ウチのアオルタ郵便局長
今日は早めに帰れる。
そんなウキウキしていた気分も一時間後にはすっかり消えてしまっており、トウマはまだ郵便局に残っていた。郵便局のとある一室で、憮然としたまま突っ立っていた。
トウマの前では、郵便局の制服を着た男が頬杖をついたまま机上に視線を落としている。
――この人はやる気あるのか無いのか、ちっともわからないな。
無気力でどこかだらしなく頼りない雰囲気のする目の前の男を見ていると、トウマ・ライナスはいつもふしぎに不思議に思うのだった。男の厚ぼったいまぶたはどこか眠たそうにも見える。かつては軍の参謀局にいたとはとうてい信じられないでいた。男は机に視線を落としたまま、指先で机をトントンと叩いている。その姿は考え込んでいるというよりも、所在な気にぼんやりとしているだけのようにも見える。
――こんな人がアオルタ郵便局の局長かあ。
こんな人――ミラルカ・テスカ局長――に呼ばれてから、無言の行がしばらく続いている。
トウマがTシャツにジーンズと私服姿でいるのは、着替えてから帰ろうとした直前、この男に呼ばれたからだ。トウマがいる場所はアオルタ郵便局2階の局長室で、背後の窓からは傾いた紅い陽射しが室内に差し込んでくる。陽が眩しくてトウマは顔をしかめたままでいる。ミラルカは気がつかないで机に視線を落としたままだ。
「……で、ご用はなんでしょうか。ミラルカ局長」
無駄な時間の拘束と沈黙の空間に耐えかねてトウマが訊ねると、机に頬杖をついてミラルカと呼ばれた男はようやく思い出したように体を起こし、そのまま椅子の背もたれに体を預けた。
「うんとね、今朝の新聞の一面、読んだかい」
「〝紅の国〟との国交正常化実現という記事ですかね」
「そう。それそれ」
ミラルカ局長は椅子を回転させて窓に体を向けると、部屋に差し込む夕日の眩しさにやっと気がついてカーテンをいそいで締めた。すまないねと謝ってから、室内とデスクの灯りをつけて椅子に腰かけると、ついでに煙草に火をつけて濃い白い煙を宙に吐き出した。
今朝もたらされた隣国〝紅の国〟との国交正常化のニュースは世間を大きく賑わしており、アオルタ郵便局内でも午前中はその話題で持ちきりだった。〝彩王朝〟が崩壊して5つの国に分かれて覇権を争ったが、〝青の国〟と〝紅の国〟との対立は特に激しく、トウマが配属された西部戦線は〝紅の国〟との争いが最も激しく行われた地域であった。戦争は一応の終息を迎えたものの、〝紅の国〟とは去年まで国交が途絶えていたのだ。
「それでね、来週の日曜にはあちらさんから大使がやってきて、午後には歓迎式典が行われるんだってのも知っているよね」
「はあ……」
新聞を詳しく読んでいないので日程までは知らないが、外国の大使が来るのだから、当然、式典くらい行うだろうとそのために何回か式典に立ちんぼ経験があるので知っている。
ミラルカは一旦口を閉じると静かに口を開いた。しかし、その内容の意外さにガツンと殴られたような衝撃をおぼえた。
「トウマ君も俺も、その式典に呼ばれされているんだよ」
「……え? 誰にですか」
「政府の偉い人さ」
ミラルカは煙草をくわえたまま机の引き出しから封筒を一通取り出すと、ひらひらと振りながら眉間に皺を寄せた。どこにでもある長方形の白い封筒だが、公用の封筒らしく表の下部に〝アオルタ政府国防省〟などと記載されてある。
「イングウェイ・ラフィス国防副大臣直々の手紙だ。この人、トウマ君はよく知っている人だろ」
「……抜刀隊大隊長。俺の上官です」
「〝元〟だね」
ミラルカは驚愕して目を剥くトウマににやりと笑って訂正すると、封筒に視線を移した。
「ホントは君と直接話をしたかったみたいだけど、時間がないみたいで昼頃に使いの人が僕に手渡してきたんだ。使いの人も内容は聞いてないようだったよ。一見、普通の封筒だしね。他の用がメインみたいですぐ帰っちゃった。俺と君とで読んで検討してくださいってさ」
「……」
「ところがさあ。中身を読んで俺、ちょっと驚いちゃったよ」
ミラルカは封筒から数枚の便箋を取り出して書面に目を落とすと、途端に口を固く結んだ。引き締まった表情となり、かつての軍参謀局にいた風格を漂わせはじめた。
「トウマ君、〝天風党〟て知ってるかな」
「世直しと称して暴れまわっている集団でしょ。直接は見たことないけれど」
終戦直後、元軍人たちによって結成された組織で、彼らは現政権を担う宰相アウレス・トバスを軟弱で多くの軍人を除隊させたことは軍への裏切りだと信じ込んで活動していた。噂では何度も暗殺計画が行われていたというが、実際にトウマも目にしたことはない。一見平和を取り戻したアオルタではあったが、政治の絡みの狂暴な暴力集団との暗闘は、市民の間でひそかに語られるだけで、現実味のない物語のような感覚があった
「〝……紅の国との国交正常化に向けて、国内では『天風党』と呼ばれる過激派グループが両国との和解に強硬な反対を繰り返してきた。先日、その過激派グループを一網打尽にし、主要メンバーは既に逮捕或いは射殺されて政府の監視下にある。もはや壊滅といった状況ではあるのだが、その中で1名の男たち取り逃がした上に、現在も行方が定かではない。加えてその男は危険極まりなく、尋常な使い手では相手にならない〟」
「……」
「〝この国の未来のため、トウマ・ライナスには青の国元軍人としての力を貸してもらいたい……〟だってさ。招待客ということで式典に来てもらって、そこの警護を頼みたいそうだ。君が請けてくれるなら、明日の午後2時に国防省まで来てくれと書いてある」
「たった1名のために、わざわざ俺を?」
「ベガルシアのならず者退治での活躍もあるんだろうけどね。その1名てやつを向こうはかなり問題視しているようなんだ」
「……」
「あいつは民間人に何をやらせようてんだかね」
「あいつ?」
「士官学校でイングウェイとは同期なんだよ。学校時代からそつなく優秀でリーダーシップのあるやつだった。いつも怖い顔していたよ」
ミラルカ局長はトウマの元上官に対して遠慮のない呼び方をしながら煙草の火を消すと、便箋をトウマに差し出した。トウマはミラルカから受け取ると、食い入るように手紙を読み始めた。たしかに内容はミラルカの言ったとおりで、筆跡もイングウェイ大隊長のそれである。懐かしくはあったが感傷に浸っている場合ではなかった。トウマは文章を読み続けるうちに、〝天風党〟と呼ばれるテログループの生き残り名を目にして、トウマの視線がその箇所から動かなくなった。
施設で過ごした少年時代、その男は友という以上に兄のような頼れる存在だった。長じてからは助け合う戦友となり、共に部下を持つ立場となって顔を合わせる機会が少なくなっても、どこか通じ合っているという確信があったのだ。懐かしさの次にどうしてという疑念がわいた。同時に全身から冷たい汗が流れ、思わず体が震えた。
これが真実ならば、イングウェイの言う通り尋常な相手ではない。
トウマが顔をあげると、ミラルカの視線と正面からぶつかった。
「逃げた1名て、こいつですか」
「参謀局時代、俺もよく耳にしていたよ。全身黒ずくめで白く長い髪。黒い刀身の刀を使う〝白髪鬼〟と恐れられた男。トウマ君やアリサちゃんのように数多くの戦功と武勇伝。味方の時は頼もしかったけれど、まさかお尋ね者になっちゃうなんてね」
「……」
「クロン・ステイシア。元抜刀隊一番隊隊長。トウマ君との元同僚。それが過激派グループ〝天風党〟の生き残りだ」




