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ポストマン・ブレイド  作者: 下総 一二三
魔族の末裔

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僕はこれからも

 不気味な強敵を前にしてトウマの神経は一気に研ぎ澄まさていていく。

 体は燃えるように熱いのに、頭は氷のように冷えている。ヘルハウンドの巨体も目にはしているが、何の感情をいだくこともなく不気味な冷静さで視界に捉えている。

 この慣れ親しんだ感覚、数年前まで何度も味わっていた感覚だった。

 そう、戦場で――。

 ヘルハウンドが接近するトウマに気がつき、大きく口を開いた。恰好の獲物を見つけてあざ笑っているようにも見える。ヘルハウンドの近くには大破した馬車の他、キャラバンらしき男たちや馬がそれぞれ無残な姿で倒れている。ヘルハウンドによって食われたらしく、体は左半分欠けている者や首のない死体もあった。その中にヴァイルの姿はない。ヘルハウンドに目を据えたまま、それだけを一瞬で確認すると、トウマは構えを脇構えに変化した。と、同時にヘルハウンドの巨体が跳ね上がった。

 炎のように真っ赤な舌を躍らせ、空から迫るヘルハウンドをトウマは滑るように足を運んでかわした。その衝撃で土砂が跳ね上がったがトウマは動揺することもなく、転がる死体を巧みに避けながらヘルハウンドの死角にまわった。首を捻じってトウマを確認しようとすると、炎の塊がヘルハウンドの頭部を揺らした。


「ギャウ……!」


 トウマが放った炎の魔法がヘルハウンドに直撃して、ヘルハウンドは地面にたたつけられて悶絶している。

 通常の魔物ならそれだけでケリがついたはずだが、ヘルハウンドはすぐに立ち上がりトウマに突進を仕掛けてくる。すさまじいまでの生命力を秘めているのは一目瞭然だった。しかし、トウマは冷静さを失わず、すでに刀を八双に構えて次の用意をしてある。

 ヘルハウンドの獰猛な攻撃を巧みにすり抜けると、その度に白刃がきらめいてヘルハウンドの肉体を切り刻んでいく。そうでなければトウマの魔法がヘルハウンドを焼いた。風のように変化し動きまわるトウマに、獣のヘルハウンドがまるでついていけない。

 苛立てを隠し切れないヘルハウンドが口を大きく開いた。喉の奥から炎の塊が生じた――ヘルハウンドは火を吐くつもりだった――が、それよりもトウマの動きが勝っていた。いつのまにかトウマはヘルハウンドの眼前に迫っていて、トウマの拳がヘルハウンドの眉間を打ち、ヘルハウンドははるか後方へと吹き飛ばされていた。黒い巨体が森の太い幹を次々にへし折っていく。


「余計な火事を増やすんじゃねえよ!」


 身を捻って軽々と着地すると、トウマはヘルハウンドを追い駈けた。

 駈ける足幅は広く、飛ぶようにしてあっという間にヘルハウンドへと接近していく。

 トウマの動きにあわせて、トウマの周囲を風が流れてふわりと揺れ動く。

 その風がトウマの体を素早く運び、或いは敵に向かって尋常ではない距離を、一気に詰めるために推進させていく。その〝風〟の存在はヘルハウンドの目にも映っていたはずだった。


 それが〝疾風〟の異名を持つトウマ・ライナスの能力。


 集中力が極限に高まった時に発現する。正体はトウマ自身もよくわからなかったが、高位魔導士に自然と生じる自動結界と似たようなものだろうと推測されている。その力は鍛錬するごとに増していき、敵のあらゆる攻撃を吸収、緩和する鎧となる一方、攻撃力を増大させる武器ともなる。

 全身を斬られて血まみれとなり立ちあがるのがやっととなった刹那、トウマは風を巻いて間合いを詰めていた。

 刃を肩にのせて迫るトウマに、ヘルハウンドは炎を吐こうとしてクワッと巨大な口を開いたがもう間に合わない。踏み込んで上段から振るった刃によって、ヘルハウンドの頭部は眉間から柘榴(ざくろ)のようにたたき割られていた。

 

「……」


 最期の絶叫をあげる間もなく、ヘルハウンドの巨体は大量の血潮を躍り散らしながら倒れていった。地震でも起きたかのような重量感のある地響きが鳴った。念のため息を確かめるがピクリとも動かない。肉塊と化したヘルハウンドに早くも蟻がたかりはじめていた。

 トウマはようやく構えを解き、辺りを見回した。

 男たちの死骸はあるものの、ヴァイルの姿が見当たらない。


「ヴァイルさん、どこだ!」


 燃え盛る炎に負けじと怒鳴ったが、ヴァイルの返事がない。ヴァイルの行方も気になるがこの火の勢いでは森に火がうつってしまう。山火事になればこの山だけではなく麓の農村までにも害が及ぶ。どうすると思案しているとぽつりと冷たいしずくがトウマの頬を濡らした。黒煙の向こう側に灰色の雲が空を覆ったかと思うと、雲から雨が降り出した。小雨だったものは次第に勢いを増し、森や山や横たわる死骸を濡らしていった。

 大量の雨は屋敷を呑み込んだ炎をまたたくまに消し去っていく。だが、雨の勢いはこれまでの嵐のようなものではなく静かで自然の力を感じ、浄化といった表現がもっともふさわしいように思えた。


「トウ……マ……君」


 降りしきる雨音にまぎれて、ヴァイルの声がした。あわてて声の在処を探ると瓦礫に埋もれるようにして仰向けの状態でいるヴァイルの姿があった。指先と首までが出ているだけで、あとは岩盤のような瓦礫に覆われてしまっている。わずかな隙間が幸いしたのか即死していないのが不思議なくらいだった。


「ヴァイルさん!」

「……見事だ。私が見込んだ通りだったな。君の〝本気の力〟は素晴らしい……」

「今、瓦礫をどかしますからちょっと辛抱していてください」

「ルークは……?」

「避難させてます。安心してください」

「そうか……、良かった……」


 ヴァイルは安堵の表情を浮かべると咳き込み、口から吐き出されたわずかな血が口元を濡らした。


「やはり……、私は外の世界は無理のようだ」

「なに言ってんですか。負けたら稽古したら良いだけでしょ。ブランクあるようなもんだから、次は勝てばいいだけですよ」


 瓦礫をどかしながらトウマは喚いた。いちいち付き合うのも作業の手を止める原因になってしまうが、救助者の意識を保つためにも応じてはおかなければならない。内容はいささか適当になってしまうがそこまで考えてはしゃべれない。


「あのヘルハウンド……。ターレス家のせいなんだ」

「え?なにがです」

「狂暴化したのは屋敷の魔力のせいなんだ。長い間屋敷に蓄えられた魔力が外に流れ出し、ヘルハウンドに影響を及ぼして、魔物をさらに狂暴にし巨大化させた」

「……」

「私は奴に敵わなかった……。不意をつかれた。男たちを守ろうとした。言い訳はできるが……。かつて魔族と恐れられたタルジスタ族の末裔が一匹のヘルハウンドに……」

「だから気にするなっての!」


 トウマはヴァイルを睨みつけた。ある程度の瓦礫はどかせることができたものの、複数の大きな瓦礫がヴァイルの体を覆っていて一人ではどうしても動かせない。しかし、麓まで助けを呼びにいくまでの間、身動きできないヴァイルを遠くから様子を眺めているカラスの群れが襲いかねない。何か動かせるものはないかと焦っていたことも多分にあった。


「俺だって何度も逃げたことはあるし、負けたこともある。運よく生きてるが、今でも敵わないて奴もいるさ。だけど生きていればなんとかなる。次は勝てばいいんだよ。終わったことをグチグチ引っ張ってんじゃねえよ!」

「生きていれば……か。それが肝心なんでね……」


 ヴァイルが力なく口の端をかすかに歪めた。


「トウマ君、改めてルークを頼む」

「ヴァイルさん、何を気弱なことを言ってんだよ」

「ヘルハウンドに胸を割かれた。傷の血はとめたが、力抜けていく一方なんだ……」

「治ったなら、助かる可能性はゼロじゃない」

「だといいがな……」

「父さあん!」


 遠くからルークの叫ぶ声がし、馬蹄を響かせながらルークが雨の中を駈けてくる。馬にしがみつき、転がり落ちるようにして馬から降りてくると必死の形相で走って来た。


「ルーク君、ヴァイルさんを看ていてくれ! この瓦礫をどけるのに俺たちだけじゃ無理だ。村の人を呼んでくる」


 ここの魔物ならルークの魔力で何とかなる。

 トウマはルークに頼んで馬に乗ると、麓の農村に向かって駈けて行った。馬蹄の音が遠ざかり辺りに静けさが満ちる中、ルークは呆然としたままヴァイルの前に正座する形で座り込んでいた。


「……ルーク」

「父さん、何が起きたんですか」


 いいんだとヴァイルはかすれた声で言った。


「すべて私の無力さが招いたことだ」

「どういうことですか」

「もう終わったことだ。これまで閉塞されたターレス家の歴史も私の代で終わりだ。不幸な過去にお前が縛られる必要もない。新しい未来はお前がつくるんだ。……ポストマンでも、なんでもいい。陽の下で歩ける未来をつくってくれ」

「……」

「ルーク」

「はい、父さん」

「しっかり生きなさい」


 いつものあたたかく威厳のある父の言葉に、ルークは返事をすることができなかった。肩を震わせてうなだれていた。少年らしい意地で男らしく応えたかったのだが、胸が締めつけられ、声を発するとそれだけで涙がこぼれそうになり、泣くまいと堪えるのに必死になっていた。

 不意に雨がやんだ。

 太陽が雲から顔を出し、あたたかな陽射しがルークの背中にそそいで、そのあたたかさに気持ちが少しずつやわらいでいった。何とか呼吸を落ち着かせて顔をあげると、ヴァイルは静かに目を閉じていた。


「……父さん?」


 ヴァイルからの返事はなかった。

 けれど表情はやわらかく、まるで眠ってようだった。安心した様子で少し笑っているようにも見える。自分の頬に熱いものを感じたが、取り乱すわけにはいかないとルークは拳を固く握りしめて耐えていた。

 ターレス家の人間として、未来を託された者として。

 しっかり生きなさいと父の遺した最期の言葉が、崩れようとするルークの心の支えとなっていた。

 自身の流れる涙をぬぐうと、ルークはポケットからハンカチを取り出して埃や血で汚れている父の顔を、丁寧な手つきで拭きはじめた。

 父さんと少年は呼び掛けた。


「……今まで、ありがとうございました」




                 ~第3章「魔族の末裔」完

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