閑話~おや、偶然ですね(圧)~
リットル伯爵家の一室で、ユリアと揉めた青年が苛立ちをぶつけていた。
「クソッ!!」
――バンッと机を叩く音が広がる。
同じ部屋に控える使用人が、その音にビクつく。荒れている部屋の主とは目を合わせないように気を遣い、やや俯き加減で佇んでいる。
「何故あんな場所を貴族の当主が歩いてるんだ!バカだろう!其れも護衛の1人も付けずに―――――いや、そう言えばもう1人居たような気が……」
その場では気付かなかったものの、家に戻り幾分か冷静になった今、漸くあの時ユリアの後ろに控えていたリンの存在を思い出した。
「――待てよ?だいたいあの小娘が本物の貴族だという証拠を見ていないじゃないか……。もしや謀られたのか?このわたしが?……チッ、次に会ったら只じゃおかないからな!!」
あの時、ユリアは何の身分証明も出さず名乗っただけだった。だからこの青年は、あの時のユリアは虚言を吐いていたのだと自分に都合良く解釈した。
「そうとわかれば、父上にお願いして―――」
「――坊ちゃま、旦那様がお呼びです」
「……ノックはどうした!?勝手に入ってくるんじゃない!!其れに坊ちゃまと呼ぶなと何度も言っているだろう!!」
「何度かしましたが、お返事がありませんでしたので。呼び方に関しましては、婚約が成りましたら改めさせていただきます」
青年を坊ちゃま呼びするこの人は家令であり、青年がいくら凄もうとも動じない。
室内に居る他の使用人は、どちらも目上であるが故に、この状況に慌てながらも止めに入れない。
「まあ良い。丁度わたしも父上に用があったんだ」
青年は部屋を出て父親の許へ向かう。
「――今、何と?」
「お前は勘当だ、着の身着のまま出て行け。金目の物を持ち出す事も許さん」
「なっ!?何故ですか!!?わたしが何をしたと言うのです!?」
「お前は今日の出来事さえも憶えていないのか?…育て方を間違ったとは思っていたが、此処迄酷いとは思わなかったぞ」
「今日……?そ、そうです!今日このわたしに無礼な態度の小娘が―――」
「其れ以上申すな!!」
「―――っ!!?」
「何も知らぬバカ息子が!!……いや、勘当するからもう息子ではないが、無礼を働いたのはお前の方だ!…しかも、その相手は陛下の覚え目出度い本物の魔法伯様なのだ。王妃様のお気に入りでもあるお方なのだぞ?お前如きが無礼を働ける相手では無い!!」
「そ、そんなバカな……」
「バカはお前だ!久方ぶりの魔法伯叙爵。其れも、学院を飛び級で卒業したその日にだ。見た目は未だ少女ではあるが、既にその容姿は美しく、他に無い桃色の髪を持つ。貴族界隈では有名な話なのだぞ?お前が真面目に情報を得ていれば、見ただけでその正体がわかった筈だ!!」
「わ、わたしは…わたしは……」
わなわなと震えだす青年。この震えは怒りによるものでは無く、後悔によるものだ。
遅まきながら、漸く青年は自身の失態を自覚した。
「先程正式に苦情が来た。丸く収める為には、お前を勘当するしかない。着の身着のままと言うのも、あちらの出したお前を生かしたままにする条件だ。甘んじて受けろ」
「もう…どうにもならないのですか?」
最後の望みに縋り、父親に問う青年。
だからか、父親の言葉にあった可笑しな点に気付く事は無かった。
「ならん。…バカな事を考えるなよ?本当なら、お前を処刑するのが最も後腐れが無く楽なのだ。だが、私も1人の親として、お前が死ぬ姿を見るのは忍びない。しかし、お前がバカな事をすれば、今度こそこの家は終わりだ」
「何を…たかが一貴族の気分を害した程度で、家が潰れる事など―――」
「それだけの相手だと言う事だ」
「……………」
「わかったら出て行け。……生き永らえたいのならば、王都は出た方が良かろう。手紙を渡しておく、その手紙を持って縁戚を頼れば、生活には困らんだろう。だが、もう貴族としては生きていけない事を忘れるな」
「……わかりました」
青年は全てを諦め、大人しく出て行った。
部屋を出て行く息子を見送ったリットル伯爵は、息子が帰ってくる前に起きた出来事を回想していた。
(本当に…恐ろしいお方だった……)
書類仕事を片付け、休憩ついでに庭へ出ている時の事だった。
何の前触れもなく、傍に居た使用人が一斉にその場に崩れ落ちた。
突然の出来事にリットル伯爵は驚いたが、冷静に状況把握に努めた。
倒れた使用人は意識が無いものの、呼吸はしていた。
すると、使用人が死んでいない事を確認して安堵するリットル伯爵へ声が掛けられる。
「おや、偶然ですね」
「――っ!?」
振り返ったリットル伯爵が見たのは、微笑みを浮かべてカーテシーをしているユリアだった。
「リットル伯爵でお間違いないでしょうか?」
「……そうだ」
明らかな侵入。偶然な訳が無い。
然れど、警備の者が現れる気配がしない。
それどころか、周囲に人の気配が無くなっていた。
リットル伯爵は、本職には負けるものの武術の心得があった。故に、人の気配も付近であれば探る事ができる。しかし今、目の前の人物以外には気配を感じられていない。
瞬時に警戒心を強めたリットル伯爵は、相手の様子を伺う。
年の頃は下の息子よりも更に若い。しかし、その貫禄は息子の上を行っている。
特徴的なのはその髪色。
桃色の髪は此れ迄見た事も無く、それこそ噂に聞く久方振りに現れたと言う魔法伯と同じ特徴だった。
(まさか…いや、だがならば何故我が家に来た?)
目の前の人物の正体に思い至ったリットル伯爵は、何故面識の無い自分の許へ来たのかと頭を悩ませる。
リットル伯爵は、本来城勤めである役職持ちの貴族だ。
今日屋敷に偶々居たのは、リットル伯爵本人の確認が必要な書類があったからだ。
「貴方の御子息が、先程街の広場で騒ぎを起こしました」
「………何?」
「私もその場に偶然居合わせたのですが、理不尽にも善良な一般市民へ向けて一方的に悪と断じ、更に騒ぎを聞きつけて駆け付けた衛兵に、あろう事か事実確認すら許さずに捕縛を命じたのです」
「な…そ……本当に?」
「ええ。…流石に見過ごせず、私は止めに入りました。すると、今度は私に向けて暴言を吐き、手を出されそうになったのです。あの欲望に満ちた目は、とても怖かったですわ」
「そんな事が……」
平然とした顔で怖かったと宣うユリアに、リットル伯爵は其れは嘘だろうとは言えず、言われた内容の事実のみを反芻した。
つまり、リットル伯爵の息子―――話からして下の子―――が街中で騒ぎを起こし、止めに入った貴族に暴言と暴行を加えた。
ユリアの言い方から、暴行は未遂に終わったのだとリットル伯爵は理解していたが、こういった場合は危害を加える行動を起こした時点で問題視される。
更に、街中という事は目撃者も多い。
今迄にも下の息子は騒ぎを起こしていた。その度に揉み消すのに苦労していたリットル伯爵だが、今回は無理だと判断した。
此れ迄迷惑を被った人々が黙っていたのは、相手が貴族だからだ。しかし、今回は味方にも貴族が居る。となれば、今迄の鬱憤を晴らす為にも盛大に声を上げる事だろうとリットル伯爵は頭を抱えた。
(あの話が本当ならば、この娘―――――いや、このお方は陛下達からの信が厚い。その上、爵位としても向こうの方が上だ。最悪、お家取り潰しもあり得る……)
城勤めであるリットル伯爵は、噂話だけでなく正確な情報もある程度入ってくる。機密扱いの情報は無理だが、そうで無ければほぼリアルタイムで入手可能だ。
その中には、ユリアが軍事国家ティスラーへ行った事も一部含まれる。
その情報も加味し、リットル伯爵は考えた。
下の息子の教育には失敗しているが、上の息子は優秀に育っている。後継者としては申し分ない。
だから、そんなつまらない事で伯爵家を取り潰す訳にはいかない。
「ですが、何も騒ぎを大きくしたい訳ではありません。ほんの少しのお願いを聞き入れてくださるのでしたら、此方から何かを言うつもりはありません」
「………聞きましょう」
「私、心配なのです。ああいった方は、要らない矜持を持ち合わせているものでして、先の件に関しても自分は悪くないと考えがちです。もしも騒ぎに巻き込まれた方々が何かされた場合、私は自分を抑えられる気が致しませんの」
(回りくどい言い方をする……)
「そんな表情をしないでくださいな」
「っ!!…失礼致しました」
「いえ、私も配慮が足りませんでしたね。では簡潔に、問題となるのがお嫌でしたら、御子息とは縁を切ってください」
「……は?」
「援助も許しません。何より、報復の可能性を残した場合は反意ありと判断致します」
(そんなバカな事を……。可能性を言うならば、生きている限り無くならないだろうが!)
「王都からも出す事をお勧め致します。芽は摘まないと安心できませんものね」
(此れは…暗に秘密裏に処分しろと言っているのか?)
そんな事実は無い。
ユリアは単に、王都内に居る限りは何らかの拍子に間違いが起こる可能性を危惧して言っただけに過ぎず、芽を摘む発言も可能性そのものに対するもので、下の息子に対するものでは無い。
しかし、リットル伯爵は勘違いした。
「む、息子は勘当し―――――王都からも追放致します!ですからどうか、どうか命だけは助けてやってください!!」
「ぇ?……あ、まあ…良いでしょう。では、そのように取り計らってください。ですが、反故にされた場合には、私の方でそれなりの対処をする必要が出てきますので、そうならない事を願ってますね」
ユリアは一瞬、リットル伯爵の必死な形相に戸惑ったが、言質を取れたのでそのまま了承した。
ついでに釘を刺す事は忘れなかったが……。
用事が終わったユリアは、徐々に消えていった。
透明化の魔法を、目でわかり易くする為に態とゆっくり行使しているのだ。
その消えていく姿を見たリットル伯爵は息を呑む。
ユリアは透明化した後、転移でその場から去った。
急に消えた気配に、言葉を失うリットル伯爵。
(何をした?……いや、この場を去った事はわかる。気配が無くなって―――――っ!?)
起きた現象を理解しようと頭を働かせ、途中で驚愕の事実に気が付く。
(そう言えば、あのお方が此処へ現れた時にも近付く気配は何も感じなかった。急に――そう、急に現れたのだ!…其れに、今倒れている使用人達にも何が起こったのかが一切解らない。これだけ時間が経って誰も来ないという事は、恐らく他の者達も例外では無いのだろう。一体全体何が起こったと言うのだ!?私には何も解らん!!)
リットル伯爵は混乱し、頭を掻きむしる。
そのまま膝を着き、暫く経って漸く冷静になると、記憶を掘り起こして考え始める。
(……確か、魔法競技会では技術と繊細さこそ素晴らしいと高評価になったものの、威力に関しては不明であったと聞く。だが現実はどうだ?今見たものだけでも、暗器の1つでもあれば暗殺など余裕で熟せる。魔法の威力など必要無いではないか。もし私が先の約束を守らなければ、問答無用で殺されるかもしれない。しかも何の証拠も残さずにだ。……成程、「不用意に関わるな、利用しようとも思うな、最悪でも敵には回すな」とはこういう事か……。流石の陛下も、耄碌したものだと聞き流していたが、間違っていたのは私の方であったか。此れでは匿って素知らぬふりもできぬな。あのバカ息子が大人しくしているとも思えんし、何かの拍子に露見した場合は……。くそっ、育て方を間違えたと気付いた時に、無理矢理にでも矯正すべきであったか。しかしもう手遅れだ。私の力では今更どうする事もできん)
後悔しているリットル伯爵の耳に、呻き声が聞こえてきた。
声の方を見ると、倒れていた使用人が数人目を覚まし始めていた。
「おい!しっかりしろ!」
使用人の身体を揺すり、覚醒を促す。
目を覚ました使用人は恐縮しきった表情で謝罪し、急いで未だ倒れたままの他の使用人を起こして回った。
全員が目を覚まし、通常業務へ戻らせていると、子息が帰って来たとの報告がリットル伯爵へ届く。
「随分と荒れている御様子です。使用人にも当たり散らすので、若い者は怖がって近付けません。御召し物が少々汚れていらっしゃいましたので、何かトラブルにでも遭遇した模様です」
「そうか……」
リットル伯爵は未だ気持ちの整理が付いていなかった。
これからバカ息子に告げなければならない事を思うと、なけなしの良心が痛んだ。
しかし、告げない訳にもいかないと気持ちを切り替える。
「此処へ呼べ、急ぎの用件があると伝えろ」
「畏まりました」
さて、すんなりと聞き入れれば良いのだが…とリットル伯爵はバカ息子を納得させる為の言葉を考え始めた。
「………はぁ」
回想も終わり、万感の思いを込めて溜息を吐くリットル伯爵。
此れ迄の人生で、自分ではどうしようもない出来事に直面した事は無かった。
家の爵位もそうだが、此れ迄リットル伯爵は敵を作らない立ち回りをしてきたからだ。
しかし今回、それら全てを失う可能性を突き付けられた。……と、リットル伯爵は思い込んでいたが、実際にはそうでは無い。
ユリアが釘を刺したのは、青年から権力を取り上げさせる為でもあった。見立てでは、青年自体は余り強くなく、権力を頼ってばかりの頭の弱い人。そんな人であれば、最も厄介なのは権力であり、其れさえ取り上げられれば問題は無くなると思っていたのだ。
王都から出させたのも、下手にガラの悪い連中とつるんで気が大きくなり、報復に踏み切らせたくなかったという思惑があっての事だ。距離を置くというのは、ユリアが考える中で最も確実なものだった。
更に、援助は許さないとは言ったが、手切れ金を渡すなとは言っていない。旅路で必要となる路銀も、手切れ金を渡してどうにかするだろうとユリアは考えていた。
「あいつが王都を出るのを見届けさせろ。ついでに……目的地迄、監視を1人就けておけ」
「……畏まりました」
監視を就けるよう命じたのは、リットル伯爵の良心だった。言外に、無事に辿り着けたかの確認をしろと命じている。
息子が無事に縁戚の許へ行けるよう祈っていた………。
当然の事だが、当人の思惑は当人にしかわからない。
言葉から受け取れる内容は人により変わる。
意図した内容が伝わっているかは、より多くの言葉を交わして確認するしかない。
こうしてまた、ユリアの言葉足らずによって、勘違いをした人が増えるのであった……………。
ブクマと評価、ありがとうございます。