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ポストマン・ブレイド  作者: 下総 一二三
その男の名は“イチ”という

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171/203

心まで腐っていたら、香水なんかじゃ誤魔化せねえよ

 普段は地下倉庫として使われているという大部屋も、扉を開けた瞬間、耳をろうすような喧騒と、むっとした人いきれの異臭が鼻をついた。部屋の中央に人だかりがあり、その中心はぽっかりとドーナツのような空間が出来ていて、何かが行われているようだった。

 ただ、その中心から流れてくるかぼそい泣き声に、アルはひどく不安を掻き立てられていた。

 泣き声の主は座っているらしい。それと周囲の客が総立ちなこともあって、長身のアルでも何が行われているかよく見えなかったが、客は興奮状態にあった。室内の隅には即席のカウンターやあちこちにテーブル席が設けられ、先ほど入店した老紳士がグラスを片手にバーテンダー相手に談笑している。少し離れたテーブル席には、良い身なりをした若いカップルが和やかな語らいをしている光景は雰囲気にそぐわないように思えた。

 澱んだ空気の中、ガスマスクもつけずに笑っていられると、アルは感心したいくらいだった。

 見渡せば、窓はないものの、送気口や換気扇が部屋の片隅についてはいるから酸欠までの心配はないだろうが、およそ50人はいるだろう人間から放たれる異臭すべてを処理するまでの力はないらしい。

 おい、イチさんとアルはイチを小突いて、イチに聞こえる声で言った。


「小洒落た服着た紳士淑女さんもけっこういるけれどさ、人が集まると、こうも臭くなるもんかねえ」

「魂という根っこが腐ってやがるんですよ。でなきゃ、こんな悪臭にはならねえ。どんな良い香水つけても、こいつは誤魔化せません」


 腐っているから香水をかけたがるかもしれねえなと呟きながら、イチも表情を歪めて周囲の声に耳を傾けている。


「客人方、あっちの席だ。酒とつまみを持ってこさせるから、くつろぎな」


 レイモンズがテーブル席のひとつを指した。ありがとうございますとアルは軽く頭を下げてから、人だかりを指差した。


「随分と盛り上がっているようですが、いったい何が始まってんです?」

「指折りポーカーよ」

「なんです?そんな珍妙なポーカー、聞いたこともないけれど」

「何、単純なポーカーだ。ただ、負けたら、そいつの指を一本一本折るというルールだがな」

「……」

「これが、ちょうどいい見世物になって見物料が取れるんだ。ここ3日で客も倍に増えた。治癒魔法で指は治してやっているが、そのうち飽きられるだろう。まあ、客足が遠のいたら腎臓なり売ってもらうかな」


 冷笑を浮かべるレイモンズは、ひどく残忍で醜く見えた。レイモンズだけではなく、残忍なショーを血走った目つきで見物し騒いでいる客たちも同様だった。魂まで腐っているというイチの表現は確かだとアルは思った。馬鹿な野郎よ、と軽蔑の眼差しで人だかりに目をやった。


「ヘタの横好きとはよく言ったもんだな。博打が好きで借金ばかり重ねやがって、帰るに帰られなくなっちまいやがった。どこかの貧乏貴族らしいが……」


 貧乏貴族と聞いて、アルはレイモンズの説明を最後まで聞かなかった。足早に人だかりへと向かい、かき分けるようにして前へ出ると、トランプが置かれた小型のテーブルを囲む恰好で、3人の男が座っていた。中央のタキシード姿の小太りの中年男がカードを2人に配っている。

 どうやら、ディーラーのようだった。

 アルから見て左手側の男は、小綺麗に整った背広姿で、きちんと髪も手入れされているのに対し、もうひとりは顔面蒼白で脂汗を衣服に染み込ませ、すっかり汚れきっていた。体も小刻みに震えている。両手には包帯代わりのつもりか、汚い布を指全体に巻いている。対戦相手の男は悠然と待ち構えいるが、カードを摘むだけでも激痛が奔るのだろう。配られたカードをまともに拾えず、1枚拾う度にからかうような拍手や笑い声が起きた。

 しばらく、アルは煙草を吸いながら様子を窺っていたが、ディーラーと対戦相手の男と互いに目が合い、微笑を浮かべたのを見た瞬間、つかつかと前に出た。

 突然の闖入者に客たちは急に静かになった。旦那さんと、アルはやつれた男に声を掛けた。


「あんた、マークさんだね。ハラントン家の」


 マークと呼んだ男は、濁った瞳でアルを見つめ返してくる。やがて、小さく頷いた。


「私、探偵。あんたの奥さんから依頼されたの。帰ってこないからって」

「ルビナが……」

「正解だ。たしかにあんたは、依頼人の旦那さんで間違いないな」


 アルはマークの腕をぐっと掴んで立たせた。元々が細身だろうが、それにしても細い腕だと思った。そしてそのままマークを連れて立ち去ろうとするので、周囲の客たちは騒然となった。

 レイモンズが部下を引き連れて、走ってくる。目が血走っている。


「おい、あんた。こりゃあ、いったい何の真似だ」

「俺はこう見えても探偵なんです。依頼があって、この人を捜しに来たんだ。こうやって見つけることができたものですから、連れて帰るわけですよ」

「あ?あんた、イチさんの友人じゃねえのか」

「それはそれ。これはこれというやつでね。渡りに舟ということでお邪魔したわけですよ。では、これで……」

「何を言ってやがる。こいつは負けて多額の借金を抱えているんだ。家にそんな金がねえから、ここで自分の身を賭けの代償にして勝負させてんだろうが」

「……」

「それとも何か。てめえが借金の肩代わりしてくれるってのかい?」

「勝負ねえ……」


 レイモンズと部下も嘲笑を浮かべながら、鋭い目つきで睨みつけてくる。凄まじい剣幕は伝わっているはずだが、それでもアルは悠然と煙草を吸い始め、殺気立つ周囲を見渡しながら笑みを浮かべていた。

 マークは博打に負けて、監禁状態にされていたようである。過酷なルールを受けたのも、借金返済のためにそそのかされたのだろう。さほど移動していない理由もわかった気がした。

 いいですよ、とアルは煙草の吸殻を床に叩きつけた。


「この一勝負で、チャラにしましょう」

「ほ、笑わせやがるな。まあ、いいさ。やってみな」


 レイモンズがディーラーに視線を送ると、ディーラーは無言で頷いた。そして、ディーラーと対戦相手の男が目配せしたのをアルは見逃さなかった。だが、アルは黙ったまま、依頼人の夫がうずくまっていた席に腰を下ろした。ディーラーは華麗な手さばきでカードをシャッフルしていく。アルは帽子のツバから、ディーラーの動きを注視していた。 

 1枚、2枚と鮮やかなにカードが配られ、ディーラーが4枚目に手を掛け、アルが身を乗り出そうとした時だった。


「随分と、腕の良いディーラーさんでございますねえ。小気味良い音がする」


 いつの間に移動していたのか、ディーラーの背後から、イチがのっそりと現れた。


「だけどね、こういうことはやめておきなさい。あんたの指が折られるところでしたよ」

「あ?なんのことだ」

「俺はね。目は見えないけれど、その分、耳が良いんだ。お陰で余計なものがわかっちまう。あんたがカードを切っている間、その擦れる音が耳障りなくらいでね」

「何を言ってやがる」

「こんなくだらねえことは、やめておけと言っているんだよ」


 イチは急に低い声となり、ディーラーの左手を引き上げると、上着の袖をめくり上げた。中から十数枚ものカードが流れ落ちてくる。へへっとイチが笑った。


「皆さん、イカサマというやつです」

「……」

「こんなイカサマをやっていたんじゃあ、このマークさんという方に借金を背負わせるなんていうわけにはいきませんな。良かったねえ、マークさん」

「……」


 イチに言われても、マークは力のない表情のまま呆然と立ちすくんでいる。濁った頭では、理解が追いついていないようだった。


「イチさん、ありがとうな」

「アルさんに、手を汚させたくはなかったんでね」


 イチはまたへへっと笑いながら頭を搔いていたが、肩をすくめて周りの気配を探る仕草をした。


「ですが、これで終わりというわけにはいかないようですね」

「そうだな」


 アルが視線を向けた先には、部下を引き連れたレイモンズが、鬼のような怒りの表情を浮かべて立っている。特にレイモンズの背後にいる刀を差した中年の髭面の男は、身なりこそ薄汚れた平服ではあるが、精悍な体つきをして佇まいから隙がない。一見、だらりと両手を下げているが、いつでも抜けるよう用意している。明らかにレイモンズの用心棒といったところで、レイモンズがこのまま黙って見過ごしてくれそうもないのは明らかだった。


    ※    ※    ※


「どぶのような臭いの中に、皆よく平気でいられるなあ」


 室内に侵入し、扉近くにあったテーブルの陰に身を潜ませていたルークは、できるだけ悪臭を吸い込むまいとハンカチを鼻や口に当てて呼吸していた。侵入する際、人垣の向こうでアルとイチの鋭い声がし、何かやりとりが交わされたのは耳にしている。不穏な空気が立ち込めているところから、2人が危険な状況になっているのは間違いなさそうだった。


「大変やで、ルーク」


 小さなぬいぐるみという特性を生かして、偵察に行っていたレモネが慌ただしい様子で戻ってきた。


「アルとイチが、怖い人たちに絡まれとるで」

「人数は」

「リーダーらしいお爺さん含めて、7人かな。刀差した中年のおっさんが一番厄介そうやな」

「……」

「これから、どないする気や。まさか怖い人ら相手に、喧嘩をするつもりやないやろな。あかんでそれは。“彩花衆ラフレシア”もおるのに」


 余計な敵を増やすなと言いたいことはルークにもわかったし、ルークもできればそれを避けたかった。ただ、そのためにはどうするかである。少しの間、ルークは考え込む様子でうつむいていたが、やがて顔を上げるとレモネにある提案をした。


「……ほんなに、都合良くいくかな」

「さっき、魔法を解除した時、かなりの騒音が響いていただろ。上の扉は開けたままだから当然、外にも聞こえているだろうし、不審に思っている通行人も多いと思うんだ」

「……」

「あれだけの騒音だったし、みんな向こうに集中している。だから、こうやって運よく気がつかれなかったけれど、こう静かになっちゃうと僕が出て行ったら、靴の音でばれちゃうかもしれない。僕もぎりぎりまで辛抱するから。目立たずに動けるレモネに頼るしかないんだ」


 頼むよとルークはまっすぐにレモネを見つめた。しゃあないなあとレモネは嘆息した。


「そんな瞳で見つめられたら、精霊のウチでもきゅんとしてしまうわ」

「ありがとう、レモネ」

「お礼は、無事に解決してからにしいや」


 ルークはふっと笑みを浮かべたが、それも一瞬のことだった。ルークが扉をそっとわずかに開けると、レモネはその隙間から勢いよく部屋から飛び出して行った。

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