ボクらだって
不意にした声にトウマらが一斉に振り向くと、少し離れた薄暗い木の幹に若い娘が寄りかかっている。屈託のない笑みをうかべ、花の髪飾りをつけ、来る途中に出会った“リサ”と思われるあの娘だとすぐにわかった。
「リサ!」
ハクも一目見てわかったようだった。その顔には驚きと喜びが複雑に入り雑じり、言葉を詰まらせている。駆け寄ろうとするハクの肩をトウマが思い切りつかんだ。驚くハクをトウマは視線だけで制し、トウマが前に出た。
「こんにちは、おじさん」
「ああ、こんにちは。君に訊きたいことがある」
「なにかな」
「お前が“人喰い”か?」
トウマはいきなり言ったが、“リサ”は動揺もせずにクスクスと笑っている。ハクは言葉を失い、両目を見開いたまま、口を喘がせるだけだった。
リサは満面の笑みを湛えたまま、あのねと言った。
「……あのね、“カルネ”が言うこと聞いてくれないの。私と一緒に来てくれないかなあ」
「リサ、何を言ってるんだい」
「うん。今日は、ホントに良い日だよね」
「ハクさん、下がっていてくれ。あれはあんたの娘さんじゃない」
トウマは鋭く言うと、拳銃を抜いてリサに銃口を向けた。
話がまるで噛み合わない。見当外れな返事をするリサに、奴は敵だとトウマの本能が咄嗟に叫んでいた。一気に緊張感がトウマの心身を引き締めていく。
トウマが刀ではなく銃を構えたのは万が一も考えられたからだが、不用意に近接するのは危険ではあったし、魔法では限界まで粘る際の手段としては威力が強すぎる。
「おじさん、この間わたし、馬車の中でカルネと遊んでいたら、馬車の中が真っ暗になったの」
「……」
「そしたらカルネたら、暗いとこできゃんきゃん、鳴いて暴れていたのよ。おかしいでしょ」
クスクス笑いながら、暗闇からリサが近づいてくる。トウマに話掛けているように見えるが、ガラス玉のように虚無に満ちて見てはいない。口から流れてくる言葉も機械的に発しているだけだ。トウマは引き金を引き、弾が地面を跳ねたにも関わらずリサは歩みを止めない。
「おじさん、カルネが言うこと聞いてくれないの」
「そこで止まれ。それ以上はお前を射つぞ」
「こんにちは。ちょっと、お願いがあるの」
トウマの言葉を無視し、リサは足を踏み出した。そこがトウマの限界だった。引き金を引き、乾いた銃声が鳴った。リサの頭部が仰け反るとともに体が後方に弾けとび、重い音を立てて倒れこんだ。そこは森の影に覆われた場所で、闇に呑まれたように、リサの輪郭がわずかに浮かんでいるしかわからない。
「リサッッ!リサァァァァァッッッ!!」
倒れた愛娘を目の当たりにし、ハクが発狂したように喚いていた。トウマに憎悪を剥き出しにし、口には沫を溜めて手にした剣で斬りかからんとする勢いだった。狸たちは銃声が起きた時には既に逃げ去り、随分離れた位置の木の陰から様子を窺っている。
「よくも……、よくもリサを!」
「ハクさんを抑えていてくれ。まだ終わっていない」
「な、なにがだよ!」
ハクを抑えている村人が泣くように叫んだ。
「いいから、逃げる準備でもしてろ」
トウマは銃をしまうと、素早く刀を抜いた。倒れたリサの影を凝視したままでいる。重い静寂の間がわずかに流れた後、やがて暗闇の中で、むくりと起き上がる影があった。
「アハハハハ」
何事もなかったようにリサの笑い声が響き、その不気味な笑い声にハクですらも、先ほどまでトウマに向けていた憎悪や怒りが一気に消し飛んでいた。「娘ではない」というトウマの言葉を漸く呑み込み、言い様のない恐怖が、ハクの顔に貼りついている。
「ねえ、おじさん。カルネを叱ってやってよ」
じゃりと石を噛み締めるようにリサが近づいてくる。爆発によってポッカリと開いた空から差し込む光が地面に反射して、リサの姿を浮かび上がらせていく。額には銃弾によって開けられた小さな穴があった。
――やはり“リサ”じゃない。
トウマは地面を蹴って猛進した。リサの首もとを薙ぐように刃を振るうと、リサは大きく飛び上がって剣から逃れた。飛び上がったというよりも、佇立したままの姿勢吊り上げられたという表現が近いのかもしれない。トウマはリサの体から上空に向かって伸びる、糸のようなものを捉えていたからだ。
リサを追う視線の先に、生い茂る森の葉が広がっている。森に差し込む陽の光に照らされ、不気味に蠢く巨大な影をトウマは見た。数十メートルは悠に超えるであろう、巨大な蜘蛛の影だった。
「敵が真上にいるぞ!」
トウマが叫ぶと同時に、粘着性のある液体のようなものが空から降り注いできた。トウマは蜘蛛の糸かと瞬時に察した。トウマは反射的に炎系の魔法で焼いたために逃れることができたが、まともに浴びた村人たちは、粘着質のある液体のようなもので身動きできなくなっていた。
「な、なんだこりゃ!」
「あの蜘蛛の糸だよ!あの野郎、バレたと思ったら、なりふり構わず仕掛けてきやがったんだ!」
村人の中には剣を振るって逃れようとする者もいたが、却って絡め取られ身動きできなくなっている。
「そいつは火に弱い。火で焼き切れ!」
トウマは動ける村人に指示をしながら、自分は木の幹を足掛かりにして一気に駈け上がっていた。
長期戦になれば不利となるのは明白である。太い枝を利用して躍りあがると、肩に刀身を寝かせて巨大蜘蛛へと突進した。
「だあああっっっ!」
気合いとともに振るった刀は、懸河の勢いがあったが、刀から放たれた衝撃波が幹を粉砕しただけで、蜘蛛は刀が到達する寸前に飛び下がってかわしていた。。巨体からは信じられないほどの素早さだった。
「逃がすかよ!」
いかに素早いといっても視界からは離していない。宙を飛びながら、トウマは森の奥へと逃げようとする蜘蛛に雷撃の魔法を放って進路を遮ると、蜘蛛は樹の枝に足を引っ掛けたまま、硬直して止まっている。
「死んだふりで、俺を誘うつもりか」
だが、その言葉とは裏腹にトウマは駈けた。雷撃でダメージを受けたわけでも気絶したとも考えるほどトウマはお気楽ではなく、“ふり”を誘っているだろうと察してはいた。だが、このまま警戒すれば、蜘蛛は森の奥へと逃げ去ってしまうだろう。
一本の樹の枝に着地すると、枝から枝へと器用に飛び移り、巨大蜘蛛へと接近していった。足の運びに渋滞がなく、戦いを見守る男たちや狸たちの眼には、トウマが地上を駈けているようにも映っていた。瞬く間にトウマは蜘蛛に接近し、他から見れば相当な距離のある間合いに入ったところで、トウマは八双に構えた状態から刀身に右手を添えた。
――キイイイ……!!
突然、蜘蛛は金属が擦れたような音を発した。鳴き声かと思ったが、蜘蛛の鳴き声など聴いたことがないので音と思うしかない。ともあれ、蜘蛛は臀部をよじり大量の蜘蛛の糸をトウマに目掛けて放出した。
「やはり蜘蛛の糸か」
予想が当たり、ニヤリとトウマは口の端を歪めた。右手に炎の塊が生じ、強力な熱波が刀身を急激に熱し燃え盛る炎に包まれる。
「うらあああっっ!」
トウマは咆哮するとともに、左手のみで刀を振るうと先ほどは村人が斬ることにさえできなかった糸が、バターを切るように易々(やすやす)と切り裂かれた。
「次ぃ!」
トウマはそのまま突進し、上段に構え直して振り下ろした。見る者には白光が鋭く走ったようにしか見えなかった。次の瞬間、蜘蛛の足が3本、宙を舞っていた。本能によるものか、足を犠牲にして寸前でトウマの刃を逃れていたのだ。青黒い液体を撒き散らしてもがく蜘蛛に、トウマは激しく舌打ちした。
「なら、次はこれで……!」
仕留められる。
トウマがそう確信して、着地した木の枝から振り向いた時だった。上空から何かが急速に接近してくる気配がした。
「アハハハハ!」
「リサ……」
反応する間もなく、いきなりリサに抱きしめられ、そのまま木の幹に押しつけられてしまった。尋常ではない力だった。
「ねえ、おじさんにお願いがあるの。聞いてくれないかな」
「くそ……、もう少しなのに……」
身動きできないのは力のせいだけではない。粘着性のある液体がトウマを拘束している。それはリサの体から生じているものだった。
――これで旅人を捕まえていたのか。
刀を振るうにしても、魔法の印を結ぼうにも、指先までも蜘蛛の糸に絡め取られてしまっている。地上では村人たちが弓矢でトウマを助けようとするが、蜘蛛がトウマを盾にする格好で近くにいるため、迂闊に手が出せないでいた。蜘蛛に火矢で狙いを絞ろうにも蜘蛛の糸を放ってくるので、自分たちの身を守るのに精一杯となっている。
「ちくしょう……!」
「この間ね、カルネたら私の布団でいたずらしたのよ」
「いい加減、うっせえぞ」
「カルネを叱ってやってくれないかなあ」
耳元で囁くリサと重なって、巨大蜘蛛が枝を伝ってにじり寄ってくる。巨大蜘蛛の瞳に反射して苦悶するトウマ自身の姿が映し出されていた。トウマの危機に地上では村人の一人がマズイと唸った。
「あのままじゃ“配達士”がやられる」
村人の一人がハクや他の仲間に言った。
「おい、ありったけの火矢で蜘蛛の周りの木を焼くぞ」
「だが、山火事になったらちょっとの消化じゃ治まらねえぞ」
「バカ言え、このままじゃ“配達士”が殺されちまったら、俺たちも殺されちまうぞ。まともに戦って勝てるのはあの人だけだろが!」
「そ、そうだな」
蜘蛛を圧倒しているのは、自分たちではなくトウマであって、殺されてしまえば自分たちが殺られてしまうのも時間の問題――。
現実に引き戻されると背に腹は変えられず、村人たちはそれぞれ火矢を用意し始めた。
すると突然、獣の叫び声とともに激震が地面を揺らした。
「な、なんだ!?」
見上げると、巨大な人影が膨れ上がり、赤色の巨人が巨大蜘蛛へと躍りかかっていくのが見えた。
“うおおおおっっっっ!”
「カルネ……。いやギンタか?」
トウマの目の前を赤色の鬼――ギンタ――が過ぎ、蜘蛛の背後にしがみついた。脚を失った巨大蜘蛛はバランスを失い、地面へと落下して重い地響きを立てた。
“くっそおおっっっ!”
ギンタは大声で喚きながら蜘蛛に拳を叩きつけていく。しかし、見かけ倒しの力では蜘蛛に及ばず何度も弾き返されていた。だが、それでもギンタは必死に食らいついていく。
「……大丈夫?」
ふと耳元で子どもの声がし、トウマが探すといつの間にか数匹の子狸が傍にいた。
「ここにいたら巻き込まれるぞ。何しに来た」
「僕、ギンタほどじゃないけど魔法が使えるんだ。せいぜいマッチくらいの火だけど」
「……」
「ギンタが時間を稼いでくれてるから、その間に僕が蜘蛛の糸を焼くよ。それ、火に弱いんでしょ」
そう言うと子狸たちは立ち上がって前足にポッと火を灯した。確かに頼りないほどの火ではあったが、希望に導く火だとトウマは救われたような気分だった。
「なら、右手だけの手首部分までいい。後は離れていろ」
「でも、全部焼かないと動けないよ」
「いい。待っていたら、ギンタがやられちまう」
異様な衝撃音と叫び声が響き、ギンタが地面に投げ飛ばされていた。しかし、何度も立ち上がってはむしゃぶりつくように向かっていく。
「頼む」
「う、うん!」
子狸たちは急いで糸を焼き始めた。相変わらずリサが機械的に何事か呟いていたが、蜘蛛へと立ち向かうギンタに意識が向き、トウマは最早、気にならなくなっていた。




