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ポストマン・ブレイド  作者: 下総 一二三
逆襲の〝白髪鬼〟

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17/203

それぞれの今

 その日、清掃業を営むリム・パーカーがリズワルド国立墓地にやってきたのは、まだ陽が東に映るアルル山の尾根から顔を出し始めた早朝6時頃のことで、広大な墓地はひっそりと静まり返っていている。リムはバケツやブラシといった清掃道具を車から下ろし、それらの道具を手に墓地内に入った。

リムは〝青の国〟の元兵士で、除隊してから政府の紹介で清掃業をしている。

 国立墓地にはリムの親しい戦友が眠っていて、これまでにも墓参りのために半年に一度は足を運んでいたのだが、ある時、風雨でひどく汚れて放置されたままの墓標が気になって掃除をしたことがきっかけとなり、今では平日の出勤前に行う習慣のようなものになっている。

 誰に頼まれたわけでもないから無償の作業ではあったが、それでも続いているのは、ひとつの汚れた墓標が綺麗になることで、顔を知らぬとはいっても戦場で命を落とした戦友の魂が慰められているような気がしたし、同時に自分の過去や罪も洗われていくような感覚があったからだ。何より誰にも邪魔されず無心になれる時間が好きだった。


「ええと……、昨日の途中だったやつをやるか」


 リムは墓地の西側にあった汚れた墓標を思い出しながら足を運んだ。

出勤前に清掃できる数はせいぜいひとつかふたつが限界である。昨日は真っ黒に汚れた墓標を4つ見つけて掃除をしたのだが、時間が足りずにそのうち半分しか漂白できなかったのだ。

 国立墓地は平野ではあるが隆起している場所がいくつかあり、目的の墓標の場所はわずかな傾斜となっている。墓標が見えてくると、その前に人が佇んでいるのに気がついてリムは足をとめた。

 長身で白髪の男だった。

眩しい陽のせいか白く長い髪は銀色に輝いていているようにも映った。髪とは対照的に真っ黒なコートを羽織り、コートの裾から刀の鞘が突き出ている。長身の男は墓標に鋭い視線を向けたままじっと立っている。無言だが男から放たれる悲壮感のようなものには圧倒されるものがあったが、さすがに元兵士だけはあってリムは思い切って声を掛けにいった。


「あの……お参りに来られた方ですか」


 リムの言葉に男はちらりと横目で見ると、すぐに墓に視線を戻して頷いた。


「前に来た時よりも随分綺麗になっているが、これは君が掃除してくれたのか」

「まあ、そうですね」

「そうか、礼を言う」

「いやいや礼なんて……。趣味みたいなものですから」

「趣味だと?」


 男には意外の答えだったらしく、驚きと不審の顔をリムに向けた。


「君は仕事できたのではないのか」

「ええと、実はですね……」


 疑わし気な男に驚いて弁解口調でリムが事情を話すと、険しかった男の表情が次第にゆるみ、納得した顔つきになって何度もうなずきだした。


「なるほど、君は自らの意思でやってくれているのか。疑って悪かったな」

「いえ、そんな」

「この墓には俺の部下が眠っている。政府から見捨てられた者たちだ」


 男が墓標に視線を落として言った。

厳しい表情になり、握りしめた拳が小さく震えている。


「こいつらだけではない。この国立墓地には俺の部下と似たような者たちが数多くいる。それなのに政府は彼らの死を無視しようとしている」

「……」

「彼らの死を無駄にしないためにも、政府に思い知らせてやらねば……」

「はあ……」


 言っている意味がわからなかったが、男が自分に向けて話しているのではないことくらいはリムにもわかった。墓標を見つめたまま葉を剥く表情にはある種の凄味がある。不意に男は握った拳で自分の手を打つと、パンと乾いた音が鳴った。やがて男は「作業の邪魔をしたな」と言ってリムから背を向けて歩き出した。

 男のすさまじい迫力に今度は声も掛けられず、呆然と男を見送るだけしかできなかった。遠ざかる広い背中と風でなびく白い髪が痛いくらいに印象に残っている。



 リムが男の言葉の意味を理解したのは、それから2週間ほどして新聞の一面に載る男の写真と記事を読んでからだった。

 男の正体を知り、リムはその手の震えがしばらくとまらなかった。


※  ※   ※


 昼食や間食に、このフランキースペシャルは欠かせないとトウマ・ライナスは思っている。

 フランキースペシャルとは、冷えたごはんにバナナ一本分切ったものをかけ、さらに牛乳をかけたものだ。

 ライオンズ・デン領を治めるフランク・シャムロック伯爵が考案したもので、忙しい軍務の合間に思いついたものだが、それが世間に伝わると、安くて栄養価が高いと兵士や労働者の間で好まれていた。トウマもその一人だが最近ではルーク・ターレスも加わって、今もトウマの隣で自分の背丈ほどもある大剣を背負ったまま並んで立ち、どんぶりのフランキースペシャルをかっこんでいる。もっとも立ち食い状態なのはトウマ達だけではなく、店でフランキースペシャルを注文した作業着姿の労働者たちが路上のそこかしこで立ったり座り込んだりしてどんぶりに顔を突っ込んでいる。

 トウマたちが今いる場所は河川を挟んで工場が集中している区域で、その区域内には労働者のために飯を出す店舗が何件も建ち並んでいる。雑多な雰囲気ではあるが、その分気楽で労働者に合わせて飯の量も多くてしかも安い。


「気に入った?」


 トウマが訊ねると、ルークはどんぶりから顔をあげて、ええと元気よく返事をした。


「家でバナナなんて食べたことないですからね。せいぜいレモンやチコの実みたいなすっぱいか苦いか記憶にないんです」

「あの環境だと、果物は手に入りにくいだろうしな」

「でも、レフリムさんたちはこれを嫌がりますよね」

「あいつらにしたら下品な食べ方だもの。そのくせ、スパゲティをぺちぇぺちゃと下品にすすってるくせによ」

「前もかなり怒ってましたよねえ」


 口を尖らせるトウマの隣で、ルークは詰め寄ってきた同僚の女たちを思い出しながら宙を見つめていた。

 前に一度、フランキースペシャルを飯盒に入れて局内まで持ち帰り、待機部屋でズルズルと食していたのだが、「音が汚い」と局の女たちがわざわざ乗り込んで叱られた上に建物から追い出されている。

 この大陸で白米は庶民の食べ物とされ、一定の層からは下品と見なされていたからアオルタ郵便局での女たちからも極めて評判が悪い。非難されて以降は、路上や郵便局の裏で食べるようになっていた。


「そういえばルーク。あの建物、なにかわかるかい」


 トウマ・ライナスが手にした箸で指し示すと、ルークはどんぶりから顔をあげてそちらを見た。箸の先には工場が一棟建っていて、造りとしてはベニヤ板を壁にした木造の小さな工場である。他にも同様の建物はいくつもあるので、トウマに示されなければわからなかったろう。


「あの工場、アパレル関係の工場でさ。見かけは貧相だけど、高級なブラウスやバッグなんかの梱包している工場なんだよ」

「どうして知っているんですか」

「〝配達士ポストマン〟になる前、あの工場で働いたことあるんだ」

「トウマさんがですか」

「うん、一度だけね。来た衣類を綺麗にたたみなおして、汚れや傷がないかチェックして袋や箱に梱包するんだ」


 トウマは食べ終わって空になったどんぶりに自分の水筒の水を注ぎ、どんぶりの残りかすを口の中に流し込んだ。

 余った汁や具がもったいないからそうしているのだが、こんな不作法も女たちに嫌がられる原因のひとつである。


「除隊してからしばらくぼんやり遊んでいた時期あったんだけど、少し懐具合が寂しくなってきて稼がなくっちゃなんてなって日雇いで行ったんだよ。未経験可なんていうから行ったのはいいけど、女物の服やスカートのたたみ方がわからなくてさ。いや、工場のおばさんたちが親切に教えてくれたけど、普段やってないことなんてなかなかできないだろ」

「でしょうねえ」


 ルークは家を離れてからはトウマの部屋で一緒に暮らしているので、普段の暮らしぶりを見ていればその苦労がわかる気がした。

 トウマはTシャツや下着などをたたむ際は衣類を半分に折り、長方形にしてからくるくると筒状にする。そうしてから、あとはタンスに並びもかまわず押し込んでしまう。ジャケットやスーツなどもハンガーをつけた状態で収納箱にしまってあり、汚くしわだらけというわけではないものの、いかにも男所帯といった生活を送っている。

 そんなトウマが女性ものの衣類相手に悪戦苦闘している様子を想像すると、ルークは思わず笑ってしまったが、トウマは気にした様子もなく懐かしそうに建物を眺めていた。


「決まりになっている返品用のカードを入れるの忘れたり、衣服がぐしゃぐしゃになったり随分とヘマして主任から怒られたよ。日雇いだから1日で済んだけれど、2度目は勘弁してくれと思ったね。それからはあまり気を使わないで済む道路工事や、おもちゃの点検や荷運びの仕事ばかりやって日銭稼いでいたよ。それでもけっこうヘマやって、すみませんすみませんなんて何度謝ったか」

「トウマさんが日雇いねえ」

「軍の施設でも、あんなに頭下げたことがないのになあ」

「そりゃあ、トウマさんは元隊長だから、頭下げるなんてそうそうないでしょう」

「施設てのは子どもの頃の話。親を失った孤児が軍の施設に集められててさ。俺はそこで育ったんだよ」

「……」

「気の荒い奴に狙われて、よくいじめられたっけな」

「いじめられた? トウマさんがですか」


 想像つかないなとルークが首を捻ると、トウマは体が小さかったからなと白い歯をみせた。


「そのおかげで、自分の今の歳がよくわかんないだよな」

「え、二〇歳じゃないんですか?」

「何歳くらいに見えるう」


 トウマに訊かれるとルークは思わず唸った。

たしかに二〇半ば過ぎという割には言動、雰囲気や顔つきに子どもっぽさが色濃く残っているし、一方で一部隊任せられるような人物が一〇代というのも違うような気がする。


「まあ、二〇歳でいいんじゃないですかね」


 ルークが首をひねりながら答えると、そんなもんかと言ってトウマは話を戻した。


「その時、ちょっと年長の奴に助けられたんだけど、〝絶対に頭を下げるな。最後まで喰らいつけ〟なんて言われて翌日、文字通り食らいついて相手を泣かせたら、次から手を出さなくなったな。その助けてもらったのと仲良くなってね。戦場でも一緒だった。それぞれ部下を持って立場も変わったから顔を合わせる機会が少なくなって、今じゃ軍の知り合いに訊いても行方知れずになっちゃったけど」


 トウマの隣で、ルークは真剣な表情で熱心に耳を傾けている。

トウマ・ライナスは普段、過去の話をしたがらない。

 特に戦争中や生い立ちの話にまで及ぶと、それとなく話題をかえてしまう。よほど悲惨な出来事が多かったのだろうとルークは想像できるのだが、なにがあったのか興味はあったのだ。そんなトウマが、自分から過去を離してくれたのが少し嬉しかった。


「軍と戦場しか知らなくて外の世界に興味もあったんだ。だから軍を辞めてから、もうちょっと違った仕事をやりたかったけれど、残念ながら俺には衣類を綺麗に素早くたたむ才能は無かったよ」

「才能なんて、ずいぶんと大げさな言い方ですね」

「いや、俺の心を折れさせるなんて大したものだよ」


 トウマは肩をすくめて嘆息してみせたが、折れたという割に悲哀の色はない。むしろ楽しそうに話している。


「でも、違ったことやりたいなら、どうしてこの〝配達士ポストマン〟を選んだんですか。魔物や野盗相手に危険じゃないですか」

「生活していかなきゃいけないし、そのためには結局、俺は剣に生きる人間だと気づいたからね」

「……」

「貰った才能を、ちょっとは良い方に役立てたいと思ったんだよ」

「役立てたい……、ですか」

「うん。手紙を届けたいのに届けられない人がいる。その想いを届けるという役に立っているんだぜ」

「……」

「あれ。今、なんか俺かっこいいこといったかな。いきなり黙っちゃって。もしかして感動してる?」

「いえ、そんなには。聞いていただけです」


 ルークは素っ気なく返事をすると、なんだよと口を尖らせるトウマからもどんぶりを受け取って店に返しに行った。一言つまらない台詞を加えて場をしらけさせるのがトウマの悪い癖ではあったが、楽しそうに失敗談を口にするトウマを見るのは自分のことのように嬉しい気持ちになる。

 同僚のアリサ・サーバンスからトウマの戦功や武勇伝を耳にしているものの、トウマ自身は剣や魔法の指導に関わる経験談以外に自慢話になるようなものを一切しない。他国を恐れさせた超一流の戦士が日雇い仕事を選んだのも、もしかしたらこうして話せる過去が欲しかったのかもしれないとルークは思った。

 ルークがどんぶりを店に返してトウマと合流すると、二人は残った手紙の配達勤務に戻った。

工場区域からアオルタ8番街区へと戻り、手紙の束を手にしたまま人通りの多い道を並んで歩きながら、住所を照らし合わせてポストや扉の投函口へと次々に投入していく。

 ルークが見習いポストマンとしてトウマとともに行動するようになって1ヶ月になるが、アオルタ内の住所や地理もすっかり把握してしまい、配達にも渋滞がなくなっている。もう一人でも十分できるとトウマも認識していたのだが、作業が早く終わる上に指導教育手当も出るから、見習い期間修了の残りひと月を過ぎるまでは黙っていようと姑息なことを考えていた。

 トウマの狙い通り、ルークのおかげで午後3時を過ぎた頃にはぱんぱんに膨れ上がっていた鞄の中身もすっかり空となっていた。

 最後の1通をポストに投函すると、トウマはうんと背伸びをした。


「ようし、帰るかあ」

「いいんですかね。まだ陽は高いのに」

「仕事はちゃんと終わったんだ。空っぽの鞄さげてぼんやり歩いていても仕方ないよ。なんだったら、アリサちゃん辺りにできる仕事が無いか訊けばいいさ。あいつだって助かるだろう」

「まあ、そうですね」


 郵便局へと向かうトウマの足取りは軽い。

 あとは帰局し、指導状況の簡単な報告書を1枚書いて仕事は終わりだからである。

 わずかな期間だが日雇い生活で食いつないだ日々と、危険との隣り合わせにあるポストマンでの生活はトウマの生活に少なからず影響を与えている。役に立っている喜びや、誇りに近い気持ちがあるのは本心だったが、だからといって美味しい仕事をあっさり手放すほどトウマもお人好しではなかった。

 仕事の帰りしな、まだ空いているジムで一汗流してから軽く一杯。

 気楽な生活もまた格別なものがあるのだ。

 二人はそれぞれ、仕事を終えた開放感や達成感に浸りながら郵便局に戻った。

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