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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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白百合の祈り Ⅳ



 ひらりと、窓辺から入り込んだのは光の欠片。軽やかに舞い踊る雪のような幻光は、ヨークラインの身体に触れては消えていき、みるみると身体の芯に熱を灯していく。

 ――マーガレットからか。密かに横目で確認しつつ、ヨークラインは胸元を這う指先を見下ろした。エマニュエルが形ばかりの哀れみの目を向けている。

「君はもう、林檎姫(メーラ)の呪いの器としての度量はない。……可哀想だね、せっかく僕が貰ってあげたのに」

「……そんなことをしてどうなる。彼女が人殺しを、自らの傍らに置くとでも?」

白百合(リブラン)は、どうあろうと僕を見捨てたりしないよ」

 少年は薄暗く微笑んだ。

守護者(ガーディアン)だったからって、思い上がりもいいとこだ。白百合(リブラン)にずっと焦がれる僕の気持ちが、お前なんかに分かるものか」

「……そうか。お前のくだらん言い分は、一応分かったがな」

 ヨークラインは簡素な息をついて、にべもなく返す。

「話は終いだ。これ以上、小童の駄々捏ねなんぞには付き合いきれん」

「何を偉そうに――」

「防護エンコード:『ネトル』」

 呟いた途端、青年の懐から突如何かが飛び出した。鞭のように弾み、エマニュエルの指先に突き刺さるような痛みが走る。

「……ッ」

 思わず一歩退いて、驚愕のまま見つめる。ヨークラインを守るように覆ったのは棘の蔦だった。

「その技……ッ、どうして!? 何処に隠し持ってたの……ッ!?」

 独房へ押し込めた際に、解呪符(ソーサラーコード)は全て押収済みの筈だった。棘は拘束具にも絡み付き、鎖の合間をこじ開けるようにして破壊してしまう。

 重い金属を剥ぎ取ったヨークラインは、淡々と少年を見据えた。

「忘れたのか。俺の血筋は、元を辿れば王家に連なる一族。手持ちの札がなくとも、俺の身体そのものが源泉機構(ソースコード)なのだから、コードの起動は容易い。林檎姫(メーラ)の呪いの負荷が少なくなった今となってはな。――拘束エンコード:『ソーン・バーネット』」

 ヨークラインの手から顕現した蔦が、エマニュエルの四肢に絡んでいく。だが少年の唇は不敵に吊り上がった。

「甘いよ、クラムの生き残り!」

 エマニュエルの身体から閃光が燐と迸った。蔦を伝ってヨークラインの身体を蝕み、関節を痺れさせる。そこに潜む黒点――林檎姫(メーラ)の呪いの残滓が、少年の力と共鳴し始めた。

「……ッ」

守護者(ガーディアン)だからって居丈高に……! こうやって繋がったまま、呪いの底上げをしてあげる。その器、ぶっ壊してあげるから!」

「俺はもう、彼女の守護者(ガーディアン)ではない……ッ!」

 ヨークラインはよろめきながらも、唸るように吐き出した。

「元より、ガーランド家に敬服していたかも疑わしい。神の花嫁(エル・フルール)ではなく、泣き虫で弱虫の少女に(こうべ)を垂れていただけだ。そのことに、ようやく気付けたところなんだ。なれば……、おめおめとここで死ぬ訳にはいかない……ッ」

 そう言いつつも、身体がその場に崩れ落ちる。苦痛に歪む表情を、少年はすぐ傍らで悠々と覗き込んだ。

「立派なのは口だけだね?」

「……見つけた、そこか――金の林檎は」

「え……?」

「俺の身体(うちがわ)を暴くということは、貴様もまた暴かれるということだ」

 ヨークラインは素早い動作で指を少年の腹部に当てた。

「其は邪気を祓う誉れ高き剣――エンコード:『エル・グラン』」

 天から落下する稲妻のような閃光が、エマニュエルの鳩尾めがけて貫いた。

「……ぁッ……!」

 身動きが取れなくなったエマニュエルは、その場で膝を突く。ヨークラインは指をあてがったまま、冷ややかに告げた。

「お前が奪ったその呪い、返してもらおう。元々は、俺がエマ=リリー・ガーランドから賜ったものだ」

「なっ……、正気……ッ!? そのぼろぼろの器で……ッ」

「俺の家を――我がキャンベルの技術をなめるな」

 蔦が掻き消えた隙に、少年は逃げるように身を捩った。

「それでも、白百合(リブラン)はお前なんかのものじゃない……ッ!」

「だとしても、この宿命(のろい)は、俺のものだ……!」

「――いいえ、これは元よりガーランドの……私のものよ」

 少女の凜とした声が、薄暗がりの部屋全体に響いた。真冬の張り詰める外気のような、冷然とした音色だった。

 歩を静かに進める度に、真白のコートが花びらのようにふわりとなびく。アイスブルーの瞳は、宝石のように硬い光を宿している。雪のような淡い幻光を纏う滑らかな黒髪――それは、肩先で短く揺れている。

 その有様に、青年と少年は思わず動きを止めて、唖然と見やってしまう。

「……リリ? 何故、一体……」

白百合(リブラン)……その髪、どうしたの……!」

「いらなくなったから、切ったの。それだけのことよ」

 リーンはそうあっさりと返し、エマニュエルの傍まで歩み寄った。蹲る身体をぎゅっと抱き締めて、静かに、けれど力強く声を落としていく。

「エル、ヨッカに酷いことするのはやめて。そんなことをするなら、私は決してあなたを許さない」

 エマニュエルの虹色の瞳に、涙が溜まっていく。

白百合(リブラン)……やだよ……だって……だって……っ」

 少女の背中に手を回し、泣きじゃくるようにしてしがみついた。

「いやだよ、そんなの……。ねえ、だったら、何処にも行かないよね。僕の傍にいてくれるって、約束したもんね?」

「……エル。あの時は、酷い別れ方をしちゃってごめんね。こうしてまた会えて嬉しかった、それは本当よ。私のわがままなお願いも、沢山聞いてくれてありがとう」

「当然だよ。僕は、強くて頼もしい白百合(リブラン)のことが、ずっと昔から大好きなんだから」

 リーンはふと瞬きし、エマニュエルの顔を覗き込んだ。

「……ねえ、もしも私が白百合(リブラン)じゃなくて、ただの泣き虫弱虫なリーン=リリーでも、好きになってくれる?」

白百合(リブラン)が、白百合(リブラン)じゃなくなる……?」

 エマニュエルはきょとんとしながら言葉を繰り返し、やがてくすくすと無邪気に笑った。

「何言ってるの? そんなことありえないよ。白百合(リブラン)は、まごうことなき神の花嫁(エル・フルール)なんだもの。それで神の子たる僕は、神の花嫁(エル・フルール)と添い遂げるのが運命じゃないか。そう教えられたよね?」

「教えられたって、……(フォリー)で?」

 ――『お前たちは特別だ』。

 ――『神の子と神の花嫁(エル・フルール)を添い遂げさせれば、運命の輪が廻るだろう』。

 大人たちから繰り返し聞かされるお伽話の一説のような言葉。(フォリー)で暮らす大義名分、つまりリーンたちを言いくるめるためのもの。けれどこの少年は、今でもずっと純真に信じ続けているのだ。

「これはね、神さまが決めた運命なんだよ。だから、僕と君は、ずっと一緒にいなきゃ」

「……それが、エルの見えているもの。見ていたいものなのね」

 リーンは悲しげに揺れる目を伏せた。やがて瞼をゆっくりと開け、その眼差しを静謐な色に染め上げていく。

「……でも私は、エルとは違うものを見ていたいの」

白百合(リブラン)……?」

 首を傾げる少年の全身に、視線を巡らせる。そして見定めた場所――鳩尾に、人差し指を向けた。

「――この手は神に倣いし浄化の御業(みわざ)。苦しみよ、浮き上がれ。歪みよ、我が身に呼応せよ。絡まる苦難を相容れたまえ」

「……え、――あ……っ?」

 唱えた傍から、黒い種が浮かび上がった。そこから新緑の双葉が芽吹き、伸びて、幹となって、枝先から蕾が膨らみ花が咲く。やがて実るのは、黄金色の林檎。それに手を伸ばし、ためらうことなく捥ぎ取っていく。

「あ……うそ……」

 エマニュエルの虹にきらめく眼差しが、大きく震えながら瞠る中で、その輝きがくすんでいく。

「何で……? どうして……?」

「ごめんなさい。エルとは、ずっと一緒にはいられないの」

「僕は、神の子なのに? 白百合(リブラン)は、神の花嫁(エル・フルール)なのに?」

「あなたは神の子じゃないわ。私たちと一緒の、ただの人間よ。それにあなたには私だけじゃないし、魔術師(マグス)やピックスさんたちが、あなたを一人にはしないでしょう?」

 無垢に強張る眼差しから、涙がほろほろと零れていく。

「ひどいよ……約束……したのに……」

「……うん、ごめんね……」

 嗚咽を上げ続ける少年の頭を、ごめんなさいと言いながらしばらく撫で続けた。そして間もなく、幼い子供のような面差しは、泣き疲れたように目を伏せる。

 林檎を失くし、ぐったりと動かなくなったその身体を横たえると、リーンはヨークラインに静やかな眼差しを向けていく。金の林檎を、胸の中に抱えたまま。

 さっと背筋に降りるおぞましい予感は何を告げるものなのか。ヨークラインは息を荒くしながらも上半身を起き上がらせ、林檎に手を伸ばそうとする。

「リーン=リリー……。早く、それを離したまえ。林檎姫(メーラ)の呪いが君に……」

「――神さまの呪いは、人の(すべ)では絶対に解けない。けれど解けない代わりに、その運命を共にすることなら出来る」

 リーンは林檎に口付けを落とした。黄金色の林檎は、真珠のように光り輝き、純白に染まっていく。

「何を……」

「ヨッカ――あなたの中の呪いも、一緒に貰い受けるわ」

「馬鹿なことを……ッ! そんなもの、俺が承知するとでも? 心から望んでもいないのにか?」

 怒りを孕んだ鋭い声音にリーンはきゅっと唇を結んだが、ただ小さくかぶりをふった。それでも、傍らまで歩み寄り、ヨークラインの胸元――急所へと人差し指を向けていく。それから逃れようと後ずさるが、力ない身体は半ば倒れ込むだけだった。

「正気に戻れ! 君は、何をしようとしているか、本当に分かっているのか……ッ」

「分かっているわ。林檎姫(メーラ)の呪いを、私とあなたの間で巡らせるの。そうすることで、呪いの根源を……力の本質を、変えてみせる」

「だめだ、許さん。頼むから言うことを聞け。君には必要のないことだ」

「必要よ。ヨッカの幾ばくもない命を救えるのは、ガーランドの血を引く私しかいないのだから」

 ヨークラインはとうとう泣きそうに顔を歪めた。

「リリ! 君が呪われることなんかないんだ! この絶望や恐怖は、決して耐えられるものではない……!」

「ううん、怖くないわ。だって、私はとっくに呪われているもの」

「何の痴れ言を、」

「――大好きよ、ヨッカ」

 リーンはくしゃりと笑った。泣き顔と微笑みを混ぜ込んだ、あまりに歪な表情だった。

「あなたがくれたこの気持ちは、誰にも解けない呪いなの。でもそれはね、私が今まで諦めずに生きてこられた、大事なおまじないでもあるの」

「リリ……」

 面食らうように瞬くヨークラインの胸部に、純白の林檎と解呪符(ソーサラーコード)が乗せられる。

「泣き虫の私に、いつもくじけない心をくれてありがとう。今度は、私があなたにこの気持ちをあげる。……諦めないで、どうか生きてって」

「……そんなのは……もう……、俺は君からとっくに……」

「ううん、ヨッカはまだちっとも受け取ってない。私の中の、雪嵐みたいに途方もなく荒ぶる心も、火祭りの炎よりも、ずっとずっと熱く焦がれる昂ぶりも」

 歯痒く言いながら、寒気で冷えた白い頬へ唇を寄せていく。

「もっともっと届けたいの。だから、私にも頂戴。ヨッカの痛みや苦しみを、独りきりで味わわせない。一緒に分かち合いたい」


 ――痛くてもかまわないわ。

 ――お前がそうやって母のために泣いてくれるのだから。

 ――そうすれば、これは(めぐ)(めぐ)って、お前と私の中で分かち合えるものになる。どんな苦しみも喜びも。

 ――私たちは、そうやって手を取り合って、生き長らえていくの。

 ――だから、どうか笑って、リリ。


(お母さんは私にちゃんと教えてくれていた。心から願うためには、どうしたらいいのかを――)

「……リリ……」

 呆然としたかすかな声音を拾い、少女は唇をそっと離した。青年の胸元にある林檎と解呪符(ソーサラーコード)にも、同じ温もりを重ねて分け与えていく。そして、祈る。

「……其は血潮の(かがや)きを奪い授ける花冠の言祝(ことほ)ぎ――エンコード:『ガーランド・ゲイン』」

 

 強く想って、願って、自分の気持ちを解き放つための言葉。

 それがおまじないであり、祈り。

 昂ぶって打ち震える心を解放するように、少女の瞳からまたひとつ雫が零れていく。花が咲くように、唇を柔く綻ばせながら。

「どうか、私と一緒に生きて。ずっと、あなたの傍にいさせて」

 それが、ただの泣き虫で弱虫な白百合の、心からの祈りだった。




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