わ~い! お米だー!!
とある浜辺に、小舟を押して海に出ようとしている少女が居た。
「よっ、ふん…っし、浮いた!」
海水の浮力によって小舟が浮いた事を確認した少女は、嬉々として乗り込みオールを漕ぎ始める。
「全く、姉さんったら研究に明け暮れるだけじゃなく、行方まで暗ませるなんて……」
オールを漕ぎながらも、姉への悪態を吐いて不満を口にする。
この少女は先日、研究で籠りっきりだった姉の許へ、生存確認とある誘いをする為に訪れていた。しかし、訪れた先で見たものは、誰も居らず、気持ちの悪いものが並べられ薄汚れた状態の研究室だった。
「せめて書置きくらい残しなさいよ!そしたら日を改めたり、行先に私も向かうなりしたのに!!」
少女は不満を原動力に、オールを漕ぎ続ける。
「折角、旅商人からこの海の先に別の大陸があるって話を聞いたのに、姉さんと一緒に行こうって思ってたのに……」
ある誘いとは、別の大陸へ行ってみないかというものだった。研究が行き詰っている姉に、息抜きも兼ねて新しい刺激を受けて欲しかったのだ。けれど、訪ねた姉は不在で、行方も知れない。怒った―――厳密には拗ねている―――少女は、土産話で羨ましがらせてやろうと勢いだけで単身行動を起こした。
しかし、此処で重大な問題が発生する。
「それにしても、全然見えないなぁ……。船で行けるって聞いてたけど、どれくらい漕げば良いのか想像つかないや」
少女が耳にした船は、間違っても河を渡る様な小舟の事では無い。
動かすだけでも船員が何十人と必要になる規模の大型の物の事だ。
「まあでも、河みたいに流れが速くないし、休憩しながらでも大丈夫かな?」
更に、この少女には海に関する知識が欠けていた。其れも、致命的な程に。
確かに海には河の様な流れは無い。天候が穏やかな日には、余計に大したものでは無いと勘違いしてしまうかもしれない。
だが、海には河には無い波が存在する。
一方行にしか流れない河とは違い、波には決まった方向が無い。気が付いたら知らない場所に流されていたという話も珍しくは無い。
その上、海では天候の影響をダイレクトに受ける。嵐にでも巻き込まれれば、船が難破し遭難しても不思議では無い。
そして―――
「風が強くなってきたかも……ん?あの雲、暗い色してる」
――悪い事態というものは、容赦無く襲い掛かってくるものだ。
近付く暗雲は、只々天候が荒れているだけでは無く、嵐が近寄って来ていた。
少女は既に沖に出て暫く経っており、戻るにしても現状体力が足りない。
「ふっふっふー、こんな事もあろうかと、大きめの傘を用意してきたのだー!」
渾身のドヤ顔で少女が取り出したのは、少女が言う様に小舟を覆える程の大きさの傘だった。
移動中に天気が崩れる可能性も考慮していた少女は、小舟に雨で水が溜まらないようにと準備した物である。
「きゃっ……あぁっ!?」
しかし悲しいかな、此処は海の上。風の影響で波が高くなり、小舟は先程よりも大きく揺られる。碌に踏ん張りも効かず、其れどころか強風に煽られ傘も飛ばされてしまう。
少女は反射的に手を伸ばし―――――バランスを崩してそのまま海へと身を投げ出された。
「此方から呼んだと言うのに……こんな事になってしまって済まないユリア卿。また機会を作るよ」
「わたくしも、次こそゆっくりとお話致しましょうね?」
「はい。その機会を楽しみにしております」
「また会いましょうね、ユリア」
結局お茶会は中止となり、急ぎ陛下自らが対応する事となった。
実行犯の使用人は、未遂且つ脅されていた事もあって一時的に軟禁されるだけで済んだ。
サギール伯爵の身柄を拘束し、背後関係も洗うのだそうだ。脅されていた使用人の母親の保護も同時に進めるらしい。
陛下からは、お詫びの品を送るとまで言われてしまった。
私としては断りたいが、そうすると相手の面子を潰してしまうので、黙って受け取るしかない。
帰り際―――
「やっぱりユリアと居ると飽きないわね」
――と先王妃様に言われたが、私としては不本意な評価ですと申し上げたい。
何はともあれ、残すところミリアのお披露目だけとなった。
其れさえ終われば、王都に滞在する理由も無くなる。
予定も立てた事だし、早く自由の身に戻りたい所存。
「お姉様、此方にいらしたのですね」
私が思考に耽っていると、ミリアが声を掛けて来て現実に引き戻される。
今居るのは私室じゃなく、元は父の書斎で現書庫だ。
気になる事があり、北部の情報を探していた。
先日耳にした収穫量の減少。テュールに聞いた所、精霊の数が減っていくと、そういった事も起こり得るらしい。
ならばと、それらに関連する出来事がここ数十年の間に起こっているんじゃないかと探していた。
結果は伴わなかったのだが……。
「私を探していたの?」
「はい。だって、折角同じ邸に居るのに、全然構ってくださらないんですもの」
ちょっとだけ拗ねた表情で、不満ですアピールをしているミリア。なかなか可愛いと和む私も、相当な気がしてきた。
(それにしても……)
我が妹ながら、よくもまあ綺麗な言葉使いになったものだと感心する。家族、使用人、他人で若干の違いはあれど、基本丁寧な口調のままなのだ。
私の場合、目上の相手や公の場であればそれなりに気を遣っている。
しかし、きちんとした言葉かと問われれば、今一つ疑問が残る程度には雑である。
其れに、母もどちらかと言うとふんわりした雰囲気で、口調もほわほわしている。随分ふわっとした言い方になってしまうが、要するに貴族っぽくないのだ。勿論、私にとっては良い意味で。
母の出自を考えれば、ある意味当然かもしれない。
そんな家族に囲まれながらも、綺麗な言葉使いを覚えられたのはミリアの頑張りの賜物だろう。
「またお考え事ですか?」
再び考え事をしていた所為で、ミリアがちょっとだけ心配そうな表情に変わった。
王城での騒ぎも、言える範囲で家族には伝えていたので厄介事かと勘違いしたのかもしれない。
「あ、ごめんね。じゃあ私の部屋でお茶でもしましょうか」
「はい、喜んで」
此れはいけないと思った私は、ミリアをお茶に誘う。
すぐさまリンに準備を頼み、私の部屋へ場所を移した。
私の部屋ではティアがベッドで寝ていたが、気にせず放置してお茶を始める。
ミリアとお茶をする場合、基本的には私が聞き手側に徹する。
今回も、話題はミリアからの提供となった。内容は、もうすぐやってくるお披露目に関してのもの。
私の時はどんな感じだったのか、周りにはどういった子が居たのか、緊張はしなかったのか等、ミリアの質問に答えていると時間が経つのも早かった。
お披露目の同伴者は基本父親で、都合が付かない場合は母親が代理で行く。
つまり、私は一緒には行かない。
その事をミリアは残念に思っているようだが、我儘を言ったりもしない。精々が残念そうな表情をするくらいだ。
此処迄懐かれると、姉冥利に尽きる。
少し嬉しくなった私は、お披露目が終わったら一緒に買い物へ行こうとミリアを誘う。
すると一転、ミリアは「是非御一緒致します!」と満面の笑みを浮かべる。
何だかんだで妹に甘いのは、其れだけ可愛い存在だからだと思いたい………。
ミリアのお披露目当日。
終わる迄暇な私は、ティアを連れて久しぶりに海へ来ていた。リーデル領の南にある海である。他には、スーとクーが同行している。
ティアには色んな人の知識がある。
そして、魔法こそ行使できないが、手先は器用だし見た目に反して力も強い。
と言う事で、お手伝いと言う体で此処に居る。
「おぉ~…実際に海を見るのは初めてなのじゃ」
以前トンネルを掘って海に来た時、ティアは居なかった。
この国に来る迄がどうだったのかは知らなかったが、今の発言から、ずっと陸地を移動してきたのであろう事が伝わった。
初めて目の当たりにする海に、テンションが上がっている様子だ。
「ふふっ、取り敢えず私は海産物の収集をしてくるから、ティアは暫く遊んでて良いわよ」
「おお!ありがたいのじゃ!!」
「スーとクーもね」
「ワフッ!」
「キュー」
わーいといった感じで海に向かって走って行くティア達を見送り、私も水着に着替えて海に入る。
今回は海藻を中心に、岩陰に隠れている小魚や貝類等も採っていく。
ついでに海水を多目に補充し、浜辺へ戻る。
「むむむむ……」
何とも言えない表情で眉根を寄せているティアが居た。
いや、多分必死に目を凝らして遠くを見ているのだろう。
「何をしているの?」
「ぬ?主様よ、あちらに島が見えるのじゃ」
「島?」
「うむ。小さな島故、恐らくじゃが無人島というやつではあるまいか?」
私はティアの指さす方向へ目を向け、島らしきものを探す。
が、残念な事に何も見当たらない。
「何も見えないけど?」
「む?遠視は……おお、そうであった。妾の知識にはあるのじゃが、主様の知識には無かったのじゃ」
「遠視……便利そうね?教えてくれるの?」
「うむ。そうじゃな…主様の知識で言えば、望遠鏡をイメージすると良いのじゃ。屈折式が無難かの?」
「あ、あーなるほ……ん?待って、ティアって魔法が使えるようになったの?」
「なったとも言えるが、なってないとも言えるのじゃ」
「………?」
魔法を行使できるようになったのかと思って聞いたのだが、よくわからない事を言い出した。
「己で完結する魔力運用ならばできるようになったのじゃ。じゃが、放出したり遠隔操作したりは無理なのじゃ」
「え?じゃ、じゃあ望遠鏡をイメージって……」
「妾は瞳の内の光の屈折を弄っておる。じゃが、主様ならばその必要もあるまい」
其れで先程の表情になっていたらしい。
成程と納得できたので、私も遠視に挑戦してみる。
ティアの言っていた方向へ向き直り、改めて見てみる。すると、確かにポツンと小さな島が見えた。
(1、2、3……まだ奥にもありそう)
ぱっと見でも5つの島が見える。
どれも小さいので、恐らく群島だろう。
もしティアの言う通りに無人島だとすれば、是非とも手を入れたい。
「ティア、私はあの島に行ってみようと思うんだけれど……」
「妾も行くのじゃ!とても楽しそうなのじゃ!」
という事で、ティア達を連れて転移する。
ちょっと遠目だったので座標が少しズレたが、問題無く到着した。
見た所、全く人の手は入っておらず、色々と植生も違っていそうだ。
そして、見間違いでなければ―――
(……赤松?)
――この島唯一の小さな山の頂上付近に、赤松が見える。
「ざっと見回ってみましょうか」
「うむ」
私の言葉に、スーとクーは各自自由に行動を始める。
其れを見送り、私はティアと一緒に島を一通り見て回る事にした。
一周してみたのだが、どうやら目立ったものは赤松くらいで、傍には松茸も幾つか発見した。だが、この島の気候では未だ収穫時期では無いようだった。小動物や虫も棲息していたが、害になる種は居なかった。
「次に行くのじゃ!」
「ふふっ、やる気十分ね」
久しぶりに外で思いっきり動けるからか、ティアのテンションは依然高いままだった。
私も他の島がどうなのか気になるので、特に否は無い。
スーとクーを呼び戻し、次の島に転移する。
「此処は……川があるのね」
「水源はどうなっておるのかのう?」
「本当にね」
私達は謎水源を探す事にした。
川を辿り、上流へ向かう。この小さな島のいったい何処に、湧き水に成るほど水を貯められる場所があるのかが気になった。
辿り始めて3分程、邪魔だった木々が無くなり開けた場所へ出た。
すると、私の想像だにしない光景が目に映る。
「……………」
「おぉ~、此れはまた見事な稲じゃな」
「……………」
「確か…陸稲と言ったかの?」
「……………」
「うむ。湿地と言えるような場所では無い気もするが、川が分散して流れておる故の自生かのう……」
ティアが隣で何か喋っている気がするが、私の耳には入ってこなかった。目の前の光景に釘付けになっているからだ。
よく見ると、川は4方向に分散して流れており、その間に稲が生えている。結構な大きさで、私が過去に水田で見た事のある稲と比べても、十分立派なものだった。
「む?お~い、なの、じゃ!」
「っ…あら?」
私が固まっていたからか、気付けばティアが目の前でぴょんぴょん飛び跳ねながら手を振っていた。
「むぅ…主様よ、あれを探しておったのではないのかのう?」
ちょっと拗ねた顔のティアが可愛い。
「ああ、ごめんごめん。そうね、思わず呆けちゃった」
「すぐ傍に水があるのじゃが、あれは陸稲と水稲どっちなのじゃろうな?」
「え?あー……陸稲じゃないかな?水田じゃ無いんだし、川の傍以外は味で落ちると思うわ」
「ぬ?そうかのう…どれも立派に見えるのじゃが……」
「重要なのは種子…種籾ね。良い物を選んで水田で育てれば、旨味のある良いお米が採れる筈!……ふ、ふふっ、うふふふふふふ………」
「うむ。嬉しそうで何よりじゃの」
ちょっと引かれている気がする。
深呼吸、深呼吸……。
「さて、此処はもう良いわ。他を確認しましょう!」
「ぬ?水源は良いのか?」
「稲が育っているのよ!問題などありはしないわ!!」
「う、うむ。そうか……」
今度は呆れられている気がする。
でも気にしない。
「さ、行きましょう!」
水源はもう気にしない。
稲が育つのなら水質は良い筈だ。ならば問題無し!
何はともあれ、思わぬ収穫があった。
ただ、北部に行く意味が無くなってしま……ああいや、精霊の件があった。
テュールからも確認を頼まれていたんだった。
作物の問題をどうにかすれば、ワショック男爵も北方の商人との関係に拘る必要も無い。ならば、北部の精霊調査だけ確実に行って、今後の収穫量が改善されれば問題は無くなる。
よし、やる気も出てきた。
そして何より―――
(わ~い!お米だー!!)
――私のテンションは嘗て無い程に急上昇している。
今日は良い日だ。
ちゃちゃっと残りの島も確認して帰ろう。余り時間を掛けると、ミリアを待たせてしまう。其れに、水田の準備をして種籾を持ち帰らなければ……。
そんな事を考えていたからだろうか、3つ目の島に転移した時、浜辺に打ち上げられた人を発見した。
ブクマと評価、ありがとうございます。