ホワイトデイズ - lis(re)blanc black daydream -
気付けば必死に走り続けている。氷水のように、つめたく滑らかな暗闇の中を。
恐ろしいものから目を背けるように。決して後ろを振り向かないように。
吹き荒ぶ雪嵐に頬を叩かれながらも、必死に足を動かして、暗闇の彼方へ突き進んでいく。あの向こうには一体何があるのかも分からないのに。きっと何もないだろうに。
それでも愚かに走り続けなければいけない。立ち止まったらお終いだから。もう決して戻れないのだから。
天から稲妻が轟き、次いで津波のような大きな暗闇が背後から迫った。押し寄せればたちまち足をすくわれ、全身を昏い波が攫っていけば呼吸もままならずに呑まれていく。溺れながら、泡となって溶けていく。
いやだ、それでも、どうしても走っていたい。獰猛に逆巻く嵐の中でも、生きていたい。
――リリ。
呼ばれて見上げた先に、小さな光を見つけた。たまらず伸ばした手の先で一瞬触れたのは、ひとひらの花びらと柔らかくて懐かしい香り――けれどそれは雪片のようにすぐに融けてしまう。次いで、この手も砕けて、指先から暴風に晒され毀れていく。
この身体は散っていく。真っ暗な深い嵐の彼方へと。
意識が浮上した途端、視界いっぱいに降り注いだのは清澄な蒼空。それを映す窓ガラスから晴れやかな陽光が漏れ入って、真っ白なシーツを陽だまりの柔らかな色で染め上げている。奥の暖炉でちらちらと揺らめきながら灯るのは橙の火種。
鮮やかな色彩に取り囲まれて、リーンは先ほどまで見ていた暗闇の世界が夢だと知る。頬に走るひんやりとしたものを指で辿れば、夢の名残りと思しき落涙の一筋。瞬きする毎に、大きく広がっていた昏い世界は霧散していく。
(……どうして泣いていたんだっけ)
寝間着の袖で目元を拭っていれば、部屋の扉が大きな音を立てて開け放たれる。輝くような笑みを広げる少年、エマニュエルだった。
「おはよう、白百合!」
リーンの傍へ駆け寄ってきて、飛びつくように抱き締めてくる。その勢いに吃驚しながらもリーンは抱き留めた。
「お、おはよう、エル」
「昨日は良く眠れた? この部屋、寒くなかった? 温かいお茶飲む? ホスティアの淹れてくれる紅茶はね、とっても美味しいんだよ」
「ええと……」
立て続けに言葉を重ねるエマニュエルの勢いに戸惑っていると、コツコツと簡素な音が間に入った。開け放たれた扉の傍で控えているのは、苦笑をたたえるホスティアだ。
「御前、お部屋に入る際はノックをしてお伺いを立てるのがマナーです。そもそも、寝間着姿のレディの部屋へ簡単にお邪魔するものではありません」
「はあい、分かったよ」
素直に頷くエマニュエルは、リーンから僅かに身を離して無邪気に微笑む。
「でも白百合は、僕の部屋にいつでも来ていいからね」
「う、うん……」
「まったく、本当に分かっているのやら……」
少し嘆息するホスティアだったが、リーンに向き合った。
「着替えを済まされましたら、食事になさいませ。支度は整っています」
「ありがとうございます、ホスティアさん」
「ホスティアで構いませんよ。公主」
「公主……?」
耳慣れぬ言葉に困惑するが、どうやらリーンのことらしい。
「ええと、私のこともリーンと呼んでもらえると……」
薄いフレームの眼鏡の奥にある菫色の瞳が、含んだ笑みを形作ってきっぱりと言い放つ。
「なりません。御前の手前であなた様を気安く呼び合うことなどご法度でございます。――それでは公主、ご支度を」
ホスティアは一礼すると、今度こそ部屋を後にしていく。
その後ろ姿を見やるエマニュエルは、くすくすと可笑しそうに肩をすくめた。
「融通が利かないんだよね、ホスティアって」
「そうみたいね……」
ベッドに乗り上げていた身を起こしたエマニュエルは、部屋角のクローゼットを指し示した。
「着替えはここに入ってるから、好きなのを着てね。じゃ、また後で」
エマニュエルも部屋から出ていくと、リーンはそろりと控えめな動きでベッドから抜け出した。クローゼットを開けると、白いコットンワンピースが何着も揃っていた。どれも似たようなシルエットだが、デザインが僅かに違う。とりあえず一番端にあったものを取り出して、袖に通していく。思ったよりも少し裾が長かった。別の一着を取り出して着替え直すと、それは袖の丈が長い。
「ええと……」
結局、どれもリーンには小さかったり大きかったりで、身丈に合うものは見つけられなかった。一番初めに袖に通した裾の長いワンピースを着て、部屋を出る。
半円状のガラス張りの天井が、まっさらな陽光で部屋全体を白く照らしていた。中心から四つに分けて仕切りがしてあり、リーンが出た部屋のすぐ傍の区域には応接間らしく、ローテーブルとソファが置いてある。
その隣の仕切りを端から覗いてみれば、大きな執務机と本棚が陣取っていて、二人が会話を重ねていた。窓からの陽光を背に受けたエマニュエルは席について書類を見下ろしていたが、リーンに気付いて顔を上げた。
「あ、丁度良いの見つかった?」
「う、うん……でも少しだけ裾がやっぱり長くて……」
床面に布地を引きずらせながら覚束ない足取りを見せる少女へ、ホスティアがため息を落とす。
「男所帯ゆえに、女性ものを見繕うのが一苦労でして。近日中に仕立屋をお呼びしますので、しばしご辛抱を願えますか」
「あの、私はこれで充分なんですけど」
「なりません。神の花嫁であるならば、お召し物にはお気遣いを」
冷ややかな声音は強い要求にも聞こえてしまい、リーンもつい言い返す。
「神の花嫁であってもなくても、私は多くを望みません」
「公主、お言葉ですが……」
「まあまあ、二人共そのへんで」
エマニュエルが朗らかに笑いながら二人の間に入ってきた。
「白百合、裾を踏んづけて転んじゃうと危ないから、ね? ホスティアもあんまり白百合にお小言言うと、嫌われちゃうよ?」
ホスティアは不機嫌そうに眼鏡のフレームを直す仕草をする。
「私は真っ当な言い分を主張しているだけなのですが。御前も良くお転びになりますし」
「あの、お気遣いはとても嬉しいです。けど、あんなに着るものがあって、長い裾だって捲れば着られますし……」
リーンの控えめな言い分に、ホスティアはため息交じりの苦笑を落とすしかない。
「姫らしからぬ程度には、与えられることに慣れておられぬようだ。ま、少しずつ慣れていただければ構いません。さあ、まずはお食事を」
「ほら、一緒に食べよう、白百合」
エマニュエルが手を取って、仕切りの一つ向こうへ導いていく。隣の区域は食事の間らしく、壁一面にわたる硝子窓の近くにはダイニングテーブルと二つの椅子。
テーブルにはすでに二人分の朝食が支度されていた。ベーコンエッグとひよこ豆のサラダ、ヨーグルト。焼きたてのクロワッサンに山形食パン。
席に座ったエマニュエルは、ジャムの入った小皿を指し示す。
「ジャムもマーマレードもあるよ。白百合はどっちが好き? 僕のはおススメはプラムだよ」
「じゃあ、それにしようかな」
軽くトーストされた食パンに杏色のペーストを塗って、一口頬張る。
果肉たっぷりの甘酸っぱさは、ふんわりとした甘みのあるクロワッサンに良く合った。多少のスパイスが入っているのもあるのか、風味は知らない土地の匂いがする。馴染みのない味わいを感じ、そこでふと思い出すのはブラウンのお下げ髪を揺らす女性、リコリスの作ってくれるジャムだ。
冬は店を閉めるからと、沢山のジャム瓶を貰ったばかりだった。その中には新作もあって、また感想を聞かせてほしいとお願いされていたのだ。結局、別れを告げられずに逃げるように出てきてしまったのだが。
(新作のジャム、どんな味だったのかな……)
感想も別れも告げられなかった申し訳なさに、心がきゅっとしぼむ。
「どう? 美味しい?」
「うん。でも……少し酸っぱいね」
窓辺に視線を移し、フラウベリーはどちらにあるのかと焦がれる眼差しを送った。起き抜けに覗いた時と変わらない、澄み切った蒼穹は何処までも色鮮やかで、遠い。
リーンの視線につられてエマニュエルも窓の向こうを見やり、楽しそうに呼びかけてきた。
「朝ごはん食べたらさ、お散歩に行こうよ。お庭があるんだ」
アーチ状の大きな窓を開けて外に出ると、手狭ながらも花木の植わるプランターで囲まれた中庭が姿を見せた。床面も造り付けのプランターも、全て白亜の大理石で造られている。
その中から葉を広がせる緑樹は低木ばかりで、慎ましやかな趣だ。清涼の冷えた空気を吸い込みながら、リーンは緑樹に手を触れる。
「あんまり背の高い木はないのね」
「標高が高いとね、どうしても大きくならないみたいなんだ」
こっちに来て、とエマニュエルはリーンの手を引いて、庭の奥へ導いていく。
「何があるの?」
「見てのお楽しみ」
中庭の奥には細道と階段があり、左右は三メートル程の高さの壁で覆われていた。ここにも造り付けのプランターが階段の奥まで続いている。
花木に囲まれた真っ白な階段を上っていき、その頂まで辿ると大理石で阻まれていた視界が開けた。突き抜けるような蒼い空が少女の目を奪う。
「わあ……」
遠くの山々まで眺望の適う、手狭な展望台だった。タイルで敷き詰められた広場の中央にはテーブルと椅子が一脚置いてあり、度々使われているのだと窺える。
「僕のお気に入り。白百合もいつでもここを使っていいからね」
「うん、ありがとう」
リーンは円形上になった端まで駆け寄って、空の蒼と山の深緑で形作られる絶景をぐるりと見渡した。
山の裾の所々に広がる段々畑と牧草地。谷間に流れる急流の細い川。そして手が届いてしまいそうな程に近くにあると思わせる、真っ青で清らかな天空。
「すごい、綺麗……」
「うん、きれいだ。――何一つあの頃のままだ」
そっと紡ぐ声に振り向けば、エマニュエルが目を細めてリーンをうっとりと見つめていた。少女の軽やかになびく黒髪を手に掬い取る。
「本当に変わらないね。その蒼い瞳の澄みやかさも、この滑らかな長い髪も……」
その陽だまりのような声が、僅かな翳りを帯びる。
「……あの時、白百合と離れ離れになったこと、ずっと後悔してた」
『あの時』を同じく思い返すリーンは、苦笑する。
「ごめんね。でも、あの時はこうするしかないって思っちゃったから」
風で踊る長い一束が、ぎゅっと握り締められる。
「もう切らせないよ。全部元通りになって、僕のところへ戻ってきたからこそ、……今度こそ絶対に」
確かな強さをもって抱き締められて、リーンも応えるように腕を回した。子供をあやすように、その背をゆっくりと穏やかに撫でる。
「エルったら、寂しがり屋なのも変わらずだね」
「うん、白百合がいないのは寂しかったよ。ピックスもホスティアも魔術師もいたから、少しは大丈夫だったけど」
「エルは、いつからこの街に……?」
「白百合が塔から逃がしてくれた後はね、天空都市に身を寄せたんだ。ある解呪師が僕のことをとても気にかけてくれて、身体の弱い僕でも出来る仕事を教えてくれた」
「それが、天園鳥?」
「うん。でも、林檎を食べて元気になったから、もう何だって出来るよ。解呪だってお手の物だし。……あ、いけない」
エマニュエルは太陽の位置を確認し、小さく息をつくと外套の飛翔装を広げていく。
「そろそろお仕事に行かなくちゃ。じゃあ、白百合、また夜に」
「う、うん……」
軽やかに飛び去っていく白い翼を見送ると、リーンは一人残された展望台で、今一度広大な景色を見渡した。乾いた冷風が吹き荒れて、頬を弄って冷やしていく。
いつかの昔、こんな風に、遠くの空を見渡していた気がする。
崖端に佇んで、これ以上一歩も前に進めずに、只々茫洋と広がる世界を見続けていた。それと似通う寂しさが、今この胸に募る。
中庭から戻ると、白い部屋には誰の姿も見当たらなかった。ダイニングテーブルに、紅茶のポットと昼食替わりのサンドイッチが用意されていた。
昼食一式を手に持って、展望台に戻る。太陽が天頂に上がった頃、一口ずつゆっくりと頬張った。
ずっと、何処までも透き通る蒼いばかりの空を見ていた。雲一つない見晴らしの良い景色を見ている他に、何もすることがなかった。部屋にも中庭にも人気はないし、何をすべきかも言い渡されていない。昼下がりの陽気にうつらうつらと居眠りしてみても、陽が落ちるまでの時間はどうしてだかやたら長く感じた。
結局日暮れまで、リーンは一人きりの中庭で過ごしたのだった。
やっと訪れた夕食の時間に、リーンはエマニュエルと顔を合わせて何か自分に出来ることはないかと仕事を求めた。けれど、エマニュエルはにっこりと微笑みかけて首を横に振る。
「白百合は何もしなくてもいいんだよ」
「あの、でも、何かすることない? エルのお手伝いとか……。それでも簡単なことしか出来ないけれど、少しでも何か役立てることは……」
リーンの必至な様子に、エマニュエルは困り顔で首を傾げるしかない。
「君が僕の隣にいてくれさえすれば、それでいいのに。意味もなく、あくせく働かせられる訳がないよ」
「でも……」
「――『何もするな』ってのは、あくせく働いてる奴に言うもんだろ」
そう茶々を入れるように口を挟んだのは、大柄の若者だった。リーンの背後より伸ばした手が、小魚のフライを摘まみ上げてぱっくりと一口で平らげる。
「ピックスさん……」
「暇で退屈で死んじまいそうな顔してるな」
リーンのホッとするようでいて縋るような眼差しを、ピックスは苦笑しながら受け止めていく。
「あのな、エル。暇を持て余してるわんぱく令嬢は、何かしてねえと逆に落ち着かねえんだよ。南海で泳ぐ赤身魚よろしくな」
エマニュエルはきょとんと瞬きし、やがて小首を傾げた。
「……そっか。白百合は、退屈なんだね?」
「う、うん……」
「じゃあ、白百合の好きなように過ごせばいいよ。君のしたいお仕事があるなら紹介するし」
「好きなこと、したいこと……」
リーンは考え込むように視線を下ろした。
キャンベル家に初めて招かれた時も、好きに過ごせばいいと言われて、けれどどう過ごせばいいのか分からなかった。
――君は、誰かに何かを言われなければ、何も出来ないのかね。
あの硬質で無機質な声音を、やはりどうしても思い出してしまう。膝上でぎゅっと手を握り締めながら、少女は顔を上げた。
「……あの、じゃあ、解呪の勉強をしてもいい?」
リーンの申し出が意外だったようで、エマニュエルもピックスも目を丸くして顔を見合わせた。けれどあっさり頷いてくれる。
「ふーん、ま、いんじゃね? ここは総本山だから見本もテキストもよりどりみどりだしな。だが、マギーたちの扱うソレとはまた別モンだぞ。それでもいいのか?」
「だ、大丈夫です」
ためらいがないと言えば嘘になる。また一から勉強をし直すということなのだから。それでも、リーンが今したいと思えるものは恐らくそれ以外になかった。
エマニュエルは考え込むように口元に手をやる。
「それなら専門教官に来てもらおうか。高等解呪師の中からまず選別して……」
「ええと、そこまでしてもらう訳には……。他の人みたいに学徒区で勉強が出来ればそれでいいよ」
「――駄目だよ」
少年にしては、いつになくきっぱりとした口調だった。リーンが思わず口を噤むと、エマニュエルはにっこり微笑む。
「白百合はね、神の花嫁だから。他の人と同じことをさせる訳にはいかないんだ」
「エル、私はガーランド家の人間だけれど、それでもただのリーン=リリーなの。そんな肩書は必要ないよ」
「それでも、君は僕を選んだでしょ? 神の子である僕を」
「ええと、それはどういう意味……?」
エマニュエルの押し通すような言葉に、リーンは戸惑いを覚えるしかない。
「あなた様の意向がどうあれ、ガーランドの姫君という肩書は中々削ぎ落されるものではありませんよ、公主」
そう声が落ちてくると共に、白磁のカップに熱い甘露が注がれていく。ティーポットを傾けながら、ホスティアが諭すような声色を落とした。
「王家に連なる者が、民草と同じ学び舎で勉学に励むというのは、周囲に大きな戸惑いを生みましょうね」
「そ、そういうものなんですか?」
「この街ではそういうものです。公主、恐れながらどうかご理解を」
「……分かりました」
リーンがしゅんと肩を落とすと、ピックスがその小さな頭をわしゃわしゃと撫でた。
「まあそう気ぃ落とすな。俺もたまに勉強に付き合ってやるからよ」
「うん……ありがとうございます」
「講師はこっちで選んでおくから。楽しみにしててね」
宥めてくれるピックスと変わらず無邪気なエマニュエルに、リーンは何とか微笑みを返したのだった。
数日後。リーンの希望が半ば叶えられた形として招かれた講師は、意外にも見知った人物だった。
「あの、えっと……あなたが私の先生ですか?」
自室のテーブルを挟んで面と向かい合うのは、銀髪の女性。雨空色の怜悧な眼差しが、リーンを射すくめるように細くなる。
「小娘、わたくしが講師では不満?」
「とんでもありません! アルテミシア様だとはちっとも思わなかったから……」
「本当にね。……あの鳥共は何を考えているのやら」
そう嘆息するアルテミシアは足を組み直すと、リーンの部屋をぐるりと見回した。
「まるで鳥籠ね」
「そう見えますか?」
「ここに来るまで、厳重に警固された扉を幾つもくぐり抜けてきたわ。宝石姫のごとくの」
「宝石姫……?」
「お伽話に出てくる姫君よ。――繻子のような艶髪、雪花石膏のような白い肌、翠玉の瞳、薔薇輝石の唇。宝石のように輝く美しさからそう呼ばれ、天高い塔の中で大事に大事に慈しまれていた。けれど、噂を耳にした盗賊が姫を攫おうと、罠に満ちた塔に挑む冒険譚……だったかしら」
「へえ、最後はどうなるんですか?」
アルテミシアは一瞬思い出すように目をそばめたが、あっさりと首を横に振った。
「覚えていないわ。幼少期にエメラルダから読み聞かせられて、それきりだもの」
リーンよりずっと多くの年齢を重ねるこの女性も、幼い頃はエミリーの保護下にあったらしい。母子のように読み聞かせをする情景を思い浮かべながら、しみじみと声を落としてしまう。
「エミリーって、やっぱりとんでもなく長生きなんですね。どうしてそんなに生きられるのかしら……」
「呪われているからよ」
「え……」
単なる世間話のつもりだったから、回答が返ってくるとは思わなかった。リーンが言葉を詰まらせていると、アルテミシアは紅茶を啜りながら、つまらない世間話のような抑揚で再び放り投げてくる。
「でなければ、単なる人の身が不老長寿を貫き通せる訳がないでしょう」
「どうして呪いを……?」
「……あの古狸が、かつて王家のお抱え解呪師だったことは知っている?」
「はい、少しだけ」
「林檎姫の呪いについては?」
「詳しくは知りません。王家のものである筈の呪いを私のお母さんが受け取って、そしてヨッカに感染されたことだけは……」
「エメラルダも賜ったのよ。忠義を尽くした陛下から直々に」
「それって……っ」
「仔細はエメラルダに問うことね。必要と判ずれば、お前にも口を割るでしょう」
再びカップを傾けて、アルテミシアは口を閉ざした。あえて言葉を伏せるのは、謎を多分に抱えるエミリーの、中でも取り分けて極秘の内情だからだろう。
「どうして、その話を私に……?」
「ここで解呪の手解きを望むのでしょう? ならば、普遍の理から外れし事象には、敏感になっておきなさい。そこには必ず『呪い』という歪みがあるのだから」
アルテミシアの視線がぐっと近づき、すぐ傍らのリーンの蒼い眼を見据えていく。
「まずは良く見なさい。何が見えるかを、はっきりと感じなさい」
――何が見える?
――その目に、何を見る?
かつて、塔で告げられた言葉が頭の奥で重なり合い、反芻していく。
――何を見たい?
「人は、見たいものしか見ない」
アルテミシアのほっそりとした人差し指が、リーンの目元に触れる。
「見ようとしないところ――自我の取り除かれた隅に、我々の求める真理がある。神の花嫁であるお前の眼には、それを見通す力がある。ならば最初はまず、見えるもの、見たいものを感じなさい。そして、己の周りにある一切を絶ち、見ないことを覚えなさい」
瞼をそっと撫でられて、促されるように自然と目を瞑る。
(私が見たいもの……私でしか見られないもの……私の見たくないもの……)
――胸の内側で問いかけて、しっかり心の声を聞いて。
(私の見たいものって、何だったのだろう)
――ただ、願えばいい。
何もない暗闇に、もうけして呼ぶことのない名前だけがふつりと湧いて、音もなく事もなげに溶けていく。
(……ヨッカ)
真っ白に染まる穏やかな部屋の中、目を閉じて見る白日夢だけが何処までも真っ暗で、夢現の狭間に寂々と漂っていく――。




