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ポストマン・ブレイド  作者: 下総 一二三
妖刀〝クロバナ〟
5/202

ハナの両親

 食事が終わると今日の疲れて出たらしく、ハナは酒場の長椅子に横になって眠ってしまっていた。


「いい寝顔してやがら」


 店内は厨房と二つの小窓以外は戸を閉め切っており、厨房の鍋を温める火と入口に灯された小さなランプの火だけが店内を照らしている。トウマは店内の隅を占有していて、自分の荷物や町の住民が持ってきた手紙がそこに置かれている。今、ハナが横になっている長椅子を寝台代わりに使っていた。元々が閑散としているがそれでも昼間の方が客は多いらしく、夜に来る客はほとんどいないようなのでトウマも遠慮せずにいる。隙間風や煮物や油の混ざった臭いや便所も外で、風呂も井戸水で体を拭うしかない。宿としては不満な点も多いが、ブーツからサンダルに履き替えられ横になる場所があると、やはり心が休まるのを感じていた。

 老爺が奥から持ってきたシーツをハナに掛けると、悪党のほくそ笑みにも似た笑顔のままトウマの前に小さなコップを置いて、奥からウィスキーをトプトプと注いだ。


「なんだい、俺は頼んでねえよ」

「おごりだ」


 老爺は満面の笑みを浮かべた。獲物を見つけたというような顔つきだった。


「ハナの礼だよ。あれだけ元気なハナを見たのは久しぶりだ。飯を3杯もおかわりしやがった。ガキはこうじゃなきゃいけねえ」

「……」


 嬉しそうに語る老爺の横で、トウマはそっとウィスキーに口をつけた。めた程度なのにぼっと体の中に火が点きそうになる。戦場で何度も口にしているが、その分、戦場を思い出すためにトウマはこの蒸留酒があまり好きではなかった。だが、老爺の好意を断る言葉がトウマには思い浮かばなかったのだ。


「……ハナの親父さんたちこの町で行商やっていたんだってな。この町の地理を覚えるくらいだから、相当な働き者だったんだろ」

「ハナから聞いたのか」

「ああ、帰り道にな。それ以上は話したくなさそうだったけど」

「そうか……」


 老爺はうつむいてしばらく黙っていたが、奥から湯呑み茶碗を持ってくるとトウマの向かいに座ってウィスキーを茶碗いっぱいに注いだ。


「あの子の両親はな、確かに働きもんだった。家は今でこそ貧乏小屋だが、元はこのベガルシアでもうちっといい家に暮らしていたんだ。その両親の親父が商売失敗して貧乏暮らしてわけだ」

「徴兵されなかったのか」

「不幸なのか幸いつうのか知らないが、父親の左手が麻痺しててな。兵役からは免除されてたんだ。だがな、働きぷりはそこらの若いのより、その腕一本で3倍も4倍も働いていたぜ」


 ハナの両親は野菜売りの行商が中心だったが、趣味で釣った小魚の干物や摘んだ山菜の漬物の評判が良く、加えて戦中で食料も不安な折だったから売れ行きも上々だった。5年に及ぶ戦争もようやく終息を迎えた時にはある程度の蓄財も出来たので、また店を構えようという矢先の出来事だった。


「あの〝クロバナ〟が現れたのよ」

「まさか」

「そうだ。奴だ。奴に殺された」


 愕然とするトウマの瞳をまっすぐに見据えながら、老爺が湯呑みを煽った。

 ふらりと町に現れたクロバナはワキノに用心棒を一度断られると、その足で敵対するツマサキ宅へと単身殴り込みをかけ、瞬く間に用心棒以下主要な人間を斬り殺し、ついでに関わりのない夫婦も殺された。

 そこまではトウマもヘルゼナから聞いていたのだが、巻き込まれた夫婦がハナの両親だったとは予想の外にあり、頭をぶん殴られたような衝撃がトウマにあった。病死だろうと勝手に思い込んでいたのだ。


「ワシはハナの両親の得意先でよ。できれば養子にでもして面倒みてやりたがったが、このおんぼろ酒屋だ。せいぜい古着やったり、余りものをやったりするくらいしかできねえ」


 自嘲気味に口の端を歪ませて、老爺は一息に残ったウィスキーを飲み干した。


「〝ポストマン〟のアンタが来てから、客も手紙持ってくるがてらに食っていく客も増えたし、そのおかげでハナに飯もたらふく食わせてやれる。俺はオメエに感謝してるぜ」

「……よせよ」


 褒められなれていないので、少々気恥しい。

 トウマはコップに残したウィスキーに目を落としたまま苦笑いした。


「……明日、何時に出るんだ」

「ハナには言ったけど、残り20通だしなあ。ハナに案内してもらえば1時間も掛からないだろうから、ちょっとのんびりでようかな」

「なら、付き合いな」


 そういうと、老爺は近くの引き戸を開けて、一本の大瓶を持ってきた。

 ウィスキーとは異なり無色透明の液体で、蓋を開けると嗅ぎなれない匂いがした。


「これはおめえの腰の長物と一緒に、この国まで来た米でつくられたもんだ。〝和酒〟ていうんだが、飲んだことあるか?」

 

 いやとトウマは首を振った。名前を聞いたことはあるのだが、口にしたことは一度もない。嫌ったわけでもなく特に理由もないのだが、周囲がウィスキーばかりだったから自然とならったとトウマは記憶している。ひとつには稲作や米が、箸や刀ほどこの国に浸透していないのも理由にあるのかもしれない。

 噂では水の張った畑で育てるらしいが、この大陸では麦と同様、畑で育てる。


「この酒はウィスキーと同じように、このままで飲むのがいいらしい」


 老爺は自分とトウマのコップに酒を浸し、にやりと笑うと自分の湯呑み茶碗を持って前に突き出した。


「今夜は朝まで飲むぞ」

「じいさん、年齢考えなよ」

「そんなもん前から言われてる。もう聞き飽きたわ」


 トウマは呆れながらもカチリと杯を合わせて一口飲んだ。

 奇妙な清涼感のある液体が喉を通り過ぎ、心地よい温かさや酔いが腹の底からあふれてくるような感覚がそこにはあった。不思議な味だとトウマは何度も煽り、いつのまにかコップは空となってしまっていた。

        ※   ※     ※


 まぶたの裏に光を感じ、目を覚ますと店内が明るいのに気がついた。店内中の窓があけられて、そこから光が差し込んでいる。陽が高く時刻は昼に近くなっているようだった。昔から酒には強くて頭に痛みまで感じないのだが、酔いの影響がまだ残っているのか視界がどこかぼやけている。向かいの席に老爺が長椅子に横になって寝息を立てている。

トウマは体を起こすとはらりとシーツが落ちた。拾い上げてみると、それはハナに掛けられていたものだ。そこでようやくトウマはハナがいないことに気がついた。


「ハナ……?」


 帰宅したのかトイレにでも出掛けたかと思ったが何か違うような気がした。何か見落とした違和感があってさらに店内を見渡すと、自分の荷物置き場となっている店内の隅に目が留まった。ブーツやリュックに自分の刀。他にこの町の住民が持ってきて束ねられた手紙の山。その中で昨日手紙の残った鞄がなくなっている。


「あいつまさか、ひとりで出掛けたのか」


 昨日、ハナが「ひとりでできる」と言っていたのを思い出し、トウマは苦笑していた。大人たちの醜態を見て自分で配れると意気込んだに違いない。


「おい、じいさん起きろ」


 トウマは老爺を起すと、ブーツに履き替えて刀を腰におさめた。


「ハナが一人で出掛けちまった。ちょっと手伝ってくるわ」

「……ハナが? 一人で?」

「どうもハナにみっともねえ大人だと思われちまったようだからな。いつまでも寝てられねえ。それにこの町じゃひとりで行かせるのは心配だからな」


 そう言って、トウマは〝ポストマン〟の帽子を被って外へと出て行った。

 老爺には心配だと言いつつも、その時のトウマはそこまで深く考えていたわけではない。

〝クロバナ〟のような狂人がいるとしても、昼間に滅多にうごかないという。まだ陽は高く通りは少ないとはいっても人目のある時間帯だった。空も澄み空気も心地いい。明るい陽射しがトウマに根拠のない安心感を与えていたのだった。


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