宵口(よいぐち)のポストマン
イクツノという小さな町は〝青の国〟の首都アオルタから東に約一五〇キロの山間部にある。
高い山々に挟まれる格好にして木造の家々が寄り添うように集まっているのだが、人口一〇〇人程度の小さな町で、これは〝青の国〟が法律で定める〝町〟の規模にギリギリ該当する。
小さな田舎町だから娯楽にも乏しく、たまに売れないサーカス団や大道芸人が時折流れて来るのだが、やがて彼らも儲からないとわかって数日もしないうちに去っていく。
特産品としてイクツノ漬という水菜の一種の漬物がある。
苦いだけが特徴で栄養価も少なく、そんな人気のない特産品以外に特徴のない町である。町の人々は昼間、近くの田畑や小さな工場で汗を流し、夜は気の利く仲間と集まって、町にある唯一の宿屋と酒場を兼ねる〝コレカラ〟で酒を飲んで歌って騒ぐくらいしか楽しみと呼べるものはなかった。
といっても、夜に男たちが集まるのは週に一度の安息日の前夜くらいで、いつもは数人の常連と店内はひっそりとしている。主な常連客は靴職人や研屋といった農業や工場と違って裁量が利く者が多い。その日の常連客は靴職人と研屋の二人で、いつもは〝コレカラ〟で日常の愚痴をこぼしているのだが、戦後半年過ぎた今では、彼らの会話の中に愚痴以外にもうひとつ加わったものがある。
箸でイクツノ漬を突っつきながら、研屋の男が言った。
「そういや、聞いたかこの間の話」
「また行商人の仲間が盗賊どもに襲われたっちゅう話だろ」
「違う違う。また戦争が始まるかもっちゅう噂だぞ。あん時、お前もその場にいただろうに」
「ああ、戦争なあ……」
戦争と聞いて、相手の靴職人の男は渋い顔をしながらビールを一口すすった。
その男はそれほど背が高くない。しかし体はまるまると大きくて、一見するとずんぐりとした熊のようでもある。その靴職人も町でつくった地ビールをすすりながら好い心持で体をゆらしていたのだが、戦争という一言に、一気に酔いが醒めてしまったようにじっと靴職人の体つきに似た樽状のジョッキに目を落としている。
「まだ〝キンザ〟のヤローは、帰ってこねえのか」
「戦争が終わってまだ半年だろか」
「もう半年だぞ」
まだ半年だと、研屋は「まだ」を協調して言った。
「この町だけじゃなく、戦死の通知もきてないところも多いつうぞ。お前もそう落ち込まんでもいいだろが」
「誰が落ち込んどるって?」
熊のような体つき靴職人は、ぎろりと研屋をにらむと一息にビールを煽った。
「あいつはな。これまでのお礼だなんて言って、この俺をぶん殴ってまで軍隊に行ったヤローだ。殺したって死ぬもんか。つまらねえこと言うな」
「お前が言い出したんだろうが。お前の息子のことだから、せっかく慰めてやってんのに」
「よけいなお世話だ」
「まったく……」
研屋はあきれた様子でため息をつき、店主と目を合わせると互いに肩をすくめて苦笑いした。
長い付き合いで、いつもは軽口を叩き合う仲なのだが、研屋がそれ以上靴職人をからかいもせず苦笑いにとどめたのは、研屋にとっても他人ごとではなかったからだ。
それまで大陸を統べていた〝彩王朝〟が崩壊し、各国がそれぞれ独立して覇権を巡る争いが始まったのは今から五年前。
五年間の争いによって各国の国力は疲弊し、代表が集まって和議を結ぶことによって戦争は一応の終結を迎えた。その間に町の若者の大半が離れていき、終結してから半年経ってイクツノに戻ってきたのはさらにその半分で、現在も死亡通知が町に住む者たちの治りかけた傷をえぐるように送られてくる。〝キンザ〟という息子を戦場に送り出した靴職人もそうした便りを待つ一人だったが、一方で研屋は二人の息子がまだ十四歳と一〇歳と徴兵の対象外で、子どもを戦場に送らなくてすんでいる。
だが、終わってから半年経ったばかりだというのに、また新たな戦争のうわさがこの小さな町にまで流れている。
今後どうなるかわからず、研屋も他人事ではいられなかった。
「お前だけじゃなく、皆つれえんだ。そんなに気を落とさずによ」
研屋が靴職人をいたわるようにしながら励まし、店主にビールの追加を注文した。
店主がうなずき、すっかり空となった靴職人のジョッキに手を伸ばしかけた時、店主は何かを耳にした気がしてふと手を止めた。
「……?」
馬のいななきと蹄の音が表の通りから聞こえてくる。
イクツノの朝は早く、ほとんどの人々は明日に備えて寝る準備に取り掛かっているはずだった。夜盗か魔物かと店主は一瞬、身を固くした。
戦争によって放出された魔法エネルギーの影響で動物たちも狂暴化してしまい、その狂暴さは町や村との通行を途絶させるほどだった。そんな魔法に毒された動物たちを〝魔物〟と呼ぶことが人々の間で主流となりつつある。魔物を恐れて陸の孤島のように孤立している町や村もあるという。また魔物に加えて、役目を終えて軍から追い出された兵士たちの中には、行き場所がなく夜盗を始める者も現れていた。
そんな事情もあって、店主は緊張した面持ちで蹄の音に耳を澄ませていたのだが、蹄の音はゆっくりと単調で探るような気配はない。音の数からして一頭だけのようだった。やがて店の近くで蹄の音が止むと、間を置いてキイと店の扉が開いた。
「どうも遅くに悪いね」
快活な挨拶とともに入って来たのは一人の若い男だった。
男は灰色のつば付き帽子を被り、左肩からたすき掛けに肩掛け鞄を下げていた。作業服の左肩の他、帽子や鞄にも鷹をかたどった紋章つけられている。そして皮手袋を装着し、灰色の作業服の上に茶褐色の革胴を装着していた。
男は片刃の剣を腰に差している。
東洋の島国でも使われている〝和刀〟と呼ばれる武器で、五百年ほど前に貿易で訪れた商人が十数振りの刀剣と技法を持ち帰ってきたものだ。以来、その技術も独自に向上しており、〝青の国〟では何人もの名匠を輩出していたし、今では〝青の国〟や、その近隣諸国の将士の標準装備として浸透している。
そんな男の身なりを見て、店主があと声をあげつつも安堵の息を漏らした。
「なんだ、〝配達士〟かい」
「今夜はここで宿をとらせてもらおうと思ってさ。部屋は空いてるでしょ」
「空いてるよ。いつも部屋は空いてるが」
「じゃあ、その空いている一室と、食料を五日分ほど用意しといてくれないか。明日発つ」
わかったよと頷きながらも、店主は不審そうな顔をした。
「月イチで来ている、いつもの人と違うな」
「ああ、それは……」
〝配達士〟と呼ばれた若い男が何か説明しようとすると、ガタリと椅子の倒れる音がした。見ると、靴職人がガタリと勢いよく席を立っていた。
「手紙……、もってきたんか。俺の……、俺宛の手紙は……」
目を見開いたまま詰め寄ろうとする靴職人に、〝ポストマン〟はいや申し訳なさそうに手を挙げた。
「悪いけど、俺はこの町の担当じゃないんだ。この鞄の中身はベガルシアまで持っていくやつだけなんだよ」
〝ポストマン〟は肩掛け鞄と帽子に皮手袋といった順に、近くのテーブルに置きながら説明すると、靴職人は「そうかあ」と気落ちした様子でゆっくりと席に座り込んだ。〝ポストマン〟は靴職人を横目に厨房の店主に声を掛けた。
「オヤジさん、とりあえずビールと何か定食ものつくってくれないか」
「生姜焼き定食でいいかい」
「じゃあ、それで頼むよ」
〝ポストマン〟は椅子に腰を落ち着けるとフウと息をついた拍子に、急に体が重くなった気がしていた。長い旅の緊張から解放されたおかげで、一日の疲労がここにきてあらわれたようだった。
「ベガルシア担当の〝ポストマン〟かい。どうりでいつもの〝ポストマン〟と顔が違うと思ったよ。あいつはこんな夜更けにこねえからな。しかも、三輪のバギーで来るからすぐわかる」
研屋が声を掛けると、〝ポストマン〟は首をかしげて思い出す素振りをした。
「この町までの担当でバギー使っている人ていうと……、ニッカ・ボッカさんだっけ。変な名前の割に顔が岩みたいな人」
「そいつそいつ。夕方になると一切外に出ねえんだ。……ま、おかげでこの宿にも仕事があるわけだがよ」
「あの人、ひどい鳥目らしいしなあ。腕は立つんだけど」
ニッカ・ボッカとは稽古で何度か竹刀を交えたことがある。重厚感のあるニッカ・ボッカの構えを思い出しながらぼんやり答える〝ポストマン〟に、研屋と調理中の店主がおかしそうに笑ったが、ふっと研屋が真面目な顔つきになった。
「……しかし〝ポストマン〟さんよ。アンタ、ほんとにベガルシアまで行くのかい」
研屋が心配そうに訊ねてきた。
ベガルシアはイクツノから山を三つ、広大な平野を二つばかり越えた先にある町で〝青の国〟の小さな宿場町として知られている。
アオルタ郵便局は軍から安く購入したという馬の他に、バギーや車両を数台保有している。
それらを使って西から行けばベガルシアまでの日数もぐっと短縮できるのだが、鉄道も街道も戦争で遮断された状態にある。復旧するにも魔物と夜盗に悩まされてなかなか進んではいなかった。そのため、ベガルシアへ向かうにはイクツノからの今のルートがもっとも安全で近道なのだが、途中には村がひとつしかない。給油は期待できず、馬を使うのはガソリンなどの燃料を心配してのことだろうと研屋もわかっているが、研屋が言いたいのは道中のことではなかった。
「ニッカ・ボッカから前に聞いたけど、あの町は戦争が終わってからこの数か月、外国からもあぶねえ流れもんが集まっていて、役人も迂闊に手を出せないつうぞ。そんなとこにアンタ手紙を届けに行くんか」
「まあ、仕事だからね。これが初仕事だけど」
「初仕事?」
「俺は先週、この仕事に就いたばかりなんだよ。それにベガルシアも担当と決まったわけじゃない。ただの試用でね」
ぽかんとする研屋を横目に、〝ポストマン〟は店主が運んできたビールに一口つけた。
「先週て……、そんな就いたばかりでベガルシアまでなんて大丈夫なのかい。恐ろしかねえかい」
「恐ろしい経験なんてなあ、戦場で慣れてるよ。魔物や夜盗なんて戦場の恐怖に比べればかわいいもんさ。頼りになる相棒も外にいるしな。郵便局の借り物だけど」
〝ポストマン〟は馬のいななきがする表に向けて、親指で差しながら軽く笑った。
「それに鞄の手紙をベガルシアまで運ぶだけだからな。中身は一般人が書いたただの手紙がほとんどさ。俺たちが金目のものなんて運んで無いのは、夜盗の連中だってわかっているよ。加えて〝ポストマン〟だ。誰が俺を狙うと思う?」
「まあ、〝ポストマン〟になるくらいだから、そんなあんたなら、身を守るくらいはなんとかなる、かもしれんがなあ……」
研屋はうめいて頭をぼりぼりと掻いた。
国内の治安悪化にともない、青の国の政府は除隊した兵士を民間企業に対し兵士の雇用を奨励していた。特に危険度の高いと認められた業種には、元兵士を採用した場合に政府から補助金がでるのだが〝配達士〟もその一つだった。遠方まで出かける危険な仕事が多いために、〝ポストマン〟は腕利きの剣士が選ばれるということで知られている。さらにベガルシアまで行くというのだから相当な腕前なのだろうくらいは、イクツノ以外世界を知らない研屋でも容易に想像がつく。
ただ、「かもしれない」と研屋が歯切れの悪いような言葉を口にしたのは、〝ポストマン〟の容姿にあった。
〝ポストマン〟の体格は痩せては見えるものの肩幅が広く、袖をまくって露出した前腕は木の幹のように太くたくましい。しかし、対称的に顔はひどく童顔で少年のようにすら思える。イクツノに手紙を持ってくる〝ポストマン〟のニッカ・ボッカに比べると頼りなさを感じていた。
「……ちょっと先に帰るわ」
話の区切りを待っていたかのように、靴職人がゆっくりと立ち上がった。
「なんだ。もう帰るのかい。まだビールを一杯しか飲んでないじゃねえか。ここんとこ、お前らしくもねえぞ。前だったら一〇杯くらい平気だろうに」
「今日はちと疲れたし、明日も早いからな。……ポストマンさんも元気でな。旅の無事を祈ってるぜ」
靴職人は代金の銅貨六枚をカウンターに置くと、のそのそと力のない足取りで店から出て行った。
「どうしたの、あの人」
「あのヤローには〝キンザ〟て息子が一人いたんだがよ。戦争が終わったつうのに行方不明のままなんだ」
「……」
「まあ、他の家みたいに死亡通知がくるのがいいのか、行方不明のままが良いのか。俺には何にも言えねえがな」
研屋は残ったイクツノ漬の入った小皿を持って、かっこむように口の中へと放り込んだ。
「さっきは〝ここんとこ〟なんて言ったが、あいつは息子が出てからずうっと元気がねえ。一〇杯飲んだなんて半年以上も前の話さ。嫁さんも早いうちに亡くして、家族は息子ひとりだけだからな」
「その〝キンザ〟さんは、どこの部隊にいたの」
「だいぶ前に陸軍のタララギ大隊にいるて聞いたが、それ以上はよくは知らねえな。アンタも元兵隊なら、なんか心当たり無いか」
いやと〝ポストマン〟は申し訳なさそうに首を振った。
「タララギ大隊は北部だろ。俺は西部方面だったからわからないな」
「そうか」
研屋はがっかりしたようにため息をついた。
「まあ、どっかで、そんな話を聞いたらさ。なんでもいいからこの町まで報せてくれねえかな。な。歳は二十歳でよ。右の耳たぶと左目の下に点みたいなホクロがあるんだ」
「……」
「親父を殴って出ていったが、性格は優しい奴でよ。意外に魔法が得意なんだ」
「いいよ。大して力になれるか、自信ないけれど」
〝ポストマン〟はあっさりと請け負った。
この類の頼まれごとは、これまでにも何度か経験がある。
もっとも頼まれても該当する人物をこれまで見つけたことはなく、頼む側もそれほどの期待をしてはいないのはわかっている。要は旅する者への、一種の挨拶のようなものだとトウマは思っている。
「そうやって受けてくれるだけで助かるよ。ええと……」
「トウマ」
〝ポストマン〟が飲み干したジョッキを置いた。
「アオルタ郵便局職員、〝配達士〟トウマ・ライナスだ」