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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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白百合の祈り Ⅲ



 冷えた鳥籠の出入り口に、リーンは再び立った。懲りもせずに現れた姿を警固番たちは半ば呆れたように見下ろし、手に持つ槍の柄を交差させて行く手を阻む。

「何度申し上げても、ここからはお通しいたしかねます」

 唇を引き結ぶ少女は、一枚の紙札をおもむろに取り出し、そっと囁いた。

「其は冥府へ(いざな)う冠――エンコード:『ヘンベイン』」

「――ッ」

 警固番の体躯がその場に崩れ落ち、すぐに安らかな寝息が聞こえ始める。そこを大股で横断し、回廊の奥へと真っ直ぐ眼差しを注いだ。

「……ヨッカ、無事でいて」

 回廊の突き当たりまで進めば、そこから伸びる螺旋階段を早足で降りていく。途中、巡回中の兵鳥(バード)二名と鉢合わせになった。ぎょっとした顔をしながら、少女に迫ってくる。

「困ります、勝手に出歩かれては……!」

「其は遥か歩みゆく旅路の守り草――エンコード:『マグワート』!」

 唱えた傍から脚が軽やかになり、捕らえようとする兵鳥(バード)の手をひらりと躱す。一歩強く踏み出せば、脚がバネのように大きく飛び跳ねた。

 そのまま階段を何段も飛ばし、素早く駆け下りていく。距離がみるみると引き離されていき、兵鳥(バード)は困惑しつつも後を追った。

「嘘だろ、どうしてこんなすばしっこく……!?」

 狭い螺旋構造の中では、飛翔して追うのは容易ではない。一人は焦りの表情を見せ、もう一人は、少女の行き先を見定めてから冷静に声を張り上げた。

「うろたえるな、階下の扉は封鎖されている! そこで追い詰めれば……!」

 鉄製のいかつい錠前で施錠される扉。塔の出入り口となるその目前まで辿り着いたリーンは、カードケースから再び別の解呪符(ソーサラーコード)を取り出した。

「其は祭司の清らかな魔杖――エンコード:『ヴァーヴェイン』!」

 紙札から伸びた草蔓が、鍵穴に入り込む。

「ちちんぷいぷい、開けゴマ!」

 唱えた傍から呆気なく錠が外れた。少女は力を込めて扉を開け放ち、その合間を縫って飛び出していってしまう。

「な……!? 嘘だろう……」

 絶句するしかない兵鳥(バード)は、ふと膝をついて倒れ込んだ。彼らもまた穏やかな寝息を上げていく。

 甲高い靴音を鳴らして階段を降りてきたのはアルテミシアだ。その手には解呪符(ソーサラーコード)があり、うんざりとため息を吐く。

「まったく、小娘共は人遣いが荒い……」



「すごい……ちっとも疲れない……!」

 脚を必死に動かしながらも、リーンは興奮を隠しきれなかった。解呪符(ソーサラーコード)を何度使っても、息切れ一つしない。魔法がかかったかのように身体が軽く、吹き抜けの回廊を風のように、踊るように、軽やかに駆け抜けていく。

 コートの中に忍ばせた解呪符(ソーサラーコード)から、マーガレットの得意げな声が上がる。

変則方式(アナマラスモード)にしてあるの。周囲のマナを取り込んで、自分の力に出来るのよ。この解呪符(ソーサラーコード)を通して、あたしたちから地熱式のマナも送ってる。これなら出力を無限大まで引き延ばせるわ。ま、言わばこれも吸呪状態。……兄さんにも、無事届いてるといいんだけど』

『――嬢ちゃま、そこの突き当たり、気を付けて』

 プリムローズが鋭い声音を上げた途端、前方の奥から人の気配を感じる。リーンは柱の物陰に一旦身を隠した。そこを巡回中の兵鳥(バード)が、ゆっくりとした足並みで回廊を進んでいく。

 柱を通り過ぎようとする寸前でさっと飛び出し、大柄の背中に紙札を張り付けた。

「其は喜悦と苦艱(くげん)の夢幻――エンコード:『オピウム』」

「……ッ」

 兵鳥(バード)はたちまち蹲り、身体を痙攣させた。その耳元に、密やかな声を落とす。

「ヨッカ――ヨークライン・ヴァン・キャンベルの拘束されている場所を知っていたら、教えてください」

「キ……キャンベルは……っ、屯所の……留置所に……」

「ありがとうございます」

 わななく唇から聞き出した後は、別の解呪符(ソーサラーコード)を使って眠らせた。

兵鳥(バード)の屯所なら、枢機部からさほど遠くない筈よね』

「うん、エルに何度か連れてってもらったことがあるから、迷わずに行けると思うわ」

 マーガレットの声に頷きながら、リーンも道順を思い返す。

 歩を進めようとした矢先、目の前を俊敏な速さで何かが横切った。真横の壁に突き刺さったのは鋭利な小刀。少女の背後から姿を現したホスティアが、冷たい眼差しで見据えていた。

「こんな真夜中に夜遊びなどとは……感心いたしませんよ、公主」

 リーンはためらいなく解呪符(ソーサラーコード)を差し向けた。

「ヨッカに会いたいの。もう止めないで」

 ホスティアの唇に冷笑が浮かぶ。

「本当に、何処までも手のつけられない御方だ……」

 飛翔装(バードコート)をたなびかせ、ふんわりと舞い上がった身体が、次の瞬間、少女に向かって突進してきた。

「――ッ」

 口を開く隙間も与えられなかった。頬を叩かれたと思うと、横髪を思い切り掴まれ、痛みに顔が歪む。よろめいた脚は、すぐにふっと宙へ浮いた。ほぼ同時に首にも衝撃が走り、息が止まる。次いで背中と頭にも激痛が走った。壁に押し付けられ、張り付けにされたのだ。

「……う、……ぁ……っ!」

 鍛錬された腕を必死になって掴むが、びくともしない。

「あなた様の存在は……御前の何もかもを惑わせ、狂わせて、脅かす……ッ!」

 菫色の冷徹な瞳には、もはや情の欠片もなかった。細い首を捕らえる片手が、徐々に力を込めて締め上げていく。

神の花嫁(エル・フルール)など、神そのものであるあの方に、ただ付き従っていれば良い。それが出来ぬと言うなら、今ここで……!」



「とりあえずは、塔に戻って安否確認か? ……いや、そっちじゃねえな」

 天空都市に戻ってきたピックスは、胸騒ぎを覚える方角――枢機部へ飛翔を続ける。

 キャンベル家が己を足止めさせたのは、十中八九にヨークラインが動き出したからだろう――リーンを取り戻すために。

 勘が告げるのはそれだけではない。こめかみが鋭く苛み、背筋を冷ややかに立ち昇る得体の知れない焦燥感。それを嫌々抱え込みながら、屯所と枢機部を繋ぐ回廊を突き進み――横目で捉えたのは、喘ぐ少女の姿。

 瞬時に頭が沸騰した。旋回し、矢の勢いでホスティアに迫る。

「何やってんだ、てめぇは!」

 少女を今にも殺めんとする身体を、脚で横から蹴り飛ばした。吹き飛ばされたホスティアはすぐさま体勢を整えて、ピックスを睨み上げる。

「邪魔立てをするな……! この娘は、御前には相容れぬ異物……ッ!」

「頭のネジかっ飛ばしてんじゃねぇぞ、この偏執狂が」

 鳩尾へ容赦のない拳を突き入れた。難なく気絶させた身体は回廊の端に転がし、少女の様子を確かめるように傍らへ身を寄せる。

「ったく、トチ狂いやがって。……怪我はねえか、お嬢」

 咳き込みながらも、リーンは大丈夫だと頷いた。ピックスは安堵しつつ、しかめ面で周囲を見回していく。気遣うようにではあるが、複雑な口調が滑り出た。

「つーか、マジでどういう状況だ。……お前さんは、てっきりキャンベルと一緒なんだと踏んでたんだが」

 リーンはピックスの外套を掴み、ひたむきに訴える。

「エルが……! 早く止めないと、ヨッカが死んじゃう!」

「くそったれ、あのガキ。先走りやがったか……」

 ピックスは目をそばめ、苦り切ったため息を落とした。どうやら悪い予感が当たったらしい。

「だったら屯所の留置所か? 俺が様子を見てくるから、お前は部屋で大人しく……」

「駄目! エルとヨッカをこのまま放ってはおけない。……それに、私はなさなくちゃいけないことがあるの。本当に、今度こそ、林檎姫(メーラ)の呪いを解いてみせたいの」

 そう言いながら、コートのポケット部分にそっと手を添える。そこに忍ばせるものを悟り、ピックスの眉が跳ね上がった。

「そのチンケな魔女(マギー)ごときの小細工でか?」

「……でも、ガーランドの一族である私にしか出来ないことなの」

 凛と張る声音から揺るがない覚悟が見てとれ、ピックスは密かに歯噛みする。冷ややかな嫌な予感は、どうやらこちらが本物だったようだ。

「……まさか死ぬ気じゃねえだろうな」

「そうはならないつもりだけど、絶対って約束は出来ない。ヨッカのためなら、私は呪われても構わないのだから」

 気付けば少女の両肩を掴んで、苛烈に吠えていた。

「お前なあ……っ、命あっての物種だろうが! そんなくっっだらねえ奉仕精神なんざ、キャンベルだって望んじゃいねえぞ!」

 リーンは唇を硬く引き締めたまま、小さく首を横に振る。

「奉仕じゃないわ。これは、単なる私のわがままなの。……ヨッカにはなるべく長く生きてほしいっていう、ただそれだけの」

「この、一辺倒の頑固娘が。すっかり小賢しい口車を回しやがって……ッ」

「……あなたも立ちはだかるというのなら、無理にでも押し通すしかない」

 リーンはピックスから距離を取ると、解呪符(ソーサラーコード)を取り出して掲げた。少女の好戦的な態度は珍しく、思わず口端が吊り上がる。

「……俺様は強いぞ、お嬢」

 回廊の中央に陣取り、その行く手を塞いだ。背後には屯所へ続く経路。少女から決して目を離さぬまま、腰元からナイフを抜き、威嚇するように構える。

「懐に入ったら、一撃だ」

「……ッ」

 リーンはつい後ずさりつつも、解呪符(ソーサラーコード)をかざしつつ唱える。

「其は路傍に風化せし名もなき小石――エンコード:『ストーン・クラウド』!」

 細身の姿が、ピックスの視界からうっすらと掻き消えた。それでもその気配が消えた訳でない。横切る瞬間は、空気の僅かな揺れで分かるだろう。

 所詮は目くらまし程度で、耳を澄ませば、密かな足音も拾える筈――だが、軋む音が響いたのは、予想外の方向。月影が漏れる窓辺、鉄製の格子窓からだ。

「は? ……まさか、」

「解錠エンコード:『ヴァーヴェイン』……ッ!」

 少女が強く叫んだ瞬間、格子窓が両開きに解放される。外から勢い良く入り込んだ突風で姿が露わになり、その伸びやかな黒髪を強く煽った。

 そこから見渡す標高の高さに一瞬怯みつつも、窓辺に足をかけて、思い切り身を乗り出していく。

「飛び降りる気かよ……ッ!? ……っの、マジでじゃじゃ馬……ッ!」

 すぐにピックスも跳ね飛んだ。その手が伸びきる前に、リーンは鉄窓を閉じる。が、その表情が痛ましげに歪んだ。

「っ……!」

 風に煽られたせいで、長い髪が扉口に挟まってしまったのだ。ピックスはすかさず格子の合間から片腕を伸ばし、少女のふらつく足元を支える。

 どうにかの捕獲に胸を撫で下ろしつつ、もう片方の手にあったナイフを腰元に戻した。顔を左右に捻って呻く少女に、呆れを滲ませながら呼びかける。

「無理に引っ張るとハゲるぞ、いいのか」

 細い腰回りを両腕で囲えば、リーンは懸命に身じろいだ。

「離して! ヨッカに会わせて……!」

「離さねえよ。エルの癇癪も、キャンベルとの因縁も、お前さんにゃ荷が重い」

「でも、このままじゃあ……!」

 悲痛な叫び声がピックスの鼓膜を揺らし――その瞬間、()()は唐突にやって来た。


 ――いやだ、白百合(リブラン)だけ残さない。だから離さない。

 ――でも、このままじゃあ、全員捕まっちゃう。私は大丈夫だから、……ごめんね、さよなら。

 ――やめて、切らないで! お願いだから、白百合(リブラン)

 呼び起こされるのはかつての記憶。現実(いま)と重なり合いながら目まぐるしくよぎる残像。己と少女を阻む鉄格子。引き留めたくて、隙間からどうにか掴んだ長い黒髪。

 その揺るぎない、まっさらに澄んだ蒼い瞳。

 いつも誰かのためにその身を捧げる、きれいな白百合の少女。


「……ッ」

 未だこびりつく追憶が、ピックスの行動を一瞬だけ鈍らせた。気が付けば、少女の手札が、ひたりと腹部に撫で付けられていた。

「其は雨を乞う西風の花――エンコード:『レインリリー』」

 稲妻を浴びたかのような痺れが全身を突き抜けていき、ピックスは声なき絶叫を上げる。

「ぐ、ぁ……ッ!」

 強張った体躯を、ほっそりとした指が撫でるように滑って、その腰元へと辿った。そこに収まるナイフの柄を、ためらうことなく掴む。

 ピックスは瞠目し、無性に寒々しい予兆を凝視してもなお、四肢は痙攣して動くことはままならない。

「おい……、何を……ッ!」

 抜かれた白刃が月影を弾いて、淡い銀色の光を零した。黒真珠のような光沢を纏う長い髪に、ゆっくり宛がわれていく。

「やめろ……やめてくれ……ッ」

 痺れて硬直したまま囲う手に、僅かにでもどうにか力を込めていく。

神の花嫁(エル・フルール)としての覚悟を決めたんじゃなかったのか! キャンベルとの因縁は、そうやってケリをつけた筈だろ!? だったら、その決意を最後まで貫き通してくれよ……!」

 不意に手が動きを止めた。そのすぐ傍らで、ピックスは窓越しに額を押し当てる。祈るように目を伏せて、嘆願を静かに重ねていく。

「頼むから……白百合(リブラン)……!」

 引き絞るような切なる声音に、――少女は小さくかぶりを振った。

「ごめんなさい」

 切れ味の良い刃先は、漆黒の髪束を鮮やかに切り落とした。

 髪を肩先で不揃いに揺らしながら、リーンは毅然と言い放つ。

「私は、神さまの花嫁にはならない。ただ、一番大好きな人の傍にいたい……!」

 ナイフをその場に放り、少女はまた新たに解呪符(ソーサラーコード)を掲げた。

「其は全てを蹴散らす荒野の烈風――エンコード:『トルネード』!」

 嵐に乗って一層軽やかに舞い上がった身体は、力のない腕から難なく逃れ、風を切って空中を駆けていく。まるで自由を得た鳥のように。

 その姿が消えるまで、ピックスは呆然と見送るしかなかった。やがて窓辺に背を預けて、ズルズルと座り込んでいく。

「……畜生、ダっセェ……」

 顔を俯かせ、行き場のない拳を遣る瀬なく振るった。

「……過去に一番こだわってんのは、俺じゃねえか……」

 扉を力なく開け放つと、吹き荒れる突風が取り残された黒髪を攫っていく。それは行く当てもなく遠く天を翔け、捥がれた花びらのように呆気なく散っていった。




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