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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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白百合の祈り Ⅰ



 白みを帯びる闇の降りる川辺には、急流の轟く音だけが響いていた。場が沈静化したのを見計らい、岩場にこぢんまりとある茂みの中から警戒深く姿を現したのは中年の男。

「……マーガレットお嬢様、どんなもんです?」

「バッチリよ。頼もしい援護をどうも、ベイリーフのイケてる魔導師さん」

 外向きの麗しい微笑みを浮かべれば、タッジーは嬉しそうに相好を崩した。

「いや~~まんまと罠にハマってくれるなんて、兵鳥(バード)も存外大したことないですねえ」

「ま、アル中寸前にさせたりして、パフォーマンスはとことん落としたからね」

 魔法陣の中でぐったりと寝そべるピックスを見下ろしつつ、少女はその肩先を不審げに靴先でつついた。

「……死んじゃいないわよね?」

「元々は暴れ牛や獅子を捕獲するトラップなんでさあ。ま、ちと麻痺の作用は強めですが、命に別状ありやせんよ」

「そう。なら、とりあえずコイツは足止め完了として。……プリムとジョシュはどうなったかしら」

 竜巻に乗って川下を突き進んでいったのは目視しているが、雪辱を誓う妹が引き起こすであろう衝撃音は、ちっとも聞こえてこない。随分と下流まで流れていったのだろうか。

 吹雪の勢いは徐々に和らぎ、雲間からちらりと覗く星々が細やかな輝きを取り戻しつつあった。それを仰ぎながら、マーガレットは自身の腕をさする。

「気が抜けたら益々寒いわね~。あったかいものが飲みたいわ」

「酒ならありやすが、お嬢様は呑めるクチで?」

 タッジーが腰元から取り出したのは小型の金属ボトルだ。勧めるように掲げてみせるので、苦笑で返す。

「未成年だから呑めないの。ま、でも、パッチテストでは『普通』って判定よ」

「実によろしいですな。適度に楽しめるお身体が一番でさぁ。お嬢様が成人した暁にゃ、良い酒をお贈りさせていただきやすよ」

 ケタケタと暢気な笑い声を上げながら、ボトルを傾けて呷っていく。その動作がぴたりと止まり、膝が崩れて地面に倒れていった。少女が怪訝な眼差しを送る。

「え、ちょっと、まさかあなたも下戸な、――ッ!?」

 首筋を唐突な激痛が貫く。すぐに髪の根元を探り、そこに刺さる硬い感触を摘まんだ。小指の先端ほどもない鋭利な細い針――そう認識する間もなく、酷い嘔吐感を覚える。

「っか、は……っ、これ、毒……ッ!?」

 マーガレットも膝を突き、喉元を押さえてままならない呼吸を繰り返す。

 反対に、今の今まで死んだように横たわっていた大柄の身体が、ゆっくりと立ち上がった。その手元には小型の短針銃があり、感情を灯さない瞳がマーガレットを見定める。

「嘘でしょ……まだ動けるっての……!?」

 信じられない気持ちで男を仰ぎつつも、わななく唇を噛み締めた。地面を指先で二度叩く。

「魔導コマンド再起動、補助トラップ、発動……ッ」

 タッジーのトラップ魔法陣から飛び出たヘドロのような液体が、大柄の全身を押さえ込むように粘り着いた。それにピックスは陰った眼を僅かに流すだけして、簡素に告げる。

「この手は神に倣いし浄化の御業(みわざ)。陰りよ、光れ。邪気の茨よ、燃え尽きれ。穢れた子羊を清めたまえ」

 業火の如くの炎が迸り、たちまち一面を焼き尽くした。蒸気音と共に魔法陣も呆気なく灰塵と失せる。

 罠から解き放たれ、冷え切った眦の焦点がうずくまる少女へ自然と流れていく。すぐ傍までおもむろに歩み寄ると、その脇腹を乱暴に蹴り飛ばした。

「っ……ぁ……ッ」

「テメーが女じゃなかったら容赦なく嬲り殺してやったってのに。……精々じわじわと死に絶えろ、高慢ちきの詐欺女」

 全身を痙攣させながらも、マーガレットは無理矢理に上半身を起こした。その場を去ろうとするピックスの足首を鷲掴む。

「駄目よ、行かせないわ……」

「マジうぜぇな……」

 鬱陶しそうに薙ぎ払い、少女の頭部を蹴り付けようと足裏が迫る。だが、力なく震える様を見てか、ピックスは口元を歪めるだけに留めた。

「デカい口叩いた割にゃあ、哀れな死に際だな」

「そんなの認めない……あたしは絶対に、諦めない……ッ」

「無理に決まってんだろ、俺様を負かそうなんざ」

「それは……あんたが決めることじゃないッ! 為せば成る、無理も通せば……道理へとッ!」

 決死の力で、ポシェットから取り出した解呪符(ソーサラーコード)を地面に貼り付けた。

 すると淡く弱々しい光がひとつふたつ浮かび、ふわりと軽やかに舞い上がった。雪の欠片のようなそれは何処へともなく風に乗って、遥か彼方へ飛んでいく。

 ピックスは不遜に鼻を鳴らした。

「何だ、弾切れってか? お生憎様だな」

「……目の前で起こっていることだけが、全ての本質とは限らないでしょう?」

 少女の青白い唇に、何故だか不敵な笑みが浮かんでいる。ピックスは訝しげに眉を寄せたが、すぐに勘付いて息を呑んだ。あえかな光が向かったのは、天空都市の方角だったのだ。

「まさか――」

 不意に、今度は川下の方角から、バキン、と歪に軋むような音が響いた。

 雲間が薄れる夜空にぽっかりと浮かび上がるのは、雷撃で包まれる多方面体。

 マーガレットが息を詰めつつも、笑声をくすくす転がす。

「あら、あっちの首尾は上々みたいね……」

「てめぇ、そういうことか……ッ」

 そもそもどうしてピックスが狙われ、ここに留めさせられているのか。魔術師(マグス)も同様に誘導させられたのか。考えさせる余裕もないまま闘いを挑まれて、時間だけがいたずらに過ぎている――やっとそう気付けたらしい。

「くそったれがッ!」

 忌々しそうに吐き捨て、飛翔装(バードコート)を広げて空へと舞い上がる。翼をはためかせ、疾風さながらの勢いで天空都市に飛び戻っていった。

 マーガレットはまた別の解呪符(ソーサラーコード)を取り出し、か細い声で告げる。

「其は、月の女神に捧げられし夢見の魔草――エンコード:『ストローイング・ワームウッド』」

 青白い穏やかな幻光が大きく広がり、マーガレットとタッジーを優しく包んだ。毒針の衰弱感が徐々に失せ、少女はたっぷりと安堵の息をつく。そして寝そべる男をじろりと睨んだ。

「ちょっと、いつまで死んだフリしてるつもり?」

「……ああ、すいやせん、おっかない目に遭った時のクセがついつい」

 タッジーはへらりと笑って、上半身を起き上がらせた。夜空の遠く小さくなっていく黒い翼を目で追いながら、首を傾げる。

「鳥の旦那は、あのまま逃がして良かったので?」

「ええ、あいつらをここに誘い込めただけ上々よ。……そうとくれば、最後の仕上げ」

 解呪符(ソーサラーコード)をまた一枚取り出して、通信を繋いでいく。

「――どうも、お約束のブツは仕留めましたわ。……ええ、なので、そちらはどうかよろしく頼みます」

 紙札を一撫でして通信を切り、先ほど地面に張り付けたばかりの解呪符(ソーサラーコード)を見下ろした。そこからじわじわと溢れ出る淡色の光が宙を伝い、通信用の解呪符(ソーサラーコード)へと伝染していく。

「これで仕込みは諸々終えたし、後は兄さんと……あの子次第」

 暗雲の過ぎ去る、澄み切った淡い夜空を見上げる。山の峰の背景にする真白い月が、夜明けのような目映い光を燦然と放っていた。


*


「全てが収まるまで、こちらでお休みください」

 鳥籠の自室へ強引に押しやられたリーンは、すぐに退出しようとするホスティアの外套を掴んで引き留めた。

「ヨッカをどうする気なの!?」

神の花嫁(エル・フルール)を誘拐したとなれば、厳罰が約束されているでしょうね」

「誘拐じゃないわ。私はカムデンさんに誘われただけだもの。どうして私の言葉を聞いてくれないの」

「公主は騙されておられる。護衛の兵鳥(バード)をそそのかした咎人ですよ」

 その冷たい声は素気なく、取るに足らない言い分を聞き流す様子さえ見て取れ、リーンはもう我慢ならなかった。自分でも驚くくらいの低い声が喉を通っていく。

「彼を罰する責務が、あなたたち兵鳥(バード)にあるというの。……私が望んでもないというのに」

 胸の奥が烈火の如くに迸る。この煮え滾った感覚には覚えがあった。夏の事変でヨークラインの命が脅かされた時の、荒れ狂うばかりの憤り。

「彼は私に尽くしてくれた、ガーランド家の忠実なる守護者(ガーディアン)。私を神の花嫁(エル・フルール)として扱うのなら、当主の私を差し置いた勝手な真似は、控えなさいッ!」

 引っ叩くような怒声にホスティアは一瞬怯んだが、振り切って鳥籠を出ていく。

「……随分と気が高ぶっておいでのようだ。落ち着くまで、重々休まれなさいませ」

 歩みを止めないまま、鳥籠の入口に佇む二人の警固番に目配せする。

「公主は大層取り乱しておられる。決してお出しすることのないように」

「かしこまりました」

「エルと話させて……! ここから出して……!」

 少女のこだまする悲鳴が、塔の螺旋階段を降りる合間にも大きく響く。

 甲高い残響が鼓膜を貫き、ホスティアは密かに歯噛みした。

「……まったくな耳障りだ」


 兵鳥(バード)の屯所の執務室に赴くと、執務席にはエマニュエルの姿があった。ぼんやりと頬杖を突きながら、机を無為に指で打ち鳴らしている。コツ、コツ、と単調なリズムが響く中、ホスティアには視線を寄越さず、けれどはっきりとした声音で問う。

白百合(リブラン)に怪我は?」

「全くございません。それよりも、咎人を解放しろと恐ろしい剣幕で……手がつけられません」

「……そう」

「後ほど、鎮静剤の投与を試みても? 罪人用なので、多少効き目が強いやもしれませんが」

 情のこもらない冷ややかな声に、エマニュエルも同じ温度で応じた。

「いいよ、それくらい。……やっぱり、手枷も必要かなあ」

 執務室のドアがノックされ、配下の遊撃鳥(リベラルバード)が報告に来る。

「失礼いたします、副隊長。ヨークライン・キャンベルは、留置所の奥部屋にて拘束しております」

「そうか、夜分遅くまでご苦労だった。今日はもう休め、下がっていい」

 配下は一礼して去っていく。その合間もずっと続いていた指爪の打つ音が、不意に止まった。

「本当なら、あの忌まわしい首――即刻、落としてやりたいんだよね」

 ホスティアは眉を憂いに寄せた。

「御前……表立っての直訴が為された今、下手な真似は……。ほとぼりが冷めるまでは、こうして投獄しておくのが賢明かと」

白百合(リブラン)を誑かして、攫おうとした罪は重いよ。それでまかり通らない?」

「たとえ下賤な輩であろうとも、天なる神は、万人と等しきものを分け隔てなくお与えなさいます」

「神の花嫁は神のもので、神の子のもの。万人の手には決して届かない。神の禁忌に触れたんだから、相応の報いは当然でしょ」

 もはや子供のわがままのような言い分だった。今度こそ嘆かわしそうに目を伏せ、首を小さく横に振った。

「どうか何卒、落ち着きなされませ。ご自分のお立場をどうかお忘れなきよう……神の子たる(とうと)き御方……。――では、許可をいただきましたので、失礼いたします」

 ホスティアも一礼し、執務室を後にする。性急な足取りが回廊に重く響いた。

「あれではだめだ……なんとかしなくては……」


 

「……ほんと、融通が利かないよね、ホスティアって」

 そう気だるく呟いて、エマニュエルは席から立ち上がった。虹色の瞳が、昏く閃く。

 闇の気配の中でも臆することなく進んでいく先は、屯所の裏側にある留置所。カツン、カツンと乾いた靴音を響かせながら、冷え切った最奥部へとゆっくり近付いていく。

 月明かりだけが仄暗く染め上げる独房だった。粗末な椅子に座らされ、両手を頭上で拘束されたヨークラインが、不遜な眼差しで少年を見据えた。

 エマニュエルはくすっと些細な笑い声を上げ、両手首を吊す鎖を弄ぶ。

「繋いでおくっていいよね。何処にも行かないって安心するもの。君を縛り上げるのはちっとも楽しくないけど」

 ヨークラインは嫌悪極まりないといった表情で吐き捨てた。

「貴様にそんな権利などない。……神の花嫁(エル・フルール)を、身勝手な私欲で思いのままにさせるなど……神の子だろうが何だろうが、何人たりともな」

「だからって、君が白百合(リブラン)の傍にあろうとするのだって、許されることじゃない」

 エマニュエルが鎖をぐっと引っ張ると、拘束具が天井へと吊り上げられた。ヨークラインの肩の関節が軋む音を立てていき、金属の締め付けが骨にまで響くのか、僅かに喘ぐ。苦痛に歪むその表情をエマニュエルは淡々と見下ろすばかりだ。

「君の何が、白百合(リブラン)をそうさせるの。……僕だって大切にするのに。ただ、一緒にいてほしいだけなのに」

 悔しそうでありながら、寂しそうで、悲しそうでもある。ひとりうつろうような切なげな声音に、ヨークラインはふと目を瞬かせた。

「貴様は――……いや、何でもない」

「何? 言いなよ」

 噤むのも許さないとばかりに、拘束具が益々皮膚に食い込んでいく。焼き切られるような痛みに耐えかねて、俯きながらも渋々口を開いた。

「……直接尋ねたことがないから分からんが、彼女が俺を慕ってくれるのは、長年の因縁めいた繋がりが、そうさせるんだろう……」

「僕だってそうだよ。(フォリー)で数年、一緒に暮らした。君と彼女が過ごした時間よりも長かった筈だ。それとも何、やっぱり善き賢者っていう恩人だから? 白百合(リブラン)の素敵な想い出として、名残惜しくこびりついちゃってるからって?」

「それもあるのかもしれない。だが、俺はそもそも賢者ではないし、そうあろうとする義務とて、もうない。(かしず)く責務を解かれた凡人に過ぎない。……なのに、」

 それでも少女は、相も変わらず己のことで瞳を潤ませる。

 ――嬉しくて……泣き虫で弱虫な私でも、ヨッカの力になれていたんだなって思ったら……。

 そう言いながら、澄んだ涙を零す。そのくせ泣きながら、花開くように笑うのだ。

 ――大好きよ、ヨッカ。

 いつまでも、相も変わらず、そう無邪気に言い零すのだ。

「本当に、困ったものだ……」

 つい柔らかな苦笑が漏れてしまい、ヨークラインはようやく腑に落ちた。

(ああ、そうだな……。彼女はいつだって……)

 たとえ己が必要とされずとも。家の盟約や責務から解き放たれたとしても。それでも今も尚この胸に咲き続ける宿命(ガーランド)だとするのなら。そう分かったのなら――。

 ヨークラインは一度目を閉じ、決したように瞼を開いて顔を上げた。

「違いがあるとするならば、……貴様が拙い性根だからじゃないのか。俺以上にな」

 エマニュエルの眉が不愉快そうにひそめられるが、構わず続けていく。

「彼女の傍にずっといたい? 手枷を嵌めて閉じ込めてまでか? ……笑わせるなよ、小童が。そうやって癇癪を起こす子供がいたずらに駄々を捏ねる様は、俺からすれば只々見苦しい。さもしくて卑しい餓鬼にも程がある」

 少年は顔を真っ赤にして手を振り上げた。頬を引っ叩かれ、ヨークラインは今度こそせせら笑うように口元を吊り上げる。

「見えるところは痕が残るぞ。審問時に不利となる」

「そう、じゃあ見えないところにしようか」

 嘲笑で返すエマニュエルは、ヨークラインの胸の上に手を置いた。

林檎姫(メーラ)の呪いの一部は、まだそこに残ってるんだよね? その呪いを、増幅させたらどうなると思う? とっくにボロボロの身体は、その絶対たるチカラを受け付けないだろうね」

「……ッ」

 紋様を服越しに緩くなぞられて、ヨークラインは小さく息を呑んだ。




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