするんだけれど……」
「その後……って言っていいのか判りませんけど、学院に復学してからすぐは大人しかったんです。でも、最近………」
イリス曰く、新年度から復学したその男子は最初、随分と大人しくなっていたらしい。
婚約破棄の件も、勝手に行動していただけに相当叱られ、内容は知らないが罰も与えられていたらしい。元婚約者だった相手方の親も、其れはもう相当お怒りだったらしく、「此方から願い下げだ」と実際に婚約は無かった事に。勿論その原因である騎士団長の息子が有責として。
(私が被害者の令嬢から聞いてた印象と違う……?)
私が令嬢から聞いた話だと、両親からも冷たくされていたという事だった筈。だからそんな怒り方をするのだろうか?と疑問に思った。
そして、その話は其処で終わらなかった。
そもそもの話として、騎士団長の息子が何故婚約破棄を言い出したのか……。
ざっくり言うと、浮気をしたからだ。
その浮気相手である女子生徒は、詳しい調査により他の男子生徒とも関係を持っていた事が発覚。
ルナリアさんが言うには、その相手はどれも攻略対象だったそうな。その事実だけで、件の女子生徒は転生者じゃないか疑惑が出てきた。
以前、ルナリアさんが考え込んでいたのもその可能性が頭を過ぎっていたからだったらしい。
とは言え、もう其れを確かめる事はできないかもしれない。
「――え?退学になったの?」
「はい、余程重く捉えられたんだと思います」
どうやら、既に事実が明るみに出た時点で、各男子生徒は停学処分となり、女子生徒は退学となっていたようだ。
「平民出身で、男爵家の養子になっていた子だったみたいなんです。多分、平民との婚外子だとは思うんですが、こうして家格が上の相手と…其れも、複数の相手と問題を起こしたので勘当されたみたいですよ」
「あらら……」
呆れてしまった。
いや、結果に呆れたのではなく、その結末を予想できなかったのかという意味でだ。
「えーっと…それで?」
「はい?」
「や、婚約破棄騒動の結末は理解したけれど、困った君の話は?…今の所、関係無さそうだけれど」
「あっ、そうでした。ええとですね、察してると思いますが困った君はその騎士団長の息子さんなんですが………」
復学したは良いものの、婚約破棄騒動の話は知れ渡っていた。あまり関心の無いフィーナ達ですら知っているのだから、知らない生徒は居ないだろう。特に、貴族の間では詳細に伝わっている。
そうなると、異性は勿論の事、同性でも近付きたいと思う生徒は居なかった。
しかしある時、偶々その騎士団長の息子―――クリプト・リィークルム―――が困っている場面に遭遇したイリスは、声を掛けた―――――掛けてしまった。
念の為に言っておくと、イリスも婚約破棄騒動の話は知っていた。知っていたのだが、当人の顔を知らなかった。その上、普段遭遇する事も無かった所為で、遠巻きにされている姿を見た事も無かった。更に、その時偶々イリスが1人だったという事も災いしていた。
イリスがほんの親切心―――本人に自覚は無い―――で声を掛けたところ、クリプトは其れ迄の事もあって異常に感激したらしい。
以来、クリプトはイリスを見掛ける度に声を掛けてくるようになった。今迄遭遇した事も無かったというのを鑑みるに、態々イリスを探している可能性もある。
ルナリアさんはクリプトの顔を知っており、近付く気すら無かったのだが、向こうから来る分にはあからさまに避ける訳にもいかない。事情はどうあれ、向こうの方が家格が上なのだ。フィーナやイリスは言わずもがな。しかも、自分へ話し掛ける訳でも無いので、無理矢理に割って入る訳にもいかない。
幸いなのは、今の所無理矢理に関係を迫ってくるような事態には陥っていないという事くらいだろうか。
「……懐かれたのね」
「……そんな生易しい表現でも無い気がします」
「そうなの?」
「はい。実際に見てると、完全にイリスに惚れてますね」
率直な感想を言うと、即座にルナリアさんから否定された。
毎回真横で見ているルナリアさんとしては、どう見ても惚れた女性を口説いている男性に見えるらしい。
「正直、此処迄羨ましくない相手も珍しいですね」
結構辛辣である。
「遭遇する頻度もちょっとずつ増えてるし、結構ウザいのよね。なんだか気持ち悪いし」
フィーナも辛辣だった。
「は、ははは……当事者としては複雑ですね」
イリスは乾いた笑いが出ている。
「其れで、結局の所どうしたいの?イリスの気持ちが一番重要でしょう」
「私は……皆さんと楽しくお喋りしているのを邪魔されるのは嫌です」
(……さて、どうしたものか)
困っている友人を助けたい気持ちはある…のだが、学院内となると今の私では正直難しい。
明確に問題を起こしていれば話はまた違ったのだが、今の所は話し掛けられるだけらしいので口実にならない。
となると、私が考え得る限りで残る手段はあと1つ。
「……此れを持っていて」
「此れは……ペンダントですか?」
亜空間から取り出したのはペンダント……に見える魔具。
「映像と音を記録する魔具よ」
「えっ…動画を撮るって事ですか?」
「そう。ただ、服の中に隠すと音しか記録できないから、ちゃんと外に出しておく事」
これなら、後手になってしまうが何か起きた際に其れを理由に以後近付かないよう警告できる。
無論、報告するのは父親である騎士団長に対してであって、息子に警告するのは騎士団長からだ。
「何時の間にこんな物を……」
「今後必要になるかと思って、他の物と一緒に製作したの。ただまあ、何かあった時にしか意味が無いから、その時には以前渡した護身用の魔具で身を守ってね」
「ありがとうございます。ユリアさん」
「本当なら、私が直接手助けできれば良かったのだけれど……」
「いえ、十分ですよ」
「そうね。ユリアにはかなり甘えてると思うし、これだけ色々として貰ってるんだから十分よ」
口々にお礼を言われ、其れ以上は何も言えなくなる。
そんな3人の様子を見つつ、私は皆の学院生活が無事終えられるようにと願うのだった。
ブクマと評価、感想ありがとうございます。