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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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the apple of discord Ⅴ


「ご当主様、この度はご成人おめでとうございます――ガーランド家の末永き繁栄をお祈り申し上げます」

「ご丁寧にありがとうございます。そちらも幸多からんことをお祈りいたします」

「ガーランド家ご当主様、このめでたき日を迎えられましたことを、心よりお慶び申し上げます」

「丁重なご祝辞に、大いなる感謝の意を表します」

 大広間に足を踏み入れた途端から、四方八方に湧いて出る人物と似たような挨拶を交わしていく。リーンはほのかな笑みを浮かべたまま、ホスティアから事前に教えられた作法に気を付けながら、数少なく言葉を発していた。

 その姿を、エマニュエルは誇らしげにうっとりと見る。純白のきらめき溢れる衣装を身に着けた、天使のように、女神のように、とびっきりにきれいな少女。神の子たる自分に相応しい、天なる神の花嫁。どうだ、とても素敵だろう、僕のいとしい白百合(リブラン)は――。

 客人の列が途絶え、最後の一人を見送ると、少女から力のないため息が零れていく。

白百合(リブラン)、お腹空いた?」

「う、ううん。お腹は空いてないわ。それより服が重くて……」

 立ち詰めであったためもあり、その肩が少し萎れるように曲がっている。

「ごめんね、ずっと挨拶ばかりさせちゃって。少し休憩する? あそこ、見晴らしが良いんだよ」

 エマニュエルが指し示したのは、壇上奥に設けられた一角。最高法師の亡き今、空位のままとなったその席は、まるで見下ろすように場を支配する。玉座にも似た仰々しさに、少女はたじろぐ素振りを見せた。

「あの……」

「――おや、これはこれは、可憐な花の御方を、ここでもお目にかかれるとは」

 背後から柔和な声で呼びかけたのは、飄々とした風情の中肉中背の男だった。取り分けて目立つ風貌ではなかったが、リーンの見知った人物らしく、その蒼い瞳が一際大きく瞬いた。すぐにパッと花開くような笑顔となる。

「カムデンさん……!」

「ガーランドの御前様。この度はご成人おめでとうございます。凜々しいお姿を拝謁賜りまして、誠に光栄と存じます」

「いえ、その、成人したと言っても、まだまだ至らないばかりです。私もまたお会い出来て、本当に嬉しいです。あの、カムデンさん……リコリスさんはお元気ですか?」

「ええ、家内も変わりなく無事息災です。冬ごもりとあって、毎日家の中で新作レシピの研究に夢中でございますよ。私の相手など、ちっともせずにね」

「ふふ、さすがジャム屋さんですね。行商でも、リコリスさんのジャムをお売りするんですか?」

「ええ。重いので一度に多量は運べませんが、寄った街では即完売ですよ。多くのご愛顧を頂戴しておりますからね」

 思わぬ喜びの再会とあってか、少女の言葉数が知れずと増えていく。二人が朗らかに会話をする傍らで、エマニュエルは近場に控えるホスティアを呼び寄せ、こっそりと尋ねた。

「彼は?」

「ホーソン・カムデンですね。……かつて、猊下が懇意にしていた情報屋です」

「……そう。白百合(リブラン)の知り合いってことは、ノーム・スノーレット卿とも(ゆかり)ある人物ってことだね」

 有益な情報を節操なくもたらす商人がいることは小さく耳にしていた。枢機部内への拝謁を許されているなら、この商人が手当たり次第に心を傾けるのは想像に難くない。スノーレット卿も重用していたのは初耳だったが、特段おかしな話ではなかった。

 リーンは疲れを忘れたように会話を続けていく。最近はちっとも見せなかった、溌剌とした笑顔のままで。

「寒くてもお元気そうで安心しました。カムデンさんは、お仕事でこちらに?」

「いえいえ、実のところは、単なる観光旅行中でございます。家内が相手をしてくれないのを大層に拗ねてみせたら、ようやく連れ出せた次第で。ここの近辺には良い湯治場がございましてな、家内は今、そこでのんびりしております」

「……え、リコリスさんも、このお近くに、いらっしゃるんですか……?」

 少女が頬を喜色に染め上げていく。ホーソンは、益々愛想の良い笑みを向ける。

「よろしければ、お話されていきますか? 恐れながら、道中もご案内させていただきましょう」

「あ、あの、でも、ええと……」

 リーンは首を捻り、エマニュエルとホスティアをおずおずと上目で窺ってきた。それに小さく嘆息しながらも、少年は柔らかく微笑みを浮かべていく。

白百合(リブラン)が行きたいなら、行ってきなよ。大事なお友だちなんでしょ?」

「うん……リコリスさんとは、きちんとお別れの言葉も言えてなかったから……」

 ホスティアがすかさず口を挟む。

「護衛はつけさせていただきます。よろしいですか?」

「はい、大丈夫です。……エル、ありがとう!」

 花の綻ぶような愛らしい笑顔を向けられれば、エマニュエルは何も言えず、苦笑するしかなかった。

 配下の遊撃鳥(リベラルバード)と共に連れ立っていった少女を見送りながら、隣からホスティアが憂慮の声を漏らした。

「……本当によろしいので?」

「あんな可愛い顔を見せられちゃったらね。白百合(リブラン)は優しいし、皆が大好きになるのは分かってるもの」

 肩をすくめると、興味もなく会場内から視線を逸らした。

「……挨拶は一通り終わったし、白百合(リブラン)もいないのなら、僕も一旦席を外そうかな」

「――おや、あたしには挨拶してくれないのかい? お綺麗な鳥の坊やよ」

 ねっとりした声ながらも、明朗な言葉を放ったのは、威厳のある老女だった。細かに波打つ赤茶けた髪、黄土の濁った瞳。大柄な身体が、衰えを知らぬように気高く強く足を踏み鳴らす。

 突然の登場に瞠目するホスティアが、少年を守るように前へ進み出た。

「レディ・カラミティ。……何故あなたが、このような場に?」

「招かざる客とでも言うのかい、ホス坊。あたしにでかい口をきける程に偉くなったのなら大したもんだ。は、おめでたい頭だね――一介の兵鳥(バード)風情が」

 引き絞られる眼光の鋭さに、ホスティアは慄くように口を噤む。

「ホスティア、知り合い? 僕にきちんと紹介してくれる?」

 エマニュエルの催促にも応じなかった。ただただ老女の眼差しに縫い止められたまま、戸惑いと恐れの色が交じる表情で念を押す。

「……本当によろしいのですか。あなた様は、秘め隠された存在の筈」

「だから何だって言うんだい。あたしが林檎姫(メーラ)の生まれ変わりって信じるも信じないも、それは民草(ひと)の好き勝手さね」

 豪快に言い放った一言に、場内がたちまち騒然となった。

林檎姫(メーラ)の、生まれ変わり……!?」

「では、あの御方は……そんなまさか……」

「しかし、王家の一族は……、とっくの昔に……」

 ホスティアの前に出たエマニュエルは、あくまで表情を柔らかくしたまま応対する。

「……王家に(ゆかり)の深い方とお見受けいたします。天園鳥(クレイドルバード)である僕に、何のご用命でしょうか」

「御前、なりません。彼女は……」

「身を慎んでおられる方が、こうして公の場に姿をお見せになった。ならば、天に物申したいことがあるということでしょう。天の代行人としての責務を果たしましょう」

 老女は満悦そうに目を細めた。

「なあに、あたしはあくまで付き添い。お前さんに用があるのは、あたしの可愛い可愛い家族の方さね」

 皺の入った手指で招く仕草をすれば、黒い影が柱の裏から現れた。一歩ずつ足を進めるのは、真っ黒な背広に身を包む青年。硬質な黒髪と黒い瞳の、混ざり気のない黒曜石のような出で立ち。

「……キャンベル」

 驚愕に固まる鳥たちを、その曇りなき黒眼が鋭利に見据えていく。

「――その家名は、一時の借りた名。真実の名を、ヨークライン・フォン・クラムと申します。今は亡き王家に連なる一族、クラム家の跡取りにございます」

 場内が更に騒然となった。

「キャンベルの若造が……あのクラム家の、生き残りだと……!?」

「であれば、ガーランドの姫君が、辺境伯領なんぞの元へ引き取られたのは納得がいく。かの家は、古き時代より姫の一族の守護者(ガーディアン)なのだからな」

「ならば何故、姫は今、兵鳥(バード)の元へ?」

「……よもや噂は真であるのか、天空都市が無理矢理に攫ったというのは……」

 不審げな視線を寄越され、場の空気がひやりと入れ替わっていく。歯噛みしそうな苦々しい表情のホスティアは、目の前の青年をねめつけた。

「今更になり、改めてこの場で名乗りを上げるとは、一体どういうおつもりか」

「此度は直訴しに参りました。――数ヶ月前、夏の議会において、我が身の招呪を画策せんとした亡き最高法師、アークォン枢機卿の断罪を申し入れます」

 今度はエマニュエルも眉をひそめたが、ヨークラインは続ける。

「猊下はこれまで、幾人もの者への招呪を行っております。七大都市の要人を始め、猊下の意に反する者を次々と亡き者にし、その家族を脅かした。……これは、その裁きを求む者からの嘆願書となります」

 ヨークラインは懐から書状を取り出し、静かに広げた。それを渋々と受け取ったホスティアだったが、署名簿に連なる名を目にするや、息を固く呑んだ。言葉を紡ごうとする唇が、どうしようもなく戦慄いていく。

「これは……七大都市の行政官に、聖草都市のアルテミシア聖教会大司教、商業都市クックリアのメッサーナ公爵家にも……!? この錚々たる顔ぶれは一体……ッ」

 エマニュエルは静かに問いかける。

「……猊下はすでに永き眠りの只中。審問が行えぬ以上、彼が招呪をしたという証明を求めるのは容易ではありませんが?」

「その証拠となる文書は、最高法師の御許に眠っておりました。天空都市特別顧問官、ノーム・スノーレット卿より許可を賜り、拝借いたしております」

 つまりそれは、兵鳥(バード)が密かに押収したアークォンの罪状の物的証拠と、その記録文書となる。内側から手引きをされ、易々と漏れていたことにも腹立たしいのか、ホスティアは顔を真っ赤にして激高を露わにした。

「咎人の捜査は、我が天空都市たる兵鳥(バード)の領域ッ! 無断で勝手なことを……ッ!」

「勝手なのはどちらだろうか。解呪師の風上にさえも置けない不届き者に、天と崇め奉る道理などない」

 ぴしゃりとヨークラインははねつけ、更に追い込んでいく。

「そしてこの冬。猊下のもはや私兵となった戦闘集団・闇狩り。猊下という主を失って、何を血迷ったか、キャンベル家に猛襲をかけた。キャンベル伯領は、クラム家の生き残りである私を内々に庇護せんとし、王家の縁の者であるレディ・カラミティをも匿う場所。……第二の我が故郷となる安息の地に、これ以上の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を許すなど言語道断。私欲で我が故郷を、クラム家の領地をも貪り食らい、私腹を肥やすことしか能のない我利我利亡者共を、みすみすのさばらせておけるものか」

 沈黙する美しい鳥の少年を、青年は怜悧な瞳で強く見据えていく。

「死に紛れてこの世から姿を消そうと、この大罪からは決して逃れられはしない。改めて申し上げる。かの悪逆者に――正当な断罪を」


 警護の任務に当たっていたエルダーは、会場の隅で困惑気味に立ち尽くしていた。

「ヨークはいつの間に……こんな……」

「平和で退屈な街々の人気娯楽と言えば、他人事のゴシップとスキャンダルってねえ」

 一人楽しげにほくそ笑むのは、いつの間にか隣に佇むブラウンだった。エルダーは小声ながらも、思わず食い入るように問いただす。

「お前の仕業なのか!?」

「にひひ、一枚だけ噛ませてもらったね。『兵鳥(バード)といたいけな姫のイケナイひととき』は、なかなかに美味しいネタだったでしょ?」

「あの露骨なスクープの記者は、お前か……。相変わらずパパラッチが上手い……」

 苦々しげにため息を漏らしても、ブラウンは飄々と笑っている。

「ま、そんでも他の根回しは、キャンベル家直々の人脈あってのもんじゃない? 伊達に日頃から王侯貴族相手の商売しちゃいないでしょ。あーたまらんねえ、この風向きの変わり具合は」

 思わせぶりに顎で隣を示すと、他の客人たちがひそひそと囁き合っていた。

「クラムの生き残りとするならば、異端技術の解呪符(ソーサラーコード)は、実のところ王家に連なる一族の……神の御業(みわざ)ということか……」

「前々から王家の一族が狙われていたのは、やはり猊下の……?」

「我が都市でもやられたからな。反発した者は、皆呪われた」

「やはりそちらもか。天なる神のご威光に逆らう度胸は、何処の街も得がたいものだな……」

「それをクラムの若者が請け負ってくれたのは、さすがというべきか。……やはり神の花嫁(エル・フルール)を攫ったのは、許しがたき蛮行か」

「では、兵鳥(バード)は、今まで所業の数々を容認していたということか?」

「天なる御使いも、所詮は家禽か……」

 元より醜聞を耳にしていたのだろう。それとなく周囲から非難の視線を浴び、飛翔装(バードコート)を羽織るエルダーも居心地悪そうにする。

「……だとしても、地方への噂の流れが妙に早いんじゃないか……?」

「そりゃあどっかの商人たちの仕業じゃない? あの界隈の伝播は早いよ~?」

「――申し入れを承知いたしました」

 エマニュエルが凜と大きな声を発し、騒然としていた場が水を打ったように静まり返った。

天園鳥(クレイドルバード)として、正当な目を用いて、捜査を進めて参ります」

 少年は物静かに微笑み続ける。睨み据える青年へ、何処までも美しく清らかな面持ちで。



 鳥籠へ戻ってきたエマニュエルとホスティアは、苦り切った表情で息をついた。

「やられましたね」

「公の場での申し入れは、わざとだね。……あの根回しも一朝一夕じゃかなわないものだし、クラム家を矢面に立たせて、王家の生き残りが前々から狙っていた画策なのかも。……もしかすると、キャンベル家自体がその母体だったのかな」

「いかがなされますか」

 執務席にもたれた少年は目をそばめると、腕を組んで考える素振りを見せる。

「断罪人として、仕事はしないとね。亡き最高法師を、実際の罪状のままに裁くだけだもの、そこは問題ないよ。……ただ、内通があったのは捨て置けないね」

「調書流出の出所は、こちらで洗います。兵鳥(バード)の領分が内密に荒らされるなど……遺憾極まりありません」

 人気の薄い部屋を見渡し、ふとホスティアは片眉を上げた。

「……ピックスの姿が見当たりませんね。何処をほっつき歩いているんでしょうか」

「そういえばそうだね。サボるにしたって、あの騒ぎならさすがに飛んで……」

 エマニュエルはそこでハッと息を止め、席から荒々しく立ち上がった。

「――魔術師(マグス)。そこにいる?」

「いるけど~?」

 衝立の向こうから上がった呑気な声に、つんざくような鋭い声を送り返す。

「ピックスを探してきて! すぐ戻ってくるように言って!」

「うん? いいけども、どうしたの。何か厄介事?」

「御前……?」

 いきなりの憤りにホスティアさえも首を傾げている。少年は舌打ちを堪えながら、歯噛みした。

「奪わせないよ――僕のいとしい白百合(リブラン)は」


 *


 リーンがホーソンに連れられてやって来たのは、天空都市の近隣にある温泉街だった。

 湯気の湧く河川の両岸に多くの温泉宿が連なっており、その中でも取り分けて大きな旅館に案内された。

「カムデン様、ようこそお待ちしておりました」

「いやあどうも。この度はお世話になります」

「こ、こんばんは、お世話になります……」

 ホーソンに倣ってリーンが幾分緊張しながら声をかけると、館の女将と思しき女性は朗らかに相好を崩す。

「まあまあこちらがあの……? 可愛らしい御方、我が宿へ遥々ようこそおいでくださりました」

「事前にお話しした通りです。ご案内をお願い出来ますか」

 ホーソンの言葉に、女将は笑顔で頷いた。

「承知いたしております。では御前様は、こちらへ。お疲れでしょうからゆっくりお浸かりなさって。ここの湯は大層良きものですよ」

「あ、あの……?」

 女将がリーンの手を引いて館の奥へと案内しようとし、その後ろを続こうとした二人の遊撃鳥(リベラルバード)を、付近の女中が引き留めた。

「お連れ様はこちらへ」

「いえ、わたくし共は護衛ですので、姫の傍を片時も離れる訳には」

「あら、レディの湯殿までお入りなさるおつもりですの?」

「そ、それは……」

 たじろいだ兵鳥(バード)の周りに幾人の可憐な女中がとりまいて、甘い匂いのする柔らかな身をぴったりと寄せる。男二人の喉が、無意識にごくりと音を立てた。

「素敵な方。姫様の湯浴みの合間だけですから、少し一緒にお話ししませんこと?」

兵鳥(バード)の精鋭なんですって? とびっきりのおもてなしをいたしますわ。沢山飲んで、食べて、……もっと楽しいこともしましょ?」



 リーンの礼服は取り払われ、濡れても問題ないという湯浴み用の軽装へとあっという間に着替えさせられてしまった。

 木戸を開けると、街角の噴水池よりも立派な大浴場が、視界いっぱいに広がった。その半分が木製の屋根で覆われており、もう半分を占める夜空からは細かな吹雪がちらりと見えた。

 女将は湯船の浸かり方を軽く説明した後に、「ごゆっくりお過ごしください」と述べて退場してしまう。

 付近にある砂時計をひっくり返すと、湯気の立ち込める水面に足先からそろりと入れていき、瑪瑙で彩られた広い浴槽の隅に腰を落ち着ける。肩まで浸ると、程良く熱い湯がじんわりと肌に染み込んで、重い衣装ですっかり強張ってしまった全身が解れていくのを感じた。ようやく人心地つけたため息を押し出していく。

「リコリスさんも、この宿にいるんだよね……?」

 ホーソンを疑う訳ではないが、あれよあれよと進められるままに慣れない湯殿に案内されるとは思わなく、つい心細さが忍び出てしまう。

 木戸をノックして、再び女将が顔を見せた。

「御前様、失礼いたします。お着替えを支度いたしましたので、湯上がり後はこちらにお召し替えくださいませ」

「あ、ありがとうございます。あの、カムデンさんは……」

「はい、ミスターからは詳しくお伺いしております。後ほど、お連れ様とご一緒のお部屋へご案内いたします」

 愛想の良い微笑みでそう告げられ、リーンは素直に頷いたのだった。


 入浴後に纏ったのは、肌触りの良い真っ白なガウンワンピース。髪を乾かされる最中に振る舞われるレモネードの清涼な甘さが、温まった身体には不思議と爽快に染み渡った。

 身支度を終え、渡り廊下を越えて案内されたのは、静かに佇む離れの平屋だった。暖炉の灯火が木造の室内を柔らかく染め、隅々まで目を凝らしても、人の気配はまるでない。

「あの、リコリスさんは……?」

 そう尋ねようにも女将はいつの間にか退出しており、気付けば一人きりになっていた。

 寝台付近のローテーブルには、ホーソン・カムデンが記したと思われる手紙があった。開けてみれば、「素敵な一夜を」と一言あるのみ。

 不意に、入口の扉を開ける音が僅かに響いた。リーンはパッと顔を向けて小さく呼びかける。

「リコリスさん……?」

「――マーガレット、そこか? 身を潜めるには都合が良いとは言え、何故この花街を……」

 耳に良く馴染んだ低い声だった。暖炉の淡い灯火に揺らめく影は一際大きく、それに導かれるように現れたのは、長身の、黒一色の出で立ち。黒曜石のような硬い瞳が少女を捉え、大いに瞠る。

「…………リリ?」

「ヨッカ……?」

 お互いに、呆然と口から零れていた。あの幼くも忘れがたき日々へ、知れず舞い戻ったかのように。




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