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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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embrace remembrance



 どのくらい立ち尽くしていたのだろう。時が止まったかのように硬直する青年を、リーンは声もなく、瞬きすることもなく見つめていた。暖炉の薪からパチッと火花の爆ぜる大きな音が響いても、易々と耳を素通りするだけでちっとも気にならなかった。

 片やヨークラインは、不意に正気に戻ったように目を瞬きし、気分を落ち着かせるためか大層深く息をついた。そして不機嫌極まりない渋面でリーンをねめつけてくる。

「……何故、君がこんなところにいる?」

「え? あの、私は、リコリスさんとお話が出来るって、カムデンさんに誘われて……」

 少女の控えめな言葉に、今度は苦虫を噛み潰した表情になった。舌打ち混じりの声音に棘が多分に含まれていく。

「あの商人……やはりろくでもない事しかしない」

 リーンはたまらず傍へ駆け寄った。ここにいるのが信じられないとしても、その姿を自分の目に良く焼き付けておきたかった。

「本当にヨッカなのね? あの、皆、無事なのよね、メグもプリムもジョシュアも……」

「そうだとして、それは勝手にいなくなった君の気にかけることなのか、ミス・ガーランド」

「……ッ」

 視線が冷たく肌を撫で、リーンは一瞬口籠もった。それでも咎められるのは当然だと思っていたから、冬至祭の別れ際に思い知った胸の痛みに比べれば、随分と何てことはなかった。

 少女からすげなく目を背けたヨークラインは、奥間に進んでいく。その背を追うようにリーンも続いた。

「ごめんなさい。確かに勝手なことをしたわ。どうしてもヨッカを助けたかったから……」

「俺は別に君に助けを求めたつもりはない。これっぽちも、微塵も、一度たりともない」

「でも、あのままでは助からなかったわ。あなたを(かしず)く責任として、その選択だけは間違えていないつもりよ」

 毅然と言い放てば、ヨークラインは足を止めた。差し向けられるのは一層冷え固まった瞳――見下げながらの声音が、静かにわななく。

「そこを一番に違えている。俺はそんなことされたくなかった。全くもって望んでいなかった」

「たとえ望まれなくても……っ、あなたが死んでしまうのが何より嫌だったんだもの、怖かったんだもの!」

「だったらそれを他人に頼るなッ!」

 咆哮が部屋全体を轟かせるようだった。真っ向から浴びたリーンは、意識するよりも早く全身が強張った。

「……俺を、キャンベルの(みな)を信じてもらいたいものだ。君を家族として迎え入れた俺たちキャンベル家の気持ちを、君は踏みにじったんだぞ」

 重く冷え切った激高の中で、それでも黒い瞳が寂しそうに揺れていた。

 怒られるのは分かっていた。だから耐えられると思っていた。けれど、それ以外の気持ちを受け取ってしまうと、また胸の奥が悲鳴を上げてしまう。置いていった筈の切なさが込み上げていく。

「……ごめんなさい。本当に……」

 指先を握り締め、俯きがちにしながら小さく嗚咽を漏らした。その弱々しい姿に、ヨークラインは飽き飽きとした表情で吐き捨てる。

「まったく、そうやってまたすぐに泣く。成人したとてそんなザマか、情けない」

 さすがにかちんと来たリーンは、赤らめた眦を吊り上げた。

「私が泣き虫なのと、ヨッカたちにひどいことをしたのは、また別の話でしょう? そんなところにまで嫌みを言わないで!」

「君がいつまでもべそべそとめそめそと泣いているから口を出したくなるんだ」

「だからって何を言っても構わないとは思われたくない。度が過ぎている気がするもの。なんだか、今のヨッカ、いつもよりすごく意地悪だわ!」

 ヨークラインもすかさず睨み返した。

「意地悪? は、結構。もう君に(かしず)く謂れはないからな、言いたいことは存分に言わせてもらう。敬意なんざもクソ食らえだ。勝手なことばかりしおったこの迷惑千万なお節介娘なんぞには」

 その手が突き飛ばすように軽く肩を押し、リーンは真後ろの寝台へと呆気なく沈み込んだ。何が起きたのか分からないまま瞬きを重ねるうちに、少女の視界を覆ったのは影のように沈黙した瞳。すぐ傍らで覗き込まれ、顔の真横に降りた大きな手のひらが、一切の逃げ場を失くして閉じ込める。

 吐息のようにかすかな、それでいて重厚な弦楽器にも似た低音が間近で囁かれた。

「俺を守護者(ガーディアン)から解き放ったのは、君だ。もう俺は、君を一介の娘と扱うただの男だ。……それを忘れるな」

 次の瞬間には、細い手首をぐっと引っ張られ、上半身が起こされていく。

「とはいえ、レディに手荒な真似をした。それは謝っておく」

「……う、ううん……」

 リーンはかろうじて、それだけを小声で返した。

(何だったのだろう……今のは……)

 瞬きを繰り返しながら、小刻みに早鐘を打つ胸の騒がしさには戸惑うしかない。

 とても大事なことを言われた筈だった。なのに頭が上手く回らなく、射貫かれた眼差しの強さばかりが思い返されて、頬に熱が集中していく。獣が獲物を狩るかのような、獰猛さすら秘めたものをこれまでリーンは知らなかった。初めて触れた瞳の色を、どう受け止めていいのか分からなかった。

 居心地が悪いのはヨークラインも同じなのか、場をとりなすようにして辺りを巡らす。やはりマーガレットたちの姿はなかった。

「それにしても、あいつらは何処をほっつき歩いているんだ? ……致し方ない、皆が戻ってくるまで茶でも飲むか」

「あ、なら私が淹れるわ。ヨッカはゆっくりしてて」

 とりあえずは、まだ一緒にいても構わないらしい。リーンがいそいそと暖炉脇で準備を始めようとすれば、ぶっきらぼうな声が後ろからする。

「そんなことで詫びにはならんぞ」

「もう、また意地悪言う。大体、ヨッカの淹れるお茶って薄いんだもん」

 膨れ面で返せば、ヨークラインは今度こそ苦々しげに文句を飲み込んだのだった。


 暖炉脇にはジョシュアの作ったと思われるソーダブレッドと、チーズとハムが支度されていた。二人はそれを分け合いながら、久しぶりに食卓を共にしていく。

 ブレッドにチーズとハムを乗せてかぶり付き、頬を緩ませながらもリーンは首を傾げた。

「キャンベルの皆も一緒ってことは、カムデンさんも知っているのかしら」

「恐らく、マーガレットあたりが彼に連絡をつけたんだろう。まったくお節介な奴らめ……」

 ソーダブレッドを大口で噛みちぎりながら、ヨークラインがそう返した。食欲も変わらずだと分かり、リーンは胸を撫で下ろす。

「でも、私はヨッカたちが無事って分かって良かったわ。何かと嫌な噂を聞いてしまったから、不安でたまらなかったの。こうしてまた会えて、本当に嬉しい……」

 いっそ呑気なまでに笑みを綻ばせるリーンには、ヨークラインは相変わらずのしかめ面だ。

「勝手に出て行って、勝手に心配して、勝手に嬉しがる君の気が知れない」

「なんだかそこまで嫌み続きだと、不思議と気まずくならないわ。……もしかして、怒ってるんじゃなくて、不貞腐れてる?」

「だとしたら何だ。というか、まだまだ気まずそうにしたまえ。それに、何故愉快そうな顔をしている。失敬だぞ」

「ふふ、ごめんなさい。私が精一杯にわがまましたんだから、ヨッカもわがままになって当然なんだわって思ったら……」

「わがままというより、本心を歯に衣着せずに(のたま)ってるだけなんだがな」

「うん……きっとそれが嬉しいのかもしれない。ちゃんと、ヨッカと話せているんだなって思えるから」

 くすくすと柔らかな音色を零せば、益々呆気にとられたヨークラインの眉間の皺が、徐々に緩んでいった。手元のカップに視線を落とし、リーンの淹れた紅茶を一気に飲み干せば、ため息と共に投げやりな口調を零す。

「……君の気の抜けた顔を見ていると、当たり散らすのが段々と馬鹿馬鹿しくなってくる」

「ねえ、お茶のお代わり、いる?」

「……そうだな、貰えるか」

 静かに茶器を差し出すヨークラインに、リーンは嬉々とポットを傾けた。そして彼の胸元にじっと視線をやる。

「呪いは完全に解けた訳じゃないって、魔術師(マグス)が言っていたけれど、……実際どんな具合なの?」

「呪いの負荷は確かに取り除かれているし、体調も問題ない。だが、奴の魔具なしでは、どうにも生き長らえんというのが実情だな」

「そう……」

 しょげるリーンを見返しながら、ヨークラインは何かを思い巡らすようにぼんやりと瞬いた。

「……俺が死ねば君も死ぬと、奴は言っていたな。よっぽど君に情が移ったと見える。一体何をしたんだ?」

「ええと、何をという訳でもないと思うけど……」

 リーンも思い返してみるが、夏の事変や秋の収穫祭で、些細な看病をやってみせたぐらいの記憶しかない。

「ただ、弱って困っていたのを少し助けただけよ。誰にでも出来ることだし、大したことはしてないわ」

 それでもヨークラインは納得したのか、何処か感慨深そうに自分の胸元に視線を下ろした。

「……成程な。君のその分け隔てない善意が巡り廻って、ここに宿っているということか」

「大げさよ」

「そう言っても過言ではない。……現に、俺はそれで救われている」

 きっぱりとした物言いに、リーンはただ大きく目を瞬かせた。

 ヨークラインは、呪いの中心部となる胸に手を当てて、神妙な声を落とす。

林檎姫(メーラ)の呪いを授かったのは俺の意志だが、躊躇なく受け入れたというつもりではなかった」

「うん、それはそうよね。……死ぬのは誰だって怖いもの」

「君の母、エマ=リリーも当初はそう言った。命じたことは命じたが、反故にすることも出来るとも。守護者(ガーディアン)の絶対たる忠誠心が、十代の若造にあるとも思えんかっただろうしな」

 あの時の俺は、今の君と同じく十五の齢だった――そう小さく言い添え、深い闇夜のような眼差しを暖炉の炎に移していく。

「考える時間を少しやると言われ、……屋敷の外庭で、俺は一人途方に暮れた。勇んで赴いたにもかかわらず、一族の使命と死の運命を(はかり)にかけることの酷さに慄き、どうしようもなく腐抜けた己の根性を思い知るばかりで、その浅はかさを悔いていた。そうして夕暮れ時まで無為に座り込んでいれば、ふと声をかけられた。何処からともなく現れた、蒼い瞳と黒髪を持つ幼い少女から」

 ――どうしたの? どこかいたいの?

 ――おなかいたいの? けがしたの? わたしのおかあさんもね、そうやってずっとつらそうなの。

「そう言いながら、たちまち目を潤ませていってな。何故、俺が何をした訳でもないのに泣くのだと戸惑っていれば、その子は、とっておきだというまじないをくれた」

 ――『いたいのいたいのとんでいけ。いたいのとんで、どうかわらってくれますように』

「それって、私が……」

 母から教えてもらったおまじないだった。かけられた途端に、あっという間に痛みが消えてしまう、お伽話の賢者が使うような不思議な魔法。こんな素晴らしい呪文は自分も使ってみたくて、家中のあちこちに声をかけてはおまじないをふりまいていた記憶は、ぼんやりとだが今も残っている。

 ヨークラインは幾分眉をひそめつつも続けた。

「命の朽ちる呪いを引き換えにして手にする力など、不毛だ。だが、知らない誰かのために泣いて祈れる君のために、俺は呪いを受け入れた。その時の俺には、十分な対価だと思ったんだ。役立たずで価値のない俺などにも与えてくれる慈しみは、どんな名誉や金銀財宝よりも、価値あるものだった」

「そんな……ヨッカは役立たずなんかじゃ……」

「あの時の俺に、思えば生きる意味などなかった。生きていても、生きた心地はしなかった。空っぽのあの心のままでは……どの道俺は、今日(こんにち)まで生き延びていなかったかもしれない」

 ヨークラインはリーンを真っ直ぐと見つめ、僅かに目を細めた。それは少し泣きそうにも見えた。

「五歳の君と一緒に過ごせた数ヶ月は、今の俺の支えの一つだ。泣き虫で心優しい素直な君は、クラムの名の下で護るに値する、とびっきりのガーランドだった」

「ヨッカ……」

 ――ずっと願っていたことがある。ヨークラインには、ただのリーン=リリーとして受け入れられたいのだと。ガーランドの姫という七光りの自分としてではなく、守護者(ガーディアン)としての庇護なんかもいらなかった。

(でも、それは間違いだったんだわ)

 ガーランド家の守護者(ガーディアン)がヨークラインの宿命で、大義名分なのだとしても、彼自身の心を動かしたのは、紛れもないただの幼いちっぽけな、泣き虫で弱虫な自分だったのだ。

(ただの私が……ただのなんてことのないおまじないが、ヨッカを……)

 込み上げて、満たされていく――頑なだった胸の奥が。改めて交わった二人の追憶が柔らかな光となって差し込み、その目映さに融けて、熱く渦巻いて広がっていく。そうしていっぱいになったのなら、なみなみと溢れて、零れていくしかない。

 白い頬に滴り落ちるものを捉え、ヨークラインは不可解そうに顔をしかめた。

「だから、何故またそこで泣く……」

「う、嬉しくて……。泣き虫リリな、ちっぽけな私でも、ヨッカの力になれていたんだなって思ったら……っ」

「まったく……しょうがないな、君は……」

 たわんだ口元からヨークラインは柔らかな吐息を漏らし、やや臆しながらも濡れた頬に指先を伸ばした。大粒の透明な雫を優しく掬うように拭っていく。それはやはり、昔から変わらない優しい手のひらだった。片側の頬へ慎重に滑る大きな手を、少女は両手で大事に包み込んでいく。

「ありがとう。ヨッカの気持ちが聞けて、本当に嬉しい。もっと早くに聞きたかったわ」

「……俺の独りよがりな心中など、盟約を誓う主へぶつける訳にはいかんだろう」

「でも、もう守護者(ガーディアン)じゃないから言ってくれたのよね?」

「まあ、そういうことだな。多少不本意ではあるが、今となっては、それだけは伝えておきたかった」

 渋々のぶっきらぼうな口調だったが、もうその声音に尖りはなかった。だからだろうか、リーンは息をするように、当たり前のように、その口から溢れ満ちる想いを零していた。

「大好き。……大好きよ、ヨッカ」

 この心を熱くさせるただひとりは、どうしたって彼しかいないのだ。たとえ意地悪で無愛想でも、この目に映したいものは、ずっと見ていたいものは、この困ったような優しい微笑み。ためらいを見せる手にだって、こちらから伸ばして触れてみたい。

(どうしよう……やっぱり、私は、ヨッカが誰よりも――)

 少女の一言に幾分固まっていたヨークラインだったが、やがて面映ゆそうに後ろ首を掻き、ため息を長々と下ろしていく。

「……ガーランド家の一族が、そこらの何処にでもいる男に易々と告げる言葉ではない。当主としての自覚をもっと……」

『あーもう、まだるっこしいわね! そこは“俺もだ、君だけを愛してる”って、ドストレートに甘く囁くとこでしょうよ!』

『ねえちゃま、うるさい。今ので絶対バレたのよ』

 何処からともなく降って湧いた少女の喚く声が、室内で大きく反響した。吃驚して涙が引っ込んだリーンは、きょろきょろと辺りを見回す。

「え? あの? ……メグと、プリム?」

「あいつら、まさか……」

 勘付いたヨークラインは腰を上げ、寝台のシーツを勢い良く剥ぎ取った。そこには一枚の解呪符(ソーサラーコード)が寝そべっており、紙札の真ん中には少女二人がぼやけて映し出されている。

 瞬時にヨークラインの眉間に深い皺が刻まれた。

「お前たち……随分と悪趣味な真似を。しかもいつの間にちゃっかり改良なんぞもしおって」

『いいじゃないのよ。二人っきりにさせるとしても、監視は必要でしょ。そこらの何処にでもいる男が、いたいけな姫君と人目のない一室でイケナイひとときを過ごそうってんだから』

「いらん世話だ! おめおめとゴシップの種になる訳がなかろう!」

『その割には嬢ちゃまに対してオミマイが過ぎる気がするのよ。ベッドに押し倒したのだって、分かってやってる明らかな事案なのよ』

『それを言うならご無体(ムタイ)でしょ。ま、あれ以上は破廉恥どころじゃ済まない不適切な行為だもの、さすがに止めたでしょうけど』

「この……デバガメ娘共が……ッ、色々為した後で諸々覚えてろ……』

「よ、ヨッカ、少し落ち着いて……」

 今にも握り潰されそうな解呪符(ソーサラーコード)を、リーンはどうにか捥ぎ取った。

「あの、メグ、プリム……」

 少女と目が合った姉妹は、にっこりと微笑みかけてきた。

『こんばんは、リーン。ご機嫌いかが?』

『にいちゃまとのお話は、ゆっくり出来た?』

「う、うん……」

『なら良かった。あなたには心細い想いをさせてばかりだから、お詫びも兼ねてね』

『オトナになった嬢ちゃまに、あたしたちからのささやかなプレゼントなのよ』

「ありがとう、二人共。……でも、心細いなんてちっとも思ったことないわ」

 リーンは唇を引き結び、力なくかぶりを振る。

「キャンベル家に来てから、メグたちには沢山良くしてもらったもの。なのに、仇で返すようなことをして……」

『ねえ、リーン。今度こそ、兄さんの呪いを解きましょう?』

 リーンの言葉を被せるように、マーガレットが声を張る。

『あたしの、――あたしたちキャンベル家の秘技の、解呪符(ソーサラーコード)で』

『そのためには、嬢ちゃまの能力(チカラ)が必要なの。助けてほしいのよ』

「でも、呪いは、簡単には……。魔術師(マグス)でさえ、完全に解けなかったのに……」

『だから何だって言うの。あたしたちは絶対に諦めないの、あたしたちのキャンベル家を』

 麗しさをたたえる笑みが、力強く不敵なものとなる。

『ジョシュも、プリムも、ヨーク兄さんだって諦めちゃいないわ。血の繋がらない赤の他人だけで集ったキャンベル家は、一蓮托生――それが一律不動の家訓なの。誰か一人でも欠くことを許さない。当然、あなたも』

「でも、私は……」

『嬢ちゃまはジョシュアちゃんのごはんが食べたくない? フラウベリーで、もう暮らしたくない?』

「そんなことは……」

 ついヨークラインを見てしまう。落ち着きを取り戻したその表情から、淡々とした言葉が漏れていった。

「君の助力は確かにあった方がいい。……それでも、これは君が選ぶことだ。強制ではない」

『ちょっと、兄さん、今更何の片意地を張ってるの』

「優しい君は、俺を否が応でも助けようとする。己の身と心を捧げてまで。そのまま、命まで捧げようとしそうで……きっと俺は、それが恐ろしい」

「ヨッカ……」

 この温かな手が欲しいと、手を差し伸べたいと思ってしまう。誰よりも傍にいたいと願ってしまう。

 それでも、また、この人を傷付けてしまうのではないだろうか。

 散々迷って、進むべき道が分からない自分が、再びキャンベル家の皆を傷付けない保証はない。

 揺らぐ心に、ぴしゃりとマーガレットの揺るぎない声が張る。

『そんなことはあたしがさせない――今度こそ、絶対に』

「メグ……」

『リーン、あなたが間違いを冒そうとするのなら、我がキャンベル家の総力をもってして、止めてあげる。あなたの考えは素敵だけれど、もっと素敵な考えを思いつくまでのんびりお茶でもしましょってね』

『嬢ちゃまはひとりぼっちで考えすぎなのよ。あたしたちキャンベル家は、皆で知恵を出し合うものなのよ。嬢ちゃまも、あたしたちにたっくさん甘えてほしいのよ』

「私……、私は……」

 いいのだろうか。こんな至らないばかりで、覚悟も足りない自分が、甘えてもいいものだろうか。

 誰かの手を離してばかりで、悲しませてばかりの自分でも――。

 突如、入口のドアが少し大きな音でノックされた。扉越しに、宿の女将の声が発せられる。

「し、失礼いたします、御前様。お連れ様がお戻りで……」

「え……? あ、そうだわ……!」

 リーンはようやく付き添いの兵鳥(バード)の存在を思い出した。慌てて駆け寄って扉を開ける――女将の声が強張っていることには気付けずに。

 そこに佇むのは、極上の天使の笑みを浮かべる少年。

「――迎えに来たよ、白百合(リブラン)

「エル……?」

 笑顔の奥にぎらつく瞳の剣呑さに少女が息を呑んだ瞬間、硝子を割る甲高い破音が耳をつんざいた。

 寝台近くの窓が蹴破られ、そこから一つの影が押し迫った。ヨークラインを羽交い締めにしたと思えば、床へ乱暴にねじ伏せる。

「ぐっ……!」

「ヨッカ!」

 振り返って駆け寄ろうにも、エマニュエルに身体を抱き締められて動きを封じられた。

 ヨークラインを拘束するホスティアが、歪な嘲笑を浮かべる。

「このような花街の宿に連れ込んで、公主に何をしようと? 守護者(ガーディアン)の役割から干された途端に見境がありませんね、汚らわしい」

「誤解よ! 私はリコリスさんに会いに来ただけで、ヨッカは何も……」

「その友だちは? 君たち以外、ここにはいないんでしょ? 白百合(リブラン)は騙されてるだけ」

「暴行罪の疑いで逮捕します。ガーランドの御方をかどわかした罪は大層重いですよ――連れていけ」

 室内に現れた遊撃鳥(リベラルバード)の複数名がヨークラインの両腕を拘束し、無理に立ち上がらせる。

「違うの、話を聞いて!」

 飛び出さんばかりの勢いで追いかけようとするリーンを、エマニュエルが引き続き強く押し留めた。

「僕よりも、彼のことを信じるの」

「エルがどうとかじゃないの。ヨッカのことは、私が良く知っているからそう伝えたいだけ……!」

「それを信じるって言うんだよ。……やっぱり君の心は、昔からずっとあの賢者が独り占めだ」

 腕が捻られるように拘束され、痛みさえ生じる。それでもリーンは抵抗を続けた。

「離して、エル! ヨッカが行っちゃう!」

「絶対離さない。何処にも行かせない。――約束したよね、僕とずっと一緒にいてくれるって」

 耳元で冷ややかに、それでいて追い縋る切ない声音が囁かれる。

「君が僕の傍にいるためなら、僕は何だってしてみせる。好きなことをしてていいし、困ったお願いも無茶なわがままだって沢山聞く。……だけど、彼の存在で白百合(リブラン)が僕の傍を離れるって言うなら、――消すしかないじゃないか」

「エル……何を言ってるの……?」

「君とずっと一緒にいたい! 二人だけで、一緒にいたい! 僕の願いは、変わらず永遠にそれだけだよ」

 寂しさに肩を震わせ、涙を浮かべて悲痛に声を上げる。幼い子供のように、昔からちっとも変わらない少年のその姿は――。

(……これは、まるで……私……?)

 リーンは唐突に思い至り、愕然とする。

 死んでほしくないから。望まない主従から解放されてほしいから。そう駄々を捏ねて、大切な誰かの悲しみを脇にやって、想いをふいにして、意志を貫こうとする。

「……その未来の果てで、私がエルを拒んでも?」

 少年は聞きたくないと首を横に振った。

「いやだよ、そんなの、絶対許さないよ。だってずっと一緒にいるって約束したじゃないか。ずっと、ずっと一緒だって……!」

(そうだ……エルは、私なんだわ……)

 リーンは手元の解呪符(ソーサラーコード)に視線を下ろした。そこからマーガレットとプリムローズが何をか叫んでいるが、破損した窓から吹き荒ぶ吹雪の強さで上手く聞こえなかった。

「メグ、プリム……――ヨッカ」

 この温かな手が欲しいと、手を差し伸べたいと思ってしまう。誰よりも傍にいたいと願ってしまう。

「何処にも行かないでよ、白百合(リブラン)……」

 それでも、これ以上、自分の傍らには置いてはいけない。

(今の私が、キャンベル家の皆の傍にいていい訳がない……)

 少年の腕からの抗いを止めたリーンは、手の内にあった解呪符(ソーサラーコード)を力なく一撫でした。



 解呪符(ソーサラーコード)の通信が切れ、マーガレットが声を上げた。

「あ、ちょっと、リーン! んもう、いきなりどうしたってのよ。やっぱりあのこまっしゃくれたガキ鳥、曲者だわ」

「ぐぬぬ、嬢ちゃまを説得するには、こっちの材料がちょっぴり弱かったかも? ここはやっぱり、にいちゃまにかかって……」

 悩ましそうにしていたプリムローズが、反射的にピンと背筋を張った。吹雪く夜空を見上げながら、鋭く声を放つ。

「――来た! ねえちゃま、(エサ)にがっぷり喰らいついたのよ!」

「そう。……なら、こっちも動き始めるわよ。ジョシュ、よろしく頼むわね」

「了解。お互い、死なない程度に励もうか」

 すぐ隣で火の番をしていたジョシュアは悠然と微笑み、姉妹に湯気の立つカップを差し出してくる。中身はマシュマロ入りのホットチョコレートだ。

「当たり前よ、命あっての物種。さくっと終わらせて、皆で美味しいご飯を食べるのよ」

「そのためにも、けちょんけちょんにぶちのめしてやるのよ」

 深い崖に設けられた陣地の中、三人は温もりの宿るカップを重ね合いながら頷き合う。その近場で浮かび上がる魔法陣には、ぐったりと寝そべるピックスの姿があった。




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