調査って言ったよね?
「ユリアさん?聞いていますの?」
気になる会話に聞き耳を立てていると、セイルティール様がちょっとむくれた表情で私の顔を覗き込んできた。
返事が無い事を不満に思ったのだろう。
「すみません。あちらの会話が気になったもので……」
聞いていなかったのは事実なので、私は素直に謝罪して正直に話した。
「あちら……?ああ、北部在住の子爵や男爵の方々ですわね」
私の視線を追ったセイルティール様は、会話をしている人達を知っているようだ。
「ご存知で?」
「ええ、勿論ですわ。あのお2方は、昔商いで失敗してお家取り潰し一歩手前迄行った事のある方達で、その時には寄親である辺境伯様に助けていただいたそうですの。其れから奥にいらっしゃる方は、先日のティスラーとの関係改善を機に、北方から流れてくる品を積極的に仕入れていると噂になっていらっしゃいますね」
「成程……」
軍事国家ティスラーの所為で、以前は北方と交易をする機会が無く、名産品等を仕入れる事はできなかった。
しかし、この前の一件から無事に取り引きも始まったので、最近は北方にある国々との交易も徐々にではあるが増え始めているらしい。
そして、今陰口―――本人に聞こえるように言っているので正しい表現かは微妙―――を叩かれている人は、その北方との取り引きを始めたうちの1人だそうだ。
「なんでも、僅かではあるものの、年々小麦の収穫量が減ってきているらしく、飢饉に備えて主食を増やそうとしておられるのだとか。取り返しがつかなくなる前に、自らの土地で生産できるようにと手を広げたそうですわ。……ですけれど、あのご様子ですとあまり上手くいっていないみたいですわね」
その声には、若干ながらも心配そうなニュアンスを感じた。
「あちらの方の評判をご存知ですか?」
「そうですわね。私は詳しく存じませんが……お父様ならば、情報を持っていますよね?」
と此処で、私達の会話を黙って聞いていた公爵様に水を向ける。
「ふむ……。そうだね、此れでも公爵だからね。各家の事情には詳しいと自負しているよ」
にこやかにそう言う公爵様だが、その先を喋る気は無さそうだ。
(うーん?…教えて欲しければ理由を話せってところかな?)
個人的には米が欲しいだけである。
先程聞こえてきた“コメ”が、私の知る物と同種の物かはわからないので、その情報が知りたい。
交易品なら自分でも調べられると思うのだけれど、最近取り引きが始まったばかりであれば、調べるのに時間が掛かるかもしれない。此処で聞いておいた方が無難だろう。
(まあ、別に知られて困る内容でも無いし?)
悩むまでも無いかと判断し、私は公爵様から情報を得る事にした。
「先程聞こえてきた“コメ”という物が気になりまして…私の探している物の可能性が高いのです」
「ほう…と言う事は、彼の悩みを解決する事もできるかもしれない……と?」
「其れについては、実物を見てみない事には断言できませんわ」
「成程、道理だな。……では、彼を呼んでこよう。当人から聞いた方が確実だろうからね。少々待っていてくれたまえ」
「はい、ありがとう存じます」
(自分で話すんじゃないんかい!!)
てっきり公爵様から情報を聞けると思っていたのだが、本人を連れてくるから本人から聞けという事のようだ。
俯いていた人は、いきなり公爵様から声を掛けられて随分と驚いている。陰口を叩いていた人達も、驚きの余り口が開いたまま間抜けな表情になっている。
(そりゃそうでしょうて……)
祝いの席である為無礼講な雰囲気があるものの、やはり高位の貴族に対して低位の貴族から話し掛けるのは周囲から非難を浴びる。だから高位の貴族から話し掛けてもらう必要があるのだが、この場では挨拶回りも無いので本当に親しい間柄でなければ話し掛けられる可能性はとても低い。
あの反応も納得できると言うものだ……。
少し会話した後、戸惑ったままの彼を連れて公爵様が戻ってくる。
「ワショック男爵。此方、我が公爵家が懇意にしているルベール魔法伯だ。最近の君の商取引について、何か気になる事があるようだ。是非とも情報交換してみると良い」
「は、はあ……」
(困惑していらっしゃる)
まあそれも当然だろう。
どう言われたのかは知らないが、突然連れられた先で私を紹介されたのだから。
更に、今の公爵様の発言で、周囲で聞き耳を立てていた人達がざわつく。
公爵家が懇意にしている。其れはつまり、家同士―――と言っても私の家は現状私1人だけだが―――での付き合いが公私共にあると公言した事になる。
この場合、私に何かあれば、アクォラス公爵家が出張るという意味にもなる。簡単に言えば、周囲への牽制だ。
そして、紹介ついでに情報交換を勧めた。となれば、今後も付き合いを続ける価値があるのだと、公爵様は言外に伝えてくれている。
「ご紹介に預かりました。ユリア・ルベール魔法伯です」
「あ、わ、わたしはソーダ・ワショック男爵です。お噂はかねがね…どうぞ宜しくお願い致します」
(ワショック……わしょく…和食?)
名前からの連想で、どうでもいい事を考えてしまう。
一応は私の方が爵位が上だからなのか、戸惑いながらもワショック男爵の口調は丁寧だ。
其れよりも、私はその噂とやらの内容が非常に気になる。気の所為か、ワショック男爵が少しばかりビクビクしているようにも見えるのは、その噂が関係あるんじゃなかろうか……。
「そ、其れで…我が領での交易品に興味があると伺ったのですが……」
「ええ、正確には北方との交易品ですね」
「は、はあ…いえ、其れよりもですね……」
曖昧な返事の後、言葉を濁して視線を忙しなく上下にやっている。
まあそうだろう。今の私の状態を見れば、その反応にも納得できる。
原因は、何故かセイルティール様が解放してくれないからだ。
ワショック男爵が此方に来るのが見えた時にも、私はセイルティール様の腕を軽くタップして放して欲しいと意思表示した。しかし、セイルティール様は私を抱きしめている腕に力を込める事で、解放する気は無いのだと返答した。
……いや、何でだろうね?
疑問は尽きないが、今はどうこう言っても仕方が無いので、取り敢えず話を進める事にした。
「北方から仕入れた品の中に、“コメ”があるとお聞きしたのですが?」
「え?あ、ええ…そうです。しかし、交渉で失態を犯しまして、結局損をしてしまいました」
「あら、どのような…とお聞きしても宜しいでしょうか?」
「あー…まあ、構いません。正直、現状よりも悪くなる可能性は無いと思っていますので、伏せる理由も無いですしね……」
哀愁漂うとはこの事か…と思ってしまう程に、諦めの入り混じった感じだ。
随分と苦労したのだろう。
「そもそものきっかけは、小麦の収穫量が年々減ってきている事でした。其れで調べたところ、他の作物も比較しなければ気付かない程度には減ってきていたのです。他領から幾らか買い付けているとは言え、今以上に増やすのは難しかったので、新たな作物を育てようと思い立ちまして……」
(ほうほう……ん?)
この国は、精霊のお陰で自然災害に見舞われない。
更に、基本的に気候も穏やかで季節の変化による寒暖差も緩い。
結果として、1年を通し王国全土で作物が育ち易く、豊作になり易い―――
(――筈なんだけどなぁ……)
「そんな折、丁度北方の貿易事情が改善された事を機に、情報も色々と入ってくるようになりました」
(まあ、止めてたのはティスラーだもんね)
「その情報の中に、とある国での主食は“コメ”という穀物だとかいうものがありまして、何とか北方から来た商人に渡りを付けたのです」
(主食…ならやっぱり)
「ところが、その商人が言うには“コメ”にも種類があり、求める物と違っていた場合には責任が持てないと……」
(…ん?)
「其れを聞いたわたしは、「責任は問わないから、兎に角主食とされている物を入手して欲しい」と言ったのです」
(……んん?)
「すると、その商人は後日、“ハクマイ”なる物を持って来たのですが、どう調理すれば良いのかが全く解りませんでした」
(……………まあ、炊くっていう発想が出ないと難しいよねぇ。ましてや、知識無しの初見でいきなり上手くはいかないでしょうて)
「詳細を聞こうにも、その商人にはのらりくらりと躱されまして、「契約に無いから教える義理は無い」との一点張りでして……。その契約も、わたしが何度かこの内容で大丈夫なのかと尋ねていたのですが、その度に「最初はこういった契約を結び、特に問題が無ければ継続で結び直すのが我々の国では常識です」と返されまして、あちらの常識に疎いわたしは、そういうものかと納得してしまったのです」
(おぉぅ……)
「更には、契約更新や新しく契約を結ぶ申し出にも首を縦には振ってもらえず、栽培方法もわからない所為で色々と試す事もできず仕舞い。最早どうする事もできないと判断し、今や“コメ”の在庫は家畜の餌に回している始末なのです」
「……他の商人には頼らないのですか?」
経緯は解ったが、他にも商人は居る筈。
別に最初に契約を結んだ相手でなくても構わないと思うのだが……。
「其れが…どうやら北方では結構な大商会らしく、睨まれるのが嫌でその商人の意に沿わない商いはできないと断られました。既に手が回っていたようで、わたしの伝手ではもう無理なのです」
(舐めてんなぁその商人―――――おっと、お口わるわるしちゃった)
ワショック男爵は、自分のところの御用商人も向かわせたが、相手にすらされなかったらしい。
生憎と、他国との取り引きを結構な数行っている私だが、軍事国家ティスラーより北側には一度も行った事が無い。なので、物価から何から情報は全く無い。
だから、他国の貴族相手にそれ程強気で出られる理由がわからない。
ひょっとすると、向こうでは商人の力が強い可能性もある。
(ワショック男爵が言う“ハクマイ”が白米なら、栽培はできなかった筈。まあ、同じ物であればっていう前提だけれど……。せめて精米する前の物があれば良いんだけどなぁ)
「……ルベール魔法伯は、この国でも一二を争う利益を上げている商会をお持ちでしたよね。その影響力は、他国の重鎮でも無視できない程だと伺っております。その……こんな事を初対面でお願いするのは大変不躾だと解ってはいるのですが、どうにかその影響力でお力添えを願えませんでしょうか?」
私が違う事を考えていると、ワショック男爵が直接的な言葉で助力を願ってきた。
こういった場合、大抵の貴族は遠回しな表現を用いて助力して欲しいと言ってくるものなのだが、それだけ余裕が無いのかもしれない。
(まあ米は私も欲しいし、聞いてる分だと同じ物のような気がするんだよねぇ……。だからまあ―――)
「一度、現物を見せていただけませんか?その後の事は後日話し合いましょう」
――同じ物であれば、協力するのも吝かではない。
ただ、当初の予定通り現物は先に確認しておきたい。
「承知致しました。では、都合の良い日を教えて頂ければ、わたしの方で日程を調整しますので、宜しくお願い致します」
「はい」
他にも、気になった点を幾つか質問し、土地の環境や土の栄養状態を簡単に確認して会話を終え、安堵した様子で離れていくワショック男爵を見送る。安心するのは未だ早いのだが……。
すると、其れ迄黙って成り行きを見ていた公爵様が話し掛けてきた。
「其れで、探していた物だったのかな?」
「可能性は高い…とだけ。ありがとう存じます、ご紹介いただけて嬉しく思います」
「はっはっは、其れは良かった。では、今後も楽しみにしておくとしようか」
「ユリアさんは凄いですね」
「……?」
「その歳で商会を持っている事もですけれど、今の会話は私には難しいものもありましたわ」
感動したといった風に話すセイルティール様。
其れは良いのだが、どうしても言いたい事がある―――
――そろそろ解放してください。ちょっ、スリスリしな―――――うおっ、さすさすもしないで!?
色んな意味で疲れた私だが、その後は特に何も起きず、結局私は抜け出す事なく終わりまで会場に居た。
帰り際、セイルティール様からお茶に誘われたが、一応少人数であればと念を押してから受けた。
王都邸に戻り、少々気疲れしたからゆっくり休もうかと思っていた私の許へ、リンが困った表情で手紙を持ってくる。
「どうしたの?」
「例の件の報告のようです」
リンから手紙を受け取り、内容に目を通す。
例の件と言うのは、マリウスに調査を依頼した件の事だろう。
思ったより時間が掛かったなと思いながら読み進めていくと、目を疑う内容だった。
手紙の締め括りには―――
『――以上の通り、ユリア様のお手を煩わせる必要も無いと判断し、商会員は吸収して傘下へ置き、指示を出していた貴族には御退場願いました』
そう書かれており、この内容を信じるのであれば、実行犯である商会は解体され、商会長を除く商会員はマリウスの傘下となった。
そして、その裏に居たであろう貴族は特定し、表舞台から退場させた……と。
いや、うん……何で?
調査依頼を出したのに、何で事件解決みたいになってるの?って言うか―――
――私、間違いなく調査って言ったよね?
ブクマと評価、ありがとうございます。