the apple of discord Ⅰ
突如姿を見せた妹に、マーガレットは安堵しながらも怪訝な視線を送った。
「まったく、一人で一体何処を駆けずり回ってたのよ」
くたびれた外套を羽織る姿は、荒事を終えた時と同じく少しの疲労を覗かせている。それでも勢いづけて傍まで駆け寄ってきた。
「色々と諸々なのよ。まずは、はい、にいちゃまどうぞ」
そう言いながら差し出したのは、話題に上ったばかりの金の林檎だった。皆はさすがに驚きを隠せず、ぽかんと見やるしかない。
「噂をすればのタイミングの良さね……」
「サマーベリーの大樹の近くに植わってたやつよ。必要じゃないかと思って、見繕ってきたのよ」
「レディ、一人で危ないよ。襲われなかったかい?」
「問題なしなしよ。解呪符で蹴散らしてきたんだもの」
ジョシュアの憂慮にはにっかりと笑って、胸を張ってみせる。マーガレットは不審そうに首を傾げた。
「……いつも思うんだけど、どうしてそんなに色々と諸々と分かるのよ」
「んんん~、……何となく、としか言いようがないのよ。何となく言ったことがほんとになったり、何となく思い付きで足を向けたら、何かがあるってだけなのよ」
プリムローズ自身も首を傾げているが、ヨークラインは淡々と口零す。
「お前の体内に抱えるマナは膨大で、かつ許容する器も遥かに大きい。それだけ全ての感知能力に長けているということだ。魔法使いに妖精と呼ばれる所以だな」
幼いながらも絢爛な美しさを秘める風貌が、あしらうように微笑んだ。
「それでもあたしはただの真っ当な人間なのよ。そんでもってにいちゃまに、もひとつどうぞなのよ」
そう言ってテーブルに乗せたのは、両手に収まる程度の革袋だ。中には金貨がたっぷりと詰まっている。
「おい、これはどうした」
再び目を剥いたヨークラインの傍らで、マーガレットもぎょっとする。
「あんた、ついさっき真っ当だって宣っておきながら、泥棒でもしてきたってワケ……?」
「人聞き悪いことこの上ないのよ。冬至祭用のあたしの装身具、売っ払ってきたからなのよ」
プリムローズに分け与えられたのは、七彩にきらめく宝石がふんだんに散りばめられた指輪で、これも匠の技が光る一品だった。それをあっさりと手放す様子に、マーガレットは不服な気持ちを隠せない。
「あの極上の一点ものを……いくらなんでも勝手に……」
「ぴかぴかきらきら光るだけの石っころじゃ、お腹は膨れないのよ」
「道理だな。――ならば、タッジー、マッジー、お前たちをこれで当分の間だけ、召し抱えさせる」
ヨークラインから金貨袋をそのまま差し出され、双子魔導士は飛び上がるようにしながら目を爛々と輝かせた。
「アイアイ坊ちゃん、喜んで!」
「ヨークちゃんの手となり足となり、御奉公させていただきますう~!」
「ああ、頼む」
ヨークラインは強く頷くと、マーガレットを神妙に見据えた。
「分かるな、マーガレット。今は緊急事態だ」
「……重々承知よ、兄さん。世を円滑に渡り歩くためには、必要不可欠なものよね」
マーガレットは観念したようにため息をついて、スカートのポケットから自身のきらびやかな装身具を取り出してみせた。
「すまんな。先立つものがないと何も出来ん」
譲り受けたヨークラインは、ようやくやっと器に盛られた金の林檎を一口かじる。たちまち渋面の眉間が、更に深く皺を寄せた。それでも黙々と食べ進めていく。
姉妹は苦笑しながら気の毒そうにぼやいた。
「やっぱりくそマズいみたいなのよ」
「我がキャンベル家の食糧難時代においても、全員口に出来なかった折り紙付きのマズさだものね……」
地熱都市プロパスにおける魔導士のねぐらは比較的大きく、奥間には彼らの魔導研究室がある。マーガレットの研究に関する一切のものは、そこへ押しやられていた。
「レディ・カラミティのご指示通り、お嬢様のお部屋にあるものは、全部ここに」
「良かったわ、また一からやり直しかと思ってたから……」
マーガレットは胸を撫で下ろしながら、書籍や資材を簡易に整理していく。ふと口先を尖らせた。
「あの人、こういうニクいことするから、余計鼻持ちならないのよね」
「それで、どうなんだ」
検査用の砂時計が宙に浮かぶ中、ヨークラインは寝台に横たえていた身体を起こしながら尋ねる。
マーガレットは診断書を完成させると、用箋ばさみごと手渡した。
「魔術師の言う通りね。まだ呪いの名残りみたいなもの――『黒点』が体内に散らばってる。兄さんにも見えてるでしょ」
ヨークラインの身体――首元、肩関節、四肢の関節内側といった各節々に、黒い丸みがかった模様が転々とあるのだ。
「で、それを中継するように、体内に効率良くエネルギーを分け与えて巡らせているのが、この『サイケデリック・アルカディア』」
兄のはだけたシャツから覗く、胸元に貼り付く切手大の呪具を指し示した。
「要は、これと同じ、もしくはそれ以上のチカラを発揮するコードが開発出来れば、我がキャンベルの解呪符でも事足り得るってこと」
「それでも、体内の呪い自体は失われる訳ではなかろう?」
「ええ、そうね。……林檎姫の呪いは、生命エネルギーを絶対たる力に変換するシステム。なら、その呪いたる源泉機構を、別のシステムに書き換える。そのためには、リーンの力が必要なのよ」
「リーン=リリーの?」
ヨークラインが目を瞠る横で、タッジーが興奮気味に口を挟んだ。
「ガーランド家に生まれる代々の女性は、世界の理と通ずる力を秘めています。神の花嫁と言われる所以であるその能力――万物のあらゆる急所を突き止めるチカラ――それで坊ちゃんの急所に寸分違わずエンコードすることによって、呪いの書き換えは成功するんでさあ」
「……理論は分かった。それで、どのような書き換えを行うんだ」
マーガレットは少し苦々しそうに肩をすくめる。
「……何にせよ、呪いと源泉機構の可能性が、未知数であることを前提として。リーンを介入させる以上は、あの子にも呪いが感染する可能性だってある。逆にそれを利用して、エンコードの際に、あの子と兄さんとの間で力を巡らせて呪いを細分化し、システムの変化を狙う――現時点での構想では、そんなところね」
「賛成しないな。彼女に、この呪いを押し付けるつもりは微塵もない」
ヨークラインは冷ややかな声音ではねつけた。
「これはエマ=リリー・ガーランドから正式に受け継いだ呪いだ。むしろ、俺の中で管理すべきものだ。あの余所の小童なんぞにくれてやる道理もない」
姉の隣で砂時計をじっと見やっていたプリムローズが、兄へ疑わしそうな目を向けた。
「……にいちゃま、それ、呪いを奪い返したいように聞こえるのよ」
「だったら何だ。俺にしてみれば、神の子だろうが何だろうが、卑しい盗っ人に他ならん」
「兄さんったら……せっかく呪いが弱まったってのに……」
開いた口が塞がらないとばかりに、マーガレットはため息を零す。
「システム書き換えの考案は、追々で構わん。ともあれ、ひとまずの最優先事項はキャンベル家の奪還だ」
「あの子も一緒に、でしょ」
「……彼女は、俺をいらないと言ったんだが」
思わず強くねめつけてしまえば、姉妹はたちまち呆れた表情を浮かべた。
「拗ねてるわね」
「拗ねてるのよ」
「拗ねてなどいない。……盟約を勝手に反故にされて、腹は立っているがな」
もはや不貞腐れたような言い分に、プリムローズはむっと頬を膨らませた。
「にいちゃまってば、乙女心をちっとも分かってない。嬢ちゃまが騙し討ちみたいなことしたのは、言おう言おうと思ってもなかなか言えなかったからなのよ」
「そうだな。その乙女心とやらの複雑な胸中は、俺には理解しがたい」
「嘘ばっか。嬢ちゃまへ、自分の複雑な事情をなかなか打ち明けなかったのは、一体何処のどいつ様なのよ」
容赦のない鋭い指摘は、ヨークラインの口を気まずそうに噤ませる。
「お別れの最後の最後まで、にいちゃまとあたしたちキャンベル家と一緒にいたかった。騙してまで、にいちゃまを助けたかった。どっちも嬢ちゃまの譲れない願いだったのよ」
ヨークラインが苦り切った面持ちで黙り込んでいれば、ふとまろやかな香りが鼻先を掠めた。
「大事なことほど、口は余計に重たくなるものさ」
そう言いながら、ジョシュアは焼き菓子と紅茶の載ったトレイを作業台に置く。紅茶を注ぎ入れたカップをソーサーごとヨークラインに手渡しながら、優美な微笑みを形作った。
「僕はお前の意志に任せたいと思ってる。今後、レディと一切関わりたくないというのなら、これ以上構うことはない。レディはお前の縛る全てを解き放った。その苦渋の決断を尊重するのも、彼女の守護者として最後に為すべきことじゃないのかい」
「――……」
ヨークラインはだんまりのまま、注がれた紅茶の栗色に視線を落とす。
そう、構う義理などない。その一切がなくなってしまったのだから。ガーランドの宿命から解き放たれた今、己の最も為すべきことは、キャンベル伯領の奪還。
そう専念すべき心には、それでもやるせなさとわだかまり、苛立たしさが燻り立っている。
「……納得がいかない。ただ、それだけだ」
紅茶をあっという間に飲み干して席を立ち、研究室から出て行ってしまった。どうあっても頑なな様子には、皆はやれやれと肩をすくめるしかない。
「これはだいぶ剥れてるわね……。あの子ってば随分と罪作りな女だこと」
「それでも、嬢ちゃまの行動にあくどさはなしなしなのよ。嬢ちゃまとにいちゃまの道理が噛み合わないってなだけだもの」
「どうするんだい、メグ。キャンベル家の総意でないと、事は万全とならないんじゃないのかい」
手渡されたマフィンを口に含めながら、マーガレットは思案するように目を伏せた。
「そのためにも、抜かりなくあちこちに根回しはしておくわ。あの舐め腐った生臭鳥坊主共を、絶対にぎゃふんと言わせてやるためにもね」
この都市には丁度商談相手もいるからと、早速連絡を取り付けようと解呪符を取り出した姉の傍で、プリムローズは視線を横に流す。作業台の隅に置かれた金の林檎、それを憂いの帯びた瞳でじっと見やった。誰にも聞き取れない小さな声音が、か細く落ちる。
「嬢ちゃま、やっぱり食べちゃうのかな……」
*
「外出なさりたいと?」
「はい、街で買いたいものがあって……」
リーンが眼差しに強い決意を滲ませて伺うと、ホスティアは不可思議そうに眉をひそめるだけだった。
「ご入用の物がおありでしたら、私に仰っていただければ取り計らいます」
こうして頼めば何もかもを取り揃えてくれるため、リーンがこの鳥籠から出る機会はない。唯一、勝手に貰えないのは情報ぐらいだ。外の様子が知りたいという名目でさえ、新聞紙を与えられて済まされてしまう。
「ええと、その……それでは困ると言いますか」
「何故、困るのです?」
「あの、その……」
「人に言えないものを、お買いになると?」
「ええと……そういう訳では……」
徐々に詰問口調で問いただされて、リーンは大いに気圧されていく。
わずかな緊迫感を見せる夕暮れ時の鳥籠へ、仕事を終えたピックスとエマニュエルが戻ってきた。
「おいおい、穏やかじゃねえな。嫁いびりでもしてんのか?」
「失礼ですね。公主が、街中でお買い物をなさりたいと仰るので」
「それの何がいけねえんだ」
「こちらにお申し付けくだされば事足りること。そもそも、ガーランド家の御方が気安く外出なさるのがよろしくありません」
「そうだね。この街はそれなりに平和だけど、白百合に万が一のことがあったら大変だし」
ホスティアとエマニュエルの言い分は過保護であっても、さほど過剰たるものではない。それでも主張は双方から聞くものだと、ピックスは少女に顔を向けた。
「で、お前さんは、何が買いたいんだ」
リーンは目元を逸らし、何処か気まずそうにしながらぽつりと零した。
「ええと、……男の人には、その、言いづらくて……」
ホスティアとピックスは戦慄するかのように表情を強張らせた。赤面し、一度大きく咳払いをする。
「大変失礼いたしました。女性の繊細なご事情を察せず、愚か極まりない浅慮をお許しください」
「あー……まったくだな。そんならちゃっちゃと出かけて、パパっと見繕ってこい」
「あ、じゃあ僕も一緒に行くよ」
エマニュエルが無邪気に身を乗り出すので、その首根っこをピックスが引っ掴んだ。
「このガキ。言いづらいモン買うとこをデバガメする気か。デリカシーってもんがねえ」
「でもさ、白百合一人だけで行かせられないよ」
「確かに。ですが、御前に付き人の真似はさせられません。遊撃鳥より遣わせましょう。ご購入品に関しましては、口外しない旨の念書も支度します」
「僕は別に気にしないけどなあ。二人でお出かけなんて、すごく楽しそうなのに」
「ごめんね、エル。私一人で済ませたいものだから……」
リーンから申し訳なさそうに微笑まれて、膨れっ面になる少年だったが、渋々頷いた。
「分かったよ。白百合がそう言うのなら、しょうがないよね」
ホスティアは少女に薄く微笑みかける。
「守護者に劣らぬ共を付けさせます故、安心してお買い物をなされますように」
「はい……ありがとうございます」
『守護者』という言葉に少し肩を跳ねさせたが、リーンはすぐに僅かな笑みを形作った。
翌日、早速リーンは観光区へ赴いた。昼前のグランモールは、厳しく冷え込む曇り空の下でも多くの人々で溢れ返っており、陽気な賑わいを見せていた。
そのとあるブティックの前で立ち止まった少女は、一旦後ろに振り向く。護衛として付き添う二名の遊撃鳥を、遠慮がちに見上げた。
「長くかかると思うので、近場のカフェで休んでもらって大丈夫ですから」
「いえ、神の花嫁のお傍で片時も離れずお守りするのが、我々の任務でございます。どうかお気になさらず」
「……本当にすみません!」
リーンは深々と頭を下げると、勢い良く扉を開けて店内に入っていた。
扉が閉じられると、二人の兵鳥は顔を見合わせる。
「ガーランドの姫君……というには、傅かれることに慣れていらっしゃらぬようだな」
「幼少から孤児院でお育ちらしい。我々民草と近しい心をお持ちなんだろう」
「だが、最近までキャンベル家でお過ごしではなかったか?」
「どうやら、こちらの庇護をお選びなさったと、噂では……」
「そうなのか? では、あの噂は本当だろうか、キャンベル家が――」
潜めた声で会話を続けていれば、ブティックの扉が開かれる。兵鳥はさっと緊張を取り戻したが、店内から出てきたのはガーランドの少女ではなく、年配の女性だった。肩透かしの気分で息をつき、再び扉の前で直立不動のまま、待機を続けていく。
それからも幾人の女性が店を出入りしたが、太陽が天頂から少し西に傾いても、少女は店内から姿を現さない。
「女の買い物は時間がかかると聞くが……」
「さすがに長すぎないか?」
不信感を募らせていたところで、休憩で外に出てきたスタッフに声をかける。
「失礼。黒髪と蒼い瞳のご令嬢は……」
「あら、そちらのレディでしたら、昼前にお帰りになりましたが……」
「な、何……!?」
「念のため、改めさせていただく!」
慌てて店内へ飛び込んで姿を探すが、やはり少女は何処にも見当たらなかった。
「いつの間に……」
「何処へ……? いや、どうやって……?」
色とりどりの薄着の衣が並ぶ中、二人の兵鳥は蒼白の表情で天を仰いだ。
「……隊長に嬲り殺される」
解呪符を手に握り締めながら、リーンは細い街路を進んでいく。目くらまし効果のおかげで、忙しない足取りで進む少女に誰も目に留めない。
『ナイショで事に及ぶのなら、乙女の繊細な事情で猫を被るのが一番なのよ』――プリムローズからの入れ知恵を思い返しながら、唇を固く結ぶ。
「本当に、ごめんなさい……」
騙してまで、どうしても知りたいことがあった。一人で外出するのもなかなかままならないから、焦りがあったのだろう。鳥籠の中だけで過ごす日々に募る、閉塞感もあったのかもしれない。申し訳なさがありながらも、少しの高揚感を覚えていくリーンは、駆け足の速さを決して緩めない。
観光区の外れに佇む、比較的小さな酒場の前でようやく立ち止まった。中の喧騒が外側にさえ漏れており、昼間からでも大勢の人間で賑わっているようだった。
『酒場は、表に出ない情報が行き交うところさ。対価さえ払えば、望む報せが手に入るよ』
ジョシュアの言葉とフラウベリーでのお遣いを思い返しながら、リーンは一旦解呪符をケースに仕舞う。一度大きく深呼吸をすると、酒場の扉をくぐり抜けていった。
ドアベルが高らかに鳴り、カウンターダイニングに腰掛ける客が一斉に振り向いた。その眼光の鋭さに少女はたじろいだが、足を一歩ずつ店内へ踏み出していく。多くの不躾な視線に晒されながら、壁際をゆっくり移動して、奥のバーカウンターに座った。佇むバーテンダーに視線を合わせれば、好奇を隠さない笑みで尋ねられる。
「ご注文は?」
「ええと、紅茶を……」
バーテンダーは一瞬眉をひそめてから、努めて穏やかに苦笑を浮かべた。
「レディ、こちらはカフェではございませんが」
「でも、私お酒は……」
困惑しながらそう返そうとして、ハッと思い直して慌てて口を噤んだ。
十五の齢を迎えた今、少女はガーランド家の当主であり、大人になってしまったのだ。だったなら、ためらうことはない――そう自分に言い聞かせ、背筋を伸ばしてきっぱりと告げる。
「いえ……つめたいものが、いいです」
「かしこまりました」
カウンターに出された冷えたグラスに大きな丸い氷が収まり、その上に蒸留酒が注がれていく。
少女はグラスを手に取り、そっと唇と触れさせた。琥珀色の液体がそろりと口内に侵入し、瞬く間に独特の燻したような香りが鼻腔を突き抜けていく。
難しそうに顔をしかめながら、静かに呟いた。
「……苦い。でも、不思議とまろやかだわ」
「ゆっくりお召し上がりを」
小さく肩を揺らしたバーテンダーは、チョコレートの入った小皿も差し出してくれる。
少女が平然と飲み始めたことで、他の客も徐々に関心が薄れていき、各々の雑談に戻り始めた。
リーンの後方のテーブルには、賭け事に興じる行商人の集団がいた。煙草を燻らせながら、カードを一枚ずつテーブルに放っていく。
「ご令嬢が付き人もなしに、真っ昼間から酒飲みとは。世も末だねえ」
「そんなもんずっと末だがね。王が崩御してから、何処もかしこもやりたい放題さね」
「闇狩りの連中が特になあ。……噂じゃあ、とうとうキャンベル家も狙われたらしい」
リーンのグラスを持つ手が強張った。
「キャンベルって、あの異端だとかの? 何でまた?」
「なんとかコードっていう解呪の道具を狙っているらしいさね。天空都市も外法だなんだと嘯きながら、現金なもんさ。隣の芝生はぜーんぶ刈り込んじまうつもりらしい」
「昔からそうだろがい。目ぼしいもんは漏れなくぜーんぶ天空に召されるのよ。王家とそれに連なる一族の遺産だって、いつの間にか奴さんの懐に収まっちまってる」
「騒ぎに乗じて、他の都市の解呪機関もおこぼれに与ろうとしてるらしいじゃねえか」
「ひゃはは、あちこち引っ張りだこじゃねえか。モテモテだな、異端キャンベル家は」
「――本当ですか」
ゲラゲラと笑い合う狭間に、澄んだ声音が凛と強く響いた。
「私にも、もっと詳しく聞かせてもらえませんか」
胸元でグラスを握り締め、テーブルの傍らまで近づいていく。頼りない風情の、心細そうに佇む少女を、赤ら顔の男たちは軽々しくあしらった。
「いかにもな世間知らずのお嬢ちゃんにゃ、聞かせるもんじゃねえんだがな」
「お酒に味を占めた素行不良の嬢ちゃんでもな。兵鳥に補導される前に失せな」
「でも、教えてほしいとお願いすることは出来ます」
リーンはポケットの中から小さな革袋を取り出して、口を傾ける。零れ出てきた真ん丸の宝石が、数粒テーブル上に転がっていった。深い蒼玉、真白い真珠、一切の曇りなき水晶――冬至祭の支度品、銀の花冠に連なり実っていた宝珠。その澄明な一粒でさえも、一商人への情報料にしては法外の報酬だった。
さすがに目の色を変えざるを得ない商人たちは、警戒しながら問う。
「……嬢ちゃん、あんた一体何者だい」
「私は、リーン=リリー・ステファニー・エマ・ガーランド。ガーランド家の現当主です」
「っは、こりゃあたまげた。……神の花嫁を神の御使いが囲ってるって噂は、あながち間違いでもなさそうだ」
「そのやんごとないお姫様が、何故異端なんかを気にかけなさる?」
「だって、キャンベル家は、私のかけがえのない人たち……」
とっさにするりと出てきた言葉があまりに自然で、唖然とした。
居場所を自ら手放したというのに。だから、そんなことを口にする資格はなくなってしまったのに。溢れんばかりの失意が滲み出るように、手に抱える琥珀の液体に、雫がひとつふたつと落ちて混ざっていく。
「大切で、大事にしたくて、一緒にいたくて、でも出来なくて……、ヨッカにはずっと迷惑をかけてばかりで……、だから……っ」
俯いてはらはらと涙を零す少女を商人たちは困ったように見やり、内緒話をするように顔を突き合わせた。
「なんか面倒なことになっちまったぞ」
「実入りが良くても、ガキの相手なんざ御免なんだがなあ」
「兵鳥に引き渡した方が良くねえか?」
「――だめ」
冷気さえ纏う声がぴしゃりと落ちた。顔を上げた少女は、濡れた頬をそのままにねめつける。
「話を聞くまでは帰らない。ちゃんと聞かせて。闇狩りって何。天空都市が、どうしてヨッカや皆を狙うの。どうして王家と、私たちの一族を……」
「――それ以上はよろしくないよ、雪のお嬢さん」
後方から伸びてきた長い指爪が、リーンの首元に絡み付いた。
硝子細工のような面立ちの魔法使いが、いつの間にか少女の背後に佇んでいた。




