the apple of discord Ⅳ
鳥籠の応接間の一画が、衝立を隔たりとして簡素な衣装部屋に整えられていた。数人の仕立て屋が少女に手早く仮縫いの着せ付けを行う傍らで、ホスティアがうっとりと感嘆の息をつく。
「ああ……いいですね、素晴らしい」
艶やかな光沢の白絹に、きらめく金糸と幾千の宝石ビーズが緻密に刺繍された豪奢な礼服。首元から足の爪先にまで目映い輝きを纏ったリーンは、窮屈そうに声を落とした。
「あの……、裾が重くて、歩きにくいわ……」
「立場上、さほど動く訳ではございませんのでご安心を」
そう言われながら、更に毛皮のケープまで羽織らされる。寒がりでない少女には、明らかに過分な衣装だった。
冬至祭で身に纏った薄衣のドレスが歩きやすくて丁度良かったのだが、着回しをさせる訳にはいかないとホスティアが頑なに譲らなかったのだ。
「でも、こういうパーティって、誘われたら踊らなくてはいけないって聞きましたが……」
「舞踏の必要はございませんよ。神の花嫁たるあなた様の伴侶は、神の子たるエマニュエル様であると、そう宣明する場でもあるのですから」
「伴侶って……」
唖然としながらも、誤解のないように口を開く。
「私は、エルをそういった風には……」
「わあ、白百合、すっごく綺麗!」
衝立の合間を縫って入ってきたエマニュエルが、輝くような満面の笑みを浮かべた。
「僕の衣装もね、白百合とそっくりのお揃いなんだよ。後で見せてあげるね」
袖の裾を指先でつまみ上げると、自分の腕と重ね合わせるようにして見せた。背後に回した手が、肩に流れる黒髪にそっと触れる。微笑をひとつ落とし、尚も愛おしげに囁いた。
「前よりずっと綺麗に伸びた……。これでようやく、君は僕のお嫁さんなんだね」
蕩けるような眼差しを受け止めつつも、リーンは戸惑わずにはいられない。
「……エルは、私がお嫁さんで構わないの?」
「当たり前だよ。だって、ずっと一緒にいるって約束したでしょ? だったら皆にもきちんと言っておかないと」
ふと、その明るかった表情が翳り、眉を深く下げた。
「……それとも白百合は、僕と一緒は嫌?」
「え……?」
幼いほっそりとした手が、リーンの手指を心細げにぎゅっと掴んでくる。
「最近元気がないから、もしかして僕と一緒に暮らすのが嫌になったんじゃないかなって、不安で……」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりはないの」
「本当?」
「本当よ。エルが嫌という訳じゃないの。ただ……」
「キャンベル家が気がかりですか?」
横から飛んだ冷ややかな声が、呆気なくリーンの胸の内を突いた。息を呑む彼女を、ホスティアは冷たく見下ろし、きっぱりと告げた。
「後ろ髪引かれる思いがあろうと、あなた様が選んだのは我が御前――エマニュエル様なのですよ。公主、ガーランド家の当主として、どうぞその責任を……とくとご自覚を」
「私は……」
この手を選んだのは、ヨークラインを助けたかったからだ。彼に希望ある未来を生きてほしくて、ガーランド家の宿命からはどうしても解き放たれてほしかった。けれども、呪いが解けたその後のことまでは、深く思い至らなかった。災いをもたらすこの手を離れた先で、彼に別の危機が迫ろうとするなどと、どうして想像するものか。
案じる気持ちは溢れていく一方なのに、今や彼の傍にいられる理由はなくなってしまった。この天空に浮かぶような遥かな場所で、ただ遠くから身の幸いを祈ることしか許されないのだろうか。当主として、そして、一人前の大人となったからには――。
(――私は、まだまだ覚悟が足りていなかったのだわ……)
リーンは無意識に下唇を噛んだ。成人の齢を迎え、大人と取り繕ったとしても心は迷い惑ってばかりで、進む一歩に自信が持てない。
だからこそ、無邪気に慕ってくれる天使のような少年の手を、どうしても握り返すことが出来ない。
*
遊撃鳥の執務室は、足の踏み場もない程に調書の山で埋め尽くされていた。その束の一つをぞんざいに放り投げたピックスは、机の上に投げ出す足を乱雑に組み直した。
「くそったれが。どうなってやがる……?」
どれほど調べても、闇狩りの動向に関する記録が見当たらなかった。
かつては王家に忠義を尽くした戦闘集団だったが、最後の王の崩御以降は天空都市に取り込まれ、公に知られることのない暗部の仕事を担ってきた。活動の中心は王家の血を引く一族への略奪で、両者の間には私腹を肥やすための共犯関係があった。
最高法師の部屋で見つけた鍵を使い、枢機部の封印書庫まで漁ってみたものの、精々見つかったのは強奪した遺産の目録ぐらいだった。記録文書の明らかな紛失、もしくは意図的に隠された形跡がある。
それを仕組んだのは、亡き猊下だったのか。それとも他の高等解呪師か、あるいは――。
考えたくもない想像を思い描く前に、頭の中で思考を一度捻じ切った。
「……あの業突く張りジジイ、もう少し吐かせてから冬越えの薪にするんだったな」
睡眠不足もあって疲労の募る目頭を押さえつつ、ついでに眉間を揉む。
無意識に手が懐のシガレットケースへ伸びていったが、紅ハッカの根は一本も残っていなかった。覇気なく舌打ちした時、口内が酷く乾いているのに気付いた。思えばここ数日、ろくに食事らしいものを摂っていない。
「しゃあねえな……」
渋々立ち上がると、億劫な足取りで執務室を出た。
食堂へ向かう道すがら、通りすがりの人々の視線がやけに気になった。自分めがけて突き刺さっているようで、不躾なあまり気持ちの良いものとは思えなかったが、無視を決め込む。
ふと曲がり角付近で、少年の無邪気な声に意識が引き寄せられた。
「どうしても迷いがあるんだよね」
「闇狩りのことは、やはり耳に入れるべきではなかったのでしょう。たかが守護者風情に、公主はお情けが過ぎます」
思わず気配を消して、柱の死角に身を隠した。
「白百合は優しいからね。仕方ないよ。……問題なのはキャンベル家かな。彼らからの報告だと、未だ行方知れずって聞いたけど」
「さすがは王家に連なる一族というところでしょうか。あの者たちは、総じて逃げ足が速いのです」
――この会話は何だ。
背筋に冷ややかな汗が伝っていく。胸の鼓動が追い立てられるように早鐘を打っていく。
「『さすがは』、ねえ」
エマニュエルは面白くなさそうにため息をつくと、ホスティアの腕を手繰り寄せ、甘えるように自身を寄りかからせた。
「妬けちゃうなあ。王家の人間だからって、お前もやっぱり身内贔屓しちゃうもの?」
「いいえ、私が心を捧げるのは、あなた様ただお一人だけですよ。ご心配なさらずとも、永遠に」
菫色の瞳をうっとりと細め、少年のまろい頬を愛おしそうに撫でる。そのまま掬い上げた手の甲に唇を落とそうとして――背後から遊撃鳥の隊員に呼びかけられた。
「副隊長、夜勤の任務のことで少し相談が……」
ホスティアは少し残念そうに眉を寄せて息をついた。それでも背筋を伸ばし、今一度礼儀正しく会釈する。
「では、御前、私はこれで」
兵鳥を連れてその場から去ると、エマニュエルは柱の物陰に向かって呼びかけた。
「そこにいるのは分かってるから。……訊きたいことがあるんでしょ?」
身を潜めていたピックスは、幾分決まり悪そうに姿を見せた。やはり、この少年はどうにも聡すぎる――厄介なまでに。そう思わずにはいられない。
「そういやテメーは、猊下のお気に入りだったな。手駒の飼い慣らし方までちゃっかり会得してやがったか」
「天なる神の意志って文言は、便利だよね」
あっけらかんと微笑む少年に舌打ちしながら、前のめりに苛立ちをぶつけた。
「白百合が、どうしてこの鳥籠にいやがると思ってる。言ったよな、キャンベルは殺すなって。なのに余計追い詰める真似なんざしやがって。……あれじゃ、塔にいた頃と、何ら変わんねえ」
それでもエマニュエルは不貞腐れたように口を尖らせるだけだ。
「だって、僕のことだけを見てほしいんだもの」
「デリカシーもなきゃ、節度もねえガキだな。付き合いきれねえ」
踵を返そうとするその背中に、エマニュエルは鋭利な声音を放った。
「いいの? 白百合と、また離ればなれになっちゃうよ」
「――」
足が竦むように立ち止まってしまったのは、何故だろう。不覚にも背後から深く突き刺されたような、致命的な言葉だったのは確かだ。そんな自分に唖然とするピックスの背に、少年はそっと手のひらを置いた。続けて額を重ね合わせていく。
「今度こそ、絶対に絶対に守りたいんでしょ? あんなにチビだったお前は大きくなって強くなったし、今の僕らなら、世界の何もかもが恐くない」
その声は切なそうに震えながらも、簡単に揺らがぬ確固たる意志がある。
「良く考えて、ピックス。僕らはもう、何も出来ないちっぽけな子供じゃない」
「……俺らが本当に、白百合を幸せに出来ると思ってんのか」
「何言ってるの。出来るとか、出来ないとかじゃない。幸せにするのは、善き賢者じゃなくて、僕らだ」
「その根拠のねえ自信は、何処から湧いてくるんだか……」
「だって約束したもの。……それに、白百合は、絶対に絶対に僕らを裏切らない」
迷いなく言い放たれたその言葉に、ピックスは瞠目する。だが次の瞬間には肩を震わせ、堪えきれずに破顔した。
「ぶっはは……! ははっ、お前、マジか……っ、はは……っ」
「え、ええ……? 何で笑うのさ! 面白い話じゃないんだよ?」
「いや、だってよ……っ、――……ったく、お前はやっぱガキだなあ」
ケタケタと止まらない笑い声をどうにか押し留めると、正面から向き直り、顔をしかめる少年の頭を強く撫で回す。
「ま、そうだな。……白百合は、確かにお前にゃすこぶる弱い。テメーはそうやって、ワガママを貫いて押し通してろ」
「うん……分かった」
意外とあっさり説得に応じてくれたのを訝しげにしつつも、エマニュエルは強く頷いた。
「今度の祝賀会で、僕のお嫁さんにするって皆に言うんだ。そうすれば、ずっと一緒にいられる」
「めでたい席にすんのはいいけどよ、裾踏んづけるような衣装じゃねえだろうな?」
後でホスティアに確認を入れておこうと決めた矢先、兵鳥隊長のエルダーがその場を通りすがる。丁度良かったとピックスは声をかけた。
「お、エルダー。祝賀会の警備の打ち合わせがしたいんだけどよ」
立ち止まったエルダーは、じろりとピックスに険しい目つきを向けた。この男にしては珍しい表情だった。
「それは別に構わないが、兵鳥であるならば、君は淑女に節度を持った振る舞いをすべきじゃないのか」
「はぁ?」
謂れのない文句に当然眉をひそめる。
「けったいな魔女以外にその心当たりはねぇが、喧嘩なら買うぞ。表に出るか?」
「……まったく、そう短気だから易々と醜聞を買ってしまうんだ。ガーランドの姫君をお守りする立場ならば、周りの視線にはより敏感になっていた方が賢明だ」
嘆息しつつ新聞を差し出され、ピックスは記事に視線を落とす。その内容に、口がまるっきり塞がらなくなった。
「……あ? 何だこれ」
『兵鳥は神の花嫁にご乱心!? ~お忍び酒場のイケナイひととき~』
神の花嫁と冠されるガーランド家の姫君が、観光区の酒場に一人お忍びでご滞在されているのを目撃。先日、成人の齢を迎え、ガーランド家の正式な後継者となった若き当主。酒場の片隅にひっそりとお掛けになるその横顔は憂いに満ち、どうあっても一人になりたいご様子。辛いご境遇にあられるのだろうか。
しかし、そこに非番と見られる一人の兵鳥が乱入。姫を一目見た途端に好意を寄せ、馴れ馴れしく近付いていけば、無理に酒を飲ませようとする。一度は拒むも、乱暴に手を掴まれ涙ぐむ姫は、その狼藉に堪えかねて意識を手放されてしまった! 好機とばかりに連れ去っていく非道な兵鳥。果たして二人は何処へ。このままいたいけな姫は、堕ちた神の御使いとのめくるめく禁断の関係に陥ってしまうのか――!?
「ありゃりゃ~、これはまた見事な破廉恥シーンだねえ」
涙目の少女の手を掴み、激高するピックスが映った白黒写真。号外記事に載せられたそれを見つつ、魔術師は笑い声を噛み殺しながら肩を震わせていく。
その隣でホスティアが侮蔑の表情で切り捨てた。
「しかも何ですか、この三文小説の如きいかがわしい見出しと内容は。明らかにネタにされているではありませんか。兵鳥の精鋭が人前で破戒行為とは、嘆かわしい」
「ふっざけんな! 上手いこと切り貼りしてそれっぽく見せたゴシップじゃねえか。誰だこんなクソコラしやがったこの報道精神のカケラもねえゴミ記者は!」
名誉毀損もいいとこだと、ピックスは新聞を丸めて床に叩き付けた。
「匿名にはなっていますが、十中八九に広報部の手の者でしょうね。あの界隈は、闇狩りと匹敵する隠密能力を誇りますし」
「くっそ、いつかホシ割ってボコってバラしてシメる……」
執務机で少し考え込むように黙していたエマニュエルは、ようやく口を開いた。
「じゃあしばらくは、白百合の傍には置いておけないかな」
「当然です。次の祝賀会は、公主から一番遠ざけた警備配置とします」
「おいコラ、テメーらまで公然猥褻の容疑者扱いか」
恨みがましい視線をホスティアはあっさりいなす。
「事実がどうあれ、イメージダウンが解消されるまでは、距離を置くのが賢明で妥当な判断でしょう。醜聞も時が過ぎれば、風と散ります」
「はぁ、こんな時に限ってよ……」
俯いて頭をがりがりと掻き、たっぷりとため息をついてから顔を上げた。
「……で、お嬢は最近どうしてるよ」
投げかけられたエマニュエルは顔を曇らせた。リーンの自室の扉を見やりながら、微かな苦みを含む声を落としていく。
「ノーム・スノーレット卿のところで何かを話してからは、少し気が和らいだみたい。でもまだ何処か塞ぎ込んでて、部屋に籠もってばかりでさ、……いつも寂しそうな顔してる」
「……そうかよ」
頭によぎったのは、中庭の展望台で孤高に佇む横顔。焦燥と諦観を織り交ぜたような表情が容易に想像出来て、こめかみの奥がきりきりと疼いた。
場を外して、一人ふらりと中庭へ向かおうとするその背に、魔術師が首をひょいと傾ける。
「気になるなら、顔ぐらい見に行けばいいのに。まだ眠ってはいない筈だよ」
「……口実もねえのに、何を言えっつーんだよ」
捜査に掛かりっきりで、街での一件以来、リーンとは顔も合わせていない。彼女が案じているキャンベルの動向も掴めずじまいだ。手ぶらのまま、どの面下げて言うべきものがあるのか。
結局、そのまま冷えた外気へ身を晒しに行ってしまう。
魔術師は居心地悪そうにしながら、自身の両腕を抱えて擦り合わせた。
「あ~カユいカユい。今更、理由もないと会えないものかなあ」
*
凍て付いた吹雪の舞う暗闇の中を、必死に駆けて、駆けて、駆け抜けていく。
向かい風は険しく、勢い良く後ろへ引っ張られて身体が傾きかけた。
なびく髪が引き摺られるかのように重い――もっと早く駆け抜けていきたいのに。
もっと軽やかに風を切って、翔ぶように振り切ってしまいたいのに。
それでも足がもつれて転んでしまう。擦りむいた膝が痛い。痛くて涙が止まらない。でも、怖くはない。それよりも、早く。早く起き上がらないと。
――また転んでしまったの? 困った子ね。
ああ、ほら。やっぱり来てしまう。
――もう泣かないで。おまじないをしてあげるから。
――ちちんぷいぷい、いたいのいたいのとんでいけ。
たちまち消えてしまった痛みに、たまらず問いかける。
『お母さんは痛くないの?』
――痛くてもかまわないわ。お前の痛みは、この母の痛みだもの。
『お母さんは、……後悔しないの?』
母は眩しそうに笑う。
――どうかこの痛みを、母に分けてちょうだい。
――そうすれば、これは巡り廻って、お前と私の中で分かち合えるものになる。どんな苦しみも、喜びも。私たちはそうやって手を取り合って、生き長らえていくの。
――だから、どうか……。
そう言いながら、ただただ微笑み続ける。
『お母さん、私は……、きっと私も……』
寒々しい暗闇の中、そこだけが小さな寄る辺に思えて、かそけき温もりに手を伸ばす。当たり前のように握り返されて、目尻からまた涙が零れた。けれどもそれは、決して苦くない――。
瞼越しに薄らと淡い光を感じ、リーンは目を覚ました。無意識に触れた目元は、不思議と乾いていた。
明朝の刺すような冷気が、硬い硝子窓を通して伝わってくる。窓辺から覗く明け方の空は厚い雲で覆われる鉛色で、張り詰めた大気には細々とした白い片鱗が踊り狂うように舞っていた。
それでも部屋に灯る暖炉の温もりのおかげで、シーツから難なく抜け出せる。
身支度を終えても、朝食まではまだ少し時間があった。ベッドに腰掛け、膝上に解呪のテキストを広げながら、指先を揺らがせて宙へ弧を描いていく。
「『苦しみよ、浮き上がれ。歪みよ、我が身に呼応せよ。絡まる苦難を相容れたまえ』」
――今では識られざる天空都市の古法、『吸呪』。
――たとえ解けずとも、殿下の身から引き剥がせる筈だろうと。
「……『苦しみよ、浮き上がれ。歪みよ、我が身に呼応せよ。絡まる苦難を――」
誰にも聞こえないかすかな声で、囁くように繰り返していく。深々と積もる雪のように、儚くも、冷たく折り重なっていく。
冬至を越えて、日が少しずつ長くなっても、寒さは身に沁みるように深まっていくばかりだった。
*
吹雪の勢いが衰えぬ晩の時刻、枢機部はいつも以上の豊かな灯火に満たされていた。
厳しい冬を乗り越えるためにと富貴な客人を招いた祝賀会が、今夜ここで催されているからだ。
七大都市の為政者や貴族、豪商たちで埋め尽くされる、枢機部内の贅を尽くした大広間。緻密な螺鈿細工に金銀の箔で彩られる高位の席は、最高法師のみ座ることが許される。そこは今や空位となって、ぽっかりと抜け落ちた穴のようになっていた。
「アークォン卿がお隠れあそばされて、もう半年か……」
そこを見上げるのは、七大都市の中流貴族の一行だ。何分慣れない夜会のため、所在なくそわそわとしながら団欒を続けていく。
「次なる後継者は、誰となるのだろうか」
「審議中ではあるが、恐らく最高法師が遺言したとされる人物であるらしい」
「ほう、それは一体誰が……」
「ああ、噂をすればだ。お見えになったようだ」
「あれが……あんな子供なのにか?」
「いや、それより隣の美しい花は、どちらの姫君か……?」
貴族の好奇な目が強く捉えたのは、艶やかな長い黒髪を背に流す少女だった。花嫁衣装のような真白いきらびやかな礼装を纏った姿は、純白の花束そのものの可憐さを思わせる。
慣れない場であるためか、窓辺から遠目に窺う先でも、張り詰めて硬くなった表情が見て取れた。大理石と真珠貝が嵌め込まれている床面を、幾分恐々と歩いていく。
「おお、あれは、近頃噂に上る……神の花嫁ではないか? ほら、先日、ゴシップ記事でも取り沙汰にされたお可哀想な姫君だ」
「では、あれが、かのガーランドの……」
「最近ご成人されたそうだが……まだまだ幼き面立ちでいらっしゃるな」
「か弱き姫のままでのご成人か。おいたわしいことよ」
引き摺るように裾の長い絢爛豪華な金糸のドレス。それに似通う礼装を身に着ける少年が、少女の付き添い役としてぴったりと身を寄せていた。
「隣にいるのは?」
「天園鳥の若造だ。先程話題に上った、最高法師の後釜だよ」
「ああ、では、姫を兵鳥が無理矢理に囲い込んだというゴシップは、存外嘘でもなかったのだろうな」
「王家に連なる一族だ。生き残っていたと分かれば、手中にしたくなるものよ」
「いいなあ、俺も若くて可愛い姫君を掻っ攫えるぐらいの大家に生まれたかったあ」
クスクスと笑って野卑する冗談文句を、窓辺の外側から漏れ聞くピックスは盛大に舌打ちした。
「くそったれが、外野が好き放題言いやがって」
「まあまあ、言わせておけばいいじゃないですか。我が隊員は、隊長を紳士と信じておりますから。性癖は幼女なのが玉に瑕ですが」
隣に控えるカウスリップも、ここぞとばかりにからかってくる。
「お前な……。プリムローズちゃんが超絶可愛い天使なだけで、俺様が幼女趣味なワケじゃねえ」
刺し殺す勢いでねめつけるが、それでも部下は平然と笑って湯気の立ち昇るカップを差し出してくる。
「それより、温葡萄酒でもいかがです? シナモンと生姜入りで身体が温まりますよ」
「あぁ? んなもん飲まねえよ、仕事中だろうが」
「問題ありませんよ。ここは僕に任せて、いつもみたくサボタージュすればよろしいのです。それともそのナリで、……実はお酒は苦手で?」
「は? 何だ、お前……」
真面目な部下の発言にしては、何処か違和感を覚える――そう勘ぐった矢先に、ひたりと背筋に何かを当てられた。
「其は狂喜乱舞の主祭神――エンコード:『ディオニュソス』」
「……ッ!?」
突如、世界がぐるりと半回転――そう錯覚する程の急激な眩暈を覚え、身体が呆気なく床面に倒れ込んだ。凍える空気の中でも、全身の血液が沸騰するように熱が隈なく巡っていき、鼓動はいやに昂ぶっている。慣れない酩酊感にピックスは顔をしかめるも、苦々しげに吼えた。
「カウス、てめぇ、ふざけんな……っ」
目の前の足首を掴めば、意外にも細く、身に着けるブーツは女物だった。見上げれば、紙札をひと撫でしたカウスリップがたちまち長身の少女へと姿を変えた。その琥珀の瞳を悠々と細める。
「あらら、もう撃沈? 最初から素直に下戸だってゲロってたら、もう少し手加減してあげたかもしれないのに」
「マギー……っ、おまっ、どういう化け方……ッ!?」
「ねえちゃま、遊んでるヒマなんかないのよ。チャンポンさせてとっととツブすのよ」
背後より愛らしい鈴の音が、悪魔の如きの囁きを送った。
「葡萄酒の次なるは、極東諸島名産・お米のお酒コードでイってみるのよ」
「プリムローズちゃん!? ちょっ、やめっ、それだけはァ……――ッ!!」
断末魔の叫びは、真冬の吹雪によって一切が遮られた。
沈没してしまった大きな体躯を、プリムローズは足先で軽くつついた。
「蒸留酒じゃないってとこだけでも、メグねえちゃまのありがたいお気持ちを精々汲み取りやがるがいいのよ、このゴミ屑箱が」
「急性アルコール中毒での冥土行きはさすがにね。……さーて、これで前衛チート切り込み隊長は、ひとまずお片付けっと。じゃ、速やかに次の作戦行動へと移りましょ」
「アイアイねえちゃま。ジョシュアちゃん、にいちゃまは?」
ピックスの身体を肩に担いだジョシュアは、優美に微笑む。
「問題なくプラン通りさ。残念だよ、せっかくの大立ち回りの舞台に立ち会えないなんて」
「しょうがないじゃない。だってあたしたちは、単なるキャンベルなのよ」
マーガレットはそう苦笑し、窓越しの大広間へ視線を流す。
「ヨーク兄さんには、その名以外に背負った分の矜持があるんだから、兄さんなりにカタをつけたいんってもんでしょ。ヨークライン・ヴァン・キャンベルとして、……そして、ヨークライン・フォン・クラムとしても……」




