閑話〜母の想い〜
少しでも本編の状況を理解できる様に、別視点や過去話の閑話を入れていきたいと思います。
初めてあの方に会ったのは、父の手伝いで付いて行ったリーデルという名の領地だった。
父と商談をしている姿が凛々しく、思わず見惚れてしまっていた。
後で同年代だと聞いた時には、凄く驚いたものだ。どう見ても歳上の風格だったので、それを聞いた時は自分の幼さを恥じたものだ。
それでもその姿を少しでも見たくて、算術や話術を頑張って学び、父の仕事を手伝っていた。
その甲斐あってか、少しずつあの方——ヴィルズ・ルベール——と話す機会が増えていった。そして時折仕事以外で見せる可愛らしい所も、ギャップがあってより好きになっていった。因みに、自分の恋心を自覚したのはこの頃だ。
勿論柵には気付いていた。
商売上の付き合いはあるが、相手は貴族様で私は平民だ、父の商会は豪商ではあるが、それでも子爵位に嫁ぐにはそれなりの功績が私自身に無いと難しい。いや、ただ嫁ぐだけであればヴィルズ様が首を縦に振れば良いのだが、周りが許してくれないだろう。
だからこそ、私自身で何かルベール家の利益になる事ができないかを探していた………
それから約半年後、何とか父のコネクションを利用させて貰い、国外とのパイプを得る事ができた。
ルベール家は元々各国との交易も行っていたので、そういった国外ともやり取りのできる存在は重要であった。
順調に功績を上げていったある日の事、ヴィルズ様から初めて話しがあると言われ、屋敷に招待された。
「やあ、いらっしゃい」
「こ、この度は、お招きに預かりありがとうございます」
「はっはっ、これは私的なものだから、公的な挨拶などは無くても大丈夫だよ」
「わ、わかりました」
そうは言っても、緊張してしまうのは仕方無いと思う。
「それで、今日来てもらったのは他でも無い。その、だな………あーっと」
「?」
もう本題かと身構えたが、どうもヴィルズ様も緊張しているのか、少し言い難そうだった。
「ん゛ん゛っ………俺を、支えてくれないか?」
「………えっ?」
一瞬思考停止してしまい、そして徐々にヴィルズ様の言葉が入って来る。
「支え……る?」
「そ、そうだ」
「それは、そういう意味………ですよね?」
「あ、ああ」
すぐには信じられず、つい確認をしてしまった。
そして視界が少しずつ滲んでいった。
「っ!?な、泣かないでくれ!!嫌だったのなら謝ろう!貴族からの求婚を断り辛いのはわかっているが、嫌なら取消す!だから———」
「嫌ではありません!………そうでは無く、嬉しかったのです。私、初めてお会いした時から、ヴィルズ様の事をお慕いしておりました………」
「!!」
「だ、だから……その、夢みたいで、とても、その、凄く嬉しかったのです!」
「そ、そうか……俺も、嬉しいよ」
そう言ってヴィルズ様は、私の横に来て抱きしめてくださいました。そして、そのまま私が落ち着くまで待ってくださいました。
「………あ、ありがとうございます」
「落ち着いたかい?」
「は、はい」
恥ずかし過ぎて顔が見れない
「その……返事を、聞かせてくれないか?」
「あ、よ……宜しくお願いします」
「………ああ」
そのままヴィルズ様は私に顔を近付け—————
「んむっ!?」
—————その日はどうやって帰ったのか覚えていません。
ヴィルズ様からの求婚を受けてから1ヶ月経ったある日、幸せの絶頂とも言える日々を過ごしていた私にとって、地獄へと突き落とされた錯覚を覚える事件が起きた———
「え?………申し訳ありません。もう一度言ってください」
「……すまない。君を妻に迎える事ができなくなってしまった………」
「………どう……して、ですか?」
「それは………詳しくは言えないが、貴族間の問題が発生したんだ」
「内容を、教えては……くれないんですか?」
「……………すまない」
哀しそうな表情で謝るヴィルズ様。
でも私はそんな言葉が聞きたいわけじゃない………そう言いたいけれど、今の私になる為の勉強で貴族社会の事も学んでいるだけに、面と向かって非難する事もできない。
「そう………ですか」
「だが、俺は君を愛している事は覚えていてくれ」
「っ……………帰って、ください」
「本当に、すまない」
踵を返し立ち去る後ろ姿を見つめ、違う・そうじゃない・私も愛してます、と叫びたい思いを我慢した………
次の日から私は体調が優れず、寝込む日が増えてきた。
あの後、帰ってからも涙が止まらず、泣き続けていた私に気付いた両親に全てを伝え、婚約が無くなった事を謝った。しかし両親は、私達に任せなさいと言ったきり、私の抱えている仕事まで変わりにやってくれていた。
気力も湧かず、体調の悪いまま過ごしていたある日、ろくな食事も摂れていなかったにも関わらず、お腹が膨らんでいる事に気付いた。
不安になった私は、すぐ両親に相談した。
話を聞いた母が真剣な顔をし、ヴィルズ様との経験はあるのかと聞かれた。
そういった——子ができる——行為の事だと気付いた私は、恥ずかしさを押し殺して白状したところ、この症状は妊娠した時特有のものだと言われた。
理解すると同時に、私は哀しい気持ちと嬉しい気持ちが出てきた。
子は授かりものと聞いた事がある。なら、愛した人との間にできた子であるのは間違い無いので、これは神様が私にくれた温情なのだと思う事にした。
どうあっても私は、ヴィルズ様の事を忘れる事はできそうに無い。ならばこの子を大切に育て、私の分まで幸せに生きてもらおう………そう思えた—————
月日が流れ、待望の赤子が誕生した。顔立ちが何処となく、ヴィルズ様に似て整っている気がする。
親の贔屓目かもしれないが、利発そうな子だ。
体調も良くなかった事が祟り、難産だったらしく、母子共に無事だったのは奇跡だと言われた。
産まれたのは娘で、名はユリアとした。
優しく優秀な子になって欲しいが、元気に育ってくれればそれで良い。
今度こそ、この子と幸せな生活を送るんだと、そう思っていた———
ユリアがもう少しで掴まり立ちができる程に育ってきた頃、家の前に見慣れた——でも最近見ることの無かった——馬車が来た。
最初に、もしかしてと思った。そして、すぐにそれは無いと思い直した。
降りて来たのは見慣れぬ女性で、とても目付きがわる……鋭い人だった。
何故その馬車から降りて来るのか、と思うと同時にまさかという思いが出てきた。
でも・そんな・嫌・何でという思いが頭をぐるぐると回る。
その人は私が混乱しているうちに近付いて来て、腕の中に居るユリアをジロリと見た。
「貴女がミーリアかしら?」
「そ、そうですが貴女は?」
「平民に名乗る名は持っていないの。私はその子を貰いに来たのよ」
「………は?」
「あら?平民は頭が悪い上耳も悪いのかしら?」
「な……は……え?」
矢継ぎ早に捲し立てられ、答える隙が無い。いや、それよりもこの人は今何と言った?
ユリアを、貰う?
「早く寄越しなさい!!」
「なっ!?」
あろう事か、腕の中に居るユリアの手を掴み、無理矢理奪い取ったのだ。
そんな事をしたらユリアが怪我をしてしまう!!
「やめて!!乱暴しないで!!」
「うるさいわね!私だって、子が産めない体で無ければ平民の産んだ子なんて要らなかったのよ!!」
「そんなっ!だからって何故ユリアを連れて行くんですか!!他の人に頼めば良いじゃないですか!」
貴族ならば、代理出産も珍しくは無い。態々私から奪う必要は無い筈だ。
「そんなの私の矜持が許す訳無いでしょう!!」
腕を強く握られ、痛みでユリアが泣いている。
そんな姿を見たくなくて、つい手を離してしまう。
「ふんっ、貴族の子として育つのよ!感謝して欲しいくらいだわ!!」
「痛っ!!」
強く手を払われ、痛みに顔を顰める。
女性は、話しは済んだとばかりに馬車へ乗り込もうとする。
「ま、待って!!ユリアを連れて行かないで!!私の、私の大事な子供なの!!」
「あの平民を止めなさい!少々乱暴にしても構わないわ!!」
隣に居た、恐らくは護衛であろう人にそう言って馬車へ乗り込んでしまった。
護衛の人は私の腕を掴み、投げ捨てた。
「いっっ!!あぅ゛っ!」
痛みで立ち上がる事もできず、呻いているうちに立ち去ったらしく、目の前には誰も居なくなっていた。
「うっ、うぅぅっ、ユ……リア」
突然の事に、そしてあまりの出来事に私は暫くその場で泣き崩れていた。すると、誰かが連絡してくれていたのか、商談に出掛けていた父が帰って来た。
そして、時間が掛かりながらも事情を説明した私は、泣き疲れそのまま寝てしまった———
その日以降、またしても私は体調を崩し、寝込んでいた。
医師の方が言うには、精神的なものだそうだ。
あの日の事は、ヴィルズ様が居ない時を狙って勝手に奥方が行動したそうで、後日謝罪文と共に金銭が送られて来ていた。
両親に心配と迷惑を掛けているのは理解しているが、私の頭の中はユリアの事で埋め尽くされていた—————
—————何故ユリアが連れて行かれないといけないのか
—————どうして私ばかり不幸な目に遭うのか
—————私がいったい何をしたのか
—————何の為に私は生きているのか
私は、もう生きる気力を無くしていた………
両親の励ましもあり、殆どをベッドの上で過ごし既に3年が経過した。
周りの人達は、私の事を腫れ物を扱うかの様に接してくる。そのせいで余計に出歩く事ができないでいた。
「今日で、3歳になったんだよ、ユリアちゃん。ふふっ、おめでとう」
私は、哀しみを紛らわせるかの様に、独り言を呟いていた。
今ここに居ない、居た筈の最愛の子を想い、必ずユリアの誕生日にはこうして言葉による祝いを口にしていた。
それを見た両親が、泣いている事も知らずに———
数日後、何やら店の方で騒がしくしているのを聞きながら、窓から外を眺めていた。
暫くして、両親が言い争っている声が聞こえて来た………いや、良く聞けば他にも誰かの声が、それも懐かしくも聞きたかった、でももう聞く事も無いと思っていた声が———
自然と、足が動いていた。
今更どうして・何をしにと思い、でもやっぱり会いたい、せめて顔を見たいと、私の心が訴えていた。
ガチャッ
「っ!?ミーリア、そんなにやつれて」
店と家を繋いでいる部屋に、怒った表情の両親と、ヴィルズ様が机を挟んで向かい合っていた。
この部屋は、一応来客にも使える応接間となっている。
「ヴィルズ……様?」
「ミーリア、俺は、謝罪と………迎えに、来たんだ」
「……………え?」
私は、言っている意味が理解できなかった。
どうして・何で・今更・あの人が居るんじゃないの?と、また頭の中がぐるぐるしてきた。
「ミーリア?」
私の様子を見ていた両親が、ヴィルズ様に今日は帰ってくれと言っているのが聞こえてきた。
「ま、待って………2人で、話しをさせて」
両親は顔を顰めながらも、渋々引き下がってくれた。
だって、今を逃したらまた後悔しそうだったから
「……ヴィルズ様、何をしに来たのですか?」
「その、…先程も言った様に、謝罪と迎えに来たんだ」
「意味が、わかりません」
「実は———」
ヴィルズ様は、私との婚約を破棄した後の話をしてくれた。
他の貴族に結託して嵌められ、非常に不利な状況に立たされていた事。
それを回避する為、罠と知りながらもとある貴族の娘と婚姻した事。又、その相手が差別主義な為に私を遠ざけた事。
何処からか、私がヴィルズ様の子を産んだ情報が漏れ、子を産めない体である事が発覚したその相手が、ヴィルズ様の居ない日を狙って私の下に現れた事。
騒ぎを起こし過ぎた為、その対応に追われて全て後手に回ってしまった事。
漸く全てを片付け終わり、持ち直した所で断罪する筈だった相手が、原因不明の死を遂げた事。
ユリアを育てる母親が必要だと、周りの説得を済ませ私を迎えに来た事。
「本当に、すまなかった」
「ユリアちゃんは、ユリアのままなのですか?」
「?……ああ、名は変えさせなかった」
言いたい事は、沢山ある。でも、それでもまだ一緒に居たい気持ちは無くなってはいない。
「もう一度、一緒になれないか?」
「妻に迎えられないと、言われた時の私の気持ちがわかりますか?」
「……すまない」
「私のお腹に、赤子が居ると知った時の私の気持ち、わかりますか?」
「……………」
「最愛の子が、手の中から奪われた時の私の気持ち………わかりますか?」
「……………」
「それでも、それでも!ヴィルズ様の事がまだ忘れられなかった私の気持ちがわかりますか!!?」
「っ!!……本当に、すまない!」
「辛かった!苦しかった!!何度も何度も、生きている意味を考えて!両親にも迷惑を掛けてる私は死んだ方が良いんじゃないかとも思って!!」
「それは、でも———」
「それでも!!それでもやっぱり、ヴィルズ様との思い出が忘れられなくて、死にたく無くて」
「……………」
「好きです、愛してます!一緒に居たいんです!!」
「………ありがとう、ミーリア」
「ぅう、うぅぅ、ヴィルズ様のバカ……待たせ過ぎなんですよ」
言いたいだけ言って泣き続ける私を、ヴィルズ様はそっと抱きしめてくれた。それはまるで、初めて求婚された時にしてくれた様に、優しい抱擁だった………
その後、ヴィルズ様はまた来ると言って一度帰っていき、両親は顰めていた顔を一転して、優しい顔で行ってきなさいと言ってくれた。
どうやら大声で叫んでいたので、聞こえていたらしい。
それからはあっという間だった。
転居する準備を整え、ヴィルズ様の屋敷へ移り、貴族の礼儀作法を改めて習い、挙式や茶会、社交と目まぐるしい日々を過ごした。
漸く慣れて落ち着いたが、悩みは寧ろ増えるばかりであった。
と言うのも———
「ユリアちゃん、おはよう」
「………………」
「ね、ねぇユリアちゃん、この玩具良い音が鳴るのよ、一緒に遊ばない?」
「………………」
愛娘との交流が全く進展しないのだ。
会話どころか視線すら合わないのだ、折角また一緒に暮らせる様になったのに、親子として接する事ができていない。
それでも、健康ではあるようで、しっかりと食事は摂っている。
まるでお人形の様、といった表現を聞いた事があるが、表情が変わらないから本当に人形みたいになっている。
最近は、喜怒哀楽が無いんじゃないかと心配になっている———
そしてルベール家の一員となって、2年が経った頃の事。
「それじゃ、行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
ヴィルズ様が、王都で行われる建国祭へと向かった。
建国祭は、基本的に全ての貴族当主が参加する事となっている。
そしてさらに数日後、今日もめげずに愛娘へと話し掛ける。
「おはよう、私の可愛いユリアちゃん」
私はあなたを愛していると、そういった想いを込めて最近はそう声を掛けている。
いつかきっと届きます様にと願って………