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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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the apple of discord Ⅱ



「ダメだよ、雪のお嬢さん。天なる神の御許で、天に不義理を問うてはいけない」

「何で……っ」

 リーンが語気を強める隙間も与えず、魔術師(マグス)が指笛を吹いた。その音に反応するかのように、数秒の間もおかずに酒場の扉が乱暴に開け放たれる。

 なぎ倒さんばかりの物音で、少女は肩を跳ね上げた。荒い息を弾ませるピックスが大股で歩み寄ってくる。

「このじゃじゃ馬が……。勝手にいなくなりやがって」

「ごめんなさい、でも、」

「でももヘチマもねえ。心配するだろうが!」

 少女の手首を乱暴に掴み、けたたましく怒鳴り散らす若者の額には、細かな汗の粒がびっしり浮かんでいた。リーンは臆するように息を呑み込んだが、今度こそ怯まなかった。

「……でも! どうしても確かめたかったの、知りたかったの!」

 滅多に声を荒げない少女のつんざくような悲鳴が、激高したピックスの頭を一瞬で冷やした。

「……っ」

「あなたは、私に隠し事をしているでしょう?」

 怜悧ささえ滲ませる透き通ったアイスブルーが、ピックスを強く睨み据える。

「あなただけじゃなくて、エルも。あなたたちが天の御使いとして為すべきことがあるなら、私は今一度見定めて、考えなくてはいけない。心配させたくないのなら、ちゃんと答えて。あなたたちの都合の良いものだけを見せないで。でないと、私は……っ」

 突如、少女の身体がぐらりと傾いだ。足元がふらつき、正面から石敷きの床へ突っ伏しそうになる。

「お嬢……ッ!?」

「うわっと、セーフ」

 ピックスが少女の身体を抱え、蒸留酒の入ったグラスは魔術師(マグス)が咄嗟に手を伸ばして持ち直す。その中身の半分以上が減っていた。

 ぐったりとしながらも静かな寝息を立てる少女と、空に近いグラスを交互に見やり、魔術師(マグス)は愉快そうに首を傾げた。

「あれまあ……。もしかしなくても、泥酔?」

「テメーらが飲ませたのか」

 ピックスが射殺す視線でねめつければ、商人たちは震え上がり、両手を上げて無実を主張する。

「とんでもねえ! ご自分で頼まれて、顔色一切変えずにお飲みになっとったわい!」

「は? マジかよ。……ったく、わんぱく極まりねえお嬢だな」

 ピックスは大層たっぷりのため息を落とし、少女を横抱きに抱え直した。懐から取り出した金貨一枚を、バーテンダーに向けて放り投げる。

「邪魔したな」

 そう告げて、魔術師(マグス)と共に店内から速やかに去っていった。


「何なんじゃいな、ありゃあ……」

 予期せぬ乱気流にもみくちゃにされた気分で、商人たちはしばし放心するしかなかった。それでも、テーブルに取り残されたものを困惑に見下ろす。清澄な透明感をたたえた数粒の宝珠――それを摘まみ上げて、小声で会話を続けていく。

「……どうする?」

「貰っちまった以上、仕事はせにゃならんだろ」

「ほんでも鳥に睨まれるのは勘弁じゃ」

「……なら、奴に流すかのう。あの下種の権化なら、きっと上手いこと使ってくれるかもしれん」


*


 飲酒は初めてだったのだろうか、少女は多少の物音や振動でもちっとも目を覚まさなかった。結局、気を失ったまま鳥籠に戻されて、自室のベッドに寝かされていく。

 無垢な寝顔を覗き込むのは、眉をぎゅっと悲痛にひそめるエマニュエルだ。アルコールの微熱を帯びた手指を、両手でぎゅっと握り締めていく。

「本当に、心配ばっかりかける……だから僕がついていきたかったのに」

 渋面のピックスは、幾分ためらいがちに口零した。

「この鳥籠に引きこもるだけの暮らしじゃあ、色々飽き足らねえんだろうよ。……キャンベルの解呪不全を知ったなら、尚更な」

「だって、気を付けてないと、いつの間にか傷付いちゃいそうなんだもの。今度こそきちんと守りたいのに……」

 歯痒そうに言いながら、力の抜けた細い手首をさらりと撫で上げる。

「……いっそ、枷でも嵌めようか」

「おい、冗談がきついぞ」

「やだな、本気なのに」

 微笑みながらあっけらかんと返されて、ピックスは思わず閉口する。だがこれ見よがしに盛大なため息を吐いてみせた。

「過保護にすんのも大概にしとけ。それこそ追い詰めるだけだ」

 エマニュエルは不服そうに口を尖らせ、今一度リーンを寂しそうに見下ろしていく。

「そんなにあの賢者のことが大事なのかなあ。……僕は、君だけがいればいいのに。他に何にも、いらないのに……」

「……お前ももう寝ろ。お嬢に何かあれば、叩き起こしてやるから」

 そう言って、少年の頭をなだめるように軽く叩く。でなければ、少女からいつまでも離れそうになかった。


 エマニュエルを寝室に送り、応接間に戻ったピックスは窓辺まで歩み寄った。ソファに寝そべっていた魔術師(マグス)は足音を耳拾い、起き上がる。

「お姫様はどんな具合?」

「こっちが呆れるぐらいに、安らかなもんだ」

 うんざりしたような物言いに、魔術師(マグス)はケタケタ笑った。

「ふふ、大物の予感がするね。夜のお楽しみが増えたなあ」

「あん? テメーの晩酌にでも付き合わせるつもりか」

「だって、ここのメンバーは、下戸か嫌いか未成年かじゃん」

「寂しん坊が。相手が欲しいなら、街で探しやがれ」

「ま、私はそう出来るけど。あの子はこのままじゃあ、飲み友だちの一人も探せなそうだね、可哀想に」

 皮肉にも聞こえる愛想の良い声で、ピックスはとうとう押し黙った。気を紛らわすように懐からシガレットケースを取り出し、紅ハッカの根を奥歯で噛み締めていく。硝子窓に背もたれて自然と俯きながら、酒場での少女の様子を頭で反芻させた。僅かな敵意さえ見せる、何処までも見透かすような澄んだ眼差し。

 ――あなたは、私に隠し事をしているでしょう?

「……お前に隠してるもんなんざ、すこぶるちゃっちいことだってのに……」

「あの子が疑ってるのは、君自身のことじゃないよ」

 戸惑いの独り言がさらりと打ち返されて、ピックスは顔を上げる。魔術師(マグス)が薄く微笑みを浮かべ、極力静かな声を落とした。

「闇狩りが、キャンベル家を襲ったよ」

「何……?」

 驚愕に目を瞠るその様を、魔法使いはじっと見定める。

「その反応からすると、やっぱり君の采配じゃあなさそうだね」

 ピックスはすぐさまソファへ迫り、掴みかからん勢いでねめつける。

「奴らを動かせるのは、枢機部のお偉方か、かつての最高法師ぐらいだろ。死人でも蘇りやがったか」

「猊下の元手駒ってセンもあり得るけどね。そうなると、該当人物が君ぐらいしか思い付かないんだけど」

 さすがに濡れ衣だと、ソファの肘掛けを蹴り上げた。

「馬ッ鹿馬鹿しい。解呪はおろかアフターフォローまでしておいて、奴の家まるごと潰す真似なんざ矛盾してるだろ」

「そうだよねえ、だったら誰なんだろうねえ」

 揶揄いを含む飄々とした声音が苛立たしさを助長させる。ピックスは盛大に舌打ちすると、忙しない足取りで踵を返した。

「あれ、こんな夜更けに何処行くの」

「嫌疑者の洗い出しだ」

「やれやれ、マジメだねえ。誇り高き兵鳥(バード)の精鋭は」

 いってらっしゃいと魔術師(マグス)はのんびり手を振って、せっかちな後ろ姿を見送る。一人残された空間で、ぽつりと独りごちた。

「……まあ、君じゃないっていうなら、犯人はこれで絞れたようなもんなんだけどね」


*


 ――闇に広がる猛吹雪の中を、気付けば走っている。

 走っても走っても先が見えない。いつまで走り続ければ良いのかも分からない。それでも暗黒に呑み込まれるように、身体は望んでそこへ飛び込もうとする。何かを願いながら、どうして願ったのかも忘れそうなままで――。

(何を願ったの。どう願ったの)

(どうかどうかと願って、どうしたら聞き届けられるの)

(苦しいのに、痛いのに、どうしたら――)

 こんなことばかりを続けて、どうなるというのだろう――心が挫けるように、足がもつれて転んでしまう。擦りむいた肌が悲鳴のようにじくじくと痛みを訴える中では起き上がる気にもなれず、何もかも嫌になって泣いてしまう。

 そこに降りてくるのはひどく優しい声音。

 ――どうしたの、リリ。

 闇の吹雪に囚われていた筈の身体は、あっという間に覚えのある温もりの中へ閉じ込められた。儚い微笑みを向ける母が、そっと頭を撫でてくれる。それで、腑に落ちるように心が醒めた。

(あ……()()だ。また私は、置き去りの途方もない夢を見ている)

 独りぼっちで寂しくて、温もりが恋しいから見ているのだろうか。それとも、何かを思い出したいのだろうか。

 ――転んでしまったの? なら、とっておきのおまじないをしてあげる。この痛みは、お前の母が貰っていってあげる。

『おかあさん、だめだよ。これは私のなのに、……どうして?』

(どうしてなの。何で何度も、自分から痛い目に遭おうとするの)

(まるで、私みたいに)

 ――どうかこの痛みを、母に分けてちょうだい。

 ――そうすれば、これは(めぐ)(めぐ)って、お前と私の中で分かち合えるものになる。どんな苦しみも、喜びも。

『……苦しみも、喜びも?』

 ――そう。私たちはそうやって手を取り合って、生き長らえていくの。

 ――だから、どうか……。



「随分と上の空のようね」

 冷たく硬い声音が耳を通って、白昼夢から一瞬で引き上げられる。

 リーンがハッと顔を上げると、向かい合わせに座るアルテミシアの氷の(かんばせ)があった。今、自分が何のためにここに座っているのか、それすらも気にかけずに何処かを彷徨っていた。せっかくの解呪の授業なのに――自室のテーブルに置かれたテキストは、アルテミシアが広げているページより後れを取っている。

「す、すみま……」

 謝ろうとする前に、すらりと細長い手指がリーンの頬に伸ばされた。

「前より痩せたわね。……目元が昏い。寝不足かしら。食が細くなってるでしょう、陽にもきちんと当たっていないのではなくて?」

「あ、あの……」

 ずばり言い当てられて戸惑うリーンをお構いなしに、アルテミシアは少女の容態をじっくり観察していく。小さな頤から手を外し、盛大にため息をついた。

「嘆かわしい。ここの鳥共は、小娘一人の面倒もまともに見られないの?」

 部屋の隅に控えていたホスティアが苦々しそうに返す。

「面目次第もございません。一人でお過ごしになりたいと仰せつかると、どうにも……」

 アルテミシアは唇を嘲笑に歪めた。

「お前にしては、言葉を真っ向から受け止めすぎね。……どの道、清く正しく美しく日々を過ごすための環境でない。――来なさい」

「え、あの……」

「アルテミシア候、勝手な真似は困ります」

 ホスティアが強めに言葉を放ったが、返ってくるのは侮蔑の眼差しだった。

「かような見苦しい姿で、このわたくしに解呪の手ほどきを請うと? 不敬にも程があるわ、無作法者」

 冷厳な諫め口調でホスティアを黙らせると、少女の手を取って強引に席から立ち上がらせる。

「小娘には、少しばかり仕置きが必要ね」

 雨空色の瞳の冷ややかさに、リーンも固く息を呑んだのだった。




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